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第三十八話・勇者の技


 アレナの街を経ってから数時間。

 時刻は既に夜だ。辺りは闇に包まれ、時折フクロウの鳴き声が夜風に乗って運ばれてくる。

 アレナの街から北上した一日であったが、結局次の街や村に行き着くには至らず、ジュード達は馬車を停めて野宿をしていた。人間と異なり特に睡眠を必要としないイスキアやシヴァが見張り役を買って出てくれたから良いものの、彼らがいなければ交代制で見張りをやる必要があった。それを考えると住民達の言葉に従い街を出たのは失敗だったか――シルヴァは一度こそそう思ったが、それでもあのまま留まったところで関係の修復に繋がるとは思えなかったのも事実。

 結果的にイスキアやシヴァのお陰でなんとかなっている、その現実を前に彼女もややあってから深く考えることをやめた。過ぎたことを気にしたところで時間は戻らないことを知っているからだ。

 夜の闇に包まれる中、ジュードはカミラと共に焚き火の傍らに座り込んでいた。ちびはそんな二人に寄り添うように腹這いになって伏せている。

 特に何か用事があった訳ではない、どちらもなかなか寝付けずにいただけである。そんな二人のことを、イスキアもシヴァも無理に寝かせようとはしなかった。

 既に眠っているだろうウィル達を起こさぬようにと、イスキアは普段よりも幾分潜めた声量で口を開く。


「ジュードちゃんもカミラちゃんも、疲れてるんじゃないの? 休まなくて大丈夫?」

「あ、はい。……なんか、眠れなくて」

「んん~、勇者のお話をしたのは失敗だったかしらねぇ」

「そんなことありません、わたし……聞けてよかったです」


 イスキアは片手の人差し指を己の顎辺りに添えて夜空を見上げ、幾分か困ったような声を洩らした。ジュードもカミラも、勇者のことを考えているのだろうと――そう思ったのである。

 伝説の勇者が辿った過酷な幼少時代、その話が彼らに衝撃を与えたことは容易に理解出来る。眠れなくなるほど気になるのなら、やはり話さない方がよかったか――イスキアはそっと苦笑いを滲ませた。

 だが、ジュードの頭にあるのは正しくは勇者の過去のことだけではない。視線は何とはなしに焚き火へと投じたまま、静かに口を開いた。


「……もし伝説の勇者が今のオレの立場に立ったらどうするか、……考えてたんです」

「……勇者さまが?」

「それで、何か答えは出た?」


 ジュードは、幼い頃から伝説の勇者の話が好きだった。勇者になりたいなどと思ったりはしなかったが、勇者という存在に純粋な憧れがあったのは紛れもない事実だ。

 その勇者が、もしも自分の立場に立たされたらどうするのか――恐らく正解など出ることはないが、イスキアの言葉にジュードは静かに頭を左右に振った。


「いえ、特に。オレは勇者じゃないし、どうするかなんて分かることじゃありませんでした」

「うふふ、そうねぇ。ジュードちゃんはジュードちゃんだものね」

「だから、自分はどうしたいのか考えてみたんです」


 そうだ。どれだけ憧れている存在であろうと、他人の考えが分かる筈がないのである。イスキアは何処か微笑ましそうに笑みを滲ませながら、静かに彼の言葉を待った。ジュードの傍らに座るカミラは多少なりとも不安そうな面持ちで彼を見つめていたが、此方もまた話の腰を折る気はないらしい。


「……多分、これからも魔族と戦わなきゃならないんだろうな、って……それを考えたら、オレ自身が今よりももっと強くなるしかないって思いました」

「ジュード、でも……」

「……サラマンダーが言ってたんだ、オレは精霊の助けがないと何も出来ないんだ、って。それに前線基地でイヴリースにも似たようなことを言われた。……だからきっと、今のままじゃいけない。オレ自身が強くならないと。ウィルがしたみたいなこと、もう誰にもさせたくない」


