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第十八話・神護の森


「ジュード、どこに行くの?」

「オレが昔から好きなとこ、神護(かご)の森って呼ばれてるとこなんだ」


 ジュードは夕食ができるまでの間、カミラを連れて自宅を離れていた。

 神護(かご)の森は、麓の村から自宅へ登る道をまっすぐではなく、横にそれた先にある。つまり、ジュードたちが生活をしていた自宅からそう遠くはなく、むしろ近い場所に存在している。

 まだ幼い頃、ジュードがいつも入り浸っていた場所こそ、この神護の森であった。


「神護の森には、少し前に竜の神が舞い降りたっていう話があってね。奥の岩に爪跡も残ってるんだよ」

「竜の神さまが?」

「うん。そのせいなのかは分からないけど、あそこには魔物がほとんど寄りつかないんだ」


 緩やかな山道を歩いていくと、その先に森の出入り口が見えてくる。この森の空気や雰囲気だけは昔から変わらない。

 ジュードは森へ足を踏み入れると、森の中に漂う澄んだ空気に双眸を細めて一度大きく息を吸った。肺をいっぱいに満たしていく新鮮な空気が、内部から心までもを洗ってくれるような、そんな気分だ。ここには相変わらず魔物は寄りつかないのか、自分たちの他に感じられる気配もない。


 カミラはジュードに続く形で森の中に足を踏み入れると、既知感を感じてゆっくりと辺りを見渡した。ジュードはそんな彼女に不思議そうに首を捻る。


「この森……わたしの故郷の森によく似てる……」

「え、そうなの?」

「うん、……色々とつらい思い出もあるけど、わたしも故郷の森は好きなの。だから嬉しい。ありがとう、ジュード」


 予想だにしない反応ではあったが、取り敢えず多少なりとも彼女の助けにはなれたらしい。表情が自然と和らぐカミラを見て、ジュードも表情を綻ばせた。

 やはり彼女の傍にいたいと、そう思う。


「ねぇ、カミラさん。明日からどうするの? オレたちはガルディオンに戻らなきゃならないけど……」

「うん、……まだ決めてない。わからないわ」


 それはそうだ。彼女はヴェリア大陸より外のことをほとんどなにも知らないようなものなのだから。普通ならば誰もが知っている地の国グランヴェルの鎖国のことも、カミラは知らなかった。

 急ぎたい気持ちはジュードには当然わかる。しかし、(すべ)がない。だからといって彼女を一人で放ってよいとは思えなかった、それが例え駄々やエゴであるとしても。


「ねぇ、カミラさん。よかったら……暫くオレたちと一緒にこない?」

「え?」

「カミラさんって、治癒魔法使えるんでしょ? ガルディオンには魔物との戦いで傷ついた兵が多く運ばれてくるだろうし、その……」


 ジュードにとっては傷を癒すような治癒魔法さえ害ではあるが、普通の人間ならば有り難いもののはずだ。ケガ人の治療は大体が教会の神父やシスターが担当するが、火の国エンプレスには前線基地がある。ケガ人がどれほど王都ガルディオンに運ばれてくるかは見当もつかない。

 カミラはジュードの言葉に一度目を丸くさせ、考え込むように片手を口元に添えて暫し沈黙する。彼の言うように、同行して時を待つ方がいいだろうかと思案してのことである。


 ジュードは黙り込むカミラを見て、多少の後悔が湧き上がってくるのを感じた。口元に手を添えて黙り込む様は、ジュードの目には困っているように映るのである。

 手の平に嫌な汗がじんわりと滲む。拭ってしまいたいが、なんとなく我慢した。すると、やがてカミラが再度ジュードに視線を戻す。


「……いいの? わたし、出逢った時からずっとジュードに迷惑かけてるのに……」

「そ、そんなことないよ」


 ジュードの言葉に対し、カミラは数度瞬く。彼女にとっては有り難い誘いだった。なにしろ、彼女はヴェリア大陸より外の世界には詳しくない。他国へ行きたくてもどこをどう行けばいいのか、なにもわからないのである。人に聞いてもいいが、それがまた悪漢だったら。考えるだけで恐怖を覚える。

