第十二話・裏切者
「中庭って、あれか?」
「そうよ、ここは娘であるセレネシア様のために国王が作らせた場所なの。……花が似合う王女ではないけどね」
カミラを先頭にして駆けていくウィル達は、軈て見えてきた中庭へ目を向けた。依然本調子とは言えないリンファは、現在シルヴァがその身を支えて進んでいる。
行き着いた中庭には、高い天窓から陽光が差し込む大層美しい景色が広がっていた。
草花は惜しみなく降り注ぐ太陽の光を浴びて、まるで喜ぶかのように背比べをしている。様々な色、種類の花々は見る者を心穏やかに、そして時に楽しませてくれるものだろうが今は間違ってもそのような状況ではない。
辺りを見回してみると、中庭より奥まった箇所に二階へと通じる階段があった。あれか、と思いながらウィルは一度カミラに視線を向ける。彼女は何処へ行こうとするだろうか、そう思ってのことだ。
だが、そのカミラ本人は中庭の手前で足を止めたまま動かない。胸の前で拳を握り、視線をやや上に向けるばかりである。
どうしたのか、やはり自信がなくなってしまったのか。ウィルはそう思い彼女に声を掛けようとしたのだが、それは叶わなかった。
「きゃあああぁッ!?」
「うわっ! な、なんだ!?」
不意に、彼らが進もうとしていた通路の天井部分が崩落してきたからだ。
この城は二階に続く階段を上っていくと中腹に広い踊り場があるが、その踊り場部分が崩れ落ちてきたのである。もしあのまま進んでいたら、ウィル達は崩落に巻き込まれていた筈だ。
マナとルルーナは互いに悲鳴を上げ、咄嗟の行動故にかどちらともなく相手の身にしがみつき、ウィルは突然の崩落に何が起きたのだとそちらを見上げる。二階から複数の悲鳴が聞こえてくることから、恐らく兵士達も予想していなかったことなのだろう。
動揺するマナ達を後目に、瓦礫と化した天井の中にシルヴァは動く影を見つける。警戒を露に愛剣に手を添えるが、次いで鼓膜を打った声にそんな警戒も薄れていった。
「い、っつつ……あいつ、なんてことするんだ……ッ!」
「……ジュード!?」
「……え、あれ? ウィル、みんな……」
小さく苦悶の声を洩らしながら身を起こしたのは、今まさに彼らが探していたジュード本人だったのだ。崩落に巻き込まれた際に強打したのか、片手で腰の辺りを摩っている。そんな彼の傍らからはライオットがぴょこんと顔を出した。
カミラやウィルはその表情に安堵を滲ませると、慌てて傍らへと駆け寄っていく。白いドレスシャツの腕部分には血が付着している、怪我はしているようだが取り敢えず重傷という訳ではなさそうだ。
だが、ジュードは双眸を見開くと此方に駆け寄ってくる二人を慌てて制した。
「――危ない、来るな!」
「え?」
「マスター、来るにッ!」
何が危ないのかと、ウィルもカミラも――そしてマナ達も目を丸くさせたが、次いだ瞬間ジュードは一度身を屈めると勢いを付けて後方へ跳んだ。ライオットは置いていかれないように、そんな彼に慌てて飛び付く。
すると、その直後。彼がいた場所の真上から一人の男が降り注いできたのだ。厳密に言うのであれば、三叉の槍を下に向けた男が。
男の槍が触れた瓦礫はまるで豆腐のように鋭く裂けた。それだけでもあの槍がどれほどの威力を持っているかは容易に理解出来る。三叉の槍――トライデントは本来突くための武器であり、斬撃用のものではない。だと言うのに、それだけの鋭さを持っているのだ。
ジュードに駆け寄ろうとしたウィルやカミラは突然現れた男に呆気に取られはしたものの、カミラの頭に乗るノームが声を上げたことにより、その意識もすぐに引き戻された。
「ナ、ナマァ……ッ!? ま、まさか……!?」
「ノーム、どうしたの!?」
カミラの頭の上で騒ぎ始めたノームに、ルルーナにしがみついたままだったマナが疑問の声を投げ掛けた。
だが、ゆっくり話をするだけの暇を男が与えてくれる筈もない。再び槍を構え直すと、ウィル達には目もくれず再びジュードに襲い掛かった。
