第十六話・裏切り者同士
『――貴様、気は確かか? 本当にそのような世界が実現出来ると思うのか』
一面氷が張り巡らされた洞窟内に、一つ凛とした声が響く。
辺りには砕けた氷柱がこれでもかと言うほどに散乱し、一際広く作られたその空間の奥には祭壇が設けられていた。祭壇前に佇む二人の長身の男は、自分達と対峙する青年や少女を睨み付けるように見据える。その眼光は鋭く、気の弱い者であればまさに蛇に睨まれた蛙状態となってしまうだろう。
だが、対峙する青年は微塵も臆することなく返答を向けた。
『……すぐには無理だと思う、俺が生きている間にも実現出来るかどうか……』
『人間は欲深く、愚かで狡猾で何よりも残酷な生き物だ。一人では何も出来ぬと言うのに自分と異なるものは認めず、徹底的に排除しようとする。自分達が絶対正義だと信じて疑わず、醜い争いを繰り返しては同胞同士で命の奪い合いばかりではないか』
『それでも、人は変わっていける筈だ。人が精霊の存在を受け入れることが出来れば、お前達も化け物扱いなどされなくなる』
『そのような世界になれば魔法能力者が迫害されることもなくなる、と言う訳か。……やはり愚かだな、人がそう簡単に変われるものか』
青年の言葉に対し、真正面から対峙するアイスブルーの瞳を持つ男は吐き捨てるように呟いた。
だが、その傍らに控える長い髪の男は暫し無言のまま青年を見つめた末に静かに口を開く。
『……異端者として忌み嫌われながら、なぜお前は人間のために尽くそうとする? 憎くはないのか、自分勝手な理由でお前を蔑む人間達が』
『……同じ色の血を持つ者同士、何が違うと言うんだ。人は弱いから群れる、弱いから自分とは異なるものを受け入れられない。なら誰かが……違いなんてないと言うのを教える必要がある』
『それをお前がすると言うのか』
『俺だけじゃない、お前達――精霊や仲間と共にだ』
静かに、だがしっかりと呟かれたその言葉に長髪の男は緩く双眸を見開き、改めて暫し青年を見つめた。
そして程なくして薄く口元に笑みを滲ませると、ゆるりと小首を傾かせる。
『……面白い、私は気に入ったぞ。こんなにも愚かで無謀な人間は初めてだ』
『フォルネウス、何を――』
『よいではありませんか、兄上。それで本当に人間が変われるのであれば協力する価値もあると言うもの……私は水の大精霊フォルネウス、こちらは氷の大精霊シヴァだ、お前の名は?』
『俺は――』
* * *
そこまで思い返して、フォルネウスは思考を現実へと引き戻した。
騒がしい王城内で伏せていた目を開くと、気だるげにその視線を周囲へと向ける。
一度は捕らえた筈のジュード達を逃がしてしまった城内は騒然としていた。事の仔細を聞いた国王ファイゲは鼻息荒く階下へと降りて来るなり、目に付いた兵士達に八つ当たりでもするべく――否、完全に八つ当たり状態で拳を叩き込んだり、足蹴にしたりと暴行を繰り返していた。
「鍵に逃げられたとはどういうことだ! 雁首揃えて一体何をしていた!? 更にはセレネシアの美しい身体に傷を付けおって……貴様ら全員死刑だ! 誰か、誰かこいつらを牢にぶち込んでおけ!!」
その怒声を聞きフォルネウスの口からは自然と重苦しい溜息が零れ落ちる。
先程の回想は、フォルネウスが随分昔に実際に経験した記憶の一つだ。まだ人間に完全に絶望をせず、あくまでも中立の立場を守っていた『精霊』時代のもの。兄のシヴァと共に大精霊として陰ながら人に、そして世界に水の加護を与えていた頃の。
気が遠くなるほどの永い年月を経ても色褪せることのない、彼にとって何よりも大切な記憶だ。
フォルネウスが愚かで無謀と言った赤毛の青年の存在は今でも彼の中に残り、確かな影響を与え続けている。
「(だが、あいつはもういない。いや、いないからこそ……私はあいつの望みと異なる道を歩んでいるこの世界を正さなければならない。なぜそれが分からないのだ、兄上……)」
フォルネウスは魔族の元に渡ったとは言え、元は大精霊だ。魔族が正しいなどとは思っていない。彼の目的である人間の粛清と魔族の目的が同じだから行動を共にしている、と言うだけ。人はそれを裏切りと言うだろうが、彼の中にある想いは『忠誠』から来ていると言っても過言ではない。
