第十三話・母が犯した罪
「大精霊が、魔族に……」
ジュードはシヴァと対峙する男――フォルネウスを信じられないとでも言うような様子で見据えた。精霊達は人間不信な部分はあれど本格的に人間に牙を剥くことはないと、そう思っていたのだ。
だが、フォルネウスは違う。彼は水の大精霊でありながら魔族の思想に賛同し、こうして今ジュード達の敵として現れたのである。
「な……なんで、魔族は人間達を滅ぼそうとしてるのに……」
「そうよ、大精霊って言ったらシヴァさんやイスキアさんと同格の存在なんでしょ? そんな偉大な精霊がどうして魔族なんかに協力するのよ!」
ジュードが洩らした疑問に便乗するように声を上げたのはマナだ。精霊と言う存在がこの世界に於いて具体的にどのような役割を果たしているのか、それは知らない。
だが、怪しいながら全面的に協力してくれているライオットやイスキア達を思えば、精霊は魔族と戦う自分達を支援してくれる存在だと――そう考えていたのだ。
フォルネウスは相変わらずの無表情のまま、切れ長の双眸を細めて吐き捨てるように呟いた。
「……簡単なこと、私の目的と魔族の目的が同じだからだ」
「同じって……まさか、あんたも人間を滅ぼそうって言うの!?」
「そうだ、人間共をこの世界から排除すること――それが私の目的だ」
「なぜだ、なぜ精霊がそのような残酷な真似をする? 精霊は人に加護を齎してくれるものと……私は思っていたが」
シルヴァは剣の切っ先こそフォルネウスに向けたままだが、理解し難い彼の考えに純粋な疑問をぶつけた。そしてそれは、何も彼女だけではない。ジュード達も持っている同様の疑問だ。
しかし、フォルネウスはシルヴァの言葉に対して不愉快そうに表情に嫌悪を滲ませながら下唇を噛み締める。
「なぜ、だと? 貴様ら人間共はいつの時代も醜い争いを繰り返しては、我が物顔でこの世界を汚染していく。美しかったこの世界は人間の生み出す負の感情に支配され、穢されていくばかりだ」
「負の感情……」
「私はこの美しい世界を愛している。だからこそ世界を汚染していく人間共も、精霊を裏切った人間も許せぬ――兄上、あなただってそう思っている筈だ」
人が生み出す怒りや憎しみ、悲しみなどの負の感情が世界や自然に悪影響を与え、最悪の場合は災害さえも引き起こす。それは以前ライオットやイスキアから聞いていたためか、特に改めて疑問を洩らす者はいなかった。
カミラは片手で胸元を押さえ、何処か痛ましそうにシヴァを見つめる。彼女の頭には、先日の夜の光景が浮かんでいた。
人間が魔族になるなど出来るのか――そう洩らした疑問に対し、シヴァは一度こそ肯定はしたが彼にしては珍しく言葉を濁したのだ。
「(あの時のシヴァさん、きっとフォルネウスさんのことを考えてたんだわ……精霊だからとかじゃなく、自分の弟さんが魔族になっちゃったなんて……そんなの、精霊じゃなくても悲しいもの……)」
だが、そう考えれば納得も出来た。恐らくシヴァは表面上には出さずとも、心の中では酷く悲しんでいる。
しかし、それに気付く者は恐らく誰もいない。あの場に居合わせたジュードも今はそんな状況ではないだろう。
なぜって、フォルネウスの言葉にはまた一つ引っ掛かるものがあったからだ。
「……精霊を裏切った、人間?」
「……前の、マスターのことか? ライオットが話してくれたことがある、前のマスターは精霊が嫌いで、見捨てたって……」
フォルネウスが負の感情を生み出す人間を憎んでいるのは理解出来た。しかし、精霊を裏切った人間と言うものに、彼らは心当たりがない。ジュードとて、前のマスターの話を詳しく聞いたことはなかった。
