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第三十三話・おかえりなさい


 結局、大地震で半壊滅状態となってしまった街が一日の頑張りで落ち着く筈もなく、綺麗に設えられた宿の一室――とは程遠い、掘っ建て小屋と言っても良いほどの粗末な場所で夜を明かすこととなった。

 ジュードはともかくとしても、ウィルが負った傷はマナ達が思っていた以上に深く、数日は安静が必要な状態。このまますぐに出発、とはいかなくなってしまったのだ。

 カミラの治癒魔法の甲斐もあり仕事に支障が出るような後遺症や傷には至らなかったが、足りなくなった血が即座に戻ってくれる筈もないのである。

 それに、ジュードも全くの無傷とは言えない上にシルヴァも傷は塞がったとは言え、まだ休息が必要だ。どちらにしろ前衛三人がダウンしている以上、無理に先に進むことは困難を極めた。現状、前線で問題なく戦えるのはちびとリンファしかいないのだから。二人だけで敵の攻撃を受け続けるのは負担が大き過ぎる。

 ウィルの容態を伝えた時の――今にも泣き出してしまいそうなマナの様子を思い返しながら、カミラはそっと小さく溜息を洩らした。


「……また魔族が現れたなんて……」


 そう一人小さく呟いてから、床に布団を敷いただけの簡素な寝床で眠るジュードを視線のみで見遣る。魔法を受け付けないジュードの傍らについていてもカミラに出来ることはないのだが、どうにも離れたくはなかった。それに、その隣には依然として顔色の優れないウィルも眠っている。彼女が此処にいるのは、別に間違いではない。

 更に、カミラの胸中を占めるのは言葉にし難い罪悪感だ。魔族が現れたのに、自分は全く役に立てなかった、と。

 尤も、彼女はその間、アレナの街の怪我人を治療し続けていた為に何も出来なかったのは当然なのだが、魔族に対抗する(すべ)を持つ『姫巫女』と言う立場にあるからこそ、何も出来なかったと言う現実に対し、胸を締め付けられるような痛みを感じていた。


「(イスキアさんが来てくれてなかったら、みんなは殺されて、ジュードは……)」


 イスキアが来てくれたからこそ最悪の展開を避けることは出来たが、自分の知らないところでジュードや大事な仲間が危機に瀕していた、と考えると後悔と罪悪感ばかりが込み上げてきたのだ。

 しかし、だからこそ今は落ち着いて眠っているジュードの姿を見れば、彼女の中には確かな安堵が滲んでもくる。綺麗に整ったものもなく粗末な毛布ではあるが、そこから出た彼の片手をそっと握り、カミラはその無事を身に染みて感じていた。

 今、自分の手が届くところにジュードがいる。触れた箇所から伝わる体温に、そっと安堵の息が洩れた。

 だが、そんな時。ふと両手で握り込んだジュードの手が微かに動いたのだ。


「……? ……ジュード?」

「ん……」


 既に、もう夜は明けている。今現在の時刻は恐らく朝の九時を回って数分、と言ったところだ。魔法を受けていつもの高熱を出していたと言っても、一晩眠っていたジュードが目を覚ましてもおかしくはない。

 カミラは思わず軽く身を乗り出しながら、彼の様子を窺った。


「う……ッ、つつ……あれ、ここ……?」

「ジュード……! よかった……」


 やがて薄く開いた翡翠色の双眸を確認して、カミラは文字通り表情に安堵を滲ませた。ジュード自身も決して浅くはない傷を負っているが、それでも傷の深さも出血量もウィルから見れば遥かにマシと言える。

 ジュードは暫しぼんやりと、何をするでもなく天井を見つめてはいたのだが、やがてゆっくりと瞬きを繰り返してから、徐々に焦点が定まった双眸を傍らのカミラへと向けた。


「カミラ、さん……?」

「大丈夫? ここはアレナの街だよ、宿が潰れちゃったからちょっとボロボロだけど……」

「う、うん、それは大丈夫だけど……」


 カミラからの説明を受けて、ジュードは一度だけ小さく頷いた。寝起きの目にも、この場所のボロさはよく分かる。

 柱など所々湿気り、根元は多少腐りかけ。水気を吸い上げて今にも折れてしまいそうだ。屋根や壁は完全に風を防げてはおらず、隙間風が吹き込んでくる部分も多い。更に不安定な天井からは針金に吊るしただけの、これまた簡素な明かりが垂れるだけ。室内の照明は唯一これだけだ。

 少し動けば軋む床板に敷かれた布団は平べったく、お世辞にも寝心地が好いとは言えない。布団などあってないようなものだ、地べたに寝ているのとほとんど変わらない感覚である。――それでも、野宿に比べればマシなのだが。