フォルネウスは固く拳を握り締めて項垂れるが、そんな彼の鼓膜に一つ言葉が届いた。
「ふふ、精霊とは言えやはり兄弟と言ったところかしら。それとも……彼のことかしらね? アルシエルから聞いているわよ、あなたはまだ彼の存在を神格化して忘れられずにいるんだって」
「……」
「彼の目指したものと異なるから、あなたは精霊を裏切ったのでしょう? 美しい忠誠心ね、もう彼はいないと言うのに。そんなに理想が大切? そう、あの――」
「――黙れッ! 貴様の薄汚れた口であいつの名を呼ぶな!!」
まるで揶揄するかのような口調で言葉を向けてくるのは、同じくジュードを追い求めていたネレイナだった。薄くも何処か妖艶な笑みを浮かべながら、フォルネウスの反応でも楽しむかのように興味深そうな双眸を以て見据えてくる。尤も、そんな様子が更に彼の神経を逆撫でしていくのだが。
ネレイナの言葉を遮るようにしてフォルネウスは怒声を張り上げるものの、やはりその程度で彼女が臆する筈もなかった。
しかし、それ以上の刺激は彼女もする気はないのか――一つ鼻で笑う程度に留めると、改めて静かに口を開く。
「それで、なぜお前がここにいる?」
「……贄を迎えに来た、それとアルシエルから貴様の真意を確かめるように言われている。貴様が裏切っているのであれば即刻始末しろとのことだ」
「ふふふ、精霊を裏切ったお前が裏切り者の始末? これは傑作だこと、元は大精霊である身で今は魔族の手先と言うのも皮肉なものだわね」
「……」
「心配しなくていいわ、わたくしは別にアルシエルを裏切ってはいない。けど、このわたくしを疑うだなんて酷いものね。ジュード君が魔族にとって大きな脅威とならないのはわたくしの呪いのお陰だと言うのに」
全く臆する様子もなく淡々と言葉を連ねるネレイナを、不愉快そうな面持ちのまま見据えるフォルネウスは早々に会話を終えるべく彼女から視線を顔ごと背けてみせる。人間に対し快い感情は当然ながら持ち合わせていないのがフォルネウスではあるが、ネレイナと言う存在はそれに輪をかけて、決して好ましく見れる存在ではなかった。
何を考えているのか、全く理解が出来ない。今とてアルシエルを裏切ってはいないと言葉では連ねているが、彼女が息を吐くように嘘をつく女であることを彼は知っている。それ故にくだらないやり取りは不毛以外の何物でもないと思ったのだ。フォルネウスには、腹を探り合う趣味もない。
だがそんな彼の心情を知ってか知らずか、ネレイナは一歩フォルネウスに歩み寄ると囁く程度の声量で言葉を続けた。
「ジュード君が成長した際、最も障害になるのはあの力だものね。接続、交信、契約、共鳴……その全てをあの子が身に付けてしまったら、流石のアルシエルだって……ねぇ」
「……何が言いたい」
「少しは感謝してほしいと言ってるのよ、アルシエルにそう伝えなさい。わたくし達はこの世界の人間達を始末すると言う共通の目的を持った仲間なのだから、ね……」
それだけを告げると、ネレイナは薄く微笑を滲ませたまま静かに踵を返す。彼女のその言葉が何処まで真実なのか、フォルネウスには理解出来なかった。何処からが真実か、それとも全て偽りなのか。
否、正確に言えばフォルネウスにはそのようなことはどうでも良かったのだ。魔族のことさえ彼は信頼などしていない、精霊である彼にとって魔族は敵としか言いようのない存在なのだから。
人の身でありながら、ネレイナは裏で魔族と繋がっている。恐らくはそれを知る人間は存在しないか、したとしてもごく少数だろう。
フォルネウスは精霊を裏切り、ネレイナは現在進行形で人間を裏切っているのだ。ネレイナと魔族がどのようにして出逢い、そして協力するに至ったのか。その経緯をフォルネウスは知らない。
だが、やはり彼にとってそれは重要なことではなかった。フォルネウスにとって重要なのは、己の目的を達成することだけ。そのためならば人間であろうと魔族だろうと、使えるものは使う。それだけなのだ。
去っていくネレイナの背中を暫し見遣った後、フォルネウス自身もまたジュード達を追うべく静かに踵を返した。




