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第三十話・牙を剝く風


 ジュード達と別行動を取るカミラ達は、荒れ果てたアレナの街で依然として奮闘を続けていた。

 水が出なくなった井戸はともかくとしても、倒壊した家屋の中に取り残された生存者を探したり、怪我人の手当てをしたりと右に左にとほとんど休みなく奔走している。カミラの呼び掛けに応じた街の男達は、あれからの時間で何人もの生存者を救出することに成功。崩れた家屋の破片で致命傷を負い、見つけた時には既に息絶えてしまっている者も数人はいたが、確かな生き残りも存在していたのである。

 一人、また一人と生存者を見つけ救出した時の住民達の喜びようは、非常に大きなものであった。「よかった、よし次だ」そんな喜びや活力に溢れる声を聞きながら、ルルーナは幾分複雑な表情を滲ませる。


「(……さっきまであんなにいきり立ってた連中だって言うのに……今では子供みたいに目をキラキラさせて団結してる。カミラちゃんって、不思議ね……)」


 今の街の男達は、先程まで崩壊した街の惨状を前に絶望していたとは思えないほどに活力に満ち溢れていた。生存者を見つける度に「大丈夫か、しっかりしろ」と必死に声を掛けながら、カミラの元へと運んでいく。瓦礫を素手で掻き分けて男達の指先や爪は黒くなり、そしてボロボロだ。それでも彼らは生存者の捜索を決して止めようとはしなかった。同じ街に住む仲間を助ける為に必死になっているのである。

 しかし、そんな彼らの頑張りを見てルルーナの表情は暗くなっていくばかり。――彼女は理解しているからだ、この地の国グランヴェルが『どのような国』であるのか、を。

 それでも、必死になって生きようとしている彼らを前にそれを口に出来るほど、ルルーナは冷酷にはなれなかった。


「(これからのことは、ジュード達が戻ってからでも話せるものね……今は取り敢えず、連中を手伝うのが先かしら)」


 そこまで考えて気になるのは、カミラのことだ。彼女はもうずっと、休むこともなく怪我人の治療をしている。彼女の調子は大丈夫だろうかと、ルルーナはカミラの居る方へを視線を投じた。

 ――が、彼女の紅の双眸は思わず驚愕に見開かれた。


「――カミラちゃん! 危ない!!」


 怪我人を休ませる為に設けた一角――宿の前に作られた簡素な休憩場所を目掛けて、近場の半壊した家屋の壁が崩れ落ちたのだ。

 あの巨大な地震により崩壊した家屋の群れは完全に崩れたものもあれば、不安定な形で留まったものも数多く存在する。その内の一つが、今まさに崩れてきたのだった。その大きさはかなりのものだ、簡単に見てもカミラの身の倍はあろうかと言うほどのもの。そんなものが高い位置から彼女や怪我人に直撃すればどうなるか、考えなくとも理解は出来る。

 ルルーナは咄嗟に声を上げたのだが、彼女の居る場所からカミラ達の元までは結構な距離がある。走ったところで間に合いそうもなかった。


「……っ!」


 鼓膜を揺らしたルルーナの声に、カミラは慌てて顔を上げはしたが――気付いてから反応するのでは遅過ぎた。自分達の元へ真っ逆さまに落ちてくる瓦礫にカミラは双眸を見開くと、それまで自分が治療をしていた怪我人を両腕で抱き込み、顔を伏せて身を縮める。

 そのようなことをしても衝撃は大して防げないのだが――それは人間が持つ防衛本能だ。咄嗟の判断である。カミラは訪れるだろう衝撃を予測して奥歯を噛み締め、固く双眸を伏せた。


「…………あれ……?」


 しかし、いつまで待っても彼女の身に思ったような衝撃は訪れなかった。

 カミラはやがて小さく声を洩らしてそっと顔を上げる。一体どうしたのだろうか、そんな疑問が声に滲んでいた。

 だが、恐る恐ると言った様子で顔を上げた彼女の視界に映り込んだのは、大地から伸びた見事な氷柱。その氷柱がカミラ達の元へ落ちてきた壁の残骸を支え、そして凍り付かせることで受け止めていたのである。

