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第三十二話・それぞれの帰還


「――アグレアス!?」


 ヴェリア大陸にある王国跡地、その中心部に築かれた魔族達の城に凛とした声が響いた。

 臙脂色(えんじいろ)の髪をした女性は、城の出入り口に見えた姿に双眸を見開いて慌てたように駆け寄る。表情には何処か焦りを滲ませて。

 アグレアスは胸部を片手で押さえ、壁に身を凭れさせながら辛うじて立っていると言うような状態。一目見て重傷だと理解出来た。彼が押さえる胸部からは鮮血が溢れているのだから、余計にだ。

 鼓膜を揺らす聞き慣れた声に対し、アグレアスは動くのも億劫な身を緩慢な所作で動かして顔を上げると、視界に彼女の姿を捉えて自嘲気味に笑ってみせる。


「く……っ、イヴリースか……」

「どうした、大丈夫なのか!?」


 それは、アグレアスの仲間――火のイヴリースだった。

 イヴリースはアグレアスの身を支えながら彼を休ませようと、極力ゆっくりとした歩調で歩き出す。何があったのか、その仔細は分からなくとも、今はアグレアスを休ませなければと言うことは考えずとも分かる。

 一つ、また一つと止め処なく床に落ちていく血痕を見つめながら、その美しい風貌は暗く歪んだ。


「……すまんな……」

「気にするな、今は喋らなくていい。……とにかく、ゆっくり休め」


 傍らから掛かる幾分申し訳なさそうな声に、イヴリースは視線を進行方向へ向けたまま一度だけ小さく頭を左右に振ってみせる。ほとんど光が射さない闇の居城は、何処も彼処も薄暗い。しっかりと前を向いて歩かなくては転倒してしまう恐れがあったからだ。

 広く高く造られた廊下にアグレアスの荒い息遣いと、イヴリースの足音のみが響く。彼女の靴音が響く音を暫し無言のまま聞いていたアグレアスであったが、やがて小さく、そして低く笑った。さも愉快そうに。


「……く、……ふふ、はは……ッまさかこの俺が……二度も敗北するとは、思わなかった……」


 その言葉に、イヴリースは視線のみでアグレアスを一瞥すると複雑そうに眉を寄せる。彼が口にした言葉で大体の事情が理解出来た為だ。

 忌々しそうに表情を歪ませながら、イヴリースは一度小さく舌を打った。


「……贄か」

「さて、な……贄と言うよりは……精霊か、……忌々しい存在だ……」

「精霊……」


 小さく独り言のように復唱した後に、イヴリースの頭に浮かぶのは一人の男。

 それは、火の国の前線基地へ攻め入った際に交戦した氷の大精霊――シヴァのことだ。同じく精霊に負けた身として、やはり放ってはおけなかった。

 イヴリースはアグレアスの強さを知っている。彼がシヴァにやられるとはどうしても思えなかった。アグレアスの属性は地、シヴァが司る氷属性に弱い筈がないのだから。


「……シヴァではあるまい、別の者か?」

「イスキアとか、言っていたな……風の……精霊だ……ッ」


 敗北の悔しさは、イヴリースだからこそよく理解している。

 あの日、前線基地でシヴァと交信(アクセス)したジュードに負けた時のことを思い返し、知らず唇を噛み締めた。

 サタンの為の贄――つまりはジュードを捕らえる任務。その失敗をアルシエルは責めなかったが、それで安堵出来るほどイヴリースは簡単な性格をしてはいない。彼女のプライドは山のように高く、暫しの間、憤りと自己嫌悪に苛まれたものである。


