第四十話・警戒
アレナの街を経ってから既に四日。
馬車に積んであった食糧も徐々に底を尽き始めていた。
更に度重なる野宿の繰り返しで、ジュード達の心身はほとんど休まるところを知らずにいる。休息は出来ていても完全ではない、そんな状態だ。
そのような中にあってもジュードは毎日、暇さえあればシヴァと共に勇者の技を身に付けるための精神統一に時間を使っていた。
――が、どちらかと言えばジュードは元々落ち着きのない性格だ。常に動き回っているというようなことはないが、精神を集中させることはそれほど得意な部類とは言えない。それ故に何度も繰り返し行うことで進歩するしかないのであった。
「ジュード、調子はどう?」
「う~ん、あまり……黙ってジッとしてるのはどうも難しいな……」
「はは、だろうよ」
移動の休憩中にシヴァと共に林近くで座り込んでいたジュードの元に、その成果はどうかとウィルとマナ、そしてちびが顔を出した。だが、当のジュード本人から返った言葉は彼らの予想の域を出ることはなかったらしく、マナは苦笑いを滲ませ、ウィルは納得の表情で何度も頷いてみせる。幼い頃から共に育った二人には、ジュードの性格など知れているのだ。
そんな彼らのやり取りを聞きながら、近くの木に凭れ掛かっていたシヴァは小さく溜息を洩らすと力なく頭を左右に振る。
「……武術に於いて精神統一は重要なものの一つだ。どのような手練であれ、冷静さを欠いては勝てるものも勝てなくなる」
「って言われてもジュードにはねぇ……勇者様もこんなことしたんですか?」
「奴は元々落ち着いていた、俺が教えるようなことは何もなかったな」
「ジュードとはほぼ真逆みたいな感じだったのか」
「……何か含みがある気がする」
ウィルの言葉にジュードはその場に座り込んだまま、何処か恨めしそうに彼を睨むように見上げるが、当のウィルはと言えば肩を疎めて誤魔化すばかり。尤も、このようなやり取りも既に彼らにとっては日常茶飯事なのだが。
しかし、そんな和やかな雰囲気の裏――彼らの場所からは多少なりとも離れた野営地には不穏な空気が流れていた。
馬車を停めた傍らで焚き火を囲むのはルルーナにリンファ、そしてイスキアの三人だけだ。シルヴァとカミラはライオットやノームを伴って近くの川に水を汲みに行っている。
「どうしたの? ルルーナちゃんもリンファちゃんも怖い顔してるけど」
そんな中で口を開いたのはイスキアだ。昼食用の肉を焚き火で焼きながら、先ほどから無言を貫く二人を横目に見遣る。
喧嘩をしたと言う訳ではなさそうだが、どちらの機嫌も良いとは言えない。数日続く野宿の繰り返しで疲れが出たのかと――一度こそイスキアもそうは思ったのだが、どうやら違ったらしい。程なくしてルルーナの真紅の双眸がまるで睨むように向けられたからだ。彼女のその瞳には、敵意と言うよりは明らかな疑念が滲み出ている。
「ジュードがいないところで聞こうと思ってたのよ。……アンタ、色々知ってるんじゃないの?」
「……どういうことかしら」
「以前ウィル様が仰っていました、力を持っている筈の魔族が人間を滅ぼすのにわざわざジュード様を捕まえようとしているのは違和感がある、と。……ジュード様がなぜ魔族に執拗に狙われるのか……イスキア様は、その本当の理由をご存知なのではありませんか?」
それは王都ガルディオンに攻め入ってきた魔族を撃退した後のことだ。
魔族は恐ろしいほどの力を持っている、そんな魔族が人間を殲滅するためにジュードを捕まえてサタンに捧げようとしているのはおかしい。ウィルはそう口にしていた。
ジュードのことを何かと知っていそうなこの精霊ならば、もしかしたら彼が狙われ続ける理由も知っているのではないか――ルルーナもリンファもそう思っていたのである。尤も、聡いウィルのことだ。彼もそう考えている可能性は非常に高い。
ルルーナもリンファも余計な言葉を発することなくイスキアを睨み付けるようにして反応を窺っていたのだが、当のイスキア本人は何処吹く風かと言った様子だ。彼はジュード達にとって命の恩人ではあれど、分からないことが多すぎる。大精霊とは言え、なぜ助けてくれるのか――恐らくその理由もジュードに関係しているのだろうが、理由や目的が全く分からない。そんな状態だ。完全に味方であるとも言えないのである。
それ故に彼女達の警戒は強ち間違いとは言えない。
イスキアは暫し無言のまま揺れる焚き火を見つめていたが、やがてそっと小さく吐息を洩らした。
「それを知ってどうするっていうの?」
「あら、否定はしないのね」
「しても意味ないもの、あなた達はアタシを疑ってるみたいだし。言葉だけでその疑念を払拭なんて出来ないでしょ」
「……それで、魔族がジュード様を狙う本当の理由はなんなのですか?」
「言っても信じないわよ、きっと」
ルルーナの言うように否定しないということは、リンファが問う『本当の理由』を知っている可能性が高い。そして続いた切り返しを聞く限り、実際に知っているのだろう。
ルルーナは紅の双眸を忌々しそうに細めると座していたそこから立ち上がり、片手を伸ばしてイスキアの胸倉を掴み上げた。美しい風貌と相俟ってその迫力は尋常ではない。――とは言え、飄々としたイスキアがその程度で怯む筈もないのだが。
するとイスキアは双眸を緩やかに細めて薄く笑った。
「あら、ルルーナちゃんがジュードちゃんのことでそんなに熱くなるなんて意外ね。何か、そうまでして知らなきゃいけない事情でもあるのかしら」
「……っ!」
その返答にルルーナは思わず言葉を失った。
彼女は別に心の底からジュードを想っている訳ではない。無論、本人を含めた彼ら仲間にはジュードのことが好きだと思い込ませてはいるが、それは真実ではない。
ジュードを国に連れ帰るため、そして母のためだ。だが、母がなぜ彼を求めるのかは分からない――ルルーナはそれが知りたいのである。
精霊族という稀有な存在が何か鍵になっているのか、もしくは別の理由なのか。母が一体何を考えているのか、実の娘である彼女にさえ分からない。それ故に知りたいと思った。
魔族がジュードを求める理由と、母が彼を求める理由には何か共通点があるのではないかと。
その焦りを指摘されたようで――その思惑さえ見透かされているようで、返す言葉が見つからなかったのだ。
人に言い負かされることのないルルーナにしては珍しいこと――リンファはそう思う。
「……別に。不本意だけど仲間の心配をして何が悪いのよ」
ルルーナはこれまで腹の中が窺えない貴族達の中で暮らしてきた。それ故に本当の友人もいなければ、仲間という存在さえ持てなかった身だ。
その環境もあって『仲間』という言葉には多少なりとも抵抗があるのだろう。素直ではない彼女の言葉が、それを物語っている。
イスキアはそんな様子を暫し見守っていたが、それ以上は追求することなくそっと静かに口を開いた。
「魔族はあの子が持つ力がほしいのよ」
「精霊を使役する力ですか?」
「いいえ、サタンにとっては精霊なんてどうでもいい存在よ。サタンが欲しいのはあの子の――――」
それは、ライオットの口からは語られなかった話であった。そして、それを信じるのはルルーナにもリンファにも難しいこと。
それ故に二人はいずれも、警戒するような——怪訝そうな眼差しを以てイスキアを見つめるしか出来なかった。