第四十一話・地の国の王族
※今回はジュード達はお休みです。
荘厳な雰囲気が漂う謁見の間、玉座に腰掛ける国王ファイゲの前には頭を下げて跪く一人の女性の姿があった。足首さえ隠れてしまいそうなほどの長い漆黒のドレス。その上に灰色のスカーフを羽織っている。
薄紅色の艶めく長い髪は頭の高い位置で綺麗に一纏めにされ、真紅の薔薇を設えた髪飾りで留められていた。耳元には粒の大きなガーネットの耳飾り、首には同じ宝石を惜しげもなくあしらった首飾りを付けている。それだけでも、この女性が裕福な身であることは容易に窺い知れるだろう。
玉座に座る国王は肘掛に片腕を預けて暫し頬杖をついたまま彼女を見下ろしていたが、やがてその口元はだらしなく弛み、そして厭らしく表情を笑みに歪ませた。堪え切れない嬉々でも表すかの如く。
「……その話、真実なのだろうな?」
「はい、陛下。このわたくし、今まで王族の方々に偽りを申したことなど御座いません」
「しかしネレイナよ、ヴェリアは滅んだが各国の連中は未だに勇者の伝説を信じておる。勇者の血を引くヘルメス王子とエクレール王女が亡くなったなどと言う話も聞かぬぞ。世界は勇者の血筋を今後も崇めるのではないか?」
嬉々に表情を緩める国王の隣に座す女性――つまりは女王だ。女王は金の扇子を開き己の口元を覆いながら、吊り目の双眸を怪訝そうに細めて口を開いた。
すると、ネレイナと呼ばれた女性は跪いたまま静かに顔を上げ、薄く微笑んで見せる。
「ご心配には及びません、従わぬ者には陛下のお力を見せつけてやればよいのです。実際に目の当たりにすれば、誰も文句など口にしなくなるでしょう」
「そうですわ、お父様。それでも各国の者どもが反抗してくるのなら攻め込んでしまえばよいのですよ。我がグランヴェルの圧倒的な兵力に刃向かえる国など何処にもありませんわ」
「そうね、セレネシア。あなたは本当に賢い良い子だわ」
ネレイナの言葉に反応したのは、国王や女王が腰掛ける玉座の傍らに控えていた一人の女性だった。
彼女は、この地の国グランヴェルの王女セレネシアだ。ハニーゴールドの艶やかな髪を低い位置でツインテールにして結っている。元々癖っ気なのか、毛先はウェーブしており非常に柔らかそうだ。一国の王女と言えどやはり年頃か、唇は淡い桃色、頬にもほんのりと朱が乗る化粧を施してある。母譲りの吊り目は、見る者に勝気な印象を与えてくる。
そんな彼女の提案に笑み混じりに答えたのは、母である女王だ。
「王女様の仰る通りで御座います、従わぬ者など陛下の治める世界には必要ありません。陛下に賛同する者達だけで新たに始めていけばよいのです、新しい世界を」
「ふふ、ヴェリア亡き今、確かにこの世には新しい王が必要だ。そしてこのワシが新しく世界の王に……か。ふ……ふはっはっは! 素晴らしい――素晴らしいぞ、ネレイナ!」
「お褒めに預かり光栄で御座います、陛下」
国王から返る言葉にネレイナは表情に薄い笑みを湛えたまま静かに、そして改めて深く頭を下げた。そんな様子も国王ファイゲの機嫌を上向かせていく。誰かが自分に対して跪いている、その事実にさえ今の彼は子供のように喜んだ。
そして子が楽しみを待ちきれないとばかりに親を急き立てるかの如く、ファイゲは身を乗り出してやや早口に言葉を続けた。
「してネレイナよ、ワシをこの世の王にしてくれる鍵とやらはいつ手に入るのだ?」
「昨晩、遠見の術で見てみましたが……明日には、この王都グルゼフに到着するでしょう。恐らく娘のルルーナが屋敷に連れてくる筈です」
「なんとまぁ……早急なお話ですこと。では早ければ明日、遅くとも数日後にはお父様が新たな王となられるのですわね。これは早々に宴の用意をさせなければ」
ネレイナの思わぬ返答にファイゲは驚いたように双眸を丸くさせ、娘のセレネシアと女王は互いに顔を見合わせた。無理もない、今日明日の話だとは随分と急である。
だが、セレネシアは父のように表情に嬉々を乗せ、女王は「ほほ」と声を出して笑ってみせた。自分の父、そして自分の夫が新しく世界を率いる王となる。それはつまり、自分は世界の王の娘、妻になるということだ。そう思うと込み上げる喜びを抑え切れなかったのである。
「ふふ――はっはっは! 世界に蔓延る勇者などと言う戯けた存在の呪縛、このワシが新たな王となり断ち切ってくれるわ!」
「ええ、あなた。いつまでも伝説の勇者の亡霊にしがみついていては、この世界は成長していけません。世界は今、あなたのような素晴らしい王を必要としておりますわ」
「旧ヴェリア王なんかよりも、お父様の方がずっとず~っと、この世界を引っ張っていけますわ!」
次々に口を開く王族三人を黙って見つめながら、ネレイナはそっと口元に笑みを刻む。そして改めて一礼すると、既に此方など眼中にもない国王達に余計な言葉を掛けることはせずに静かに立ち上がった。
そして高いヒールの音を響かせながら足先は謁見の間の出入り口へ。ネレイナがその場を離れてもファイゲはもちろんのこと、セレネシアや女王が彼女を気に留めることはなかった。
「(ふっ、見ていて実に滑稽だな。世界の王などというものがそんなに嬉しいのか)」
やがて謁見の間を後にしたネレイナは自宅である屋敷に戻るべく緩慢な歩調で足を進めていく。彼女の脳裏にはつい今し方目の当たりにした王族達が、まるで子供のように喜ぶ様が浮かんでいた。
しかし、ネレイナの心情はと言えば先とは打って変わり何処までも冷めている。冷たく、そして腹の中ではこれ以上ないほどに嘲笑しているのだ。尤も、彼女がそれを表面に出すことはないのだが。現に今も、ネレイナの表情には薄い微笑が滲む。
「(そんなものでいいのなら、幾らでもくれてやる。この私は世界の王などという矮小な存在では終わらぬのだから――)」
ネレイナは渡り廊下の一角で足を止めると、傍らの窓越しに外の景色へと視線を投じる。だが、彼女の双眸はそこに在る景色など見てはいない。その瞳が見据えるものは、将来の道――己が目指す高みのみであった。
脇に下ろした拳を固く握り締めて、ネレイナは笑う。声もなく、口元だけで。そして込み上げる感情を吐き出すように深く吐息を洩らした。何処か恍惚とした様子で。
「……早くおいで、ジュード。そして私の望みを叶えておくれ……」
今にも消え入りそうな声で呟かれたその言葉は、誰の耳に届くこともなく空気へと溶ける。
それは、ジュード達が王都グルゼフを目指す道中のことであった。