第二十一話・異常気象
地の国の関所を強引に押し通ったジュード達一行は、その先に待ち構える水の国への関所に差し掛かっていた。互いの関所の間には一つの渓谷があり、東側へ行けば地の国、西側に行けば水の国へと到着する。ジュード達はこの渓谷を東側から西側へと馬車で駆け抜けてきたのだ。
だが、水の国の人間は火の国のことを快く思ってはいない。それは前回、鉱石を求めて訪れた際に痛いほど実感している。それ故にこの水の国への関所で足止めを喰らうことなど既に想定済みのことであった。
「帰れ帰れ! 火の国の人間の入国など認めるものか!」
「そうだ、お前たちは悪魔だ!」
こちらの馬車を見つけるなり、彼らもまたその手に武器を取り関所の出入り口を自分達の身を壁にすることで封鎖してしまったのだ。無論人の身だ、先程のように力業で強引に通ることは出来るが、そのようなことをしてしまえば上手くいくかもしれない話も駄目になってしまう可能性が高い。自国の民を傷つけられて喜ぶ王などそうそういないだろう。
だが、こうしている間にも地の国の兵士達が追って来ているかもしれない。それを考えると、この場で延々と足止めを喰らうことはどうしても避けたかった。とは言え、ここまで来た事情を話しても先のように取り付く島もない。
どうしたものか――シルヴァは困り果てたように馬車を止め、兵士達の様子を窺った。
「……シルヴァさん」
「困ったものだな、我々にはゆっくり話している暇などないと言うのに……」
ジュードとウィルは馬車の窓から顔を出すと、幾分心配そうに外の様子を窺う。初めて水の国を訪れた時と変わらず、この国は相変わらず火の国の人間に対して憎悪を抱いているようだ。尤も、水の国の者達は元来争い事を好まぬ性格故に、強引に自国の仲間を徴兵した火の国が許せないと言うのは頷けるのだが。
しかし、だからと言ってこのまま足止めされる訳にはいかない。ジュード達にはやらなければならない用がある上に、こうしている今もいつ後方から追っ手がやってくるか分からないのだから。
だが、そんな彼らの元に一つ聞き覚えのある声が届いた。
「……あれ、ジュード?」
「え?」
その声に思わず反応したのは、当然ながら窓から顔を出していたジュードとウィルだ。不思議そうに双眸を丸くさせながら視線を投げ掛けた先、そこには群がる兵士達を軽く押し退けて前へ出てきたエイルが立っていた。
ジュードの姿を確認するとエイルは訝っていた顔を途端に嬉々に染め上げ、先までの警戒は何処へやら――武器を下ろして馬車へと駆け寄って来る。シルヴァはそんな彼の様子に数度瞬きを打った後にジュードとウィルを振り返った。
「ジュード、久しぶり! 本当に遊びに来てくれたんだ!」
「あ、いや……はは、別に遊びに来たわけじゃないんだけど……」
「分かってるよ、……そんな馬車に乗ってるんだしさ」
エイルはジュードの言葉に対し小さく頷いて見せると、そこはやはり彼も水の国の人間か。一度だけ複雑な面持ちで馬車を見遣りつつ、しかしそれ以上はとやかく言うことはせずに兵士達に向き直る。
そして静かに口を開いた。
「……この人達は僕の知人だ、彼らのことは僕が責任を持つ。だから通してやってくれ」
「しかし、エイル……」
「以前この国に現れた魔族を退治してくれたのはこの人達なんだぞ、陛下にとっても客人のようなものなんだ。……だから、頼む」
エイルのその言葉にウィルやマナは互いに顔を見合わせ、ジュードは数度瞬きながら彼を眺め遣る。前回この国を訪れた際と今とでは、エイルの様子が百八十度変わっていたからだ。
水の国の兵士は未だ火の国の人間に対し強い嫌悪や敵対心を持っているようだが、エイルは多少でもその葛藤を乗り越えつつあるのだろう。――尤も、その相手がジュード達でなければどうであるかは定かではないが。
エイルのその言葉に関所の兵士達は困惑したように、それぞれ隣にいた仲間と小声で言葉を交わす。本当に招き入れても良いものなのか否か、戸惑っているのだろう。
「……エイル」
「ジュードは友達だもんね。それに……遊びに来たわけじゃないなら、何か大事な用があるんでしょ?」
「ああ、オレ達はどうしても王様に会わなきゃいけないんだ」
