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第四十二話・夢の中の人


「……あれ?」


 ふと目を覚ましたカミラは、見慣れない場所に立っていた。

 否、正確に言うのであれば見慣れないのではなく『何処なのか分からない場所』だ。辺りは真っ暗で、仄かな光さえ射さない漆黒の闇。まるで世界に自分一人しかいないのではないかとさえ思えるほどの深い闇の中であった。

 カミラは不思議そうに何度か瞬きを打ち、一度軽く周囲を見回す。しかし、彼女の双眸は何処までも広がる闇を捉えるのみ。それ以外のものは視界に映り込んで来ることはなかった。

 自分はどうしたのだったか。カミラはそう考えてみるが、王都グルゼフに向かうために馬車に乗り込んだまでしか、彼女の記憶には残っていなかった。

 ならば、一体どうしてしまったのか。なぜこのような真っ暗闇の中に自分はいるのか、ジュード達はどうしたのだろうか。彼女の頭には次から次へと様々な疑問が浮かび始めた。当然である、これまでずっと行動を共にしてきた仲間だ。その大事な仲間がいない現在、心配するなという方が無理なのだ。


「ジュード、みんな?」


 ぽっかりと大口を開けているかのような闇の中に呼び掛けてみても、返事は返らなかった。ただ彼女の声を、闇が吸収してしまっただけである。

 すると、カミラの胸中には自然と不安が芽を出し始めた。彼女自身、真っ暗闇に対する恐怖はない。だからこの不安は、ジュード達に何かあったのでは、という仲間の安否に対する不安だ。

 彼らを探しに行かなければ。カミラはそう思うなり一歩足を踏み出そうとはしたのだが、その矢先のことであった。


「――きゃッ!? な、なに……!?」


 不意に、一筋の光が彼女の傍らに射し込んだのだ。

 まるで何処からか吹いてきた風の如く、柔らかな光がカミラの傍らへと集束していく。思わず声を上げたカミラは腰元の剣に利き手を触れさせると、数歩距離を空けて息を呑んだ。ジッと光を凝視し、口唇を噛み締める。一体なんなのか全く分からないからだ。警戒は怠れない。

 だが次の瞬間、彼女の瑠璃色の双眸はその警戒も忘れたように丸くなった。


「あ、あなた……誰……?」


 集束した光は、やがて一人の男性の姿になった。

 紅の髪にジュードのような翡翠色の透き通った双眸、一口に男性と言っても整った風貌は一見女性のようにさえ見える。まるで人形か何かのような、整い過ぎた美しい顔立ちだ。

 しかし、カミラの記憶にはない姿であった。


「(この人、一体誰……? でも、どうしてかしら……なんだか、すごく安心するような……)」


 目の前のこの男性のことを、カミラは知らない。これだけの整った風貌をした男性、一度見ればそうは忘れないだろう。だが、何度記憶を掘り起こしてみても彼女の記憶に該当する人物はいなかった。

 今もヴェリア大陸でカミラの帰りを待っているだろうヘルメスも美しい顔立ちをしているが、彼女の目の前にいるこの男性は、そのヘルメス以上に整った風貌を持っている。思わず見惚れてしまいそうな。


「あ、あの……あなたは一体……?」


 この男性は一体誰なのか、ジュード達のことを知っているのだろうか。

 カミラの頭にはやはり様々な疑問が浮かんだ。その疑問のまま彼に声を掛けはしたのだが、投げ掛けた問いに対する言葉は何も返らなかった。

 否――何か、返してはくれたのかもしれない。ただ、それが言葉ではなかったというだけだ。

 彼が返してきた反応は言葉ではなく、ただそっと――優しく微笑んだだけであった。



 * * *



「カミラ、カミラってば!」

「……え? あれ……」


 不意に身を揺さぶられるような感覚を覚えてカミラが目を開けると、彼女の視界にはマナの姿が映った。その表情は何処か心配そうに雲っている。マナの傍らにはジュードやルルーナの姿も見えた。

 そこでカミラはようやく気付く、先程までのあの真っ暗闇はただの夢であったのだと。慌てて辺りを見回してみると、そこは普段移動に使っていた馬車の中であった。移動中にうたた寝をしてしまったらしい。