 そして、その氷柱の傍らには見覚えのある男が一人立っていた。


「……! あ、あなたは……!」


 カミラが上げた声に振り返った男は、以前見た時と変わらず――何処までも無感情な瞳をしていた。


 * * *


 一方でジュード達は、自分達の前で起きた光景に身の痛みも忘れて瞠目していた。マナ、リンファ、ジュード。その場に居た誰もが双眸を見開き、呆気に取られたように完全に言葉を失っていたのである。

 なぜなら、ウィルに襲い掛かったアグレアスの身が突如として後方に吹き飛んだからだ。

 そしてそれはアグレアスの一番近くに居たウィルも同じで、不意に飛んだその巨体に口を半開きにさせて呆然としていた。一体何が起きたのか全く分からない、そんな様子で。

 当のアグレアス本人は不意に後方に飛ばされた自分の身に、やはり疑問符を滲ませながら空中で器用に体勢を整えて無事に着地を果たした。自分が降りた場所とウィルが立っている場所を確認すると、七メートル以上は飛んだと言える。一体何が起きたのか、アグレアスは疑問を抱きながら逆手を己の胸部に触れさせた。

 確かに、その箇所に何か強い衝撃を受けたのだ。その影響で大きく吹き飛ばされた。それが分からないアグレアスではない。


「な、なんだ……? 俺、特に何もしてないぞ……」


 ウィルは双眸を丸くさせたまま、思わず愛用の得物を見下ろしはするのだが――例え自分の攻撃が直撃したとしても、あのアグレアスをあそこまで吹き飛ばせるなどとは当然ながら思ってはいない。

 ならば、一体なぜアグレアスが吹き飛んだのか。疑問は当然ウィルの頭にも浮かんだ。しかし、その理由もすぐに知れることになる。

 ふと、聞き覚えのある声が聞こえてきたからだ。


「――うふふ、精霊の気配がおかしいから様子を見に来たんだけど……正解だったみたいね」

「え……」


 不意に鼓膜を揺らした声にウィルは小さく声を洩らすと、先程自分達が入ってきた入り口へと視線を投じた。

 すると、そこには――目も覚めるような鮮やかな緑が靡いていたのである。柔らかそうな長い緑の髪、橙色の衣服の上に淡い黄色のスカーフを纏った姿。それは、これまで何度もジュードや仲間の危機を救ってくれた存在だ。


「イ……イスキア、さん……!?」

「はぁ~い、ジュードちゃん! お久し振り、逢いたかったわあぁ!」


 ジュードは思わずその名を呼んだが、呼ばれたイスキア本人はと言うと――その場に不似合いなほどにはしゃいだ声を上げて、表情には満面の笑みを浮かべながら大きく両手を振った。放っておけばその場でぴょんぴょんと飛び跳ねそうな勢いである。

 逢いたかったも何も、勝手に居なくなったのはそっちなんじゃ。マナは思わずそんな言葉が口を突いて出そうになったが、特に余計な口を挟むことはしなかった。なぜなら、それよりも先にアグレアスが動いたからである。


「なんだ、貴様は! 女だろうが邪魔をするのなら容赦はせんぞ!」

「――イスキアさん!」

「あら、アタシを女扱いしてくれるの? やっだ、嬉しい!」


 勝負に水を差されたとでも思ったのか、アグレアスは忌々しそうに奥歯を噛み締めると、今度は強く大地を蹴りイスキアに斬り掛かるべく駆け出した。確かに傍目には女性のように見えるのだが――騙されてはいけない、イスキアは女性ではなく男。つまりは『オネェ』なのだ。

 ウィルはイスキアの元に駆け出したアグレアスを見て、咄嗟に彼女に――否、彼に声を上げた。だが、当のイスキア本人はと言えば、猛獣のような勢いで駆けてくるアグレアスを前にしても怯えると言うことはなかった。それどころか、愉快そうな笑みを表情に滲ませたまま、振り下ろされた剣を難なく脇に避けることで回避したのである。

 アグレアスは矢継ぎ早に切り返し、縦に、横に、斜めにと次々剣を振るうのだが、イスキアは楽しそうに笑みを浮かべながら軽やかな足取りでそれを避けるばかり。その様子からは苦労して回避していると言うような雰囲気は微塵も感じられず、まるで子犬がじゃれてくるのを軽々いなしている――そんな様子であった。


