第十九話・二つの目的
厩舎を後にしたジュードは一目散に宿の方へと駆け出した。まずは仲間の安否確認が最優先と判断した為だ。
アレナの街はつい今し方の巨大地震の影響で、建ち並ぶ建造物の半分ほどが倒壊してしまっていた。街中は当然ながら大混乱だ、先程まで街を歩いていた者こそ大丈夫なように見えるのだが、倒壊した家屋の住民はどうなっていることか。まだ朝も早い時間帯と言うこともあり、その大体が就寝中だっただろう。
そしてそれは、当然ながらジュードの仲間達も同じだった。
――宿は大丈夫なのか、みんなは無事なのか。
ジュードは逸る気持ちを押さえられず、自然と駆ける足は速度を増していく。周囲には泣き崩れる大人、親を探して泣き声を上げる子供の姿がある。そんな声に呑まれて、彼の涙腺も弛み始める。このアレナの街は、今や絶望が犇く街となってしまっていた。
別世界にでも来てしまったのではと思わせてくれた、あの美しい街の外観はその大部分が破壊され、瓦礫の山と言っても過言ではないほど。周囲からは絶え間なく人々の泣き声や絶望に支配された声が響き渡り、まるで地獄絵図のようだ。
ここは本当に自分達が住んでいる世界なのか、地獄か何処かに来てしまったのではないか。そう錯覚させるほどに、周囲の惨状は酷いものだった。
自然が人間に牙を剥く――その恐ろしさは、言葉一つでは到底言い表せるものではない。
「あ……」
やがて宿に行き着いたジュードは、目の前に広がる光景に双眸を見開いて愕然とした。
つい先程まで休んでいた筈の宿は、崩れた積み木の如く完全に倒壊してしまっていたのだ。建物の全てを支えていた太い柱は中ほどから折れているものもあれば、根元の部分が砕けてしまっているものもある。屋根は大地に激突した衝撃で見るも無惨に割れ、周囲には硝子や木片が散乱していた。ジュードのように運良く逃れた宿泊客は、そんな宿であった家屋の近くで茫然自失と言った状態で立ち竦んでいる。――尤も、ジュードとて彼らと同じような状態であったのだが。
「ウィル、カミラさん……みんなは……」
宿で休んでいた筈の仲間は、一体どうなったのか。今の彼の頭にあるのは、それだけだ。
まさか、全員この建物の下敷きになってしまったのか。そんな最悪な考えが当然のように彼の脳裏を過ぎる。
しかし、そんな時だ。彼の耳に聞き慣れた声が届いたのは。
「うにー! マスターだにー!」
「……!? ライオット!」
それは、先程ジュードの枕元で眠っていたライオットだった。地面をぴょんぴょんと飛び跳ねながら駆け寄って――元い、跳び寄ってきた。
ジュードは軽く上体を屈ませてそんなライオットを迎えると、表情に安堵を滲ませる。みんなはどうなってしまったのか、そんな絶望の中、見知った声が聞けただけでなんと安心出来ることか。
「ライオット、みんなは?」
「うに、みんな向こうにいるによ。マスターがいないってウィルが騒いでて、みんなで探しに行こうとしてたんだに。でも、おねーさんが怪我しちゃったに……」
「シルヴァさんが? 分かった、案内してくれ」
どうやら、仲間は無事らしい。それを頭が理解するとジュードは言葉にならない安堵感からその場に座り込んでしまいそうになったが、次がれた言葉は決して楽観視出来るものではない。すぐに気を引き締めて告げると、ライオットはいつものように短い手を懸命に挙げて、ジュードの肩に飛び乗った。
向こうだに! と指し示す方向を大体理解して、ジュードは再び駆け出す。その手が短過ぎてどの方向を指しているか分からない――なんとなく、そう告げるのは憚られた。
王都ガルディオンのように道が入り組んでいると言うことはない、これまでジュードが辿ってきた道の中に仲間の姿はなかった。ならば、西側だ。そう判断するのが容易だった為である。
