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第三十四話・地の国の現状


 リンファは湯を張った洗面器と真新しいタオルを持って簡素な廊下を歩いていた。ジュードの脇腹に刻まれた傷の手当ての為だ。魔法での治療が出来ない彼は傷を負う度に、こうして通常の手当てを施す必要がある。

 毎日何度か包帯とガーゼを取り替えて、傷口が塞がるのを自然治癒力に任せるのだ。尤も、リンファの気孔術により回復力を高めている為に、その治りは常人よりも遥かに早い。

 隙間風が吹き込む廊下は床板も酷く傷んでおり、歩くだけで所々軋む音が響く。元々武器防具を作る材料を保管しておく為の倉庫として使われていた場所故に、あまり綺麗に整理はされていない。――何故って、普段人の目に付かない場所だからだ。表向きは煌びやかな印象を与えてくる街ではあったが、あまり人目に付かない裏側は寂れている部分も多い。その一つが、この元倉庫だ。

 今現在、この古びた掘建て小屋のような倉庫には複数の住民がいる。謂わば避難所のようなものだ。

 目的の部屋の前に行き着いたリンファは、依然中で眠っているだろうウィルを起こさぬよう配慮しながら静かにドアノブを捻り扉を押した。


「……! ウィル様、お目覚めですか……?」


 室内に足を踏み入れて、まずリンファの視界に映ったのは――簡素な寝床で身を起こしているウィルの姿だ。何処かぼんやりとした様子ではあるのだが、それでも彼は己の足元に伏せる形で寝転ぶジュードやマナを優しい眼差しを以て見つめていた。

 そっとリンファが声を掛けると、ウィルは我に返ったように一度頭を左右に振ってから、その視線を彼女へと向ける。


「あ、ああ、おはよ。……俺、どのくらい寝てたんだ?」

「ちょうど三日ほどです。……ジュード様やマナ様もまだお休みになっていた方が良いと言っていたのですが、ウィル様の看病をすると言って聞かなくて……」


 リンファから返る言葉にウィルは軽く眉尻を下げると、納得したように何度か頷いてみせた。

 見れば、ジュードもマナも両手の指先が酷く傷んでいる。爪は欠けている部分も多く、黒ずんでいる箇所も多い。何をしていたのか――それは日頃から頭の回転が速いウィルだからこそ理解出来ることだった。街の片付けを手伝っていたのだろうと。


「ったく……街の片付けやら何やらで疲れてるだろうに……」

「…………でも、なんだか羨ましいです。まるで本当のご兄弟のようなのですね」

「まあ、ガキの頃から一緒だからな、……兄弟みたいなモンさ」


 緩慢な足取りで寝床へと近付くリンファを見上げながら、ウィルは苦笑いを交えて返答を向けた。

 彼女にも最愛の兄がいたことをウィルは知っている。もしかしたら過去を思い返しているのかもしれない――そう思うと、どう応えるのが正解なのか分からなかった。

 尤も、リンファと共にいるようになってそれなりに時間も経過している。彼女の何処までも真っ直ぐな性格はウィルのみならず、ジュード達にも伝わっていることだろう。今は当然ながら家族のような感覚はなくとも、リンファも既に大切な――かけがえのない仲間なのだ。


「リンファも、身体は大丈夫なのか?」

「はい、ウィル様のお陰で……ジュード様やマナ様も問題はありません、カミラ様方も大丈夫です」

「あのオネェは?」

「以前のように、私達が休んでいる間にいなくなると言うことは今回はないようです。街の片付けを手伝ってくださっています」


 以前、前線基地まで助けに来てくれた時はジュードが眠っている間にシヴァとイスキアは忽然と姿を消してしまっていた。だが、今回は何も言わずにいなくなる、と言うことはなかったらしい。

 ウィルは小さく安堵を洩らして、次いでその視線は固く簡素な床の上で寝転ぶジュードやマナに向けた。


「……おい、看病してくれるんじゃなかったのか。ったく……風邪引くぞ」


 言葉とは裏腹に、その口調は何処までも穏やかだった。ウィルがジュードやマナを見る目はいつも優しい。それが分かっているからこそリンファもまた、微々たる変化ではあるものの、微笑ましそうにそっと表情を和らげた。


 * * *


「じゃあ、大雑把に言うと……あの大地震は人間の感情が一因になってる、ってこと?」


 正午を過ぎ、ウィルが目を覚ました旨を聞いたルルーナやカミラ達は昼食を摂ると言うこともあり、彼らの寝室に足を運んでいた。訪れた部屋の中には既にジュードやマナ、リンファなどいつものメンバーが揃っており、後から来たカミラ達の表情にも自然と安堵が滲む。

