第二十七話・複数の世界
ジュードは岩壁に身を預けて凭れ掛かりながら、運ばれてきたノームを見つめていた。あれから比較的すぐに目を覚ましたノームは先程までの恐ろしい姿からは想像も出来ないほどに愛らしく――また、脱力してしまうような生き物だった。
ウィルの推測通り、ノームの姿はアリクイだ。薄らと黄色み掛かった身は丸みを帯びていて、柔らかい。開かれた眼は――開いているのか否か、よく確認しなければならないほどに小さく、円らなものであった。ややタレ目がちで、見るからにおっとりと優しそうな印象を与えて来る。
ライオットは酷評したマナであったが、ノームのことは純粋に『可愛い』と感想を洩らしたほどだ。
しかし、そんな可愛らしい外見を持つノームではあるのだが、一つ彼らの頭を悩ませるものがあった。それが――――
「ご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんナマァ」
「…………」
その語尾だ。
ライオットは何を言うにも語尾に必ず『に』が付くのだが、どうやらノームは『ナマァ』が付くらしい。一体何故なのか、それは誰にも分からない。可愛い、と言っていたマナもその語尾を聞いた途端に真顔に戻り、言葉もなく項垂れた。
――なんでナマ、どうしてナマ。一体何処から来た語尾なのか。そんな疑問が湧いては消えていく。どうせ考えても分かることではない。
ジュード達ならば脱力するだけで済むが、ルルーナはなんと酷評するだろうか。ウィルは苦笑いを滲ませながら、そんなことを考えていた。
「……上級精霊って、変なのしかいないの?」
「しっ、失礼だにっ! ライオットはどこも変じゃないに!」
「ノームも普通ナマァ」
「その語尾よ、語尾!」
マナが洩らした言葉に即座に反応したのはライオットだ。続いてのんびりとした口調ではあるが、ノームからも反論なのかどうか定かではない言葉が返る。おっとりとした語調から察するに、恐らくは反論ではなく素直な返事だと予想出来るが。
だが、これでは一向に話が進まない。そう思ったウィルは「まあまあ」とマナを宥めると、本題に入るべくノームに視線を向けた。
今はとにかく、ノームが何故あのような生き物になっていたのかを知ることが先決だ。話している間に多少は休憩にもなるだろう。こうしている間にもジュードの身には熱が募っている、あまりゆっくりとはしていられないのが現状だが。
「それで、お前はなんであんな姿になってたんだ?」
「何からお話しすればいいか分からないナマァ……」
「あー、順を追ってでいいさ。理解出来るかどうかは別としてもな」
ノームは地面に座り込むと、その円らな瞳でジッとウィルの顔を見つめた。何を考えているのかは分からないが、取り敢えず語尾さえ除けば可愛らしい。――否、この語尾も人によっては可愛らしく感じられるものなのかもしれない。
やがてノームは視線を地面に落として、静かに語り始めた。
「ノームは苦しかったんだナマァ」
「……苦しかった?」
「身体が思うように動かなくなって、苦しくて苦しくて、助けてほしくてずっと叫んでたんだナマァ」
語られる話は、なんとも取り留めのないものだ。自分の思うように身体が動かなくなった、そう言われて鵜呑みにする者はどの程度いるか。
ウィルはそう思いながらも、話の腰を折ることはしなかった。今現在ジュードが使いものにならない以上、彼の代わりに話はしっかりと聞いておかなければならないのだから。とは言っても、元気な時でもジュードは難しい話になると使いものにならない、それが悲しいところだ。
「……負の感情の所為だに?」
「そうだと思うナマァ、この辺り一帯は特に強いんだナマァ」
「……負の、感情?」
そこで口を開いたのはライオットだ。相変わらずのふざけた顔ではあるのだが、その声には何処か心配の色が滲んでいる。
だが、ライオットとノームの会話に疑問を抱くのは当然ウィルやマナ、リンファである。
「うに、多分蓄積した負の感情の影響だと思うに」
「負の感情……人が生み出す様々な感情のことですか?」
「そうだに、怒りや悲しみ、憎しみ……そういう感情のことを纏めて負の感情って言うによ」
ライオットの言葉にリンファは常の無表情のまま問いを向けるが、続く返答を聞くなりその表情は僅かながら曇る。彼女はこの地の国グランヴェルの現状をよく知っている存在だ、どれだけの負の感情が渦巻いているか、それを考えているのだろう。
「けど、誰でも負の感情は持ってるものだに。生きてる以上、感情が生まれるのは自然なことなんだに」
「そりゃ、そうだよな。それは大丈夫なのか?」
「ライオットさんの言うように、感情は人からは切り離せないものだナマァ。だから普通に生活してる分には問題ないナマァ」
「うに、けど一定以上の負の感情がその地に根付くと……色々な現象を引き起こすんだに」
仲間達の会話を朧気な意識のまま聞いていたジュードは、普段よりも更に輪を掛けて回転の鈍った頭で纏めていく。
ノームとライオットの話を纏めると、ノームは人々が生み出した負の感情により、あのような獣へと姿を変えて身体の自由さえ失ったと言う。
この地の国グランヴェルは、未だに奴隷制度が残る国。力のある者が弱い者を蹂躙する国である。その地に根付く負の感情はどれほどのものか、恐らくジュード達が想像出来るレベルではない。人道的に見て蹂躙する側が悪だとしても、生み出される負の感情量は恐らく蹂躙される側の方が遥かに上だ。