やがて行き着いた先、そこは一軒の酒場だった。ここは先程の地震でも倒壊は免れたようだ。無事だった住民達のほとんどがこの酒場を避難所としているのか、その近くには毛布に包まって震える者やぐったりとしたまま項垂れる者、涙を流しながらしゃくり上げる者、様々な者達が集っている。皆一様に、その顔には生気が感じられない。顔面は蒼く、誰もがぐったりとしている。まるで生きることを諦めてしまったかのように。
そんな一時的な避難所となっている酒場の隅、その一角に見慣れた姿を確認して思わずジュードは声を上げて駆け寄った。
「――ウィル、マナ!」
「……ジュード!!」
そしてウィルやマナも、ジュードの姿を視界に捉えるなりその表情を泣きそうに破顔させた。安心した、良かった、そんな心情が滲み出ている。近くに座り込み、朝から疲れたように木箱に寄り掛かっていたルルーナも彼らの声に反応して顔を上げ、そしてふと表情を弛めた。
カミラとリンファは仰向けに倒れ込んだシルヴァの治療をしている為に、流石に意識も視線も向けることは出来なかったのだが。
ウィルはマナと共に飛び掛かる勢いでジュードに駆け寄ると、真正面から彼の両肩を掴んだ。安堵感から力加減も満足に出来ていないらしく、多少の痛みをジュードに与えてくる。
「大丈夫だったのか?」
「あ、ああ、オレは全然……馬とちびの様子を見に行ってただけで」
「どうせそんなことだろうと思ったけど、でも……」
見たところ、ウィルやマナにも怪我らしい怪我はなさそうだ。擦り傷程度ならばあるかもしれないが、こうして見る限りは普段と変わらない。
マナはジュードから返る言葉に予想通りと言った様子で、薄く苦笑いを滲ませながら呟いた。それを聞いたジュードはいつものようにお小言が返るものだとばかり思っていたのだが、それは彼の予想を裏切る。
「けど、今回はジュードのその行動力に助けられたってところかしらね」
「……え?」
それは、疲れたような表情を浮かべて状況を見守っていたルルーナの言葉だった。
いつも一人で勝手に行動すれば大体が仲間から小言を喰らうと言うのに、一体どういうことか。ジュードは不思議そうに翡翠色の双眸を丸くさせながら、ルルーナへと視線を投じる。
すると彼女は軽く双肩を疎ませ、片手を肩ほどの高さまで引き上げてヒラヒラと力なく揺らしながら返答を紡いだ。
「ウィルが騒いでたのよ、ジュードがいないって。それで私達、あなたを探しに行こうと思って宿の外に出たの」
「うに、そこでちょうどあの地震が起きたんだに。あのまま寝てたらみんな……宿に潰されちゃってたに……」
「でも、あの地震で宿の柱が倒れてきたの。それであたしやウィルを庇って、シルヴァさんが……」
取り敢えず、幾らジュードの頭でも大体の状況は理解出来た。
つまり、彼らは騒ぎ立てるウィルに半ば引っ張られる形でジュードの捜索に出たところで地震に見舞われたのだ。外に出たことで幸いにも宿の倒壊に巻き込まれることはなかったらしい。
そこで、ジュードは依然として倒れ込んだままのシルヴァに視線を向け、そちらに駆け寄った。
「……ん、ジュード君、か……?」
シルヴァの顔は、蒼かった。ジュードの姿を確認して表情にこそ笑みを滲ませるが、それでも具合が思わしくないのは明白だ。
見れば、彼女が身に付けるベージュのチュニック――その右肩部分にはべっとりと鮮血が滲んでいる。地面にも血が広がっていることから、出血はかなりのものだと言うことが容易に窺えた。彼女の額には薄らとだが脂汗さえ滲んでいる。
ジュードは治療を施すカミラの傍らに屈み、シルヴァの様子を窺った。
「ふふ……そんな顔をしなくていい、私なら大丈夫だ」