 もしあの場にイスキアが来てくれていなかったら――それを考えると、ジュードは今でも身が震えるのを感じる。

 もっと自分がしっかりしていれば、もっと強ければ。そうすれば狂暴化したノームにあれほどの苦戦もせず、アグレアスとも満足に戦えたかもしれない。ウィルやマナ、ちびやリンファも怪我をせずに済んだかもしれないのだ。

 アグレアスの圧倒的な力を前に見ているしか出来なかったことを思い返して、ジュードは固く拳を握り締めた。もっと自分が強ければ――そんな後悔の念が、今もまだ彼の胸中を支配している。


「サラマンダー? ……そう、アレに会ったの」

「は、はい、いきなりジュードを連れて行っちゃったんです。それで突然襲い掛かったみたいで、ひどい怪我をしたんですよ」

「あら、そう。教えてくれてありがとう、カミラちゃん。今度会ったらしっかりとお仕置きしてあげないと、ねぇ……?」

「……程ほどにな」


 カミラは当時を思い出したのか、軽く眉根を寄せながら口を開いたのだが――胡散臭いほどに満面の笑みを浮かべながら礼を紡ぐイスキアの様子に、静かに閉口した。言葉にならぬ恐ろしさがあると、口には出さずともそう感じたのだ。

 瑠璃色の双眸を丸くさせながら、カミラはサラマンダーに多少なりとも詫びたくなった。きっと、何かとんでもないことをする気だと。そう思ったのである。

 シヴァは念の為に一つ相棒に言葉を向けると、次にその視線はジュードへと向けた。


「……今よりも強くなる、か。そうだな、あいつがお前と同じ立場であればやはりそうするだろう」

「……そう、ですか?」

「あいつは、何も冷酷な人間だった訳じゃない。人と深く関わることを避けてはいたが、人間嫌いとまではいかなかった。……寧ろ、人が好きだったからこそ……あいつは人間でいられたんだ」

「……どういうことですか?」


 シヴァが語る言葉に疑問符を滲ませるのは、やはりジュードとカミラだ。

 人間でいられた、とは一体どういうことなのか。確かに勇者は普通の人間であったと、イスキアから聞きはした。しかし、シヴァの言葉には何か引っ掛かりのようなものを感じる。


「……魔族という存在全てが、魔界の住人だと思うか?」

「え……」

「魔族の中には、元が人間だった者もいる。お前達が以前邂逅を果たした吸血鬼がそうだな、……奴は半分が人間、もう半分が魔族となった身だ」

「……!? 人間と魔族の混血(ハーフ)ってこと、ですか……!?」


 それは、想像したこともない話であった。

 嘗て退治したあの吸血鬼が、元は人間だった。つまり、元々は人間だった者を手にかけてしまったと言うことになる。そう考えると、ジュードは胃が歪むような気持ち悪さを覚えた。――それは純粋な自己嫌悪だ。

 どうやってあの吸血鬼を倒したのか、ジュードは今も思い出せずにいる。だが、ウィル達の話からして自分が倒したと言うことだけは理解していた。

 自分はなんてことをしてしまったのか――そう思ったのである。


「混血というのは語弊がある。あの男は過去に人間達を裏切り、魔族の下へ走った一人なんだろう。奴は半分が人間だったからこそ、巫女が張った結界に行動を制限されることもなく、大陸の外に出てくることが出来たんだ」

「それで水の国に……でも、人間が魔族になるなんて出来るんですか?」

「ああ、現に人間以外にも――」


 人間が魔族になれる――やはり想像も出来ないことだ。

 イスキアに聞いた話から察するに、昔は今よりも遥かに厳しい世界だったことが想像出来る。自然や環境こそ分からないが、魔族の下に逃げ出す者がいたということはそれほどの世界だったのだろう。

 ――人間であることを捨てても良いと、そう思えるほどの。

 だが、言葉途中で口を閉ざしたシヴァにジュードもカミラも不思議そうに小首を傾かせた。普段表情を表に出すことのない整ったその風貌は、何処か悲しげに歪んでいる。それでも微々たる変化ではあるのだが。

