第二十二話・混乱する街
ジュード達がトレゾール鉱山へ向かった後、街では様々な諍いが起きていた。泣き叫ぶ女子供を如何にも短気そうな男達が怒鳴ることで鎮まらせ、そんな男達が喧しいと殴り合いになったりと様々に。突然襲ってきた大地震を前に誰もが困惑し、そしてやり場のない憤りや悲しみをどう発散して良いか分からないのだ。彼らは別に、好きで諍いを起こしているのではなかった。
倒壊を免れた酒場の外で怪我人の治療を行っていたカミラは、そんな怒声に反応して顔を上げる。彼女の視線の先には、恐ろしいほどの剣幕で互いに互いを捲し立てる男達の姿。頭にバンダナを巻き、タンクトップの下に見える胸板や腕はがっしりとしており、その出で立ちから容易に鉱山の男達であることが窺える。そのようなしっかりとした肉体で殴り合いを始めれば、更なる被害に繋がりかねない。
カミラはそれまで自分が担当していた怪我人の出血が止まったのを確認すると、屈んでいたそこから立ち上がり慌てて彼らの元へ駆け出した。
「何をしてるんですか! やめてください!」
今、このアレナの街は絶望に包まれている。誰もが様々な感情を持て余し、発散する場を求めているのだ。
女子供は声を張り上げてその感情を吐き出すことは出来るが、男――それも鉱山の男が声を洩らして泣くなど、恐らくは彼らのプライドが許さないのだろう。その代わりに抑え切れない怒りとなって周囲に当り散らしてしまうのだ。
その為か、カミラの声を聞いて男達は鬼の形相で彼女を振り返る。邪魔をするな、そう言わんばかりの様子で。
この街は先の大地震の影響で、辺りに様々なものが散乱している。木箱や樽はもちろんのこと、倒壊してしまった家屋の破片や瓦礫など本当に多くのものが。殴り合いの拍子で地面に倒れ込み、そんな瓦礫に頭でも打とうものなら下手をすれば命を落としかねないのだ。放っておく訳にはいかない。
「そんなことをしている場合なんですか? こうしている間にも、まだ生き埋めになってる人がいるかもしれないんですよ!」
「うるせぇ! 女が男のやることに口出しすんな!」
「そうだ、どうせもうみんな死んじまったんだ! 捜してどうなるってんだよ!」
「俺達はもう終わりなんだ、どうせこのまま地震で死んじまうんだよ!」
カミラが上げた声は、次々に彼らから上がる怒声によっていとも容易くかき消されてしまった。
しかし、だからと言ってここで引き下がる訳にはいかないともカミラは思う。ジュード達は地震の原因を解明しに行ったのだ、カミラとルルーナにシルヴァや街の人のことを任せて。
任された以上はなんとかしなければ、と。カミラは確かな使命感を感じていた。
「ここで諦めてどうするんですか、きっとなんとかなります。なんとか出来ます。だから今は生存者を捜して、怪我人の治療を手伝ってください」
「そんなことして何になるんだよ!」
「街の人達は、みなさんの仲間じゃないんですか!」
間髪入れず返った怒声による反論にカミラは一度口唇を噛み締めはするものの、しかし彼女自身も即座に声を張り上げた。
同じ街に住んでいると言うのに、生存者を捜すこともしないで喧嘩をしているなどカミラからしてみれば信じ難いことだったのだ。こうしている今も、瓦礫の下には多くの生存者がいるかもしれない。怪我をして苦しんでいるかもしれない、恐怖に怯えているかもしれない。そう思うと、カミラの中にも確かな憤りが芽生えてきた。
そして、彼女のそんな怒声を聞いた男達はやがてゆっくりとでも頭が冷静さを取り戻してきたのか、幾分か気まずそうな顔をしながら視線をあちこちに向ける。だが、程なくして目配せでもするような不自然な空白を開けて唸った。
「……きっと崩れた建物の下にはたくさんの人がいる筈です。怪我の治療なら私が出来ますから、生存者の捜索をお願いします」
「…………」
「みなさんで協力して、この状況を乗り越えましょう。きっと大丈夫ですから」
カミラは両手を胸の前でしっかりと組み、懇願するように深々と男達に頭を下げた。そんな光景を目の当たりにして、流石の男達も渋々ながら小さく頷く。そして一人の男がカミラの正面に歩み寄ると、ややぶっきらぼうな様子で口を開いた。
「……確かに街の連中は俺達の仲間だ。分かったよ、やるよ。その代わりねーちゃんは怪我人の手当てを頼むぞ」
下げた頭の上から降る言葉に、カミラは瑠璃色の双眸を見開くと勢い良くその頭を上げる。そして穴が空くのではと思うほどに目の前の男を凝視し、やがて花が綻ぶように――至極嬉しそうに笑った。
すると男は厳つい風貌に僅かばかり赤みを募らせ、すぐに「やるぞ!」と声を上げて一番被害を受けたと思われる住宅街の方へと向かっていく。彼の気合いの入った声を聞きながら、周囲に集まっていた他の男性陣もそちらへと駆け出していった。普段鉱山で働いていると思われる男達の手があれば、救助も随分と助かることだろう。カミラはそう思って安堵を洩らし、そっと片手で己の胸を撫で下ろした。