「陛下に……そうか、ならちょうどよかった。きっと陛下もジュードに会いたがってると思うよ」
そこでジュードはエイルの言葉に疑問符を滲ませた。
確かに水の国の王リーブルとは面識がある。その上、ジュードは王が若かりし頃に愛した女性に似ていると言うことで、多少なりとも彼の記憶に残ってはいる筈である。
しかし、リーブルは一国の王。他国の人間一人に会いたがるなど、そうそうあるものではない。一体どういうことかとジュードが不思議そうに首を捻ると、エイルは視線を横に逃がし神妙な面持ちで呟いた。
「…………この関所を出れば、すぐに理由が分かると思うよ」
* * *
国王がジュードに会いたがっている理由。それは、この関所を出ればすぐに分かる。
エイルのその言葉の意味は、確かに関所を出てすぐに判明した。ジュード達は目の前に広がる光景に瞬きさえ忘れたように呆然と佇み、そして息を呑む。
厳密に言えば、何も反応が出来なかったのだ。その光景があまりにも想像を絶するものであったがために。
「……エイル、これは……?」
「見ての通り、大雪原さ。ジュード達が来た時も季節外れの雪なんか降ってたけど……あれからずっと毎日雪、雪、雪で積もりっぱなし。この関所から王都まで通常なら一日で着くはずなのに、今は雪で足止めされて三日、ひどい時は五日もかかるんだ」
ジュード達の目の前には果てなどないのではないかと思うほどの、何処までも続く大雪原が広がっていたのである。人の背丈より高く積もった場所も数多く存在し、埋もれれば自力で出てくるのは困難を極めるだろう。
エイルは脇に下ろした拳を固く握り締めて静かに視線を下げると、吐き出すように呟いた。
「……この大雪で、幾つもの村が埋もれた。若い者は逃げられたけど、上手く動けない人はそのまま……」
「……っ」
その言葉の先は、紡がれなくとも理解は出来た。恐らく足の不自由な者や年輩の者は逃げることが出来ず、そのまま村と共に雪の中に埋もれてしまったのだろう。エイルの今にも泣き出しそうなその顔が、全てを物語っていた。
しかし、エイルと言えば自分はエリートで他は落ちこぼれだと豪語していたものである。幾らジュードに叩かれたからと言え、こうも変わるものなのかとウィルは何処か不思議そうに彼を眺めていた。今のエイルには、嘗て漂っていた高慢ちきな様子は微塵も感じられない。その頃の彼を知っている身からすれば一体どうしたのかと戸惑うレベルだ。
だが、当のエイル本人はと言えばそんなウィルの心情も露知らず、その視線を静かに大雪原へと戻した。
「こんなことは初めてなんだ、今まで雪の量が多いことは何度もあったけど国が埋まってしまうくらいの雪は降ったことがない」
「この原因をオレ達に調べてほしくて王様が会いたがってる、ってことか?」
「流石だねジュード、察しがいいや」
「そ、そんなこと言われてもな……」
確かに目の前に広がる光景は異常だ。
幾ら水の国とは言え、村が潰れてしまうほどの大量の雪が降ったことなど今までに一度もない。このまま延々と降り続ければ、やがては王都シトゥルスさえ埋もれてしまうだろう。そうなってしまえば文字通り水の国は終わりだ。
とは言え、この異常な状況の原因を解明するなどそう簡単に出来ることではない。どうしたものかとジュードは静かに唸った。ウィルを見てみても、当然ながら彼にも皆目見当が付かないと言った様子だ。
ジュードの肩に乗るライオットは痛ましそうに大雪原を眺め――しかし、特に口を開くようなことはなかった。
「……とにかく、まずは王都に行こうぜ。こっちの用もあるし、陛下に詳しい話を聞いてみた方が考えも纏まるかもしれないしな」
「そうだな、……エイル、悪いけど案内頼むよ」
「うん、任せといて!」
これだけの大雪だ、移動にはかなりの時間と労力を要する。地の国グランヴェルから追っ手が来たとしても、彼らもまた移動は困難を極めるだろう。だが、それでも大丈夫だと楽観視は出来ない。火の国に帰り着いたとしても、相手が大国グランヴェルである以上は安心出来ないのだから。
この大雪の原因が何なのか――国王に聞いたところで原因は分からないかもしれないが、自分達だけで考えるよりは分かることもある筈だ。
ジュード達はエイルの案内に従い、王都シトゥルスまでの道を辿り始めた。