第十五話・違和感
「止まれ! 止まらんと撃つぞ!」
「止まったってどうせ撃つんだろ! マナ!」
「人相手に魔法を使うことになるなんて……ああもう、あんた達の王様が悪いんだからね!」
シルヴァを先頭に城の出入り口に向かった先には、案の定既に多くの兵士が先回りをしていた。出口は彼らによって封鎖されている、脱出するにはここを突破する以外に道はないだろう。王城の出入り口と言うだけあって、幸いにも外からの施錠は出来ないようだ。鍵は内側にのみ設置され、包囲網を突破すれば幾らでも開錠は可能だろう。
但し、その人数が半端なものではなかった。城中のほとんどの兵士が駆り出されているものと思われる。優に四十人以上は集結していた。そしてその中には一際目を引く美しい少女の姿もある。――地の国グランヴェルの王女セレネシアだ。
ウィルの後ろを駆けていたマナは彼の呼び掛けに小さく頷くと、利き手に意識を集中させる。彼女の魔法はこれまで人間相手に向けられることはほとんどなかった。それは、人を殺める可能性を示唆していたためだ。彼女が持つ魔力は常人よりも幾分高い、攻撃魔法に長けているという彼女特有の才能もある。下手をすれば人の命を奪ってしまいかねない――それ故にだ。
だが、今は違う。此方を迎え撃つ兵士達の先頭には魔法部隊と思われる数人が杖を掲げて待機している。その杖の先端には淡い光が集い、いつでも術を放てる状態であった。ウィルの言うように、此方が止まろうがどうしようが放ってくるだろう。仔細が知らされているか否かは定かではないが、彼らが欲しいのはジュードである。ウィル達を人質に使うにしても、怪我をしようが生きてさえいれば良い程度なのだろうから。
「あら、反抗的ですわね。他は必要ないから殺してしまいなさい、鍵が言うことを聞かないのなら力ずくで従わせれば良いだけですもの」
「ロクでもないお姫様なのは相変わらずみたいね……来るわよマナ!」
セレネシアの言葉に従うように、次いだ瞬間に魔法隊の杖からは勢い良く攻撃魔法が放たれた。鋭利な刃物の如く先端部が削られた岩槍が幾つも飛翔するグランドアローだ、術者の魔力次第でその数は無数に増える魔法だが、魔法隊には特に秀でた魔力を持つ者はいないのだろう。その数はいずれも四本から多くて六本程度だ。
しかし、それが複数の手によって生み出されたものであれば脅威にもなる。魔法隊は当然ながら一人ではないのだから。
先頭を駆けていたシルヴァは一旦そこで足を止め、利き手に持つ剣の柄をしっかりと握り直す。彼女が扱う技は風の属性を持つものが多い。つまり、土魔法に対抗出来る存在の一人なのだ。ウィルとて彼女同様に風属性を得意としているものの、未だ不完全な技が多い故に彼女に任せるのが最適だろう。
シルヴァは此方に飛んでくる幾つもの岩の槍を見据えると、剣を持つ利き腕を一度後方に引く。そして次の瞬間、迷いもなく真っ直ぐに剣の切っ先を突き出した。まるでその刃を突き立てるかのように。
すると彼女の剣からはレーザー砲の如く勢い良く突風が放出された。その風は此方に飛翔する岩を粉微塵に粉砕していく。
「さっすがシルヴァさん……あたしも負けてらんないわね! ヤケドしたって知らないわよ!」
シルヴァが打ち漏らした岩槍に照準を合わせると、マナは片手に持つ杖を掲げて幾つもの火炎弾を放った。土に有効な属性は風だが、破壊程度であれば彼女が得意とする火属性の方が効率は良い。火属性には攻撃的な魔法が数多く揃っているからだ。
マナが放った火炎弾は此方に飛んでくる土の槍に勢い良く命中し、頑丈なその岩を粉砕した。無論ほとんど力業で破壊したようなもの、その破片は辺りに飛び散っていくのだが。四方八方に飛散した大小様々な破片はジュード達よりも術士達を襲った。距離的に彼らの方が近かったのである。その先頭に立ち、成り行きを静観してたセレネシアは至極当然とばかりに金切り声を上げた。
「ちょ、ちょっとこの無能ども! 何をしていますの!? さっさと殺してしまいなさいっ!!」
