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-序章-


「陛下! 女王陛下ッ! 魔物の群れが城下町に雪崩れ込んでいます!」

「南地区被害甚大、東地区、西地区も壊滅的な被害を受けています! 民だけでなく騎士団も負傷者が多く、このままでは……!」


 世界の南側に位置する火の国エンプレス――その王都は現在、魔物の侵攻により壊滅の危機を迎えていた。

 謁見の間の大扉が勢いよく開かれた先からは、三名の兵士が飛び込んできた。三名と言っても一人は男兵士に背負われる形で意識があるのかさえ定かではない、ぐったりとしており呼吸も非常に弱々しい。


 共に入ってきた女兵士は今にも泣き出しそうな声で、城下町の状況を王座に座る女王へ報告として向けた。否、半分は泣いていたのかもしれない。彼女のその声は既に涙声だ。着実に死が近付く中、それでも諦めきれずにいるのだろう。今の彼女には喚くしか出来なかったのだと思われる。


 玉座に座す女王は蒼褪め、傍らにいた娘に支えられながら立ち上がると、どこか覚束ない足取りでそんな兵士たちの元へと駆け寄った。年老いた女王は細く頼りない手を伸ばし、女兵士の二の腕辺りを優しく摩る。

 彼女自身も現在の状況を理解はしているが、何かせずにはいられなかったのだ。


「既に中央区の防衛線まで魔物が押し寄せています! 我々は一体どうすればよいのですか!? どこも魔物が群れを成し、満足に戦える者は残り僅か……武器は破損したものばかりで、どうすることもできません!」

「なんと……なんということだ……やはり先日の不気味な光は災いが起きる前兆であったのか……」

「不気味な光……中央大陸で目撃された光ですね……?」

「そうじゃ、あの光が目撃された夜、世界中に響き渡るほどの雄叫びを聞いたであろう。まるで獣か何かの……あれは竜の神が我々人間に危機を報せるために吼えたのかもしれぬとね……」


 女王が弱々しく語る言葉を聞きながら女兵士は固く口唇を噛み締め、脇に下ろした手を指先が白くなるほどに握り締めた。


「あの光が目撃されてから、中央大陸に船を出しても一隻たりとも戻ってくることはなかった……何かが、確実に何かが起きておる。この世界で、何かとてつもなく善くないことが……」

「陛下……」


 女王が絞り出すように呟く言葉は途方もない憶測でしかなかったが、彼女が言うことを考え過ぎだと一蹴できるものでもなかった。

 がっくりと肩を落として項垂れる女王を傍らの王女が心配そうに、そしてその美しい風貌に焦りを滲ませながら窺う。今は呑気に話し込んでいられるような状況ではない、現状をどう打破するか少しでも考えなければならないのだ。


 ――尤も、まだ生きる道を選択するのであれば、だが。


 戦える者は大幅に減り、満足に使える武器も僅か。魔物の大群は正確な数さえ定かではなく、広い王都はその魔物の群れに占拠されつつある。

 このような絶望的な状況では、生きたいと願っても到底叶うものではない。何とかしなければ、と一瞬こそ思った王女アメリアもまた、その状況を理解するなり諦念を滲ませて視線を落とした。


 言葉にしなくとも、それだけで諦めたのだと誰もが分かる。こうしている間にも魔物は城下町を破壊し、民を喰らいながら暴れ回っていることだろう。

 一国の王が救助の命令を出さず、言葉もなく俯き黙してしまうのだから、そこには諦め以外のものは何一つ読み取れない。

 これで終わり、今日までの命――それは女王や姫だけでなく、報告に来た兵士も周囲で王族の護衛に当たっていた兵士達も皆、同じように思い、そして深く深く項垂れた。諦念と共に無念さ、死への恐怖など様々な感情を胸に抱いて。


 しかし誰もが国の崩壊を思い諦めたその時、謁見の間出入り口の大扉が蹴破るようにして開け放たれた。

 もうここまで魔物がやってきたのかとある者は驚愕し、またある者は恐怖を滲ませて出入り口を振り返ったのだが、そこにいたのは彼らが想像していたものとは全く異なっていた。


「――ふううぅ……まったく奴らめ、払っても払っても右や左と襲ってきおる。よくもあれだけ元気に動き回れるものよ」

「がっはっは! お前さんの肉なんぞ喰っても美味くないどころか腹を壊しそうだってのになぁ!」

「それはお前とて同じだろうが! いいや、お前よりワシの方が遥かに美味い自信はあるがな!」


 そのような言い合いをしながら謁見の間に入ってきたのは、二人の男性であった。この場にいた誰もが抱いていた絶望など、簡単に吹き飛ばしてしまいそうな賑やかさで。

 一人は浅黒い肌を持つ黒髪の男性だ、暗く深い黒紅色の鎧を身に着けていることから騎士であることが窺えた。見たところ三十後半か四十始めといった年齢だろう。女王は彼の姿を目の当たりにするなり、傍らにいた娘と共に声を上げる。


「メンフィス! そなたは無事であったか!」

「教えてくださいメンフィス、外は、街はどうなっているのです? 民はどうしました、逃げられた者はいるのですか!?」

「はい陛下、アメリア姫もご無事でなによりです。街はもう酷い有様です、外に逃げ出せた民もいるのかもしれませんが……面目ありませぬ、流石にそこまで把握できておりません」

「そうか……そうか、だが騎士団長であるお主が無事でよかった。メンフィスよ、動ける者と共にこのアメリアを連れて逃げてくれ。王都(ガルディオン)はもう終わりじゃ、だがこの子が生きてさえいれば、いずれ必ず復興も……」


