第三十一話・『タイタニア』
イスキアの助けによりアグレアスを撃退したジュード達は、そのまま彼の助けを借りて鉱山を後にしていた。来た時に使った馬車に乗り込み、リンファが馬の手綱を取る。身に刻まれた痛ましいまでの傷は、イスキアの治癒魔法によって完全にではないが癒され、身動き程度ならば既に問題はない。
今は取り敢えず少しでも早く街に帰り着き、重傷を負ったウィルをカミラに治療してもらう必要があった。ジュードもいつものように高熱を出してしまっている、早急に二人を休ませなければならない。
「でも、イスキアさんはどうしてここに?」
「ちょっとね、精霊の気配がおかしいな~って思ったのよ。それで様子を見に行ったらあの状態だったってワケ」
「ライオットは分からなかったのに、イスキアさんには分かるのね」
「……何か含みがある気がするに」
マナは馬車に乗り込んだことで多少なりとも安堵を覚えたらしく、一息吐いてから頭に浮かんだ疑問をそのままイスキアへと向けていた。それなりに長い時間鉱山の中にいた為か、知らず入っていた肩の力が自然と抜けていく。馬車の中は狂暴化した魔物の脅威に晒されていない、それが分かっている為だろう。
馬車の壁に凭れて眠るジュードと、そんな彼に寄り添うちび、そしてその傍らに寝かされたウィルを一瞥してからマナはイスキアの隣に座すライオットに視線を向けた。
「別にそんなんじゃないわよ、ただ上級精霊とはやっぱり違うんだろうな、って」
「うふふ……そうね、上級精霊と大精霊の間にはかなり大きな差があるのよ、これでも」
「へえ……」
ライオットからある程度の説明は聞いたと言っても、まだまだマナには精霊について分からないことの方が多い。無論、それはマナだけではなくジュードやウィルとて同じだろう。
そもそも精霊と言う存在はこれまで架空の存在だとしか思っていなかったこともあり、未だに現実味が湧いていない部分もあったのだ。こうして実際に話をしていてもライオットやノームはともかく、イスキアは普通の人間のようにしか見えない。
「差って、どんな感じのものなんですか?」
「う~ん、実際に説明するのは難しいのよねぇ……んまぁ、アタシとライオットには大き過ぎる力の差があるって感じかしらね、うふふ」
「うに……何も言い返せないのが悔しいに……」
更に言うのであれば、人差し指を立てて顎の辺りに添え思案気な表情を滲ませるイスキアは、何処から見ても美しい女性にしか見えないのだ。幾ら男だと分かっていても、並べば劣等感のようなものを感じてしまう。
ライオットはそんなイスキアの隣に座り込んだまま、ジュードの傍らに寄り添うちびやノームをチラリと見遣った。
「それで、ノームはやっぱり負の感情でああなってたに?」
「この地域には、もうずっと濃い負の感情が溜まってるんだナマァ。他に原因が考えられないナマァ……」
「そうね、タイタニアが眠ってからこの地域の負の感情は全てノームに任せっきりだったもの。その影響が出たんじゃないかしら」
「……タイ、タニア……?」
精霊達の話を聞きながら、マナは頭の中で情報を整理していく。メンバー全体で見れば彼女とてそう頭が良い部類ではないのだが、ジュードよりはマシと言えるだろう。今はウィルも意識を飛ばして眠っている以上、自分が少しでも整理しなくては、と思ったのだ。
そんな中、また新たに聞き覚えのない単語が聞こえてきたことで、マナは純粋に疑問符を滲ませながら辿々しく復唱した。
「うに、タイタニアは地の四神柱だに」
「あたし、四神柱ってよく分からないんだけど……大精霊よりも偉大な存在なの? 今までおとぎ話で聞いたくらいだったわ」
「四神柱はそれぞれ、この世界にとって必要な存在なんだナマァ」
「ちょ、ちょっと待って、今メモするから」
ウィルのように頭の回転が速くない自分では聞いただけの情報をしっかり理解出来るとは思わなかった。マナはノームに一つ制止を向けると、近くの鞄を片手で漁り始めた。
イスキアの簡単な風魔法により傷の大部分は癒されたが、流れ出た血までは戻すことは出来ない。多少なりともフラつく身を内心で叱咤しつつ、やがて目的のものを取り出すと小さめのメモ帳と逆手にはペンを持ち構える。ノームはそんな彼女を何処かのほほんとした様子で見守り、短い手足を使ってチョコチョコと目の前に歩いてきた。円らな目はなんとも無害そうな印象を与えてくる。このような可愛らしい生き物があのような恐ろしい姿をした獣に変貌してしまう――それを考えると、仔細は分からずとも負の感情の恐ろしさがなんとなく分かる気がした。
