第三話・入り組む思考
朝食を終えたジュード達は、使用人達が用意した真新しい正装へと袖を通していた。それらはまるで貴族のような煌びやかな衣装で、女性陣はともかくジュードやウィルは顔を顰めた。当然だ、彼らは普段鍛冶屋として生活しているためにそのように豪華な衣服は身に付けた試しがない。元々興味もないのだが。
ウィルはそれなりに洒落っ気こそあれど、ジュードに至っては『衣服は清潔感があって着れれば良い』と思っている。オマケに彼は素早さ重視の戦闘スタイルだ、見るからに動き難そうな衣服は好まない傾向にあった。
だと言うのにこの衣服、丈は長くまるでロングコートのようだ。膝下辺りまでが隠れてしまう。更に至るところにフリルがあしらわれていて恥ずかしいと――ジュードもウィルも純粋にそう思った。
確かに王族に逢うのに普段着では失礼になるし、トレゾール鉱山に向かった面々はノームの放った魔法により衣服がボロボロの状態だ。こうして正装を用意してもらえるのは助かるのだが、ウィルは複雑な表情を浮かべていた。
「(手配が早すぎやしないか? 使用人が自分達で判断して用意したとは思えないし……大体、なんで俺達が国王に逢いに行くって知られてんだよ)」
ウィルとて貴族のことはそう詳しくはないのだが、屋敷の主に仕える使用人がその主の命令や許可もなく勝手に服を用意するなど考えられない。もし使用人が用意したのであれば、彼らに指示をしたのはネレイナかルルーナと言う可能性が高い。
だが馬車を降りた際、ルルーナは使用人に服を用意させるなどと口走ってはいなかったとウィルは記憶していた。寧ろ、自分達で見に行くような――そんな口振りだった筈だ。ならばネレイナが用意したと言うのか、だとすればなぜ彼女は自分達の要件を知っているのか。そこまで考えてウィルは小さく溜息を吐いた。
「(考え過ぎか……? ルルーナのお袋さんが用意したからなんだってんだ、俺達のことを考えてしてくれたかもしれないってのに……疑う癖でも付いちまったかね)」
仲間の家族を疑うなんてどうかしてる――ウィルは内心で自己嫌悪しながら、その視線は仲間達へと向けた。
女性陣はいずれも美女や美少女揃いと言うこともあり、煌びやかな衣服を身に付けても充分に似合い、着こなせている。ルルーナはこれまで露出度の高いドレスばかりだったが、現在は白を基調とした一見ウェディングドレスにも見えるものに身を包んでいる、肌が見えている部分は肩や首元くらいだ。薄紅色の髪も低い位置で纏められており、淑女と称すに相応しい出で立ちである。元々整った顔立ちをしていることもあってか、いっそ恐ろしいほどに美しかった。
ジュードは相変わらずカミラと戯れている。彼女は彼女で薄い水色をベースにしたドレスを身に付けていた。所々に白のフリルがあしらわれ、それが余計に可愛らしさを引き立たせる。カミラはカミラでほんのりと顔を朱に染めて気恥ずかしそうだが、そんな様子もジュードの心を擽るのだと――恐らく彼女は気付いていない。
薄く苦笑いを浮かべながら、それでも微笑ましそうに彼らの様子を見守っていたウィルだったが、つい今し方まで使用人の一人と話していたシルヴァが傍らに歩み寄ってきたことに気付くと意識と視線は自然と彼女に向いた。
「動き難くて仕方ないものだな」
「ええ、まあ……確かにそうですね、早いとこ用事を済まして脱ぎたいモンですよ」
「ふふ、似合ってるじゃないか」
揶揄と思わしき言葉を向けてくるシルヴァに対し、ウィルは軽く肩を竦め『冗談』と薄く笑ってみせると小さく頭を振った。貴族の正装はどうにも息苦しい、出来ることなら早く脱ぎたい。それは紛れもない彼自身の本音だ。
だが、そんな駄々を捏ねても仕方がないと言うのは賢いウィルのこと、当に理解している。
「……どうでした?」
「ああ、なんでも国王陛下自らが我々に逢いたがっているらしい。ルルーナ嬢が火の国からの使者として戻ったことは既に王の耳に入っているそうだ」
「それで、この服ですか。じゃあこれって、もしかして国王陛下が用意したもの……」
「ふむ、ネレイナ様も王の元におられるそうだから彼女が気を回してくれたのかもしれないが」
「でも、普通はアポを取って謁見するものだと思うんですが……国王が逢いたがってるならいいんですかね」
取り敢えず、昨夜の内に大体の話は伝わっていたのだろう。そう考えれば、こうして衣服が人数分用意されたことにも多少は頷ける。完全な納得とまではいかないのだが。
とにかく国王が逢いたがっているのであれば話は早い。用事も、恐らくは書状や魔族との戦いのことだろうとウィルもシルヴァも思った。
だが、そんな時。ふとシルヴァが一度辺りに視線を遣り、やや抑えた声量で再び口を開いたのだ。まるで内緒話でもするかのように。
「……ウィル君、一つ聞きたい」
「はい、なんですか?」