「な……ッ!? なんだと!?」

「んもう、乱暴ねぇ。勢いだけのオトコってモテないわよ」

「コイツ、ふざけたことを!」


 まるで物ともしていない様子に咄嗟に声を上げたウィルはもちろんのこと、そこに居合わせた誰もが双眸を丸くさせてその光景に見入っていた。

 ライオットは倒れ込んだままのジュードの傍らへ戻ると、何処か安心したように小さく一つ吐息を洩らす。


「うに! イスキアが来たならもう大丈夫だに!」

「え……ライオット、イスキアさんって……一体……」

「あのアグレアスってヤツにとって、イスキアは何より怖い存在の筈だによ!」


 その言葉に、ジュードは依然として疑問符を滲ませながらその視線を改めてイスキアへと向ける。するとその刹那、アグレアスは渾身の力を込めて両手で大剣を振るった。身体を斬り付けようと言うのではない、さっさと首を叩き落してしまおうと――問答無用に、イスキアの首を目掛けて。

 だが、その一撃さえもイスキアは双眸を笑むように細めて小さく笑うのみ。軽やかに地を蹴り跳び上がると、アグレアスの頭を踏み台にして彼の後方へと更に大きく跳んだのだ。


「ぐッ!?」

「あら、なんて踏み心地の好い頭なのかしら」

「き、貴様アァ……ッ! よくも、この俺をコケに……!」


 イスキアが跳んだ先はジュードの元ではない、ウィルの傍らであった。跳躍ではなくまるで飛行するような、何処までも軽やかな動作でやってきた彼にウィル自身もまた呆気に取られたまま思わず数歩後退した。

 そんな彼を見てイスキアは幾分不服そうに頬を膨らませると、逃がさないとばかりに片手をウィルの背中に回し、そのまま脇腹に片手を添えて身を寄せる。「ひ」とウィルから引き攣ったような声が洩れたが、イスキアが特に気にするようなことはなかった。


「ウィルちゃん、一撃で決めるわよ」

「……え」

「だーいじょうぶ、アタシがちゃんとサポートしてあげるから」


 突然向けられた言葉に、ウィルは何を言うのかと目を白黒させながら彼の風貌を横目に見遣る。見れば見るほどイスキアは大層美しい女性のようには見えるのだが、これは男なのだと自分に言い聞かせた。

 アグレアスは踏み付けられた己の頭頂部を片手で押さえ、ゆっくりとした動作でウィルとイスキアを振り返る。その風貌には先程までの余裕はなく、憎悪が滲んでいた。圧倒的な力の差に優越を覚えていたにも拘らず、それを女に覆されたとあれば彼のプライドが許さないのだ。――尤も、女ではないが。

 そして今度こそ斬り捨てるべく、再び大剣を手に駆け出してきた。


「ウィルちゃん、槍を構えて。アタシが合図したら思いっきり突き刺してやりなさいな」

「え、でも……えっ……!?」


 悪鬼の如く――まさに鬼の形相としか言えない様子で二人の元に駆けていくアグレアスを見て、ジュードは大地に両手をつくと半ば無理矢理に身を起こした。何も出来ないと分かってはいても、ただ黙って見ていることは彼にとって苦痛でしかなかったのだ。


「ウィル……ッ、イスキアさん!」


 ウィルはそんなジュードの声を聞きながら、憎悪を醸し出して襲い来るアグレアスを瞬きもせず睨み据えた。なんとかなるのかどうかは分からないが――今はイスキアの言う通りにする以外に道はない。

 「今よ!」と上がった傍らからの声は、ウィルが思ったよりも随分と早かった。思い切り突き刺せ、とイスキアは言ったが、この距離では槍の先がアグレアスに全く届かない――それほど距離が空いた状態で声が掛かったのだ。

 しかし、ウィルは言われるまま手に持つ槍を思い切り突き出した。もうどうにでもなれ、そんな気持ちで。


「――が……ッ! がああああぁッ!!」

「な……っ、なんだ!?」


 だが、ウィルやジュード達の予想に反して、ウィルが突き出した槍からは淡い薄緑の突風が噴き出し、突撃してきたアグレアスの身を襲う。突風は風の塊の如くアグレアスにぶち当たり、突き出された勢いそのままに彼の身を貫通したのだ。それはまるで、巨大な風の槍のようであった。