「四神柱は、この世界を支える存在なんだナマァ」
「えっと……具体的には?」
「例えば、風の神柱はこの世界に酸素や風を齎す存在なんだナマァ。水の神柱は海や水の恵みを、火の神柱は炎や気候を齎し、司る存在だナマァ」
「じゃあ……もし風の神柱がいなくなったら、あたし達は呼吸さえ出来なくなるって言うこと?」
「そうだナマァ、酸素がなくなって窒息するナマァ」
ノームが語る言葉は俄かには信じられないことだが、イスキアもライオットも特に訂正するようなことはない。恐らくは真実なのだろう。――とは言っても、はいそうですかと信じるのは難しい話なのだが。
「タイタニアは地の神柱だナマァ、この世界の地上……大地を司る存在なんだナマァ。タイタニアがいないと大地は崩れて、地上の生物はみんな海に投げ出されるナマァ」
「うげ……で、でも、そのタイタニアって今は眠ってるの?」
取り敢えずとノームの話を聞きながら、マナは手にしたペンでメモ帳へと内容を記していく。お世辞にも綺麗な字とは言えずミミズが走ったような文字列となってしまっているが、本人は特に気にしていないようだ。自分が読めれば良い、マナはそういう大雑把な性格だ。
そこで、マナはつい今し方イスキアが話していた言葉を思い返しながら再度疑問をぶつけた。イスキアは確かに、タイタニアが眠ったと言っていた筈である。
「タイタニアは負の感情に冒されないように眠りについたのよ」
「負の感情に……冒される? さっきのノームみたいなこと、かな……?」
「そうだナマァ、タイタニアが負の感情に冒されたら大地は崩壊して……どんな恐ろしいことになるか分からないんだナマァ」
「うに、それでタイタニアは眠ることにしたんだに。この世界の大地を守る為に」
今の話から分かったのは、タイタニアと言う地の神柱はこの世界の大地を守る為に眠ったと言うことだ。
地上に生きる生物は、大地がなければ生きてはいけない。人間達のことを考えてのことなのか、はたまた別の理由があってのことなのかは分からないが、それでもこの話が真実なのだとすれば――人間には非常に有り難いことである。
タイタニアが負の感情に冒されてしまったらこの世界の大地は崩壊し、地上の生物は海に落ちることになる可能性が濃厚なのだから。
そうなってはマナ達はもちろん、全ての人間が滅んでしまう。
そこまで考えて、マナは深々と溜息を吐いた。
「もう、あたしの頭では何がなんだか……」
「うふふ、ジュードちゃんやウィルちゃんが起きたらまた話してあげるわ」
やはり自分では理解がイマイチ難しい――そう思いながらマナは片手で己の頭を軽く掻き乱す。ある程度は大雑把にでも理解はしたが、それでも本当のことなのか否か、その判断はどうにも難しい。
尤も、イスキア達が嘘を教えて、それで彼らにどのようなメリットがあるのかも分からないのだが。
するとイスキアはふんわりと穏やかに笑い、マナの身に視線を合わせた。
「ノームを助けてくれてありがとう、マナちゃん。街に着くまで、あなたも少し休んだ方がいいわ」
「あ、はい。……こちらこそ、助けてくれてありがとうございました、イスキアさん」
確かに、マナの身に蓄積された疲労はかなりのものだ。街がどのような状況かも完全に把握出来ていない以上、戻ってから何をすれば良いかも分からない。
取り敢えずジュードとウィルを休ませる必要はあるが、果たして身を休められるような場所はあるのかどうか。カミラやルルーナ、それにシルヴァは大丈夫なのか。色々と心配は尽きない。
「(でも、あれこれ考えてても仕方ないのよね……確かに、今はちょっとでも休んでおいた方がいいか)」
整理したい情報は色々と山のようにある、イスキアに聞きたいことも、だ。
だが、どうせならジュード達が目を覚ましてから落ち着いた場所で話す方が良い。
そう答えを導き出すと、マナは特に抗うことなく小さく頷き近くの壁に凭れ掛かった。
馬車の手綱は今もまだリンファが握っている。一定の間隔で揺れる馬車内部は、多少なりとも雑ではあれど疲労困憊した身には揺り篭のように感じられる部分もある。
程なくして押し寄せてきた睡魔に逆らうような気もなく、マナは双眸を伏せるとそのまま浅い眠りへと落ちていった。