だが、今度はそんな彼女の元に決して見過ごせない報せが飛び込んでくる。
「――カミラちゃん!」
「え? あ、ルルーナさん、どうしたの?」
「ジュード達は――まだ、戻らないわよね……」
ルルーナだ。普段落ち着いている彼女にしては珍しく、その表情には焦りと動揺が見て取れた。カミラは彼女に身体ごと向き直ると、続いて出た言葉には不思議そうに小首を捻る。
ジュード達が鉱山に向かって、大体二時間弱。それほど距離はないと言う話ではあったが、鉱山の規模がどれほどのものなのか彼女達が知っている筈もない。恐らく、彼らが戻ってくるにはまだ時間が掛かるだろう。
「う、うん、まだだと思うけど……どうかしたの?」
「それが……困ったことになったのよ、さっきの地震で井戸が潰れたって向こうで騒いでるの。近くには川もないって言う話だし、このままじゃ水の補給が出来ないわ」
「え……っ、そんな……!」
その思わぬ報告に、カミラは眉を顰めて表情を曇らせると一度視線を下げる。命が助かっても、水がなければ人はいずれ死んでしまう。それまでに国からの援助や支援はあるとは思うものの、逆に言うのであればそれまでは水を飲めないと言うことだ。
「井戸は、そこしかないんですか?」
「この街には幾つか大きい井戸があったんだけど、そのどれも……ダメらしいの。中で壊れたのか、塞がったのかは分からないけど……水が全然出てこないのよ。ジュードやウィルなら、もしかしたら何か分かるんじゃないかと思って」
確かに、ジュードやウィルならば何か分かる可能性はある。井戸自体がダメになったのではなく、もしただの故障ならばジュードが直せる、と言うこともあるだろう。
次々に起こる騒動に混乱しつつある頭を整理しながら、カミラは一度だけ深呼吸をしてからその視線を再度ルルーナへと戻す。
「……うん、じゃあジュード達が戻ったら見てもらうようにしよう。きっとなんとかなります、だから今は生存者の捜索をしましょう」
「…………」
カミラから返る言葉に、ルルーナは紅の双眸をそっと丸くさせると何処か呆気に取られたような様子で彼女を見つめた。ルルーナがカミラに嫌味や揶揄を向けることは今となってはほとんどないが、このような表情を浮かべるのも珍しい。
当のカミラ本人はルルーナのその様子に緩く双眸を瞬かせると、軽く小首を傾かせた。
「……? ルルーナさん?」
「……あの吸血鬼騒動の時も思ったけど、カミラちゃんってこう言う時……落ち着いてるわよね」
「え、そ……そう、かな」
「ええ、普通のか弱いオンナと違ってただ震えてるだけじゃない、って言うか……ね。頼もしく見えるわ」
吸血鬼騒動の時と言えば、カミラとルルーナが誘拐された時のことだ。あの時も、先日ガルディオンに魔族が襲撃してきた時もそうである。
通常ならば怖いと震えていてもおかしくないような状況に於いても、彼女は決して下がっていると言うことがなかった。寧ろ自分から飛び出していく――そんな性格をしているのだ。
それ故に、ルルーナは現在進行形で彼女に頼もしさを感じていた。
だが、カミラはその言葉に眉尻を下げて薄く笑うと小さく頭を左右に揺らす。
「……わたしは、……少しでも免疫があるから」
「――え?」
「大変な時こそ誰かが落ち着いていないと、って思うの。そうじゃないと……色々見落としちゃうような気がして」
カミラは過去――まだ幼い頃に、陥落した聖王都の光景を目の当たりにした一人だ。
美しかった聖王都の街並みは幾つもの死体が積まれた死の都となり、城下には見る者を恐怖させるほどの――夥しいまでの血の海が広がっていた。
折り重なって倒れる遺体の多くは元の姿を留めておらず、頭がない者、手足が失われている者、中には胴部分しか残っていない者もあった。数歩足を進めれば千切れた手足や生首が辺りに転がっていたりと、あまりにも惨い光景だったのである。
それらの遺体の中に嘗て彼女が愛した王子の姿はなかったが、彼のものと思われる靴や髪紐、そこに広がっていた血の海。そのことから、恐らく王子は亡くなったのだとカミラはずっと思ってきた。そして誰もがそう思うのだ、ヴェリアの第二王子は魔族に殺されたと。
寧ろ、生きていると思う方がおかしいのである。
しかし、その経験があったからこそ、彼女はこのような現実に直面しても冷静さを失わずに対処できるようになったのだ。――無論、全く動じないと言うこともないのだが。
「とにかく、今は下敷きになった人を助けましょう。ジュード達ならきっと、きっと原因を解明して戻ってきてくれると思うから」
「ええ……そうね、分かったわ。井戸のことはそれから考えましょうか」
とにかく、今現在何よりも優先しなければならないのは人命救助だ。こうしている間にも救助作業は進んでいるだろうし、現在進行形で怯えている者も多いだろう。辺りは依然として多くの家屋が倒壊したまま残っている。その下には一体どれだけの人がいることか。
カミラとルルーナは互いに頷き合った後に、それぞれ自分の持ち場へと駆け出して行った。