「……けど、負の感情って……そんなに影響があるのか……?」
「マスター、起きてたに? ……うに、そうだに。負の感情には本当にすごい力があるんだによ」
高熱で寝ていると思っていたジュードから声が掛かったことに、ライオットは驚いたように彼を見遣るが、一つ空白を要してからしっかりと頷く。
ジュードの顔はやはり不自然なほどに赤い、こんな状態の彼に必要以上の無理はさせられないと判断したのだ。言葉を口にするのも、今の彼には恐らく苦痛だろう。本当ならば意識を飛ばして楽になりたい筈だ。
「他の世界では、人が生み出す負の感情で荒廃した世界もあるって聞いたことがあるに」
「…………ちょっと待て、他の世界? 何の話だ?」
「うに、ライオット達が生きてる現在には、ここじゃない別の世界も存在するんだに。それはきっと星の数くらいあるによ」
突然のライオットの言葉に、ウィルは思わず口を挟んだ。
ここではない別の世界――話を聞いても、やはり素直に納得出来ないレベルのものだ。自分達が生きている以外の世界が別にある、そう言われて信じる者などいるとは思えなかった。
「……別の世界は、負の感情が原因で荒れたの?」
「ライオットも詳しいことは分からないに、でも負の感情にはそれだけの力があるってことは理解してほしいに」
「そう言えば、あのヴィネアと言う魔族が似たようなことを言っていましたね……」
別の世界など、なんとも途方もない話である。到底信じられない、と言うような表情を滲ませるウィルにライオットはしょんぼりと頭を垂れて呟く。
しかし、そこで口を開いたリンファに仲間の視線と意識は一気に彼女に集まった。
――ヴィネア。水の国の森でアグレアスと共に襲ってきた魔族である。彼女は以前確かに『人が生み出す負の感情が巫女の結界を消した』と言っていた。それを考えると、大体の話は合うのだ。あの場にライオットはいなかったのだから、嘘であればヴィネアと似たようなことを言うのはおかしい。
「そうだに、人が生み出す感情にはみんなが思ってる以上の力があるによ。でも、その為に四神柱が存在するんだに」
「どういうこと?」
「四神柱は世界に影響を及ぼさないように、人が生み出す負の感情を自分のところに集めて、それから然るべき場所に送って浄化するんだに。だけど――」
ライオットがそこまで言葉を連ねた矢先。不意に彼らの鼓膜を、聞き覚えのある声が揺らした。
それは聞き覚えはあるものの、出来るだけ聞きたくない――そんな声だ。
「――ククッ、集めても感情を浄化出来ないんじゃなぁ? どうしようもないだろうよ」
「!?」
ふと聞こえてきた仲間の誰のものでもない声に、ウィルやリンファは弾かれたようにそちらへ視線を投じた。
すると、つい先程自分達が入ってきた通路の入り口に、やはり見覚えのある男が立っていたのである。
何処か耳に心地好い野太い声、逆立った黄土色の髪、筋肉がしっかりと付いた太い腕。見るからにがっしりとしたパワーファイターの印象を与えてくるその男は――
「アグレアス!!」
「よぉ、小僧。随分と久し振りじゃないか。少しは腕を上げたか?」
つい今し方話題に上ったヴィネアと共にいた魔族、アグレアスであった。水の森で遭遇した際、彼の相手をしたのはウィルだ。その力が生半可なものではないこと、そして力の差がどれだけあるのか――それは刃を交えたウィルが一番よく知っている。
そして最終的に彼を追い払ったのは、ジュードのあの力によるものだ。そのジュードが高熱を出して倒れている今、状況は最悪と言えた。
あれから腕は上がったものの、ウィル達も先のノームとの戦いでボロボロだ。アグレアスと満足に戦えるような状態ではない。
だが、アグレアスが見逃してくれる筈もないのだ。ジュードが弱っている今の状況は、彼にとってこれ以上ない好機なのだから。
「死にたくなければ邪魔をせんことだな、俺の目的は贄を連れて帰ること――他の雑魚に興味はない」
そう告げながら緩慢な足取りで歩み寄ってくるアグレアスを前に、ジュードは眉を寄せて拳を握り締める。リンファの気功術で多少なりとも痛みは緩和されたが、高熱と眩暈ばかりはどうにもならないのだ。
なんとか立ち上がらないと――そうは思うが、彼の意志に反して身体は全く言うことを聞いてくれなかった。
しかし、そんな彼の視界に映ったのは、自分を庇うように立ち上がった仲間の姿だ。
「……聞いた? ザコですって。そりゃあジュードに比べればザコかもしれないけどさ」
「塵も積もればなんとやら、です。束になれば出来ることもあります」
「そうだな、仲間差し出して自分達だけ助かるなんて冗談じゃないぜ」
ウィル達は各々、利き手に武器を携えてアグレアスと真正面から対峙する。そんな様子を見てアグレアスは双眸を細めると、一つ「ふん」と鼻を鳴らした。だが、口元には確かな笑みを滲ませて背負う剣へと片手を伸べる。
「いいだろう、あの世で後悔するんだな!」
アグレアスは何かと好戦的な性格をしているのだ。自分の剣を振り回せる機会の到来は、彼にとっては喜ばしいこと。それが例え、彼自身が『雑魚』と認識する存在であっても、だ。
ウィルとリンファは愛用の得物を構え、マナはジュードを庇うように彼の正面に立ち、真っ直ぐにアグレアスを睨み付けた。