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第二十話・母の面影


 ガタゴトと揺れる馬車の中、マナは心配そうに一つ溜息を零す。馬車内部に設置された簡素な窓からは山々が連なる風景ばかりが広がる。それは大層見事なものなのだが、今の彼女の心を晴れやかにするには聊か足りないらしい。アレナの街を出てからと言うもの、マナは既に五回ほど溜息を洩らしていた。

 そんな様子を近くに座っていたリンファは何処か心配そうに眺める。とは言っても、その顔はいつもと変わらずにほとんど無表情なのだが。


「……マナ様、大丈夫ですか?」

「え、あ、ああ。うん。ごめん、大丈夫よ」

「……皆様のことが心配なのですね」

「そりゃあね……鉱山の方だって狂暴な魔物が出たって以上は心配だけど、街の方もそうよ。シルヴァさんは怪我しちゃったし、カミラやルルーナが付いてると言っても……またいつ地震が来るか分からないんだしさ」


 心に抱える不安を吐露して、マナはそこでまた一つ溜息を零した。これで計六回目である。

 あの後、結局鉱山組はジュード、ウィル、マナ、リンファの四人――そこにちびとライオットを加えたメンバーで決定し、街に残る組はカミラとルルーナに任せることになったのだ。

 鉱山には狂暴な魔物が出たと言う話だ、そちらの戦力を手薄にする訳にはいかず、更に精霊が関わっている可能性があるのならば必然的にジュードは向かわなければならなかった。ウィル達にとっては未だに信じ難いことだが、精霊族と言う稀有な存在である彼がいなければ恐らく精霊は心を開かない。それに、ジュードは奇妙な声を聞いた張本人でもあるのだから。

 リンファはそのジュードが負傷した際になくてはならない存在とも言える。同行するのはこちらも当然と言えた。ライオット曰く、水属性を得意とするリンファは地の国の魔物相手には苦戦する可能性もあるらしいのだが。

 ウィルはこのメンバーの参謀と言っても過言ではない上に、一撃の威力ならばジュードやリンファよりも遥かに上だ。

 マナに於いてもそうである。彼女は仲間の中で特に攻撃魔法に優れている。火力集中型のメンバーを組むのなら必要な存在と言えた。


「幾らあたし達が原因をなんとかするって言ってもね……」

「……そうですね」


 アレナの街は壊滅寸前だ。多くの住民達は絶望に泣き声を上げ、生きる気力を失ってしまっていた。

 だが、それでも生存者の捜索は行わなければならない。

 多くの怪我人を治療するのにカミラの存在は必要不可欠である。彼女は様々な治癒魔法を得意とする――謂わば治療系魔法のエキスパートなのだから。彼女の治癒魔法があればシルヴァの怪我も問題はないだろう。流れ出た血まではどうにもならなくても、一日二日休めば少しは元気を取り戻す筈だ。

 一方で、ルルーナがアレナの街に残ったのはジュード達が決めたと言うよりは、彼女自身が希望した為である。


「けど、ルルーナが残るって言い出した時はビックリしたわ」

「……ノーリアン家と言えば地の国の最高貴族ですから、やはり心配なのでしょう」


 ルルーナは、アレナの街で生存者を捜すと――自らの意思で、そう決めたのだ。

 貴族令嬢が泥にまみれるような行為を、と誰もが思ったことだが、それだけ彼女が地の国の住民を心配している、大切にしていると言うことだ。放っておけないのだろう。

 その為、負傷したシルヴァはもちろんのこと、カミラとルルーナはアレナの街に残ることになったのだ。

 戦闘で怪我をしても、カミラの治癒魔法で治療出来ないのはウィル達にとってはかなりの痛手。ウィル自身も簡単な治癒魔法であれば扱えるが、やや心許なさは残る。それでも、やるしかない。カミラを残した街は既に遥か後方、今から「やっぱり決め直す」と言って戻るなどただの時間の無駄にしかならないのだから。