 気だるさの残る身を動かし片手で横髪を掻き乱しながら、ジュードは現在に至るまでの経緯を思い返そうと一度目を伏せる。

 ――だが、それも一瞬のこと。すぐに双眸を見開くと弾かれたように飛び起きた。


「――! そ、そうだ、ウィルは!?」

「あっ、まだ寝てなきゃ……!」


 不意に身を起こしたジュードにカミラは双眸を丸くさせると慌てて声を掛けはしたのだが、時既に遅し。脇腹に走った激痛にジュードは思わず苦悶の声を洩らし、身を丸めるように上体を前に倒した。

 負の感情により獣へと姿を変えたノームが放った、魔法による傷だ。オマケに意識を飛ばさぬようにと、自分でそこを抉ってしまった分もある。それは自業自得ではあるものの、傷口はやはり深い。

 うう、と苦しげに呻くジュードを見てカミラは慌てふためくと、丸められたその背にそっと片手を触れさせた。やんわりとした動作で撫で付けてやれば、数拍の後に徐々に痛みも馴染んできたらしい。涙目になりながら、それでもジュードは静かに顔を上げた。


「……ウィルは大丈夫だよ、傷は深いけど……ゆっくり休めばちゃんと元気になるから……」


 そう告げてから、カミラはそっとウィルの方を指し示してみせる。言葉でどうこう言うよりも、実際にゆっくり眠っている姿を見せる方が安心するだろうと判断した為だ。

 とは言っても、依然としてウィルの顔色はあまり良くない。体内の血が足りないのだろう、何処か青白く染まっていた。それが余計にジュードの不安を煽るのでは、と一度こそ思いはしたのだが、そんなウィルの姿を見てもジュードは何も言わなかった。

 ――否、正確には何も言えなかったのだ。


「……オレの、オレの所為だ……オレが戦えたら、こんなことには……っ!」

「ジュード……」


 ジュードは痛む身にも構わずに布団から抜け出ると、依然として眠ったままのウィルの傍らへと寄り添った。普段とは異なり血色の悪い彼の風貌を見下ろすと、自然と涙腺が緩んでいく。

 だが、涙が零れ落ちる前に片腕で目元を拭うと、堪えるように固く口唇を噛み締める。悲しみと悔しさと、己自身への憤りが綯い交ぜになり、どうすれば良いか分からなかったのだ。

 ウィルを怒るのは違う、泣くのも違う、あらゆることから今は逃げ出してしまいたい――だが、そんなことが出来る筈もない。ジュード自身、今は非常に混乱していた。指先が白くなるほどに固く拳を握り締めて、それでも力なく粗末な床の上に下ろす。

 カミラはそんなジュードの背中を何処か痛ましそうに見つめ、暫しの沈黙を経てからその傍らへと移動した。どう声を掛ければ良いのか、それはカミラにも分からないことではあったが、今のジュードを――こんな状態の彼を一人にはしておけないと、そう思ったのである。


「(……そうだよね。ウィルは大丈夫、なんて聞いても……それで安心出来るジュードじゃないよね)」


 ウィルは大丈夫だから心配するな。

 そう言われて『ああそうなんだ、良かった』などと――ジュードがそんな反応をする訳がないのだ。彼にとってウィルは、兄のような存在なのだから。

 幾ら大丈夫と言われようと、彼が傷を負ったのは自分の所為。そう自責に駆られるのは必至であった。

 魔族は、アグレアスは、ジュードを捕まえる為にやって来た。魔族に狙われる自分がいるから、ウィルがこれほどの怪我をした。そして怪我をしたのはウィルだけではない、マナやリンファ、ちびだってそうだ。

 そう考えると、ジュードの胸中は多大な罪悪感で満たされる。自分がいなければこんなことにはならなかった、と。


「ガルディオンだってそうだ、オレがいたから……だからあんなことになって、たくさんの人が殺されて……」

「ジュード……それは……」


 その言葉に、カミラの表情は泣き出しそうに歪んだ。

 ――自分がいたから、自分さえいなければ。それは、カミラには痛いほどに理解出来る言葉だった。

 姫巫女が生まれたから魔族が現れた、だからヴェリア王国が滅んだ。そう言われ続けてきた彼女も、これまでずっと自分自身を責めていたのである。自分などいなければ、と。

 しかし、それはジュード達の暖かな歓迎を受けて癒された。それ故に、今度は自分が彼のその心の傷を癒したい――カミラは純粋にそう思う。


「そんな悲しいこと言わないで。わたしはジュードがいたから、苦しいこともいっぱい……乗り越えられたんだよ」


 固く握り締められたジュードの手にカミラは己も同様のものを重ねると、痛ましくも見えるその手を優しく摩るように撫で付けた。今はとにかく、少しでもジュードの心の痛みを取り除きたい、それだけだ。この拳のように、今の彼の心は固く閉ざされているのだろうから。