 どうやらカミラが眠っている間に王都グルゼフには到着したようだ、馬車は既に走っておらず止まっている。


「あ、わわ……ご、ごめんなさい、わたし寝ちゃってたんだね……!」

「いいよ、カミラさんも疲れてるんだって」

「そうね、カミラちゃんはアレナの街でほとんど休みなく治療に当たってたし……あの後から、満足に休めてないものね」


 慌てて謝罪を口にするカミラに対し、ジュードはそっと安堵したような表情を浮かばせて頭を左右に振った。気にしなくていい、とでも言うように。

 ルルーナはそんな彼の言葉に賛同し頷いてみせると、一足先に馬車の扉を開いて外へと降りていく。そして凝り固まった身を解すように軽く伸びをしながら改めて口を開いた。


「けど、今日はゆっくり休めるわよ。私の屋敷は広いからね」

「なんだ、泊めてくれるのか?」

「そりゃ……屋敷があるのにアンタ達は宿に泊まりなさいなんて言わないわよ、私だって流石にそこまで鬼じゃないわ」


 何処か揶揄するような口調でウィルがルルーナの背中に声を掛けると、幾分か言い難そうにはするものの、それでもハッキリとした口調でそう返答が返った。知り合ったばかりの頃からは想像出来ない姿である。

 まだジュード達のことを明確に『仲間』と称すには抵抗があるようだが、それは他よりも高い彼女のプライドが邪魔をしているだけであって、ルルーナ自身の中では既に『仲間』となっているのだろう。そうでなければ屋敷に迎えてくれる筈がないのだ。――ジュードはともかくとしても。

 ルルーナは久方振りに見る王都グルゼフ出入り口の門を見上げて、そっと一つ吐息を洩らす。彼女の胸中には様々な想いが去来していた。

 母の願いをこれで叶えられるという達成感はもちろんなのだが、果たしてそれで良いのかという不安。その母が願っていることはなんなのかという疑念。本当に様々なことだ。

 そして、これで母の願いが分かるのだという安心感も共に感じている。


「(お母様がジュードを求める理由が、これでやっと分かる……何か善からぬことじゃなければいいけど、お母様に限ってそんなこと……)」


 むくりと芽吹く不安の芽を頭から追い払うべく、ルルーナはそこまで考えて小さく頭を振った。母であるネレイナは彼女の中で特別な存在だ、いつも自分を守ってくれた尊敬する存在なのである。

 そんな母が善からぬ目的でジュードを求める訳がない、ルルーナはそう考えている。故に胸に浮かぶ不安に半ば強引に蓋をして、馬車を振り返った。


「ほら、早く行くわよ。服とかも見て回らなきゃいけないんだからね」

「ルルーナの貸してくれればいいのに」

「マナじゃ胸はぶかぶかで腰はキツくて入らないでしょ、そんな可哀想なことを私にしろっていうの?」

「あんたねぇ!」


 ようやく安心して休める場所に着いた――その事実は仲間達にも安堵を齎したらしい。常の如く軽口を交わすマナとルルーナを眺めてジュードやウィル、シルヴァは何処か愉快そうに声を立てて笑う。そんな彼らの姿を見て、シヴァやイスキアもまた表情を和らげた。流石に普段から表情の変化に乏しいリンファまではそうもいかなかったが。

 カミラは仲間達の様子を、心此処に在らずといった様子でぼんやりと眺め、そっと空を仰いだ。


「(あの夢の人、一体なんだったんだろう……どうしてこんなに気になるんだろう……)」


 彼女の中では、先程見た夢の中の人物がどうにも引っ掛かっていた。見た目が大層美しい男性だったから、という訳ではない。

 あの男性を見た時の言葉にし難い安心感、それを思っているのだ。見たこともない存在だというのに、なぜああも深い安堵を感じられたのかと。しかし、夢というあやふやなものを真剣に考えたところで答えなど出る筈もない。

 確かな引っ掛かりを覚えながら、カミラは仲間達へと無理矢理に意識を引き戻した。



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