「イスキアか……分かった、後で調べてみよう」


 返った名を決して忘れぬよう復唱してから、イヴリースは眉根を寄せた。

 彼らとて精霊を知らぬ訳ではないが、その知識は『精霊』と言うよりも『四神柱(ししんちゅう)』と混ざり合っている部分も多い。

 それ故に、イヴリースは聞いたことのない名に怪訝そうな表情を滲ませていた。


「(風の精霊……風の神柱シルフィードとはまた別なのか……? 水の神柱オンディーヌとシヴァは別物、やはり違う存在と捉えるべきか……)」


 そんなことを考えながらアグレアスを支え、ゆっくりと廊下を進んでいたイヴリースではあったのだが、やがてその足は静かに歩みを止めた。

 ふと止まった足にアグレアスは一度怪訝そうに眉を顰め、どうしたのかと傍らのイヴリースを一瞥するが、その風貌は不愉快そうに歪んでいた。

 ――気に入らない、まさにそう言いたげな雰囲気を醸し出す様子を見遣り、彼女の視線を静かに辿る。

 すると、イヴリースの視線の先には一つの小さな影があった。


「あらあら、イヴリースに続いてアグレアスもなんですの? たかが精霊に負けるだなんて、恥ずかしいですわね」

「ヴィネア……!」


 それは、風のヴィネアだった。ふわりと外に広がったフリル付きのスカートを揺らしながらゆっくりと歩み寄ってくる様子に、イヴリースは睨み付けるような視線を向ける。

 侮辱としか思えないその言葉は、今のアグレアスには何より堪えるものでもある。それが分かっているからこそイヴリースは咎めるような声を上げた。しかし、その程度でヴィネアが止まることはない。


「アルシエル様から与えられたお役目をこなせないだなんて、恥ずかしくないんですの? それでよくおめおめと戻ってこれますわね」

「黙れ! 貴様とて一度は贄に敗れた身だろうに、何を偉そうに言うか!」

「精霊と似通う存在であるわたくし達が精霊に負ける――その方が屈辱ではありませんの? わたくしなら恥ずかしくて自害してしまうかもしれませんわ」

「人間風情に負ける貴様もどうかと思うがな」

「それはアグレアスとて同じことですわ」


 互いに矢継ぎ早に言葉を向けながら睨み合うイヴリースとヴィネアを、アグレアスは無言のまま横目に見遣る。

 確かに、ヴィネアの言うことは尤もであった。自分はアルシエルから与えられた任務を悉く失敗し、彼を落胆させてばかりいる。アルシエルは自分を、自分達を信頼してくれていると言うのに。

 そこまで考えて、アグレアスは悔しそうに利き手の拳を握り締めた。

 ヴィネアはそんな彼を見遣ると、大きな双眸をふと笑みに細め何処か勝ち誇ったように口元に笑みを滲ませる。


「うふふ……でもまぁ、ゆっくりお休みなさいな。後のことはこのヴィネアちゃんがしっかりとやって差し上げますから」

「……なに?」

「ジュードくんはこのヴィネアちゃんが捕まえてくると言っているのですわ。わたくしはあなた方と違って野蛮なやり方ではなく、あくまでも優しくスマートなやり方で……ね。うふふ――あはははっ!」


 ヴィネアは見た目は非常に可愛らしい少女のような姿形をしている。その風貌も、肌の色こそ魔族特有の白みを持ってはいるが美少女と言っても申し分ない顔立ちだ。

 しかし、そう言って高笑いを上げた彼女の顔はその愛らしさを微塵も感じさせないほどに、狂気が滲み出ていた。


 * * *


「ジュード、ウィル! ちょっとマナ、一体何があったの!?」


 一方、無事にアレナの街に帰り着いた馬車を降りたマナ達は、元々宿屋だった一角へと足を向けていた。

 すると、ちょうどそこに集まっていた人々の中にカミラとルルーナもいたのだ。カミラはいち早くジュード達の帰りに気付き、一度こそ表情に安堵を滲ませはしたのだが、ちびの背に乗りぐったりとうつ伏せるジュードと、イスキアに背負われる形のウィルを見て蒼褪めた。自分の足で歩いているとは言え、マナやリンファもボロボロだ。衣服には血が染み付いていて、負傷したのだと一目で分かる。