 ジュードは握り締めて感覚の薄くなった手に触れた温もりと、傍らの彼女から掛かった言葉に無言のままそちらへと視線を向ける。

 カミラの表情はやはり泣きそうに歪んでいて、それが余計にジュードの胸を締め付けた。

 本来ならばすぐにでも思考を切り替えようとはするのだが、それでも――今回ばかりはそうもいかない。もしもイスキアが来てくれなければ、ウィルは間違いなくアグレアスに殺されていたのだから。

 そしてそれは、紛れもなく――自分の所為。だからこそ、カミラに励ましを受けたからとすぐに意識や思考を切り替えることは出来なかったのである。


「カミラさん……ありがとう、でも……ごめん、今は……」

「う、うん。……ジュードも疲れてるんだよ、そんな気分になれないだろうけど……今はゆっくり休んで。ウィルも起きて落ち着いたら、イスキアさんに詳しいこと色々聞こう?」


 カミラもまた、それ以上余計な励ましの言葉を向けることはなかった。下手にあれだこれだと言ったところで、恐らく今のジュードにはそれを聞き入れるだけの余裕はない。ならば余計な言葉を掛けずに、ただ傍らにいようと――そう思ったのだ。

 イスキア。その名に一度こそジュードは緩く双眸を丸くさせ、部屋の出入り口へと視線を投じはするのだが、すぐにでも聞きに行こうとは思わなかったらしい。やがてその視線を寝床に戻し、静かに頷いた。

 ノームの異変のこと、そしてノームの一件はあの大地震に関係があったのか否か。イスキアに聞きたいことは山のようにある。


「……マナ達は?」

「みんな疲れて、まだ休んでるよ」

「そっか……」


 この簡素な部屋には窓らしい窓はない。あるのは到底『窓』とは呼べない穴のみだ。破損した壁板が窓の代わりとなっている。そこから見える街の景色はやはりメチャクチャだ。倒壊した家屋は当然ながらそのままになっているし、地面には今もまだ樽や木箱が転がっていた。

 今は少しでも身を休めて、起きたら街の片付けを手伝おう――ジュードは言葉に出さずともそう思案すると、次いでその視線は改めてカミラへと向く。そして握り締めていた拳を解き、その手を彼女の頬へと触れさせた。親指で目元下部分を撫で付けると、カミラは瑠璃色の双眸をまん丸くさせ、瞬きさえ忘れたようにジュードを凝視する。


「……カミラさんも休まないと。顔色あまり良くないよ、疲れが溜まってるように見える」

「え……えっ? う、うん……そう、かな……」

「うん、……って、心配掛けてるオレが言えたことじゃないんだけどさ、……ウィルを治療してくれてありがとう、カミラさん」


 どうやら、徐々にでも普段のジュードに戻りつつあるようだ。仲間に気を配るだけの余裕が少しでも出てきたと思われる。

 しかし、何処か親密そうな触れ合いにカミラの心臓は破裂しそうなほどに早く脈を打つ。顔には朱が募り、目は次第に潤み始めた。


「ど、どどどういたひまひてっ」

「……あ……ご、ごめんッ」


 上手く呂律すら回っていないカミラの様子に、ジュードは一度不思議そうに目を丸くさせはしたのだが、すぐに頬に触れさせていた手を引っ込めるとその手で己の後頭部を掻き、慌てて謝罪を向ける。――恐らく彼女は「どういたしまして」と言いたかったのだろう。

 カミラの顔はいつものように真っ赤に染まっているのだが、ジュードは単純に『男慣れしていないから』と結論付けた。実際には、好きな男に触れられて恥ずかしい――と言うことなのだが、鈍いジュードがそれに気付くことはない。

 依然眠ったままのウィルを一瞥してから、ジュードは再び寝床に戻った。


「じゃ、じゃあ、おやすみなさい」

「う、うん。カミラさんも、ちゃんと休むんだよ」

「……あ、あの、ジュード。あのね」

「うん?」


 カミラはつい今し方までジュードの手が触れていた頬に片手を触れさせ、既に去ってしまったその温もりを噛み締めるようにそっと双眸を細める。未だ赤みの引かない顔はそのままに、必死に普段通りの笑みを浮かべながら言葉を向けると、幾分照れくさくなったのかジュード自身もまた――何処か気恥ずかしそうに返答を向けた。

 だが、ふと続いた彼女の言葉にどうしたのだろうかとジュードは緩く首を捻る。


「……おかえりなさい」

「……――ただいま、カミラさん」


 カミラはそう告げると、ふわりと嬉しそうに微笑んだ。まるで花が綻ぶかのように。

 ジュードは予想だにしない彼女の言葉に、思わずポカンと口を半開きにして暫しカミラを見つめてはいたのだが、妙な擽ったさが胸中に滲み始める頃には表情に笑みを滲ませて静かに言葉を返す。

 そして『おやすみ』と、形ばかりの挨拶を向けてジュードは寝床に転がったのだが、早鐘を鳴らす鼓動に妨害されてなかなか眠りにはつけなかった。



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