対するジュードは丸腰だ、捕まった時に奪われてしまったために武器など持っていない。そのことに即座に気付いたウィルは、先程詰め所から取り返した彼の愛剣をジュードへ向けて投げつけた。
「ジュード、剣だ! 使え!」
素早い突進攻撃を寸前で何とか回避したジュードは投げられた愛剣を片手で受け取り、利き手でそれを鞘から引き抜いた。前線基地で使ってから、すっかり愛用の武器となった水の剣――アクアブランドだ。
そしてウィル達も各々戦闘態勢へと入るが、武器を引き抜いたジュードを見てライオットとノームがほぼ同時に声を上げた。
「ウィルさん、ダメだナマァ!」
「うにに! アクアブランドはコイツには――――!」
「……え?」
休む暇も与えず、男は再びジュードに向かって攻撃を仕掛けてくる。素早い動作で繰り出してくる槍を避け、ジュードは身を翻し辛うじて直撃を避け、手にした剣を真横に凪ぐように振るった。
だが、ジュードは精霊二人から上がった声に小さく疑問に満ちた声を洩らす。何が駄目なのか、彼にはそれが全く分からなかったのだ。
しかし、それも一瞬のこと。すぐにその意味を嫌でも理解した。
「え……ッ!?」
「……贄。愚かだな、貴様は」
ジュードが振るった剣は、確かに男に直撃した。それも、右腕を深く抉った筈なのだ。だと言うのに、当の男本人には堪えたような様子は微塵も感じられない。
それどころか刃が直撃した筈の箇所から血は出ず、傷にさえならなかったのである。
水の魔力を秘めた刀身が淡く光り、その光は男の身を優しく包み込んでいく。まるで治癒魔法でも掛けているかの如く。
「み……水の力が、吸収されてる……」
その光景に、ジュードは咄嗟にそう感じた。
アクアブランドが持つ水の魔力が、この男に吸収されていると。
予想だにしない状況にジュードは信じられないとばかりに翡翠色の双眸を見開き、身動き一つ取れなかった。そしてその隙を、男が見逃してくれる筈もない。
男は流れるような動作で身を翻すと、そのままジュードの腹へ一つ重い蹴りを叩き込んだ。綺麗なほどに鳩尾に入った一撃は彼の身を思い切り吹き飛ばす。
「ジュード!!」
美しく手入れされた庭園に見事に突っ込んだジュードは、意識が遠退くような錯覚を覚えはするものの、それは腹部の激痛により強制的に引き戻される。正体こそ魔族と言う以外は不明だが、この男が敵であることは間違いない。此処で意識を飛ばしてしまう訳にもいかなかった。
ジュードの肩に必死に掴まっていたライオットは、彼が体勢を整えるよりも先に地面に飛び降りると、ジュードを守るように短い四肢を懸命に張り仁王立ち状態で男と対峙する。隙も容赦もないこの男が、それ以上の追撃をしない筈もないのだ。
ウィルとシルヴァは愛用の得物を手に加勢に入ろうとはしたが、あまりの突然の出来事に完全に理解が遅れていた。この男は何者なのか、何故アクアブランドの力が吸収されてしまったのか、一度に不可解なことばかりが起き過ぎたためだ。
男は地面を蹴り勢い良く駆け出すと、表情一つ変えることなくトライデントをジュード目掛けて突き出した。ライオットなど眼中にもないとばかりに。
「や……やめてえええぇッ!!」
高く上がったカミラの制止の声を聴きながら、ジュードは眼前に迫る男と突き出されたその槍からライオットだけは守ろうと手を伸ばした。手で叩き払ってしまえばライオットは助かる。払い除けるだけなら、もっちりとした身故にダメージらしいダメージもないだろう。あの鋭利な槍に突き刺されてしまえば幾らライオットでも無事では済まない――そう思ったのだ。
交信の暇さえ与えてくれない男とどう戦えば良いのか、突破口を考えるだけの余裕は既にジュードにはない。今はただ自分の所為で誰かが傷付くことを避けたかった。
しかし、次の瞬間。彼の視界は漆黒で満たされたのである。
「え……ッ!?」
そして共に鼓膜を打つのは、肉に何かが刺さったような生々しい音。ジュードの眼前には鋭利なトライデントの切っ先が映っていた。彼の肩に届くまであと数センチ程度の距離だ。だが、槍がそれ以上進むことはなかった。
