第二話・それぞれの想い
ジュードとウィルが食堂へ姿を現すと、既に揃っていた面々は早速とばかりに空腹を満たすべく目の前の料理に手をつけ始めた。
昨日、突然訪れたにも拘らず流石は地の国の最高貴族ノーリアン家か、特に嫌な顔をされることもなく複数の使用人達がジュード達のために手の込んだ夕食を用意してくれたものである。
『おかえりなさいませ、お嬢様』と言う挨拶に面喰ったジュード達は、まるで借りてきた猫のように小さくなりながらルルーナに案内されるまま客間へと足を運び、落ち着かない時間を過ごしてはいたのだが――提供された料理を食べ終わる頃には、そんな緊張さえ綺麗に吹き飛んでいた。
以前ルルーナが自分で言っていたように、このノーリアン家の屋敷は確かに広い。火の国の王都ガルディオンで借りているメンフィスの屋敷も確かに広いのだが、あの屋敷より二回りは大きいだろう。客間など合計幾つあるのか、それさえ定かではない。
この屋敷は三階建てで、一階には食堂や厨房、応接室などが設けられており、二階には複数の客間や大浴場。テラスに出るとそこには広い面積のプールが設置されていた。三階にはルルーナや屋敷の主であるネレイナの自室があり、三階に続く階段には二人の見張りさえ存在している。恐らくはルルーナやネレイナに呼ばれた者でなければ三階に上がることさえ許されないのだろう。
そんな警備がしっかりしている屋敷だ、別に自分達で用意しなくとも料理など勝手に食堂に用意される筈なのである。
しかし、今回ジュードはどうしてもウィルや仲間達にこれまでの礼をしたいと考えていた。そのために朝早くからルルーナに掛け合い、厨房を使う許可を貰ったのだった。
ちなみに運悪くネレイナは用で出掛けているらしい、ジュード達は未だ彼女に挨拶さえ出来ていないのが現状だ。家主不在の屋敷で好き勝手するのもどうなのかと思いはしたのだが、その家主の娘であるルルーナが良いと言うのだから、と半ば無理矢理に己を納得させたのである。
「おいしい!」
カミラはクリームシチューを口に運び、それはそれは幸せそうに表情を綻ばせる。一晩ゆっくり休んだことで身体的な疲労も随分解消されたようだ。
そしてそれは何もカミラだけではない、その場に集うメンバー全員に言えることであった。これまでの野宿続きとは異なり、全員の顔に穏やかな笑みが浮かんでいる。地の国に忌まわしい記憶を持つリンファは流石にそうもいかないようだが。――オマケに、彼女はネレイナの一言で最愛の兄を殺された身だ。そのネレイナが住まう屋敷で寛ぐなど間違っても出来ないこと。ジュード達は知らないことだが、ウィルはそれが分かっているからこそ、時折彼女に心配そうな視線を向けていた。
ジュードが用意した朝食はクリームシチューに炒飯、ツナオムレツ、デザートに木苺のパイと、朝から食べるには少々重いような気もするのだが、そのいずれもウィルが特に好む料理である。
「ジュードが作るシチューなんて久し振り、たまには作ってもらうのも悪くないわね」
「そうね、マナの料理はいつも味が濃いから」
「うっさいわね!」
「ふふ、私はマナちゃんの作る料理も好きだがな。……ん? これは鶏肉か?」
「えへへ……ありがとうございます。そうなんです、ジュードが作るシチューは豚肉じゃなくて鶏肉なんですよ。あと白菜とキノコもいっぱい入れて……その方が味がサッパリするんですって」
和やかな会話を繰り広げる仲間達の様子を黙したまま眺めながらジュードは食事の手を止めると、静かに視線を落とす。彼の胸にあるのは、複雑な葛藤と罪悪感だ。
「……あのさ」
「どうしたんだ、ジュード君」
「いえ、あの。みんなに謝らないとと思って……」
それは、彼らにとって予想だにしない言葉だったのだろう。
謝る――何かジュードに謝られるようなことがあっただろうか、と。仲間はそれぞれ食事の手を止めて彼に視線を向けた。尤も、先程部屋で話したウィルだけはその内容を理解していたが。
ジュードは誰かのために一生懸命になることは出来るが、誰かが自分のために身体を張ることを嫌う。それ故に胸に浮かぶ罪悪感もかなりのものだ。
『謝る?』と文字通り不思議そうな声を洩らして首を捻ったマナは、隣の席に腰掛けるカミラと一度顔を見合わせた。
「……ああ、オレの所為でみんなを危険な目に遭わせてる。イスキアさんが来てくれなかったら、鉱山でウィル達は……それにガルディオンだって……」
「ジュード様……」
ジュードが呟いたその言葉で、ようやく仲間達も理解した。彼が何を気に病んでいるのかを。