 迷惑になってしまわないか心配ではあるのだが、カミラは眉尻を下げ幾分か照れたように笑って頷いた。


「……ありがとう、ジュードがそう言ってくれるなら」

「! ……ほ、本当?」

「うん、お世話になります」


 いつものように、やや気恥ずかしそうにはにかむ彼女とその返事に、ジュードは自然と入っていた肩の力が抜けていくのを感じた。それと共に、手に滲んだ嫌な汗も自然と引いていくような気さえする。非常にゲンキンだと内心で苦笑した。


 カミラは両手を後ろで組み、改めて森を見渡す。彼女の長く柔らかそうな髪がふわりと森の中で舞う様は、神護の森の雰囲気も重なり本当に妖精か精霊のように感じた。

 ジュードがそんなことを考えていると、ふとカミラが唐突に口を開いた。


「ジュード、わたしね。幼い頃に……七歳くらいの頃に、好きになった人がいるの」

「え? う、うん」

「世間知らずなわたしに色々なことを教えてくれて、わたしの手を引いて、色々なところへ連れていってくれたわ」


 カミラは、なにが言いたいんだろう。

 ジュードにはわからなかったが、取り敢えず話の腰を折る気はない。


 他より比較的大きな木に歩み寄り、カミラはその根元に腰を降ろす。ジュードは暫し彼女の様子を窺っていたが、やがてその傍らへと足を向けて静かに隣に座った。

 そんなジュードを横目に見遣り、カミラはそっと嬉しそうに眦を和らげる。両手で膝を抱えながら正面に視線を戻すと、過去を懐かしむように瑠璃色の双眸を細めた。


「ガルディオンで話したでしょう? ヴェリアの王子さま」

「今もヴェリア大陸にいるっていう……あの王子様?」

「ううん、そっちの王子さまじゃないの」

「……えっ? だって、その……」


 ジュードが聞いた話では、ヴェリア王家には二人の王子と一人の王女がいたはずだ。

 第一王子のヘルメスと王女は聖王都が陥落しても生き延びることができたと、カミラ本人が言っていた。だが、もう一人の王子は――

 ジュードが言葉に詰まると、カミラは一度彼を横目に見てから頷いた。


「うん、そう。魔族に喰い殺された王子さま。わたしはあの王子さまが大好きだった、とても……」

「……うん」

「あの日も、ヴェリアの王都が陥落した日も……いつものように遊ぶ約束をしていたの。でも、あの人は来なかった」


 カミラにとっては、思い出すのも苦しいはずだ。しかし、ジュードはどうにも止める気になれなかった。

 彼女の声が、表情がとても穏やかなものだったからだ。どこまでも優しい神護の森に漂う空気が、そうさせるのかもしれない。

 ジュードはカミラの隣に腰を落ち着けたまま、黙って彼女の話に耳を傾けた。


「魔族が聖王都を襲撃したと聞いて、わたしも他の人たちと一緒に避難させられたの。第一王子さまと王女さまはあとから避難所へいらっしゃったけど、あの人は来なくて。ヘルメスさまはあの人が魔族に喰い殺されたのを見たって仰って……」

「……うん」

「魔族の襲撃が落ち着いた頃に、大人たちについて彼を探しに行ったの。あの人が死んだなんて、信じられなかったから……」

「…………うん」

「でも、王城の出入り口付近に……あの人の靴と髪紐が落ちていて、その周りには……恐ろしくなるほどの血の痕が広がっていたわ」


 ジュードは、流石になにも言えなかった。相槌も打てなかった。

 僅か七歳ほどの幼い少女が目の当たりにし、受け止めるには残酷すぎる現実である。考えただけで気分が悪くなってしまいそうな状況だ。カミラは幼い身で、その現実をどう受け止めたのか。ジュードはそちらの方が心配になった。

 横目でカミラを窺うと、先ほどまで穏やかだったはずの彼女の頬には涙が伝っていた。


「――!!」


 ジュードは、女性の涙に猛烈に弱い。そうなるといても立ってもいられなくなるのが、ジュードである。

 翡翠色の双眸を見開き、なんとか泣き止ませたかったが、上手く言葉が出てこない。どう声をかければよいのか、痛ましい彼女の過去を思うとわからなかった。


「ねぇ、ジュード。おかしいかしら?」

「えっ、な……なに、が?」

「わたし、それでも信じていたいの。あの人が、まだどこかで生きているんじゃないか、って」


 普通ならば、今の話を聞く限り望みはない。目撃者もいるのなら、生存の可能性は限りなく低くなる、皆無と言ってもいいほどだ。ましてやその現場を目撃したのが兄であるヘルメス王子であったのなら、弟を見間違うはずがないだろう。