 僅か数日ではあったものの、久方振りにウィルが起きている――そう認識すると胸中には表現し難い安心感が広がったのだ。

 しかし、カミラ達と共にやって来たイスキアやシヴァ、その肩に乗るライオットやノームなどの説明にルルーナは訝るような声を洩らす。

 人間の感情が自然や精霊に影響を与え、その結果災害を引き起こしたなど到底信じられるような話ではないからだ。

 ウィルは寝床に、ジュードは近くの簡素な木椅子に腰を下ろし、その傍らにはリンファが座っている。マナは窓とは呼べない穴の近くに佇み、カミラは出入り口近くの壁に凭れ掛かりながら、その隣にいるルルーナを横目に見遣っていた。仲間の視線はルルーナに注がれはしたが、そんな中でリンファが静かに口を開く。


「……ですが、思い当たる節は嫌と言うほどありますね……」

「……まあ、そりゃあ……ね」


 闘技奴隷(とうぎどれい)として生きていたとは言え、リンファは元々この地の国グランヴェルの出身だ。彼女とて、この国の内情や在り方はよく理解している。

 そんなリンファの言葉に、ルルーナは視線を彼女に向けると片手で自らの紅の髪を軽く掻き乱した。その表情には不愉快さがありありと滲み出ている。


「思い当たる節?」

「前にも話したとは思うけど……この国は完全な格差社会で、今も奴隷制度があるのよ。力のある者がない者を蹂躙することの出来る国なの。他国と違って人身売買が犯罪ではないし、正当な理由があれば人を殺すことだって正義と見做される。例えば……下の者が貴族にぶつかったから殺した、とかね」

「それのどこが正当な理由なのよ! 異常じゃない!」

「そういう国なのよ、グランヴェルって言うところは。ジュード達の常識や当たり前は、この国では通用しないわ」


 ルルーナの言葉にジュード達は思わず絶句していた。以前水の国の鉱山で聞いた時もそうだったのだが、地の国の内情は彼らの予想の遥か上を行っているらしい。

 そして続いて、ルルーナはこれまであまり考えないようにしてきた『この街の今後』を想像し、苦虫を噛み潰したような表情を滲ませながら再度口を開いた。


「……それに、この街。これからは存続が難しくなるでしょうね」

「どういうこと?」

「この国には助け合いの精神なんてものはほとんど存在しないのよ。いつまで待っても王都グルゼフからの物資は届かないし、復興の手伝いだって来ない。ここの人達は自分の力で街を建て直すか……街を捨てて出て行くしかないわ」

「……!? そ、そんな……! 国は助けてくれないの!?」


 それもやはり、予想以上の言葉であった。

 街の大部分が損壊してしまった為、使えなくなった食糧は多いだろう。生活に必要な――所謂生活必需品の類も既に数が限られてしまっている。現に先程リンファが持ってきた真新しいガーゼや包帯も、彼女がやっとの思いで街から入手してきたものだ。

 中には幼い子供や赤ん坊とているだろう、近隣や国からの助けがなければ生きていくのは困難になってしまう。


「……助けてなんてくれないわ、グランヴェルの王族や貴族は民からは奪うけれど自分達が与えてあげることはないのよ」


 吐き捨てるように告げられたルルーナの言葉にマナはもちろんのこと、ジュード達も返す言葉を失っていた。

 地の国グランヴェルの内情は、やはり彼らが思っていた以上に深刻だ。これまで考えてきた『当たり前』はこの国には存在しない。

 尤も、当然ながらジュード達がそれで納得出来る筈もないのだが。


「同じ国の人達なのに、助けてくれないなんて……」

「ねぇジュード、なんとか出来ないかしら……」

「言っておくけど、変な考えは起こさない方がいいわよ。私達が今やるべきことはなんなの?」


 放っておけばまた何かしでかすかもしれない。

 そう思ったルルーナは、改めて小さく頭を左右に振ってから釘を刺すように言葉を向けた。

 彼らがこの国に来たのは、火の国の女王から託された書状を届ける為だ。余計なことに時間や労力を割いている暇はないのである。未だどの国の王族にも書状を届けられていないのだから。


「……そうだな。我々は陛下のご命令で来ているのだから、王族の方々のご気分を損ねるような真似は極力控えたいものだ」


 ルルーナの言葉に賛同を返したのは、当然ながらシルヴァだ。彼女とて納得しているような表情はしていないが、それでも――そこはやはり大人。

 この国のやり方によそ者、それも庶民が言及しようものなら確実に王族の機嫌を損ねてしまうだろう。そうなってしまっては、各国が協力して魔族と戦うなど出来なくなる。世界的な平和の為にそれだけは避けたかった。

 そして次に、ジュードやマナへと視線を向ける。念を押しておかねばどうにも不安だったからだ。


「……納得出来ないとは思うが、仕方ない……今は我慢してくれ」


 力のない者を守る騎士であるからこそ、シルヴァにはジュードやマナが感じている不快感は理解出来る。彼女自身とて、立場や命令がなければ異議を唱えたいところではあるのだ。

 だが、それを呑み込んででもやらなければならないことがある。

 案の定ジュードもマナも嫌そうな、それでいて曇った表情を滲ませてはいたが、特に何か口を開くようなことはなかった。

 シヴァとイスキアもまた、余計な口を挟むことはせずに黙したまま静かにジュードを見守っていた。



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