自分がいる所為で大切な仲間を危険に晒している――その現実に苦しんでいるのだ。もしもトレゾール鉱山でイスキアが合流してくれなければ、彼の言葉通りウィルはアグレアスに殺されていただろう。幸か不幸か、アグレアスは自分のやることを妨害しない限りは他に手を出さないように見える。そのため、マナやリンファ、ちび達は助かったかもしれないが、ウィルは間違いなく命を落としていた筈だ。
それに、王都ガルディオンも。ジュードがいなければ、あのように襲撃を受けることはなかった。あの戦いで何人が命を落としたことか。
それを考えると、どれだけ励まされようがジュードは自分自身を許せなかったのである。
カミラは視線を下げる彼を痛ましそうに見つめて、固くスプーンを握り締めた。
「でも、ジュードがいなかったら……私達、もう死んでたんだよ」
「そうよ、吸血鬼を倒したのも水の国で魔族を追い払ったのもジュードじゃない。あたし達だけじゃ、絶対に勝てなかったわ」
「私達はそれぞれ、自分達で決めてこうして共にいます。……嫌々ジュード様に同行している訳ではありません」
カミラやマナ、リンファから返る言葉にジュードは依然として複雑な面持ちのまま視線を彼女達へ向けた。
カミラ達が言うことは尤もである、吸血鬼と対峙した際――その後に遭遇したアグレアスとヴィネア。そのいずれも、ジュードがいなければどうにもならない敵だった。
とは言え、本人はどのようにして敵を退けたのか全く覚えていないのだが。
「そういうこと、みんな身の危険を感じて嫌になったら勝手に離脱するさ」
「でも、それでもし命を落としたりしたら……」
「お前な……言いたいことは分かるが、リンファが言ったように俺達は自分で決めてこうしてるんだ。その選択くらい好きにさせてくれよ」
ウィルが諭すようにそう言葉を掛けても、ジュードはやはり複雑な表情を浮かべていた。だが、流石にそれ以上反対するような言葉を連ねることはしない。何を言っても聞いてくれないとでも思ったのだろう。
これで納得したなどと到底ウィルやマナは思っていないが、それでも彼にも頭を整理するだけの時間は必要だ。
今は罪悪感に満たされていても、少しすればきっと落ち着いてくれる――そう信じているからこそ、ウィルも余計に声を掛けることはせずに食事を再開した。
ルルーナだけはただ一人、彼らの様子をぼんやりと眺めながら始終黙り込んでいたが。
「(勝手に離脱する、か……ついていくのも抜けるのも自由なのよね。私の目的はお母様のところにジュードを連れてくること……その目的は達成したし、私はここまでかしら)」
これまでジュード達にその目的を話したことはないが、ルルーナにはこれ以上彼らに同行するだけの理由はない。ましてや今後も魔族が関わってくるのであれば、嫌でも死と隣り合わせの戦いになる。
ルルーナは別に争いが好きな訳でもなく、これまでの行動は全て『母の願いを叶えるため』のもの。
だが、こうしてジュードを連れ帰ることに成功した以上、目的は達成したと言えるだろう。ネレイナの願いがなんであるのか、それはルルーナにも分からないことなのだが。
「(……何を考えてるのよ、私は……)」
そこまで考えた時、ふとルルーナは己の胸が鈍く痛むのを感じた。
ジュード達と一緒にいるようになって、もう結構な時間が経つ。当初こそどうでも良いと思っていた彼らだが、今のルルーナにとっては紛れもなく『友』であった。
地の国最高貴族のご令嬢、その立場もあってこれまで彼女は腹を割って話せる友人など出来たことがない。どうせ何か裏があるのだろうと、常にそう思ってきたのである。そして、それは決して間違いではなかった。
いつだってルルーナに近付いてくる者は腹の底に何かを抱えている者ばかりで、心から気を許せる相手などそれこそ母のネレイナくらいしか存在しなかった。幼い頃は愛する父もその一人だったのだが、父はもう何年も前に家を出て行ったきり。唯一の拠り所である母は、仕事で家を空けることがほとんど。ルルーナはこの広い王都グルゼフでいつも孤独であった。
そんな中、ジュード達のような裏表のない者達と出逢えたことはルルーナにとっての救いでもある。歳の割には子供っぽいと内心で嘲笑し呆れることも多かったが、彼らの純粋さは決して嫌いなものではない。
「(――バカバカしい、私はお母様に言われたことをしただけよ。その後のことなんてどうでもいい、そんなの私が気にするようなことじゃないわ)」
どうせもう別れるのなら、余計な感情は持たぬ方が良いと。
ルルーナはそう思い無理矢理に思考を切り替えると、止めていた食事の手を再開させる。リンファは何を思うのか、そんな彼女を黙したまま見つめ――そしてシルヴァは、先程までの和やかな様子も何処へやら、幾分険しい表情を浮かべながらジュードを見据えていた。