「で、ですが姫様……!」
「わたくしの身体に傷でもつけばお前たち全員死刑ですわ! それが嫌なら口より手を動かしなさい!」
セレネシアのその言葉にジュードやカミラは思わず表情を顰める。この王女は、人を人だと思っていない――否、命をなんとも思っていないのだと、そう理解したのだ。
自分の思い通りにならなければ、雑草を引き抜くかの如く部下の命を平気で刈り取ってしまえるだろう。そしてこの国では恐らくそれが自然であり、当たり前となっている。
反吐が出る――言葉には出さずともジュードはそう思った。
同じ世界に在って、なぜこうも在り様が異なるのか。少なくとも他の国の王族はこのような言葉を吐くことはない。だが、この国の王族にとってはこれが当たり前で、それに仕える兵士達もそれが当然なのだろう。
「(この世界の王になるとか、全員死刑だとか……! こんな考えの人たちが世界の中心になるなんて冗談じゃない!)」
そう考えると、ジュードは内側から怒りが込み上げてくるのを感じた。だからと言って人を殺める気は当然彼の中にはないのだが。
「――ライオット、脅し程度でいい、力を貸してくれ」
「うに……ま、まだライオットを使ってくれるに? う、嬉しいに!」
「え……あ、ああ……」
頭の上――否、頭頂部の髪にしがみつくライオットに声を掛けると、そこから返る返答に一度ジュードは不可解そうな表情を滲ませる。しかし、それも一瞬のこと。すぐに、つい今し方のイスキアとのやり取りを思い返した。
フォルネウスの言葉が真実かどうかは定かではない。彼の言うように精霊がジュードを監視し利用するつもりであるのなら同じ精霊であるライオットも疑わしく、決して味方とは言えないのだ。今この瞬間でさえ利用されているかもしれないのだから。
だが、このライオットの恐る恐ると言った様子で言葉を返してくる様を演技だとは到底思えないのも事実であった。
ジュードは頭に浮かぶ様々な疑念を強引に振り払ってしまうと、しっかりと頷く。
「……ああ、頼む」
「わ、わかったに!」
「ウィル、シルヴァさん、ライオットの力でなんとか……向こうの目を眩ませてみる。その隙に――」
「目眩まし、か? 分かった、頼んだぜ」
ライオットはこれでも光の上級精霊だ。光を司る精霊であれば敵の目を眩ませるなど容易なことだろう。太陽ほどではなくとも眩い輝きを放てば良いだけなのだから。
こうしている間にも、セレネシアの傍らに控える魔法隊は次の魔法の詠唱に入っている。無駄口を叩いている暇はない――言葉に出さずとも、誰もがそれを理解していた。
ジュードは頭の上に乗るライオットに意識を集中させると、いつものようにその存在を己の内へと受け入れる。精霊を受け入れ一体化することでその力の恩恵を得る――それが交信だ。
しかし、この時ジュードは確かな違和感を感じた。今までには感じたことのない違和感を。
「……?」
「マスター……どうしたに?」
これまで、精霊に意識を集中させれば表現し難い安堵感のようなものを感じてきた。何かとてつもなく大きなものに包み込まれるような。だが、今回は全く何も感じないのだ。
それどころか、普段ならば交信するなり姿を消していたライオットは今も変わらずジュードの頭の上に鎮座している。ライオット自身もジュードの異変に気付いたのか、腹這いになっていた身を起こして不安そうに声を掛けてきた。
――出来ないのだ、精霊との交信が。
「な、んで……」
「マスター……まさか、交信出来ないに……!?」
「なんだって……!?」
己の両手の平を見下ろして愕然とするジュードを見て、ライオットはまさかと思わず声を上げた。その言葉に反応したのは、当然ながらウィルを始めとする仲間達だ。
これまでの戦いを切り抜けてこられたのは、他でもないジュードの交信能力があったからだ。そのジュードが精霊との交信を失ってしまったら、今後魔族に襲われた時にどのように対処すれば良いと言うのか。
