第二十六話・小さな精霊
「……ジュードが攻撃した直後に、同じところに叩き込めばいいのね……!」
ジュード達はそれぞれ、痛みで鈍くなりつつある身を必死に動かして獣と対峙していた。皆、決して浅くはない傷を負っている。本来ならば動くことさえ苦痛だ。比較的大きな動きをしないマナはともかくとしても、他の面子は我が身一つを使って戦うのだから。
スピード重視のジュードとリンファはそれぞれ足に深い傷を負ってしまった、これでは普段のヒットアンドアウェイさえ難しい。ウィルに至っても、パワーファイターにとって致命的とも言える腕や肩の負傷がある。二の腕に負った裂傷は特に深いもので、こうしている間も止め処なく鮮血が流れ出ていた。メンフィスに与えられた緑の騎士服には血がべっとりと付着してしまっている。
依然として獣は衰えを知らず、ジュード達の負傷など当然気に留めることはない。地鳴りのような雄叫びを上げて、何度も突進攻撃を仕掛けてくる。
「ですが、どこを狙うのですか?」
「あいつが立った時だ、腹のド真ん中を狙う!」
「少しでも皮膚が柔らかいトコを狙おうってんだな……」
「ガウッ!」
オーガのような二足歩行の魔物はともかく、通常四足で動き回る生き物は比較的腹部の皮膚は柔らかいものが多い。それは常日頃からちびとじゃれ合うジュードには、よく分かっていた。
大人しくさせるのであれば腹部か首元――そのどちらかを狙うのが最適なのだが、首元を狙った際、下手をすれば命を奪ってしまう危険性がある。止めてくれと言われても命まで奪う気は、当然ながらジュードにはない。ましてやこれが精霊である可能性もあるのだから。
この獣が、後ろ足二本で立った時が絶好のチャンス。ジュードには、もうほとんど時間は残されていない。早くしなければどんどん眩暈が強くなる。
ちびは先頭に立つジュードの前に出ると、四足歩行の身を更に低くさせた。頭上からの飛び掛かり――つまり、後ろ足で立つよう誘っているのだ。
そして、その狙いは見事なものだった。獣は視界の特に下方に映るちびの存在を認識したのか、後ろ足で立ち上がると再び雄叫びを上げてちびへと照準を合わせたのだ。猫が足元に物を転がすと同様の仕種をすることがあるが、それと同じと言える。
「――――ッ!」
獣が後ろ足だけで立ち上がった瞬間、ジュードは双眸を細めて狙いを定めた。右手に携えるアクアブランドの切っ先に意識を集中させ、刃に光の力を集結させていく。そしてその切っ先を槍の如く勢いを付けて突き出した。
「いっけええええぇ!!」
すると、まるでレーザー砲の如く白く眩い光がジュードの剣から放たれた。その光は彼が狙いを付けた獣の腹部へと見事に直撃し、溜めるに溜めた光の力がまるで波紋のように紫色の毛を散らせ、広がっていく。闇色に覆われた毛の下には、白い皮膚が覗いた。だが、それはすぐに紫色の体毛に再度覆われようとしていた。
「――今だ!」
その様子を目の当たりにして、声を上げたのはウィルだ。先頭では、力尽きたようにジュードが片膝をついて崩れ落ちている。
チャンスはこの一度きり、深く考えなくても理解出来た。
その声にリンファは大地を強く蹴って駆け出し、真っ先に攻撃へと移る。傷が痛むなどと今は言っていられないのだ。ジュードが作ったこの隙とチャンスを逃す訳にはいかない。
「行きます! ――月光掌!!」
リンファは高く跳躍し、今度は武器を使うことなく直接拳を獣の腹へと叩き込んだ。彼女の右手は蒼白い輝きに包まれ、その光はまるで夜空に浮かぶ月を思わせる。月光掌は先程まで彼女が使っていた――気功を操作して一時的に攻撃力を高める技と同様だ。違うのは、武器を通さずに直接拳で殴り付けると言うことだけ。
しかし、余計な物を挟まずに直接気功を敵に叩き込める為に、武器を使うよりも効果的と言えた。
リンファの重い一撃が見事に腹部に叩き込まれ、獣は伸び上がるように身を反らせる。闇色の毛に覆われていない皮膚の部分ならば充分なダメージがあるようだ。
リンファの後に続き飛び出したウィルはジュードを庇うように彼の数歩前に立ち、愛用の得物を構える。そして常とは異なり、槍の切っ先を突き出すのではなく、剣の如く薙ぎ払った。
「喰らえ! エアロスクリーミング!」
すると、薙ぎ払われた槍からは勢い良く風の刃が飛んだ。強力な突風がまるで叫び声のように聴こえることから付いた名前、シルヴァが彼に教えた最初の技である。シルヴァが扱うものよりも完成度は未だ低いが、威力としては充分だ。
風の刃が直撃した白い皮膚は鋭利な刃物で切り裂かれたかのように裂け、鮮血が噴き出す。それと共に獣からは苦しげな呻きが洩れた。
だが、ダメージを確認するよりも先にウィルとリンファは即座に後方へと飛び退く。マナの魔法に巻き込まれる訳にはいかないからだ。
二人が獣から離れるのを確認すると、マナは愛用の杖を高く頭上に掲げ、リンファとウィルが攻撃を叩き込んだと思われる箇所を目掛けて火の魔法を放った。
