第二十八話・地のアグレアス再び
地のアグレアス。
その強さは、実際に刃を交えたウィルだからこそ痛いほどに理解していた。
そして、恐らく勝てない相手だろうと言うことも。
だが、それでも。ジュードが戦えない以上、自分達がどうにかしなければならないのだとも思っていた。
「フン、まだまだ俺の相手が出来るほどとは言えんなァッ!」
「――くッ!」
アグレアスは己と真正面から対峙するウィルに狙いを定めると、両刃の大剣を軽々と片手で持ちながら勢い良く駆け出してくる。両手で扱わねば狙いも威力も定まりそうにないとさえ思えるほどの大剣を、至極当然のように片手で振り回しながら矢継ぎ早に攻撃を叩き込んでくる様は、まるで猛獣だ。本来隙が多い筈の大剣を自由自在に振り回して攻撃を繰り出してくる。
一撃でも深く入れば、命を落とす可能性が濃厚だ。死を告げる死神の鎌の如く黒光りする刃が、見る者に恐怖を与える。力にものを言わせて無遠慮に振り下ろされる刃を、ウィルは全神経を集中させてなんとか寸前でいなし続けていた。アグレアスは前回刃を交えたウィルに集中的に攻撃を集めている為、両脇からはリンファとマナがそれぞれ打撃と魔法による攻撃を向けてはいるのだが、それはアグレアスの注意を引く要因にさえならないようである。ただ薄ら笑みを浮かべてウィルへ目掛けて刃を振り下ろし、そして真横に薙ぎ払ってくるのだ。
その上、アグレアスの表情や言葉からは余裕さえ感じられる。恐らくこれは彼の本気ではない、様子見程度のものだろう。
「(なんてバカ力だよ……ッ! こんなモン何回も受けてたら、腕がおかしくなっちまう!)」
交信状態を除けば、ウィルはジュードよりも腕は上なのだ。その彼であっても、アグレアスの重過ぎる一撃には腕が――否、身体が悲鳴を上げていた。槍の柄を両手でしっかりと握り締めて攻撃を受け止める度に、両手から肩に電気でも走ったかのような痛みと痺れが伝わった。
ウィルはジュードやリンファと異なり、どちらかと言えばパワーファイターだ。しかし、同じタイプと言えるアグレアスとの差はこうも大きい。それを痛感してウィルは憎々しげに一つ舌打ちを洩らす。
「(相手が魔族だってのは分かってるが、それでもこんなに……こんなに違うものなのかよ!!)」
普段、常に一歩退いた位置で仲間を見守ることの多いウィルとは言え男だ。こうも力量に差があるのだと思えば、プライドを刺激される。それが例え自分とは異なる『魔族』と言う存在であっても、だ。
「全く堪えてない……嘘でしょ……!?」
「いえ、私達の攻撃はほとんど……効いているように見えません……!」
一方でリンファとマナは自分達の方には見向きもしないアグレアスの背中を悔しそうに見つめていた。どれだけ攻撃や魔法を叩き込んでも、アグレアスはこちらを振り返ると言うことさえしないのだ。
ただ新しいオモチャでも見つけた子供のようにウィルに興味を抱き、ただただ攻撃を繰り出している。アグレアスが振り下ろした剣は、嘗てのように大地に衝突するなり爆発するように地面が爆ぜる。その際に飛び散る大小様々な破片によりウィルはもちろんのこと、アグレアス自身もある程度のダメージは受けている筈なのだ。それに加えて、マナとリンファの攻撃も受けている。
だと言うのに、当のアグレアス本人には苦痛の色さえ滲んでいない。
化物だ――口には出さないが、リンファは純粋にそう思った。
「こんな男を、あの時ジュード様は……」
リンファが小さく洩らした呟きに、マナは愛用の杖の先端に意識を集中させていきながらしっかりと一度だけ頷く。
だが、そこで。ふと彼女の頭には一つの疑問が湧いた。
「(……でも、ジュードが交信したのって……いつが最初なの? あの時は精霊なんて……)」
ジュードが異常な力を発揮したのは、吸血鬼と対峙した時が最初だ。幼い頃から彼を知っているマナであっても、それ以外であのような異変を来したことはないと記憶している。
だが、交信や精霊とのコンタクトは吸血鬼騒動の前には一度たりともなかった筈だ。それなら――――
「(なら、あの時ジュードは……一体何と、誰と交信してたって言うの……!?)」
精霊や魔族のことなど、様々な出来事があって仲間も失念していたと思われる。あの時は、まだ精霊と遭遇したことさえなかったのだ。
