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第十五話・帰還


「腕、痛みますか?」

「まだちょっとね、でも大丈夫だよ」


 火の国の王都ガルディオンを発ったあと、メンフィスの用意してくれた馬車は余計な寄り道をすることなく、まっすぐに風の国ミストラルへと向けて走った。

 流石に途中で何度か街に泊まることにはなったが、行く時に比べれば随分と早い。


 馬車に揺られながら己の右腕を見遣るジュードに、カミラは心配そうに表情を曇らせながら問いを向けた。

 彼女のその様子に気付いたジュードは小さく頭を左右に揺らす。まったく問題ないとは言えないが、腕が動くだけ幸いだ。父グラムのように重い傷を負って鍛冶仕事ができなくなった訳ではないのだから。

 しかし、やはりカミラは心配そうだ。ジュードは困ったように眉尻を下げると、ふと思い出したように努めて明るい声を洩らす。


「あ、そうだカミラさん」

「は、はい。なんですか?」

「あの、さ。オレ……敬語とか使われるのあんま得意じゃなくて。ほら、育ちが育ちだし。だからカミラさんさえよければ普通に話してくれると嬉しいかな、って」


 育ちと言っても、カミラはジュードがどのような環境で育ったのかは知らないのだが。とにもかくにも、自分の右腕の傷から彼女の意識を外したかったのだろう。

 カミラは暫しの間ポカンと口を半開きにしてジュードを見つめていたが、やがて視線を下げてもじもじと軽く身を揺らした。その頬がほんのりと朱に染まっているのは見間違いではないだろう。


「わ、わかりまし――あ、わかっ……た」

「(ああ可愛い……)」


 見るからに気恥ずかしそうなカミラの様子は、やはりジュードの心をくすぐる。

 思わずだらしなく顔が弛みそうになるのをこらえつつ、ジュードは馬車に取りつけられている窓へと視線を投じた。 


「あ、見えてきたよ」

「あの村です?」

「そう。あの村から奥に登った先にあるんだ、オレの家」


 ジュードにとっては見慣れた、しかし懐かしくも感じる麓の村が見えてきた。ほんの数日離れていただけだというのに、やはり懐かしさを感じる。まるでもう何年も帰っていないかのような感覚だ。

 メンフィスが手綱を握る馬車は、まっすぐ村へと向かっていく。ジュードは馬車の窓から軽く身を乗り出して村を眺めた。


 王都ガルディオンは栄えていてよいところであるが、やはり田舎育ち山育ちのジュードにとっては、あまり賑やかすぎる場所よりも長閑な場所の方が落ち着くのである。

 どこか穏やかな表情で馬車の窓から村を眺めるジュードを見て、カミラもそっと笑う。


「ジュード、嬉しそう」

「う、うん、故郷だからね。やっぱり少しでも離れると懐かしくなるっていうか……」

「きっと素敵な場所なんですね、そんな風に思えるんだもの」


 そういえば、カミラは故郷に戻るために旅をしているのだった。軽率だったかとジュードは一度バツの悪そうな表情を浮かべるが、続いた言葉に多少の引っかかりを覚える。

 彼女の故郷は、素敵と称すには不似合いな場所なのだろうか。その言いようでは、まるで彼女は違うみたいではないか。

 問おうとしたのだが、馬車が止まるとそうもいかなくなった。どうやら村に着いたらしい。


「……行こうか」

「は、はい」


 ジュードはカミラに一声かけてから席を立ち、乗り口の扉を押し開く。

 馬車の周りには、既に野次馬が集まり始めていた。畑を耕していた村人や村娘、教会のシスターや子供たちなど様々だ。手綱を握っていたメンフィスが馬の後ろから降りた時など、村人たちは怪しむような様子を見せてはいたのだが、馬車の扉が開くと子供たちが我先にと声を上げた。


「あっ、ジュード! ジュードだ!」


 それは、教会でよく顔を合わせる子供たちだった。馬車を降りた彼に真っ先に駆け寄ると喜色満面といった様子で飛びつく。ジュードはそれを受け止めながら子供たちの頭をやや乱雑に撫でた。

 村人たちにも安堵が広がるのを見遣りながらジュードは後方を振り返ると脇に退き、降りやすいようにとカミラに手を差し出す。すると彼女は恥ずかしそうに辺りに視線を向けてから、その手を取り馬車を降りた。