 王女――アメリアは女王の言葉に弾かれたように彼女を見つめた、その顔には信じられないと言わんばかりの様子が滲んでいる。最愛の母である女王や民を見捨てて自分だけ逃げ出すなど、彼女には考えられないのだ。

 だが、メンフィスと呼ばれた黒髪の騎士は女王の言葉に深く頭を下げた後、場に不似合いなほどの笑みを貼り付けて口を開いた。


「いいえ陛下、最早王都からの脱出は不可能。それにこの場を失えば我々は生きてなどいられません、王都の外も恐らくは魔物が(たむろ)しているでしょうからな」

「そんな……では……」

「我らが生き残る道はただ一つ、残った者たちだけでこの都に巣食う魔物を全滅させるだけです」

「ですが、報告では満足に使える武器はもうほとんど残っていないと……」

「武器ですか? ふふ、武器でしたら……」


 メンフィスの返答に一度こそ絶望の色を表情に乗せた女王だったが、彼が薄く不敵な笑みを滲ませて己の斜め後方を振り返る様子を見ると、自然とその視線を追う。すると、そこには先程メンフィスと軽口を交わしていたもう一人の――銀髪の男が立っていた。歳は恐らくメンフィスとそう変わらないだろう。


 この男は一目で騎士と分かるメンフィスとは対照的に、その装いは傭兵のような身なりだ。着古した枯草色のマントと、身に纏う衣服は黒。一応命を守るための胸当ては装着しているものの、非常に軽装だ。

 一般の傭兵とてもう少し防具は充実させているものだが、この男が身に着けている防具と言うと羽織るマントと胸当てのみであった。


 男は片手の人差し指で己の鼻の下を軽く擦ると、背負っていた大きな鞄を「どっこいしょ」という声と共に傍らへ下ろした。


「武器ならここに幾つかある、こう見えても俺は鍛冶屋でしてね。注文の品を届けにきたらこの騒動に巻き込まれちまったワケです」

「おいお前! 陛下や姫様に向かってなんという……ええい、もう少し丁寧な言葉は使えんのか!」

「この方は、メンフィスのお知り合いなのですか?」

「え、ええ、まあ腐れ縁というヤツです。ワシとこいつで敵の親玉を探し出し、叩きます。これだけの群れです、恐らく大将がいるでしょう。それを仕留めれば撤退に追い込めるやもしれません」


 そう言いながらメンフィスは背負った大剣を再び手に取り、ふう、と一つ吐息を洩らす。これから死地に赴く己を密やかに鼓舞しているのだ。

 女王はそれでもやはり不安そうにしていたが、傍らの王女は何も言わず彼女の背を宥めるかの如く優しく摩る。

 メンフィスはそんな母娘を見つめて固く拳を握り締めると、それ以上は何も言わず、深く頭を下げた末に外套を翻し足先を出入り口に向ける。アメリアは、メンフィスの後に続こうと足を踏み出した男の背に咄嗟に声を掛けた。


「お待ちください、あの……貴殿のお名前は?」

「名前? ははっ、王族の方々に名乗るほどの立派な名前は持ち合わせておりませんよ」

「まあっ……それは困るわ、あなたが戦死してわたくしが生き残っても、名前が分からないままではお墓を作ることもできないじゃない」


 アメリアがやや納得いかないとばかりの顔でそう告げると、男は目を丸くさせたかと思いきや声を立てて笑った。さも愉快だと言わんばかりの様子で。

 人によってアメリアのこの言葉は怒りを買う可能性もあるが、この男の心を掴むには最適だったらしい。それを理解してアメリアはふっと、どこか得意げに笑ってみせると両手を自らの腰に添えて胸を張った。


 不安や恐怖は当然今もまだ消えた訳ではない。だが彼女はどうしてもこの男の名前を知ってやらねばと、妙な部分で意固地になっていたのである。

 理由など特にあるではない、ただ生きる目的が欲しかったのかもしれない。


「はははっ、普通は男が戦場に出て行く時、女はその無事を祈るモンだが……いやいや、面白い王女様ですな。グラムです、グラム・アルフィア――俺が死んだら立派な墓はいらないんで、上等の酒を供えてもらえると嬉しいですねぇ」


 男――グラムはそう答えると、先に出て行ったメンフィスの後を追い謁見の間を飛び出していった。

 アメリアは暫しその大扉を見つめていたが、やがてその双眸から大粒の涙を零し始める。そして玉座の後方に設置された、竜が天を仰ぎ吼える様を描いたと思われるステンドグラスを見上げた。


「蒼き竜の神ヴァリトラよ、どうか……どうか彼らをお守りください。か弱き我ら人の子にどうか御慈悲を……」


 震える声でそう祈るアメリアの背を、今度はそっと女王が撫でた。そして「見なさい」と言うかのように、その視線はグラムが置いていった鞄へと向けられる。

 すると、そこには完全に戦意を喪失していた兵士たちが群がり、鞄の中から真新しい武器を次々に取り出していた。負傷している者ばかりだが、彼らの表情は先程のような絶望一色とは異なり、やる気が満ち満ちている。

 メンフィスとグラムの二人に希望を見出したのだろう、彼らは生き残るために戦う道を選択したのだ。


 女王とアメリアは互いに顔を見合わせ、そして祈った。明らかに不利な戦いへと赴く皆の無事を。


「今は祈りましょう、我々の神に……どうかお守りくださいますよう……」

「はい、お母様……」


 それは、厳しい寒さを乗り越えたばかりの四月の出来事であった。



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