第七話・暗い地下牢
カミラは身に染みる冷えた感触に気付き目を覚ました。伏せていた双眸を薄く開き、焦点の定まらない目を軽く瞬かせてから小さく唸る。
自分はどうしたんだったか――そう考え、軈て弾かれたように身を起こした。
「……! こ、ここは……!?」
カミラが目を覚ました場所。それは薄暗い空間だった。
明かりはあるにはあるのだが、それは冷えた印象を与えてくる通路にしか存在しない。それも、明かりが灯されている間隔が距離的に空き過ぎているのか、どうにも頼りない仄かな明るさであった。それは見る者に寂れた印象を与えてくる。
そして彼女の視界にまず映り込んできたのは、通路と自分とを隔てる冷たい鉄格子。それだけで今いる場所が『牢屋』だと言うことが理解出来た。
何故自分は牢屋に入れられているのだろう――当然ながら彼女の頭にはそんな疑問が浮かぶ。
確か、ジュード達と共に地の国の王と謁見していた筈だ。それでジュードの様子がおかしく、更にファイゲとの協力は難しい風向きになり――
「それから……どうしたんだっけ……」
ルルーナの母であるネレイナが、ジュードに何かを言っていた筈だ。
彼女は『逢いたかった』と言っていなかっただろうか。記憶が曖昧ではあるが、そんな言葉が聞こえたような気がした。
「……あ、カミラ。気が付いた? どっか痛いとこない?」
「……! マナ……わたしは大丈夫だけど……」
記憶を探る彼女の元に、ふと耳慣れた声が届く。慌ててそちらを見てみれば、そこにはマナの姿があった。
否、マナだけではない。この牢屋は随分と広いようだ。マナ以外にもウィルやシルヴァ、リンファの姿も見える。だが、リンファだけは依然として目を覚まさないのかその場に倒れ込んだままだ。傍らにはウィルが寄り添い心配そうに彼女を見下ろしていたが、カミラが目覚めたことに対してはそっと表情に安堵を滲ませた。
「あ、あの……わたし、どうしたんだっけ……」
「俺達も覚えてないんだ、気が付いたらこの牢屋で倒れてて……」
「ノームが言うには、あたし達……ルルーナのお母さんの魔法でやられたそうよ」
「ルルーナさんのお母さん、の?」
どうやらカミラだけでなく、ウィルやマナも同じらしい。意識を飛ばしてしまう前の記憶が曖昧なようであった。
マナの言葉にカミラはノームへと視線を向ける。当のノームはと言えば、ウィルの隣で座り込みしょんぼりと頭を垂れていた。状況が状況ではあるのだが、相変わらずこの円らな目を見ると多少でも気持ちが和らぐ――カミラは言葉には出さずともそう思った。
「あのおばさんが、皆さんに雷の魔法を使ったんだナマァ。あまりにも魔力が強くて一瞬のことだったナマァ」
「でも、どうしてルルーナさんのお母さんが……」
「あの王様の話、聞いたでしょ。きっと王様とルルーナのお母さんは繋がってたのよ。……ルルーナもきっと知ってたんだわ」
「けど、どういうことなんだ。嫌でも自分に服従することになるって言ってたが……リンファも起きないし……」
ウィルの傍らでは、依然としてリンファが眠り続けている。心なしか顔色が悪く、苦しそうにも見えた。大丈夫なのだろうかとウィルは心配そうに口唇を噛み締めて、彼女のそんな様子を見下ろす。
ノームはのそのそと短い四肢を動かしてリンファの傍らに歩み寄り、そしてまた改めて頭を垂れた。
「……リンファさんは水の属性を強く持ってるナマァ、雷には弱いんだナマァ」
「大丈夫なの?」
「呼吸も脈も落ち着いてるナマァ、きっと大丈夫だナマァ」
以前ライオットに、確かにそう言った旨の話を聞いた覚えがある。
カミラは光、ウィルとシルヴァは風、マナは火、リンファは水の属性が強いと。水は雷を通す。そのため、リンファにとっては雷が弱点なのだろう。
だが、ウィルの言葉通り今の彼らには分からないことばかりである。