しかし、あの吸血鬼との戦いに於いても、その後のアグレアスとヴィネアとの戦いでもジュードは圧倒的な強さを誇り、絶望的な状況を打破してみせたのである。当時は仲間の無事に安堵し喜ぶだけしか出来なかったが、よくよく考えてみればおかしな話だとマナは思った。
だが、忘れてはいけない。今は、決して油断の出来ない戦いの真っ最中なのだと言うことを。
「マナ様! 何か来ます!」
「……え?」
間近から聞こえたリンファの声にマナは慌てて意識を引き戻し、その視線を改めてアグレアスへと投じた。すると彼は、黒光りする大剣を両手で持ち、高く掲げている。
一体何をするのか――そう思いはしたものの、それはすぐに知れる。
「これに耐えられるかな? 喰らえ、グランドバースト!」
アグレアスは高く掲げた剣を、勢い良く足元の大地へ突き刺したのだ。
それと共に、アグレアスのいた場所を中心に大爆発が起きた。大地が大きく爆ぜたのである。その爆発と衝撃は広く作られていた筈の空間全てに広がり、間近で交戦していたウィルは無論のこと、リンファやマナ――到底戦える状態ではないジュードさえも、ちびや精霊二人と共に巻き込んだ。
彼らの身は衝撃によりいとも容易く、まるで塵屑のように吹き飛ばされ、それぞれ岩壁に身を強打する。幸い魔法ではなく物理による攻撃のようだが、物理的な攻撃に弱いマナにとっては何よりも重いダメージとなった。
しかし、だからと言ってウィルやリンファにダメージがないと言う訳ではない。アグレアスの放ったグランドバーストの衝撃を受けた身は激しく痛んだ。まるで全身を強打し、打撲したかのように。
特に一番近くにいたウィルは軽い脳震盪さえ起こし、今にも意識が飛んでしまいそうな状態であった。だが、身に走る激痛がそれを許してはくれない。
リンファやマナに至っても、意識を飛ばしてしまうと言うようなことはなかったが、全身の激痛で起き上がるどころか身動きさえままならない様子であった。
「フン、所詮人間など……この程度と言う訳だな」
アグレアスは己の攻撃により簡単に吹き飛んだウィル達を見て、小さく――そして何処か失望したように吐き捨てた。己の好奇心を刺激し、戦いへの欲を満たしてくれる存在はいない、そう認識してのことだ。
そうなれば、彼の用事は他にはない。
「う……ッ、ま……待て……」
ウィルは、ジュードの元へ向かい始めたアグレアスを見て、掠れた声で言葉を向けた。だが、既にアグレアスの興味はこの場の誰にも向いてはいない。
未だ倒れたまま起き上がれずにいるウィルを肩越しに振り返るのみで、特に足を止めたりはしなかった。
「ガウゥッ!」
「く、来るなに! あっち行けに!」
「そうだナマァ、ダメだナマァ」
一方でちびやライオット、ノームは同じくうつ伏せに倒れたまま動けずにいるジュードの傍らに立ち、必死にアグレアスを威嚇していた。ジュードを守ろうとしているのだとは容易に窺えるのだが、その背丈や姿形の影響で全く効果を成さない。――その口調もあると言えるが。
ちびも、アグレアスから見ればただの魔物の一匹でしかないのだ。
ライオットもノームも、先の戦いで既に力が残っていなかった。ライオットはジュードとの交信で、ノームは先程の戦闘ですっかり疲弊してしまっていたのである。
アグレアスはそんなライオットとノームを見下ろすと、特に目を惹くライオットを片手で掴み上げる。
「や、やめるに!」
当のライオットは短い手足を必死にバタつかせて抗議の声を上げたが、アグレアスの興味は特に刺激されることはなかったらしい。すぐに地面へとその身を投げ捨てた。
放られたライオットは一度地面にぶつかった拍子にバウンドし、何度か転げ回ってようやく落ち着く。もっちりとしたその身は、先のグランドバーストでもそう大きなダメージを受けてもいなかった。だが、ライオット一人でアグレアスを止められる筈もない。
「ガウウゥッ!」
「フン――ゴミばかりだな、雑魚がどれだけ集まろうが結局は雑魚のままよ」
「ナマァ! やめるナマァ!」
次にアグレアスは、飛び掛かってきたちびを片腕で振り払うように殴り飛ばした。そして片足でノームを踏み付け、グリグリと捻るように何度も足を押し付けて喉の奥で低く笑い声を洩らす。踏み付けられたノームは円らな瞳からポロポロと涙を零し、やはりライオットと同じように手足をバタバタと忙しなく動かした。
