第十四話・もう一つの選択肢
「人間、精霊、魔族……ジュード君、あなたは誰の味方をするの? まさか人間であるあなたが人間を見捨てたりはしないわよね? 精霊も魔族も、あなたを道具としか見ていないと言うのに」
「そんなの、おばさんだって同じじゃないの!?」
「そうよ、お母様だってジュードを自分の野望のために――!」
「いいえ、わたくしはジュード君にそれ相応の立場や居場所を提供しようとしているだけよ」
ネレイナの言葉にマナやルルーナが反論するように声を上げるが、当のネレイナ本人は考えるような間もなく淡々とした口調でそう返答した。
だが、ジュードは彼女の目的を知っている。ネレイナの手を取ることが人間の味方をすることにはならない。彼女は人間のためではなく、あくまでも自分が神になるためにジュードを利用しようとしているのだから。
四神柱を使役することでこの世界を創り変える――ジュードはそれが出来る力の持ち主だと、ネレイナは言った。そして魔族がジュードを執拗に狙うのも、その力の所為なのだ。
「(オレの母さんの所為で魔物が狂暴化した……それで、ウィルやマナも、メンフィスさんだって大事な家族を……)」
母親の所為で、と言われても当然ながらジュードに母の記憶はない。しかし、言葉にならない罪悪感は感じるものである。
魔物の狂暴化により大切な者を奪われた者は世界規模で数多く存在する。ジュードが思ったようにウィル、マナ、そしてメンフィスもその中に入っているのだ。
自分の母が世界の理を破壊しなければ、彼らは――そして世界各地の人々は大切な者を奪われずに済んだのではないか。そう思えば思うほど、ジュードの中には罪悪感ばかりが芽生え始めた。それと同時に、顔も名前も知らない母への言い知れぬ怒りも。
それを考えると、フォルネウスが言っていることは絶対に間違っているとは言えない。母に責任を問えない状況にあるのであれば、息子にその責任を取らせる。それは決して誤りではないのだ。しかし、フォルネウスの言葉に従うのであれば、ジュードは確実に命を落とすことになる。
魔族と、その魔族に味方するフォルネウスの目的は、ジュードをサタンに差し出すこと。そしてサタンがジュードを喰らうことで、彼が持つ破壊と創造の力を手にするのである。
「(魔族が人間達を、みんなを生かしてくれる訳がない……)」
フォルネウスの言うようにジュードが母の責任を取るにしても、魔族は恐らく人間を根絶やしにするだろう。そうなってしまっては、責任云々の話でもなくなるのだ。
ならば、やはり今のまま精霊達の味方をする方が良いのか――そう思いはするものの、シヴァやイスキアが自分を利用するために共にいると言うのであれば彼らにもまだ隠し事があるのではないかと、そう穿った見方をしてしまう。
何を信じれば良いのか、ジュードは目の前が真っ暗に染まるような感覚を覚えて奥歯を噛み締めた。
しかし、そんな時。不意にジュードは片腕をやや強い力で引かれて思わず顔を上げた。すると、そこに立っていたのはカミラだった。彼女がジュードの片腕を引いたのだ、屈んだままのそこから立ち上がらせようと。
「カ、カミラさん……?」
「ジュード、立って。早くここから逃げるの!」
「あら、まさか逃げられるとでも思っているの? 無駄よ、城の出入り口は既に兵士達によって封鎖されているわ、あなたたちには逃げ道なんてないのよ」
「そんなの、やってみないことには分かりません! わたし達はあなたとも魔族とも、精霊とも違います。大事な仲間のジュードを見捨てたりしません、あなたたちと違って道具みたいに扱ったりもしません!」
カミラのその言葉に、ジュードは双眸を丸くさせると瞬きも忘れたように彼女を見上げた。そこで彼の頭には、もう一つの選択肢が浮かぶ。
人間でも、魔族でも、精霊でもないもう一つの道――それが『仲間』だ。
「(もし、あのおばさんの言うような力がオレにあるなら……仲間のために、みんなを守るために使いたい)」
だが、自分はこうして魔族にも人間にも狙われる立場だ。
そんな奴が仲間に甘えてしまっても良いのか――ジュードはそう不安を抱いたが、まるでそれが分かっているかのように賺さずウィルが口を開いた。
「そういうことだ、さっさと行くぞジュード。モタモタしてたら本格的に閉じ込められちまいそうだからな」
「そうよ、遅れないでよね!」
「私が道を開く、誰かリンファを――」
「……もう大丈夫です、随分と良くなりました。……行きましょう、ジュード様」
そしてそんなウィルに続くようにマナやシルヴァ、未だ万全ではないと思われるリンファが矢継ぎ早に言葉を連ねる。確かにリンファの顔色は先程よりは良くなったが、それでも完全ではないだろう。
しかし、ジュードを元気付けるためか、はたまた余計な心配を掛けまいとしてのことかは定かではないがそう言ってのける様に彼女の健気さが窺える。
ジュードは座していたそこから立ち上がるとシヴァやイスキアに一瞥を向けたが――胸中に滲む複雑な感情からすぐにその視線を外し、先んじて駆け出す仲間達に続くべく自らもカミラと共に駆けていく。
だが、逃亡などフォルネウスが許す筈もない。再び利き手に三叉の槍を出現させると、ジュードやカミラの行く手を阻むべくそれを投げ付けた。