また誰かが自分の命を懸けることになるのか――そう思うとジュードは目の前が暗くなるのを感じた。これまでは交信能力のお陰で自ら魔族を撃退することが出来たが、それが出来なくなればまた仲間に負担が掛かるのだ。
しかし、忘れてはいけない。今は考え事をしていられる状況ではないと言うことを。
「ジュード君、何をしている! 的になりたいのか!」
「――!?」
次いだ瞬間、ジュードの鼓膜を打ったのはシルヴァの怒声だった。何故なら、既に魔法隊の次の魔法が放たれ、今まさに彼に直撃しようと言うところだったからだ。
間一髪、ジュードの正面に飛び出したシルヴァが突き出した剣により次なる土の槍は粉砕されたが、その破片は容赦なく彼女の身に降り掛かる。
「シルヴァさん!」
「……っ、ここは戦場だぞ、考え事ならば終わってからにしろ!」
「二人とも伏せて! ――こんのぉ、ヤケドしたくなかったら道を開けなさいよ!!」
シルヴァの言葉でいち早く思考を引き戻したマナは改めて杖を構えると、短い詠唱の末に無数の火炎弾を放った。先ほどのものより幾分多い火の玉は敵の魔法を砕くためではなく、自分達の逃げ道を確保するためだ。それ故に魔法隊の土の槍を砕く以外に、幾つもの火炎弾が術者にも飛翔する。
「う、うわああぁッ!」
「なんて役に立たない連中ですの!? あんな小娘の魔法に力負けするだなんて!」
「で、ですがセレネシア様、あの娘の魔力は我々よりも……」
「黙りなさい! このわたくしに口答えするなんて生意気なッ!」
何やら反論した兵士に対し怒声を上げるセレネシアを後目に、ライオットは未だ動揺を隠せないままジュードの肩へと飛び降りる。取り敢えず仲間割れ――とは言えないかもしれないが、多少でもこちらから意識が外れたのを確認してライオットは短い手を突き出した。
その見た目から侮られがちだが、これでも立派な光の上級精霊である。マスターたるジュードと一体化していない分、多少力は劣るが目眩まし程度ならライオットの力だけで充分だ。
「みんな、目を閉じるに!!」
ライオットの掛け声に、ジュード達はほぼ一斉にその目を伏せた。
次いだ瞬間ライオットの短く、そして小さい手からは文字通り目も眩むほどの強い閃光が放たれ、辺りを強い輝きで包み込む。
それと同時にセレネシアや彼女の周りにいた兵士達からは悲鳴が上がり、各々手や腕で必死に目元を擦っている。強い光で瞳孔を刺激された刺すような痛みは、そう簡単に癒えることもないのだが人が持つ本能だろう。
「今の内だ、一気に行くぞ!」
「ま、待ちなさい! わたくしにこのような真似をしてタダで済むと……ううっ……!」
シルヴァの声を皮切りに、ジュード達は一斉に城の出入り口へと駆け出した。出口はセレネシア達の横を潜り抜ければすぐだ。地の国を出るまでは安心出来ない部分も多いが、取り敢えず城の中にいるよりは安全だろう。
そこまで考えてライオットはジュードの肩にしがみつき、横目で彼を窺った。
シルヴァが出入り口の扉を押し開き、彼らは城を後にし街の中へと雪崩れ込むようにして駆けていく。取り敢えず脱走には成功したが、問題は増えてしまっただけだ。
地の国には協力を頼めないだけではなく、この国は今後敵になると考えて良いだろう。ライオットやノームにとっては仲間であった筈の大精霊フォルネウスの裏切りの事実、ジュードに呪いを掛けたと言うネレイナの存在。
――そして、交信に失敗したジュードのこと。
「(焦って失敗しただけに? けど、なんだか引っ掛かるに……マスター、どうしちゃったんだに……?)」
これまでジュードは、特に必死になって精霊を受け入れていると言うようなことはなかった。精霊に意識を集中するよう努力しなくとも、自然とその存在を受け入れ一体化することが出来ていたのだ。それが、例えどのような緊迫した状況でも。
そのジュードが、幾ら焦りがあったとしても交信に失敗した。ライオットはどうしてもそれが腑に落ちなかったのである。
脱出は出来ても、ライオットの中に芽生えた疑問はいつまでも晴れることはなかった。