 ルルーナは座していた地面から勢い良く立ち上がると、説明を求めてマナに詰め寄った。


「う、うん……ちょっと、色々あったのよ」

「色々あった、って一言で済む怪我じゃないわよ!」

「ま、まあ……そうなんだけど、危なかったところにイスキアさんが来てくれて、それで助けてもらったの。詳しいことは後で話すわ、今はジュードとウィルを休ませないと……カミラ、ウィルの怪我を看てやってくれない?」

「うん、分かった」


 とにかく、本当に色々なことがあった。それはもう、単純な言葉では説明など出来ないほどに。

 トレゾール鉱山の魔物が見たこともない狂暴化をしていて、ノームを見つけたまでは良くとも、ノーム自身が恐ろしい獣になっていたこと。そのノームに影響を与えていたのは人々が生み出す負の感情だと分かったこと、そして――魔族であるアグレアスが再び襲ってきて、それをイスキアが助けてくれた。

 この一連の出来事を一言で表現するのは無理だと、言葉には出さずともマナはそう思った。

 それに今は、ジュードとウィルの二人を休ませなくてはならない。それが最優先だ。

 マナの言葉にカミラは何度も頷くと、イスキアが近くに下ろしたウィルの傍らへと寄り添う。その視線は時折ちびの背で伏せたままのジュードに向けられるが、特に容態を問うことはなかった。気にはなる、心配ではあるが、見るからにウィルの方が重傷故に、だ。

 ルルーナはそんなカミラを一瞥すると、次いでその視線はイスキアへと向けた。


「……それにしても、アンタ達の方はあのオネェだったのね」

「え? あたし達の方は……って……」

「私達の方には――ほら、相方が来たのよ」


 ふとルルーナから掛かった言葉に、マナは双眸を丸くさせると不思議そうに数度瞬いてみせる。

 するとルルーナは、やや離れた場所で住民達を見守る一人の男を指し示した。

 青み掛かった白銀の髪、不思議なほどに整ったその風貌。漆黒の外套を身に纏うスラリとした長身は、一度見ればそうそう忘れられない美青年と言える。

 それは、ジュードやカミラの命の恩人と言っても過言ではない――氷の大精霊シヴァだ。


「あ、あの人……! シヴァさん……!?」

「……そのようです、イスキア様とご一緒ではないのかと思っていたのですが……」

「あの人はこっちに来てたのね……」


 これまでに何度もジュード達の危機を救ってくれたのが、シヴァとイスキアだ。ジュードが精霊族だからなのか、どうやら今回も協力するように動いていたものだと思われる。

 とは言っても、イスキアがトレゾール鉱山に来たのはジュード達を追ってきたと言う訳ではなく、ノームの様子を見に来ただけのようだったが。

 マナはシヴァに向けていた視線をそっとイスキアに合わせると、複雑な面持ちで緩く拳を握った。


「(シヴァさんとイスキアさんの目的は分からないけど、精霊に関わっていけば何か分かるのかしら……今回も精霊の様子がおかしいから来た、って言ってたし……)」


 シヴァやイスキアが本当に味方だと言う確証はない。それを言うのであればライオットもそうなのだが。

 取り敢えず今は此方に対しての敵意はないように見えても、いつ手の平を返してくるかは分からない。

 しかし、彼ら精霊達に関わっていくことで謎に包まれたジュードの過去が何か分かるのではないか、彼らはジュードの過去も何か知っているのではないか――そう思ったのだ。ジュードが精霊族であると言うことはライオットから聞いたことでもある、シヴァとイスキアがそれを知らない筈はない。

 マナはそう考えながら、取り敢えずと思考と意識を荒れ果てた街中へと向けた。

 気になることは山のようにあるが、今はまず落ち着いて休める場所の確保が最優先である。



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