「確かに、王の言葉は不可解だな。なぜ我々が服従することになると言うのか……」
「あの小僧だな、ってジュードのこと見てたわよね。よく分からないけどルルーナのお母さんもジュードのこと知ってるみたいだったし……」
逢いたかったと、ネレイナは確かにそう口にしていた。もしや彼女は本人でさえ知らないジュードの過去を知っているのでは――ウィルはそう思い軽く眉を寄せる。
ネレイナがジュードの過去を知る人物であるのなら、聞きたいとは思う。だが、こうして自分達を牢に閉じ込める者が味方だとは到底思えなかった。それが例えルルーナの母親であったとしても。
今ジュードは何処にいるのか、どうしているのか。ウィルのみならず仲間が気になるのはそれだ。
「……ねぇウィル、カミラも。ちょっと聞いてほしいんだけど……」
「……どうした?」
「あたし、少し前からずっと気になってたの。ほら、吸血鬼を倒した時。あと初めてアグレアスとヴィネアに逢った時のこと」
そんな中、ふとマナが言い難そうに口を開いたのに気付きウィルもカミラも、リンファに向けていた視線を彼女へと戻した。
彼女が言っていた『あとで話したいこと』だろうかと、ウィルは小さく頷きながらマナの言葉を頭の中で反芻する。
吸血鬼を倒した時と、アグレアスやヴィネアと逢った時。それはどちらも水の国で起きたことだ。
「あの時は助かったのと色々バタバタしてたのとで深く考えなかったけど……今考えてみるとおかしいと思わない?」
「……おかしい?」
「うん、あの時はまだ精霊とのコンタクトなんてなかった筈よ。じゃあ……あの時のジュードは、一体何と交信してたのかしら……」
「……!」
マナのその言葉に、ウィルもカミラも双眸を見開き一度互いに顔を見合わせた。
初めて精霊と逢ったのは、アグレアスとヴィネアを退けた後だ。ウィル達にとっての初遭遇は前線基地なのだが、ジュードとカミラは彼らよりも先に精霊には逢っている。
だが、それ以前には一度たりとも精霊に出逢ったことはない筈だ。それも、ジュードが意図的に交信を始めたのは前線基地が初めて。それまではジュードが持つ力や血など誰も知らなかったし、彼がそれだけの力を持っているなど考えたことさえない。
ならばマナが言うようにジュードはあの時、誰と――何と交信したと言うのか。そもそもあれは交信だったのか。あの力のお陰で仲間全員が助かった訳だが、考えてみれば確かにおかしいことである。
あの国王ファイゲとネレイナの言葉、そしてカミラが気に掛かったジュードの異変。胸がざわつくのを感じて、カミラは己の胸元を押さえた。
「ジュード、どこにいるんだろう。大丈夫なのかな……さっき、まるで怯えてるように見えたの……」
「こうしちゃいられないわ、ここを出てジュードを探しに行かなきゃ。何かひどいことされてるかもしれない……」
「そう、だな……どっちにしろこの国の王様は各国との協力なんて求めちゃいない、……長居は無用だな」
何処までも他者を見下すファイゲの様子を思えば、協力など無理だ。もしも他国が妥協したところで、ファイゲの在り方が変わらぬことにはいずれ協力関係にも亀裂が走る。そのような形ばかりの協力で魔族との戦いの日々を乗り越えられるとは思えない。
ならばこの国に留まるのは程ほどに、すぐにでも次の国へ向かった方が良い。今は少しでも早く他国との協力関係を結びたい状態なのだから。
シルヴァは座していた床から立ち上がると、国王に対する怒気を抑え込むように何度か深呼吸をした後に仲間に視線を戻した。
「では、まずは牢を出よう。詳しい話はこの国を出てからだ」
色々と気になることはあるが、敵なのか否か分からない地の国でのんびりはしていられない。ファイゲの言動から察するに、友好国でないのは確かなのだから。
シルヴァの言葉にウィルはしっかりと頷き、依然として意識を失ったままのリンファの身を背負って立ち上がった。