「ジュード君はいつもああなのか?」
「……は?」
ああ、とは。一体どういう意味だろうかとウィルは一度不思議そうに首を捻ってから、その視線は再度ジュードへと向ける。
視線の先では今もまだ、ジュードはカミラと何やら談笑しているようだ。カミラと話している時はいつもあんなに締まりのない顔をしているのか――そう言いたいのだろうかと思った。だとすれば、そうだと肯定せざるを得ない。カミラと話す時のジュードは、いつだってあのように弛んだ顔をしている。
「メンフィス様の……人を見る目も曇ったものだと思ってな」
「……どういうことですか?」
「私は彼を高く評価していたのだが、どうやら買い被り過ぎていたようだ」
彼女の口唇から紡がれる言葉に、ウィルは思わず怪訝そうに眉を寄せた。どうやら彼が思っていたような平和的な話ではないらしい、寧ろ真面目な話だ。
普段優しげな色を宿すシルヴァの双眸は、今は何処か冷たさを孕み、言葉通り失望したような様子でジュードを見据えている。
「先程の話を聞いていて思ったよ、彼は頼りないと。君達は彼のことを本当に心から信頼していると言うのに、ジュード君の方はどうだ。……君達のような素晴らしい仲間がいるにも拘らず、全く信じていない」
「……あいつは、お人好しなんです。自分だって命懸けで俺達のことを助けたクセに、誰かが自分のためにそうすると嫌がるって言うか……優し過ぎるんですよ」
「私はそれを優しさだとは思わんがな、甘やかすだけが愛情ではないぞ」
確かにシルヴァの言うことも尤もだ。ジュードは仲間の想いも力も何も信じてくれていない――解釈次第ではそうなる。
だが、もしも自分がジュードと同じような立場になったら。そう考えるとウィルにはどうしてもシルヴァの言葉を肯定することが出来なかった。誰だって大事な仲間が自分の所為で危険な目に遭ったり、自分のために命を懸けたりするのは嫌に決まっている。それを『信用していない』とは思えなかったのだ。
寧ろ大事な仲間であるからこそ、そのようなことをさせたくないのである。
そんなことを思っていると、今度は言葉こそ掛からないものの――不意に背後に気配を感じてウィルは半ば無理矢理に思考を引き戻した。なんだと振り返ってみれば、そこにいたのはマナだ。彼女もまた薄桃の淡い色をしたドレスに身を包んでおり充分に着飾っているのだが、双眸を半眼に細めて見るからに機嫌が悪そうだった。
「マ、マナ、どうしたんだ? 目が据わってるぞ」
「……別に。随分楽しそうだなあぁ、と思って」
「……ふっ」
そこはやはり女性か――シルヴァは、マナが何を言いたいのかは理解しているらしい。特に多くを語ることはせずに小さく笑みを洩らすと『じゃあ』とだけ声を掛けて早々に踵を返していく。
マナはそんなシルヴァの姿をやはり複雑な面持ちで見送り、そっと溜息を吐いた。彼女は随分とシルヴァに懐いているようだが、やはりウィルのこととなると複雑な葛藤があるのだろう。これまではジュードのことしか気にしてこなかったと言うのに、随分と勝手な話だと――言葉には出さないが、マナはほんのりと自己嫌悪に陥った。
「それで、どうしたんだ?」
「え、あ……ああ、うん。あとでちょっと話したいことがあるの」
「話したいこと?」
「ジュードのこと……ちょっと気になってることがあって。あたし一人で考えても答えなんて出そうにないし……」
今のジュードには、気になることがあり過ぎる。彼なら大丈夫だと信じてはいるが、本当に大丈夫なのかと不安になる気持ちもウィルには確かに存在していた。マナも同じように考えているのではとも思うが、気になることはそれ以外にもある。
取り敢えず後で話せば良いかと、今は深く考えることはせずに了承の意味を込めてしっかりと頷いた。
「そういえば、イスキアさんやシヴァさんは?」
「さあ……起きた時には部屋にいなかったけど」
「またぁ? まあ……いつものことだし、心配はいらないか」
そこで今思い出したように辺りを見回して疑問を洩らすマナに、ウィルは眉尻を下げて苦笑いを滲ませると力なく頭を左右に揺らした。昨夜この屋敷に到着した際にはシヴァもイスキアも確かにいたのである。
否、ジュードとウィルが寝入るまでは傍にいた筈なのだ。
しかし、目が覚めると二人の姿は何処にもなかった。尤も、ウィルが目を覚ましたのはジュードに起こされたためであり、起床したのは彼よりも随分後と言うことになる。ジュードが目を覚ました時はどうだったのかは分からないが、取り敢えず現在目の届く範囲には彼らの姿はない。
「まあ、前もそうだったしな。……俺達はまずこっちの用事済ませちまおうぜ、こういう服は窮屈過ぎて肩凝っちまう」
「あはは、たまにはいいじゃない。ジュードもウィルもさ」
冗談、と。ウィルは改めて双肩を疎ませると、どちらともなく仲間達の元へと足を踏み出した。