それを見たジュードは起き上がることは出来ぬものの、無理矢理に手を動かしてノームの身を掴む。そして軽く勢いを付けて、自分の方へと引っ張り込む形で救出した。それと同時に軽くバランスを崩したアグレアスではあったが、すぐにその風貌には薄い笑みが浮かぶ。
アグレアスにとって、今のジュードは全く怖い存在ではない。嘗て水の国の森で遭遇した時のような圧倒的な力は、今の彼では出せないだろう。そう理解してのことである。
ジュードは震える両手でしっかりとノームを抱き締めると、顔だけを上げてアグレアスを睨み上げた。だが、それに対してアグレアスは愉快そうに鼻を鳴らして笑うばかり。睨むその行為さえ、彼の愉悦を煽る要因にしかならなかった。
「ククッ、その状態では何も出来まい」
「……っ、くそ……ッ!」
アグレアスは双眸を細めて笑うと、ライオットと同じように今度はジュードの頭を片手で鷲掴みにした。そして、片腕一つでその身を掴み上げてしまったのだ。既に力もあまり入らないのか、それと共に彼の手からはノームがぽろりと落ちた。
ジュードは別に体重が軽い訳ではない。だと言うのに、片手一つで軽々と掴み上げてしまえるアグレアスの腕力が非常に高いのだ。
頭、と言うよりは髪を掴まれて、ジュードは痛みに表情を歪ませる。ただでさえグランドバーストによる一撃で、全身に激痛が走っているのだから。更に彼の場合は、魔法を受けたことで常の高熱にも支配されている。状態は最悪と言えた。
「さあ、アルシエル様がお待ちだ」
「ぐ……ッ、は、なせ……!」
「クク……この俺が、離せと言われて離す奴に見えるか?」
ウィルはそんな光景を、未だ立ち上がれずに倒れ伏したまま眺めていた。マナやリンファを見れば、彼女達も深いダメージから回復出来ずに苦しげに呻いている。
この状況でジュードを助けられるのは、やはり自分以外にいない。ウィルはそう思うのだが、身体が全く言うことを利いてくれなかった。
「(俺じゃ……やっぱり俺じゃ、あいつには勝てないのかよ……相手が魔族なのは分かってる、けど……!)」
そう考えた時、ふと彼の脳裏にはある光景が浮かんだ。
それは、大事な家族を失った時の痛ましい――悲痛な記憶のひと欠片。
グラムが偶然通り掛かったことでウィルだけは助かったが、彼の両親や最愛の妹はウィルにとって当たり前の日常から突然失われてしまった。
『――どうひっくり返ったって俺はただの人間で、世界なんてデカいモンを背負える訳がない。けど、自分の世界は守りたいんです』
『……自分の手が届く範囲のものを全力で守りたいんですよ、……大事なモンを守れないで泣くのは、もう充分なんで』
そして、次に浮かんできたのは――地の国に出発する朝、シルヴァと交わした会話。その際に自分が口にした言葉であった。
その言葉が頭に浮かぶや否や、ウィルは全身に熱が灯るのを感じる。それと同時に目の奥が熱くなり、頭で考えるよりも先に片手を大地につき無理矢理に身を起こしていた。
動く度に全身には依然として痛みが走るが、心なしか先程よりも幾分楽になっているような錯覚さえ感じるほどだ。歯を食い縛り、槍を支えになんとか立ち上がる。身体の痛みや、敵わないのかと言う絶望感など気にしてはいられなかった。
「……っ、待てよ! まだ……終わってないぞ!」
ジュードを助けたい。
ウィルの頭にあるのは、今はそれだけだ。
そんなウィルの声にアグレアスは静かに彼を振り返ると、一度こそ驚いたように双眸を丸くさせはしたが、すぐに口元に薄く笑みを滲ませジュードの頭から手を離した。それと共に重力に倣いジュードの身は再び大地へと落ちる。ライオットとちびはそんな彼の傍らに寄り添い、必死に声を掛けていた。
ウィルの身は、既にボロボロだ。それでも、決して退く訳にはいかない。そんな意志を感じ取ってか、アグレアスは再び表情に笑みを滲ませると剣を片手にウィルへと向き直った。
「勝手に……勝手に、家族を連れて行かれちゃ……困るんだよ!」
「ククッ……如何にも人間らしい戯言だな。――いいだろう! 死ぬまで相手をしてやる!」
声を上げたウィルに対しアグレアスも吼えるように言葉を向けると、両手で剣を構えて再び彼の元へと駆け出した。それはやはり、猛獣のような勢いであった。