だが、そう疑問を投げ掛けた直後。ジュードは嫌に耳につく己の心音を感じた。聞いてはいけない、聞かない方が良い。まるでそう言うかのように。暑い訳でもないと言うのに、頬を冷や汗が伝うのを感じてジュードは固く拳を握り締めた。
「――そうだ、全て貴様の母の所為だ」
「え……」
「貴様の母は己の役目を放棄し、精霊を裏切り、この世界に負の感情を蔓延させた諸悪の根源。それ故に四神柱の力を以てしても負の感情を制御することが出来なくなり、各地の魔物が狂暴化を始めたのだ。あの女がこの世界の理を破壊した所為で、何もかもがおかしくなった……」
「ジュードの、お母さん……? じゃあジュードのお母さんが、前のマスターだったってこと……?」
「ジュードの母さんが役目を放棄したから、魔物が狂暴になった……ってのか?」
あまりにも唐突に、そして淡々と告げられた言葉故に流石のウィルも理解が遅れたが、フォルネウスの言葉をそのまま受け取るのであればそう言うことになる。
ジュードの母が己の役目を放棄し、精霊を裏切った所為で何もかもがおかしくなった。その役目がどのようなものかは定かではないが、恐らくは負の感情に関する大事なものだったのだろう。
「貴様の母の所為でこの世界がおかしくなったのなら、息子である貴様に責任を取らせるのは当然のこと。私は全ての人間共を排除し、この世界を美しかったあの頃へと戻す――そのために精霊であることを棄てたのだ、誰にも邪魔はさせぬ!」
「フォルネウス! あなたと言う人は……!」
「イスキア、どうせ貴様とて贄に責任を取らせるために監視しているのだろう。あの女と同等の力を付けさせた後は、負の浄化装置として切り捨てるだけの癖をして何を偉そうに」
「何を言うの!? 誰がそんなことを――!」
最早、ジュードの頭では全てを理解するなど出来なかった。
だが、一つだけ分かることがある。それは、顔も名前も知らない母の所為で魔物が狂暴になり、マナやウィルだけでなく多くの人の家族を奪ったのだと言うこと。
例えジュード本人がやったことではなくとも、彼の心に打撃を与えるには充分過ぎた。
そして続いたフォルネウスの言葉――それを聞いてジュードは静かにイスキアへと視線を向ける。
「……イスキアさん」
「ち、がう……違うわ、ジュードちゃん、違うのよ。アタシもシヴァもそんなつもりであなたと一緒にいる訳じゃ――!」
母親と同等の力を付けさせて切り捨てる――その仔細こそやはり分からないが、それがシヴァやイスキアの目的なのか。既にジュードには何が正しくて、誰を信じれば良いのか、全く分からなくなっていた。
そしてそんな彼らの元へ、ふと一つ――別の声が届いた。ヒールの音を響かせながら姿を現したのは、他にいない。ルルーナの母である、ネレイナだ。
「だから言ったでしょう、ジュード君。わたくしと一緒にこの世界の神になりましょうって……」
「――お母様!」
「精霊も魔族も、あなたを道具のようにしか見ていない、あなたを利用することだけしか考えていないのよ。わたくしと共に新たに世界を創れば、あなたのお母様が犯した罪なんてなかったことに出来るわ。あなたが責任を負う必要もないのよ」
どうやら追いつかれたらしい。無理もない、フォルネウスの襲撃を受けてこうして言葉を交わし、随分と話し込んでしまったのだから。恐らく城の出入り口には既に兵士が先回りしていることだろう。モタモタしていては本格的に脱出が困難になる。
だが、そう思ってはいてもジュードはその場から立ち上がることが出来なかった。
フォルネウス、イスキア、そしてネレイナ。彼らを何処か茫然と眺めて、ジュードは静かに項垂れた。
誰を――何を信じれば良いのか、分からなくなっていたのだ。