 直撃した箇所から、まるで全身がひび割れたかのような激痛を覚えてアグレアスは唸るような悲鳴を洩らす。

 再び――今度は先程よりも派手に吹き飛び、胸部から血飛沫を上げるアグレアスを見てジュードは思わず絶句していた。そして暫しの空白の末、傍らのライオットを見下ろす。


「ライオット、イスキアさんは……まさか……」

「うに、イスキアはあれでも風の大精霊だによ! 地属性を持つアグレアスにとっては天敵と言っても良い存在だに!」

「だ、大精霊……」


 氷の大精霊と言われたシヴァと行動を共にしていた以上、イスキアも精霊か――もしくは精霊に関係のある存在なのでは、とジュード自身も思っていたことではある。

 しかし、シヴァと同等の力を持つ大精霊だとは思っていなかったのだ。強大な力を持つ大精霊が二人セットで行動しているなどあまり考え付かない。

 イスキアが持つ風の力は、ウィルの槍を通して見事にアグレアスの身に叩き込まれた。思い切り飛ばされた身に走る激痛にアグレアスは強く咳き込みながら、上体を起こして忌々しそうにイスキアを睨み付ける。


「まだやるの? 今のを喰らっちゃったら、もうマトモに戦えないわよ。それとも、ココで始末しちゃう方がいいのかしら」

「い、今のって……?」

「うふふ……鎧破壊(アーマーデストロイ)って言う風の技の一つよ。どれだけ頑丈な守りであろうと、あれを一発でも受けると全く意味を成さなくなるわ。今の彼はどんな攻撃だって激痛に感じるでしょうね」

「す、すごい……」


 これまでの絶望的な状況をあっという間にひっくり返したイスキアの力に、マナは思わず感じたままの感想を洩らした。今も確かに身に痛みは感じるのだが、大精霊と言われた彼の圧倒的な力に多少なりともその痛みは飛んでしまっている。

 アグレアスは奥歯を噛み締めて固く拳を握り締めると、胸部から止め処なく溢れ出す鮮血にさえも目もくれず、突き刺すような鋭い視線をイスキアに向けた。だが、彼の言葉通りアグレアスの身には絶えず激痛が走っている。貫かれた箇所を中心にその痛みは全身へと広がり、これ以上の戦闘は無理だと身体が訴えていた。二度の失敗などアグレアスのプライドが許さないが――与えられた役目を果たせずに戦死すると言うのは、もっと許せないこと。

 アグレアスは忌々しそうに舌を打つと、ゆっくりとした動作で立ち上がった。


「この俺が……ッ、まさか今回も退くことになるとは……覚えておけ、貴様ら必ず……後悔することになるとな……ッ!」

「……っ」


 ウィルは燃え盛るようなアグレアスの双眸を見据えながら、緩く口唇を噛み締めた。何か言い返そうとは思ったのだが、既に彼の意識が限界を迎えていたのだ。

 アグレアスが黒い魔方陣に包まれてその場から消えるのを確認し、ウィルの手からは槍が落ちる。それと共に崩れ落ちるのを見遣り、イスキアは慌てて彼の身を支えた。


「ウィル!」

「……大丈夫よ、マナちゃん。気を失ってるだけだから」


 そんな様子を見てジュードやマナ、リンファは思わず息を呑んだ。

 先程からのあの戦闘の上、腹部や利き腕からは依然として出血が続いている。最悪の状況を想像したのだ。だが、そんな不安もイスキアから返った言葉に即座に安堵に変わる。

 イスキアは糸が切れたように意識を飛ばしてしまったウィルの身を支えながら、優しく微笑み掛けて静かに言葉を紡いだ。


「ウィルちゃん、……ナイスファイト」


 ウィルはもちろんのこと、ジュード達もボロボロだ。

 しかし、死者を出さずに済んだのは不幸中の幸いと言えた。それもウィルが諦めずに立ち向かったからだと、そう思ったのである。

 気を失った彼の身を背負い、イスキアはジュード達の元へと足を進めた。



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