何故なら、男とジュードの間に咄嗟に割り込んだ者がいたからだ。ジュードはその状況を理解して、慌てて顔を上げた。
「――シ、シヴァ、さん……!?」
「き……っ、きゃああああぁッ!!」
ジュードの視界を満たしたもの、それはシヴァが纏う漆黒の外套だ。シヴァがジュードを庇い、男の槍をその身一つで受けたのである。
鋭利な槍は彼の腹を貫通していた。その現実を頭が理解した頃にマナは思わず悲鳴を上げる。目の前で人――厳密に言えば精霊だが、人型をした者が身を貫かれれば誰であろうと恐怖するものだ。
無論、それはマナだけではない。声が出なかっただけで、他の誰もが同じような状態であった。尤も、幾多の戦場を潜り抜けてきたシルヴァだけは驚愕はしても動揺することはなかったが。
ジュードは全身から血の気が引いていくのを感じながら、恐る恐る彼へ片手を伸べる。だが、そこであることに気付いた。
「……?」
血が出ていないのだ。普通ならば激痛が走り苦悶を洩らしてもおかしくないほどのもの。だが、シヴァは至って冷静に両手で槍の柄を掴み、目の前の男を見据えている。――何処か痛ましそうに。
「ジュードちゃん、みんなも。大丈夫?」
「イ……イスキアさん! 今までどこ行ってたんですか!? それに、あの、あれ……シヴァさんが……!」
「シヴァなら大丈夫よ、あの男の力ではシヴァは絶対に殺せないわ」
「……どういうこと?」
ふわりと、底が抜けた二階の踊り場手前の階段から舞い降りてきたのはイスキアだった。恐らくジュード達を探して彼らもこの広い王城内を駆けずり回っていたのだろう。
明らかに動転しているマナを落ち着かせるべく声を掛けるが、イスキアが返した返答に疑問を呈したのはルルーナだった。
あの男の力ではシヴァは殺せない――それはどういう意味なのか。シヴァはそれほど強い存在と言うことなのだろうかと、疑問を抱いたのだ。
しかし、のんびり話をしていられるような状況でもない――そう思ったマナやルルーナ、そしてウィルやカミラ、リンファを支えるシルヴァも一斉に視線を男へ戻す。
だが、当の男本人はそれ以上の追撃をする様子は見せなかった。それどころか驚いたように切れ長の双眸を見開いている。
「――兄上……」
そしてそう一言、小さく呟きを洩らしたのである。まるで確認でもするかの如く。
兄上――男は確かに、シヴァを見てそう言った。それまでシヴァの身を貫いていた槍は、淡い水色の光の粒子となり空気に溶けて消えていく。どうやら魔力で創り出した槍だったようだ。
槍が消えた後も、シヴァの身から鮮血が溢れ出るようなことはなかった。それどころか傷痕さえ残っていない。
ジュードは茫然とシヴァの背中を見つめていたが、軈て彼の足元にいるライオットにその視線を落とす。
「兄って……ライオット、どういうことなんだ……」
「うに……そうだに、この男は……フォルネウスは生粋の魔族じゃないに、精霊なんだに……」
「精霊だって……!?」
その言葉はジュードのみならず、仲間達にも衝撃を与えた。
この男――フォルネウスは確かにジュードを『贄』と呼んだ。それは魔族なりの彼の呼び方である。しかし、その正体は精霊だと言う。
動揺を隠せない仲間達を後目に、イスキアは何処か不機嫌そうに双眸を細めると真っ直ぐ射貫くようにフォルネウスを見据えた。
「……そう、フォルネウスはシヴァの弟――水の大精霊なのよ。生みの親を裏切り、兄であるシヴァを裏切り……そして精霊達をも裏切って魔族に寝返った男なの」
精霊でありながら、魔族に寝返った。それが水の大精霊フォルネウス。
ジュードが振るったアクアブランドの水の力が吸収されてしまったのは、フォルネウスが水を司る大精霊だからなのだろう。己が得意とする属性で傷を負う筈がないのだ。
しかし、それよりも――大精霊という偉大な存在が魔族の思想に賛同した。
その現実の方が、ジュード達に与える衝撃は大きいものであった。