 カミラもルルーナも、街で自分のやるべきことをやっている。ならば自分達も彼女達の頑張りに応えなければならない、そこでマナはそう思った。


「……もう一度地震が起きる前に、なんとかしないとね」

「はい、あれだけの規模の地震がもう一度来れば……街は本当に崩壊してしまいます、なんとしても阻止しなければ」


 マナの言葉に対し、リンファは小さく――だが、しっかりと頷きながら静かに答えた。表情こそ常と変わらぬ無ではあるのだが、リンファ自身からも微かな緊張が見て取れる。

 地震が起きる原因が本当に鉱山にあるのかどうかは分からない。しかし、可能性があるのならばやらなければならない――そして、同時に確かな責任感も覚えている。

 そんな二人のやり取りを腹這いになって見守っていたちびは「くぅん」と小さく、本当に小さく鳴いた。


 * * *


 ウィルは手綱を握るジュードの隣に腰掛けたまま、何処かぼんやりとただただ視線を真っ直ぐに投げていた。

 心此処に在らず――そう例えるのに相応しい彼の様子に、ジュードが気付かない筈もない。一体どうしたのかと、視線は進行方向へ向けたまま頭に浮かぶ疑問を口に出した。


「……ウィル、どうかしたのか?」

「……え、ああ……いや」


 問い掛けに返る返事も、普段のウィルとは思えない大層歯切れの悪いものであった。やはり地震でショックを受けているのだろうか、と。ジュードはそう心配になる。

 あれだけの規模、あれだけの被害の地震だ。恐怖がなかった筈はない。ジュードは『地震』と言うよりは『仲間を失ったのでは』と言う不安や恐怖の方が勝っていたのだが。

 普段冷静で纏め役であるウィルも、ショックを受けているのかもしれない。ジュードは己の頭でそう考えた。

 しかし、たっぷりと空白の時間を要した末にウィルから返ってきた言葉に、すぐにそんな考えも打ち砕かれたのだが。


「……なあ、ジュード。シルヴァさんのこと……どう思う?」

「は?」


 その言葉に、ジュードの目は思わず点になった。

 きっと地震が怖かったんだ、大きなショックを受けたんだ。そう思っていたからこそ、その衝撃は大きなものだったのである。

 シルヴァをどう思うか――それは一体どういう意味だとジュードは怪訝そうな表情を滲ませた。


「なんか、さ……こう、暖かくなるんだよな、胸の辺りがさ」

「ウィル……お前……」


 ――女性であるシルヴァのことをどう思うか、自分は胸が暖かくなる。

 なんと、そう言い出したのだ。

 それには流石のジュード自身も狼狽した。何故ってジュードは幼い頃からウィルのことを知っている。そして、彼が誰を想ってきたのかも。

 今までマナを想ってきた為にどんな女性にも靡かなかった彼が、まさかシルヴァを好きになったのか。ジュードの頭はそんな考えに行き着いた。好きだと言う気持ちもマナに知れている、それだと言うのに。

 手綱を握る手に嫌な汗が滲み始めるのを感じながら、ジュードは固唾を呑む。兄兼親友とも言えるウィルの恋ならばこれまで通り応援したいと、彼は思う。だが、マナのことはどうするのか、ずっと想ってきたのにそんな簡単に変わってしまうのだろうか。様々な疑問がジュードの頭には浮かんでいた。

 しかし、そんな時。再びウィルが口を開く。


「……懐かしくなっちまって、な」

「……え? 懐かしいって、何が?」

「…………死んだオフクロのこと、思い出しちまってさ」


 ――死んだ、母親。

 その予想外の言葉に、ジュードは思わず目を丸くさせて彼に顔を向けた。

 ウィルの母親は、彼が九歳の頃に魔物に襲われて亡くなっている。つまり彼は、シルヴァに母の面影を見ているのだ。

 そう言われれば、と。ジュードにも思い当たることはある。

 カミラが姫巫女と知った直後のことだ。ジュードを呼びに来たシルヴァと面と向かって話した際、何処か気恥ずかしさがある――そう感じていた。決して嫌な訳ではないのだけど、妙に照れくさいような、どんな顔をすれば良いのか分からないと言った感覚だ。


「……ああ、そっちか……なるほど」


 ジュードは文字通り安堵の息を深く吐き出して、視線を進行方向へと戻した。ウィルは心変わりした訳ではなかったのだ、その事実は彼に確かな安堵を与えたのである。

 ウィルとマナがくっ付いてくれれば良い。ジュードは昔からそう思っているのだから。


「……シルヴァさん、俺とマナを守って怪我したんだよ。そんな姿見ちまうとな……母親ってのはそういうことするからよ。子供を守る為なら平気で自分を犠牲にするって言うかさ」


 母親と言うものを知らないジュードには、よく分からない感覚だ。

 それでも、ジュードは別に自分の環境を怨んではいない。捨てられていた、と言う事実は確かに彼の心に深い傷を負わせはしたが、その先で得たものが非常に大きい。

 実の親と言うものを知らないからこそどちらが良いかなどとは言えないが、自分を拾い育ててくれたグラム、親のいない環境で自然と寄り添い合ったちび、共に育ったウィルやマナ、近くの村の優しい神父に村人達。

 自分は逆に恵まれている、そう思えるほどの環境なのだから。


「……じゃあ、シルヴァさんの為にもヘマは出来ないな」

「ああ、まだ原因かどうかは微妙なところだろうけどよ、しっかり解決して帰ろうぜ」


 ジュードとウィルは、やがて見えてきた鉱山に視線を向けながらしっかりと頷いた。これ以上アレナの街に被害を出す訳にはいかない。自分達がなんとかしなければ。

 そんなことを思いながら、両者とも気を引き締めた。

 ――その先に待つ死闘など、今の彼らには知る由もないのだから。



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