「これでも喰らいなさい! バニッシュボム!」
彼女が使った『バニッシュボム』は火属性の中級攻撃魔法の一つだ。凝縮した火の魔力を爆弾のように爆発させるものであり、単独の敵に甚大な被害を与えると共に爆発により周囲の敵をも巻き込む厄介な魔法である。
獣の腹部に出現したスイカ大ほどの大きさの火の玉は、サイズこそ獣から見れば小さめではあるものの、次いだ瞬間に爆ぜた威力だけは馬鹿にならないものであった。
勢い良く弾け飛んだ火の玉は辺りに衝撃波のような熱風を巻き起こす。ウィルは己の身を盾にしてジュードとリンファを庇い、ちびはそんな彼の傍らで吹き飛ばされぬようしっかりと四つ足を大地に張っていた。
立て続けに受けた攻撃で流石の獣もそれ以上は立っていられなかったか、天を仰ぐように仰け反り、そして荒れた地面へゆっくりと倒れ込んだ。重い打撃の直後の裂傷に加え、トドメに強烈な爆発だ。耐えるのは困難であったと思われる。獣は前足をピクピクと痙攣させながら、苦しそうに呻き声を洩らした。
――しかし、その直後のことである。
「……!? なんだ……!?」
不意に、獣の身が淡い輝きに包まれたかと思いきや、瞬く間にその巨体が消失してしまったのだ。
――否、消えたのではない。正確に言えば、縮んだのである。それはもう、先の巨体からは考えられないほどに小さく。そのサイズはライオットとほぼ同じと言えた。
そして、それを確認するなりライオットはジュードの中から飛び出ると大地に降り立ち、懸命に飛び跳ねながら訴え始める。
「うに、うにー! ノームだに!」
「……あれが?」
「そうだに、間違いないに!」
苦しそうなジュードの身を支えつつ、ウィルは飛び跳ねるライオットに視線を向けると幾分怪訝そうな面持ちでノームと呼ばれた生き物へ視線を投じた。
あの獣がノームだったのなら、先の姿は一体なんだったのか。当然ながら彼の頭にはその疑問が浮かぶ。遠目ではあるが、今現在彼の視界に映るノームは酷く小さい。色も先程までの紫とは異なり、やや黄色み掛かった身である。あの獣とは似ても似つかない姿だ。
「……終わった、のか……」
「ジュード、大丈夫か?」
「あ、ああ……いや、大丈夫とは言えないけど、……大丈夫」
「どっちなんだよ、ったく……」
それまで額の辺りを押さえて項垂れていたジュードも、周囲が静かになったことで戦闘が終了したと判断したらしい。ゆっくりと上げた顔は、やはり高熱の影響か普段よりも遥かに赤かった。見るからに大丈夫とは言い難い。
無論、大丈夫と言えないのはウィル達も同様なのだが、それでも戦闘が終わったことで多少の安堵感には包まれている。帰路につく前にウィルの治療魔法で傷をある程度治してから行けば、なんとかなるだろう。しかし、ジュードはそうもいかない。脇腹の傷は深く、更には熱も出ている。全く大丈夫ではないのだ。
それでも、やはりノームのことが気になるらしい。今にも飛びそうな意識をなんとか繋ぎ留めて、ジュードはライオットに声を掛けた。
「……ノーム、だったのか……?」
「そうだに!」
「でも、なんであんな姿に……」
「それはライオットにも分からないに……取り敢えずノームに話を聞いてみた方がいいに!」
そう告げると、ライオットは飛び跳ねるようにして倒れたままのノームの元へと駆け寄って行った。ジュードはそんな姿を見送ってから己も立ち上がろうとはしたのだが、それは傍らにいたウィルやリンファによって制される。
「俺が連れて来るから、お前はここで座ってろ」
「そうよ、無茶ばっかりするんだから……リンファ、疲れてると思うけど、ジュードの手当てをお願い」
「はい、分かりました」
呆れたように双眸を半眼に細めながらジュードにそう告げると、ウィルは静かに立ち上がってライオットの後を追い掛ける。彼自身も足に傷を負いはしたが、ジュードやリンファほどではない。ゆっくりとした動作であれば支障はなかった。
やがて行き着いた先では、黄色い物体――否、生き物がぐったりとしたまま地面に横たわっていた。腹部からは鮮血が流れ、小さな目は伏せられている。一見息絶えているように見えなくもないが、微かに――本当に微かにだが、腹が上下している様子を見れば生きていることが窺えた。
大きさはライオットとほとんど変わらない。先程の獣の状態ではなんの生き物か定かではなかったが、恐らく姿形はアリクイだ。――ライオットは相変わらず正体不明だが。
ウィルはその傍らに静かに屈むと、極力傷を刺激しないように緩慢な動作でその身を抱き上げた。
「おい、大丈夫か?」
依然としてぐったりとしたままのノームへウィルは静かに声を掛けたが、小さく呻くのみで言葉が返ることはなかった。
大丈夫なのか、マズいのではないのか。そう思いはしたのだが、ライオットは取り立てて慌てたりはしない。大丈夫、と言うことなのだろう。
そんな様子を横目に見遣りつつ、ウィルはノームを抱き上げたままジュード達の元へと足を向けた。