 しかし、それも一瞬のこと。シヴァはすぐに「いや」とだけ呟き、小さく頭を左右に振ると改めて口を開いた。


「……人間が魔族になることも可能だ、尤も……あの吸血鬼のように半分ほどだがな」

「でも、勇者さまは魔族になる道を選ばなかったんですね……」

「そうねぇ、何もかも諦めて投げ捨てて、魔族になる道を選んでいればもっと気持ちも楽だったでしょうに」

「……やっぱり、勇者はすごいや」


 恐らく劣悪な環境で育った少年が、一体どのような道を辿って勇者と呼ばれるまでになったのか。それはジュードもカミラも当然ながら知らない。その道中が如何なるものであったのかも。

 だが、イスキアが軽い口調で連ねる言葉からして、決して楽な道のりではなかったのだろう。

 勇者は、そんな中でも逃げ出すことをせずに、苦しい現実と向き合い続けたのだ。ジュードは吐息混じりに呟くが、イスキアは「うふふ」と笑い声を洩らしながら軽く肩を疎めてみせる。


「でも、あの子だって完璧だった訳じゃないのよ。自分の理想の為もあったでしょうけど、守りたいものが傍にあったから……だから、道を踏み外すことなく立ち続けられたんだと思うわ」

「守りたいもの?」

「ええ、当時の姫巫女(ひめみこ)のことよ。あの子は巫女のことを守ってあげたかったの、だから何かと必死だったわね」

「巫女さま!」


 イスキアのその言葉に、カミラは瑠璃色の双眸を期待に輝かせると白い頬にほんのりと朱を募らせながら胸の前で両手を合わせた。

 姫巫女というこの世に二人とて存在しない稀有(けう)な者だからこそ、自分と同じ立場で生きた巫女がどのような人だったのか気になるのだろう。

 「うふふ」と何処か楽しそうに笑うイスキアと、そんな様子に急かすでもなく言葉を待つカミラを横目に見遣りながら、シヴァは小さく溜息を零すと再度ジュードへ向き直る。


「……強くなるという気持ちがお前にあるなら、一つ技を覚えてみるか?」

「え? シヴァさん、教えてくれるんですか?」

「お前にその意志があるならな、……あいつが愛用していた技を教えてやろう」


 シヴァが語る言葉は、今度はジュードに興奮を与えることとなった。カミラが巫女の話で嬉々を示す一方、ジュードは勇者のことで、だ。

 嘗て勇者が使っていた技を、シヴァが伝授してくれると言う。勇者に純粋な憧れを抱いてきた彼にとって、これほど嬉しい誘いは他にない。

 ジュードは両手の拳をしっかりと握り締めると、カミラ同様に双眸を輝かせながら身を乗り出した。


「ほ、本当ですか!? 勇者が使ってたものを――――うぐッ!」

「ええい騒ぐな、他の者が起きる!」

「むぐぐ……」


 時刻も考えずに声を上げかけたジュードに対し、シヴァは身を乗り出す彼の口を咄嗟に片手の平で押さえ付けて咎めを一つ。その言葉にジュードは一度、仲間が休んでいるだろう簡素なテントに視線を向けた。

 暫しそのままの状態で様子を窺ってはいたが、幸いにも起こしてしまったと言うことはないらしい。テントは依然として静かなままだ。

 それを確認してシヴァは手を離し、ジュードはそっと安堵に吐息を洩らした。


「……とにかく、傷が完治するまでは実戦はしない。それで良いなら教えてやろう」

「は、はい、お願いします」

「……お前は素早さこそ高いが、いざという時に一撃が軽いことがある。あれを覚えればそれを補える筈だ」


 今はとにかく、ジュード自身が決して浅くはない傷を負っている。日常的な動作こそ普通に行えてはいるが、実戦ともなれば必要以上に身に力も入るだろう、その拍子に傷口が開く可能性は高い。

 それに対し特別反論するつもりもなかったか、ジュードはシヴァの言葉にしっかりと頷いた。



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