 そうして自分に集まる視線に困惑したように視線を足元に落とし、慌てて頭を下げる。


「こっ、こんにちは」

「カミラさん、そんなに堅くならないで大丈夫だよ」


 見るからに緊張で凝り固まっている彼女に、ジュードは薄く笑うと緩やかに頭を左右に揺らした。

 そんな様子とやり取りを見て、未だジュードの身にくっついたままの幼い兄弟二人は互いに顔を見合わせ、彼の青いジャケットの裾を引く。そうして、不思議そうに軽く身を屈ませたジュードの耳元で一言。


「ねぇ、このお姉ちゃん。ジュードのカノジョ?」


 唐突な問いかけにジュードは吹き出し、そして咳き込んだ。

 ジュード自身も、カミラに強く惹かれていると自覚はしている。だが、なぜ周りの者はそういう話に持っていきたがるのか。

 ジュードは思わず頭を抱えたくなったが、聞き慣れた声が鼓膜を揺らすと、すぐに意識も切り替わる。


「……ジュード? ジュードか?」

「あ、神父さま……って! どうしたの、その腕!」


 それは、ジュードが日頃から世話になっている教会のジス神父のものであった。しかし、彼の姿を視界に捉えると、法衣の上に巻かれた包帯に真っ先に視線と意識が向く。

 肩辺りから手首までを覆う包帯だ、気にならない方がおかしい。どことなく顔色も悪く見える。ジュードは慌てて神父の傍へ駆け寄った。


「はは……大丈夫だ。ケガ人が出たから来てほしいと北の関所から頼まれてな、行ったらこの通りだ」

「北の関所? 魔物が出たの?」

「ああ……だが、大丈夫だよ。問題はない」


 北の関所といえば、水の国アクアリーへ通じる場所である。これまでも何度か魔物の襲撃はあったが、そう苦戦することもなかった。ましてや、このような辺鄙(へんぴ)な村にまで応援要請がくるなど普通は考えられない。

 火の国だけでなく、水の国にまで凶悪な魔物が出没するようになったのだろうか。そう考えてジュードは複雑そうに表情をしかめる。


 あとで情報を集めた方がいいかと思考しながら神父の様子を窺うが、どうやらケガよりも疲労の方が強いらしい。

 ジス神父は疲れたようにふう、と一息洩らしてから改めて口を開いた。目が微かに笑っていることから、不意にジュードは嫌な予感を覚える。


「それより、聞いたぞ。ジュード」

「……え、なにを?」

「お前、ノーリアン家のお嬢さんと婚約したそうじゃないか」


 メンフィスに似た表情、似た目をしていることから、なにか揶揄が飛んでくるだろうと覚悟はしていたが、数日離れていた神父に揶揄されることがなにかあっただろうか。そう考えながら身構えるジュードにまったく予想外の、しかも聞き捨てならない言葉が向けられた。

 ノーリアン家のお嬢さんといえば、他にいない。ルルーナのことだ。


 ――婚約。……婚約?


「ちょ、ちょちょ……っ! なんで、どうして!?」

「ルルーナさんから聞いたぞ、お前が将来旦那になるとかなんとか……」

「そうじゃないよ! なんだってそんな話になってんの!?」


 確かに、ルルーナ本人からは熱烈すぎるほどのアプローチを受けてはいた。

 だが、なぜ本人がいないのにそんな話になっているというのか。ジュードはルルーナから告白を受けた訳ではないし、付き合っているなどという事実もない。まったくもって聞き捨てならない話である。


 ジュードは自宅へ続く山道を睨むように見上げると、カミラとメンフィスを勢いよく振り返った。

 それまで成りゆきを静観していたメンフィスも傍に歩み寄ってきて、ニヤニヤと物言いたげな――しかし揶揄したそうな笑みを向けてくるし、一番聞かれたくない――疑われたくないカミラの耳にまで入ってしまって、状況はジュードにとって最悪と言えた。「婚約、婚約……」とカミラは譫言(うわごと)のように、そしておどろおどろしく呟いている。


 なにがどうなっているのか、さっぱりわからない。そう言いたげにジュードは拳を握り締めると、地を蹴り駆け出した。どういうことなのか、真偽を確かめなければ我慢ならない。


「カミラさん、メンフィスさん、行こう! こっちだよ!」

「……うん」


 先に駆け出すジュードの背を見つめてカミラは眉を寄せる、やや不貞腐れたように。メンフィスは勢いよく走り出すジュードの姿に思わず声を立てて笑い、傍らのカミラを促した。

 迷うことはなさそうではあるが、早く追わねばジュードの姿を見失ってしまいそうだったからだ。それだけ猛烈な勢いで、彼は自宅へと駆けていったのである。


 数日ぶりの故郷の空気など、今のジュードには堪能する余裕がなかった。



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