 だがジュードは、涙を流して自分を見つめるカミラにそのようなことを言い放てるほど大人ではない。

 静かに頭を左右に振って、幼い時――泣いたマナを慰めるためにしていたように、片手を伸ばして彼女の頭を撫でつけた。


「……そんなことないよ。カミラさんがそうしたいなら、いいと思う」


 カミラは、まだ受け入れられていないのだ。七歳という幼い身の少女には受け止めきれない現実であり、彼女はその痛みを、傷を――今もまだ正面から受け入れられずにいる。ジュードは、そう理解した。

 その一言は意外なものだったのか、カミラは一度瑠璃色の双眸を見開き、そうしてまた涙を流し始める。


「……いい加減に現実を見ろって、みんなそう言うのに……優しいね、ジュードは……」

「……諦めの悪い子供なだけだよ」


 そうだ、子供は駄々をこねる生き物である。思い通りにならない現実に駄々をこね、泣き叫ぶのだ。

 そうして現実を学び、覚え、成長していく。今すぐ無理に大人になろうとしなくても、いつか現実を見て強制的に大人になる日がきっとくる。

 ならば、それまでは子供でもよいではないか。カミラが信じたいのなら、それでいい。ゆっくりゆっくりとでも、過去の痛みを受け入れていけば、いつかは彼女も自然と受け止めることができるはずだと、ジュードは思う。


 本格的に嗚咽を洩らして泣き出したカミラは込み上げる悲しみに耐え切れなかったのか、隣に座るジュードに抱きつき、そして声を上げて泣いた。幼い子供のように。


「(……これが、カミラさんの抱えてきた痛みで……悲しみなんだ)」


 ふんわりとしていて、純粋過ぎる彼女が笑顔の裏に持っていた傷と痛み。

 全て吐き出すのは難しくても、こうして泣くことで少しずつ痛みを和らげていければいいと思う。せめて、彼女が泣かなくてもよくなるくらいに。

 ジュードはそっと、恐る恐るながらカミラの身を抱き締めて、その背を優しく撫でつける。彼女の悲しい涙が止まるまで、こうしていたかった。


 * * *


 それから、カミラが泣き止むまであまり時間はかからなかった。

 涙が止まり落ち着くと、カミラは気恥ずかしそうに静かに身を離す。ちらりと視線のみを上げてジュードの様子を窺い「ごめんね」と小さく呟いた。


「気にしないで。落ち着いた?」

「うん。……ありがとう」

「でも、どうしてオレに話してくれたの?」

「ジュードには色々言っておいて、わたしがなにも話さないのは不公平だもの。ジュードは聞きたくなかったかもしれないけど……」

「そんなことないよ。……ありがとう、話してくれて」


 ジュードがそう言うと、そこでようやくカミラは笑った。それを見てジュードも安堵を感じ、表情を和らげる。

 しかし、すぐに片手の人差し指で自らの頬をかき、やや気恥ずかしそうに視線を横に逃がした。


「あ、あの……つらい時は言ってよ。オレでよかったら……その、いつでも聞くからさ」

「……うん、ジュードは優しいね。本当にありがとう」


 いつもより近い距離に対し、ジュードはほんのりと頬を朱に染めたが、向けられる言葉に安堵を覚えて表情を和らげると、彼女と同じように笑った。

 頭上では、カラスが夜の到来を報せるように高く鳴いている。ジュードは座していたそこから立ち上がり、衣服についた土埃を叩き払いながら森を照らす橙色の光に目を細めた。

 そうしてカミラに向き直ると、いつものように片手を差し伸べる。


「帰ろうか。大したもてなしはできないけど、ご馳走するよ。料理用意してるのはマナだけどね」

「うん、ありがとう」


 自然と重ねられた手を取り、ジュードとカミラは神護の森を後にする。

 訪れた時よりも随分と距離が近づいた気がして、互いに込み上げる気恥ずかしさをやり過ごしながら帰路についた。


 しかし、その上空では――長いトカゲのような尾を持つ漆黒のコウモリが、ジュードとカミラを監視するかの如く見下ろしていた。



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