「贄、逃がすか!」
フォルネウスの投げた槍は確かに勢い良くジュード達の元へ向けて一直線に飛ばされたが、それが彼らの身に届くことはなかった。
何故なら、その前にシヴァの放った水弾により弾き落されたからだ。それを確認するなり、フォルネウスは再びシヴァと向き合い、そして睨み付けた。憎悪と言うよりは何処か悲しみさえ表情に滲ませて。
「兄上、なぜ邪魔をする!」
「もうよせ、フォルネウス。今のお前がやっていることは――」
「兄上はこの私に、世界が汚染されていくのを黙って見ていろと言うのですか! 兄上とて本当は人間共のことなど……!」
「俺達はあいつに誓った筈だ、……人の変化と成長を信じると」
「……!」
呟くように洩れたシヴァの言葉に、フォルネウスは思わず切れ長の双眸を見開いた。尤も、だからと言って彼の頑なな決意が崩れることはなかったようだが。
だが、惑っているのは隠しようのない事実と思われる。それまでの勢いは鳴りを潜め、消沈したように静かに項垂れた。
そんな弟の様子を確認すると、シヴァは痛ましそうに表情を歪めつつ――それでも、それ以上は特に何も言おうとはしなかった。
イスキアは胸元から数枚のカードを取り出し、それをネレイナの足元へと投げ付ける。すると、まるで刃物の如く床へと突き刺さった。そして次いだ瞬間、カードが眩い輝きを放ち通路を塞ぐように透明な光の壁を展開したのである。
「悪いけど、あの子達を追わせはしないわよ」
「……ふふ、こんな足止めをしたところで無駄よ。ここから出られないと言ったでしょう?」
「どうかしら、あの子達はやると言ったらやるわよ。特に……仲間を守るためならね」
依然として余裕さえ感じられる笑みを浮かべるネレイナに対し、イスキアも薄く笑んで見せながら返答を向けると、シヴァを一瞥してから踵を返す。追跡を阻むために防御壁を張りはしたが、完全ではない。数分もすれば効果が薄れてしまうだろう。それよりも先にジュード達を追う必要があった。
イスキアはシヴァに目配せすると、特に言葉を交わすことはなく彼と共に駆け出す。フォルネウスはそんな二人の背中を見つめながら、脇に下ろした手で固く拳を握った。様々に入り混じる感情を持て余すかのように。
「――ジュードちゃん、待って!」
「なによ、言い訳でもしに来たんですか!?」
「そうよ、ただジュードを監視してただけだったのね、アンタ達」
「そう思いたければ思ってくれて構わないわ、でもこれだけは聞いて」
一方で、自分達を追いかけてきたイスキアとシヴァに気付いたマナとルルーナは表情に怒りを滲ませながら吐き捨てるように声を上げた。
先のフォルネウスの言葉をそのまま鵜呑みにするのであれば、イスキアとシヴァがこれまで幾度となく助けてくれた行為は、単純にジュードを監視していたから、だ。それ故に神出鬼没だったのだと考えると、辻褄も合うのである。
ジュードを利用するために監視し、その彼に危険が迫れば助けるのも別段おかしいことではないのだから。
だが、彼女達の言葉を受けてもイスキアは全く動じることはなかった。ジュードの片手を掴み引き留めると、彼の両肩に手を置き真正面から見据える。普段とは全く異なる、何処までも真剣な面持ちで。
「……ジュードちゃん、あなたのお母さんはあなたを心から愛していたわ」
「……え?」
「あなたを利用しようとする者達から守るために、手放すしか道がなかったの。……お母さんの気持ちを無駄にしないで、自分を犠牲にすることなんて……考えちゃダメよ」
思いがけないその言葉に、ジュードは双眸を見開いたまま暫く動けなかった。
前のマスターがジュードの母親であったのなら、精霊達が母を知っている可能性は高い。母はどんな人だったのか、なぜ自分は捨てられたのか、その母はどうしているのか――聞きたいことは山のようにあった。
だが、ジュードがそれらの疑問を口に出すよりも先に、それはシルヴァによって制される。
「ジュード君、今は脱出が先だ!」
「――っ、……はい」
イスキア自身も、ジュードが抱いた疑問には気付いているだろう。しかし、それ以上は口を開くことをせず、静かに踵を返した。シヴァと共に彼らの撤退を助けようと言うのだ。
ジュードはそんなイスキアとシヴァに一瞥を向けるが、傍らで心配そうな表情を浮かべるカミラに手を引かれると、僅かばかりの躊躇の末に再び駆け出した。
シヴァは静かに剣を引き抜き、近付いてくる多くの足音に反応して後方の通路へと向き直る。恐らく反対側の廊下へと回り込み、無事な階段を使って駆け下りてきたのだろう。
城の出入り口には既に兵士が先回りしていると思われる。その上、後方からの追跡を許してしまえばジュード達は挟み撃ちを受けることになってしまう。この場で追っ手を食い止めるのは重要な役割だ。
イスキアは駆け出して行った彼らの背中を見つめて、そっと――何処までも優しく、そして幾分寂しそうに微笑みながら宙空を仰ぐ。そして誰にともなく呟いた。
「……争いのない平和な場所で幸せに生きてほしい……あなたのささやかな願いは叶わなかったわね、テルメース……」
その呟きは静かな響きとなり、そっと空気に溶けて消えていった。