見るからに不安そうな、更には今にも泣き出してしまいそうな表情を浮かべるジュードに対し、シルヴァは依然として微笑を絶やすことなく小さく頭を左右に振る。
一応はカミラの治癒魔法とリンファの気功術で傷も癒されてはいるようだが、流れ出た血までは戻せない。彼女にこれ以上の無理はさせられないと、誰もが思った。
辺りには依然として、街人達の悲痛な声が響いている。出来ることなら生存者の捜索に協力したいところではある。
しかし、またいつ先程のような地震がやって来るか分からないのだ。次にあの大きな地震が起きれば、今度こそこの街は壊滅してしまうだろう。それでも、だからと言って生き埋めになっている者を見捨てるなど出来る筈もなかった。恐らく建造物の倒壊に巻き込まれて生き埋めになっている者もいる筈だ、今も暗闇の中で恐怖に震えているだろう。
そこまで考えると、ジュードはシルヴァに改めて視線を向けた。
「……シルヴァさん、確かなことは言えないけど……地震の原因になってるかもしれないものに心当たりがあるんです。それを確認してきても良いでしょうか」
「心当たりって……どういうことなの?」
ジュードの言葉にシルヴァは緩く目を丸くさせたが、彼女が抱いた疑問は当然ながら仲間も同じだ。マナは文字通り不思議そうに疑問の声を洩らした。
どう説明すれば良いか――それはジュードにも分からない。それでも、聞いたままを伝えるしか出来ないのだ。
「よく分からないんだけど、……鉱山の地下に何かいるみたいなんだ。昨日も地震が起きる前に声が聞こえて、さっきも……」
「うに、マスター、それホントだに?」
非常に取り留めのない話。
だが、それでもジュードの肩に乗ったままのライオットは慌てて身を乗り出すと、疑問符を滲ませるウィル達を後目に彼の頬を急かすように短い手で何度も叩く。
「え、ああ……うん」
「それならライオットにも心当たりがあるに、もしかしたら精霊の仕業かもしれないによ」
「精霊の?」
「そうだに、それならマスターにしか声が聞こえないのも分かるに」
その言葉にジュードはもちろんのこと、ウィルやマナ、ルルーナの視線は一斉にライオットに集まった。カミラやリンファは手が離せない為に視線を向けることは出来ないが、当然ながら話だけは聞いている。
――精霊の仕業。それは、一体どういうことなのか。
以前、ジュードはライオットから『人間を信じられなくなっている精霊もいる』と聞いたことはある。まさか、そういう精霊が人間達に牙を剥いたと言うことなのか。ジュードは複雑そうに眉を顰めはしたが、そこで一つ引っ掛かりを覚えた。
「……ライオット、その声は何か……苦しんでるみたいなんだ、助けてって言ってた」
「うに、事情はライオットにも分からないけど……もし精霊なら、今回の地震に関係してる可能性は高いと思うに」
「じゃあ、その原因をなんとかしないと、また地震が起こるかもしれないのね」
あの声の主は『苦しい、助けて』と言っていた。人間を憎んで牙を剥いたのなら『助けて』と言うのは聊か疑問が残る。
確かな証拠は当然ながら存在しない。それでも、またあれだけの地震が来ては今度こそこの街は終わりだ。アレナの街の多くの住民達は住む場所を失い、行き場を失ってしまう。街の外には魔物も数多く出没しているだろう、別の街に避難するにしても道中でやられてしまう可能性が高い。
ならば、これ以上の地震が起きることは防がなくてはならない。
シルヴァはそっと小さく吐息を洩らすと、静かに口を開いた。
「では……その原因を何とかしなくてはな……」
「はい、それで……危険なのは分かってるんですが、二手に分かれようと思うんです」
「え、え? 分かれるの?」
東のトレゾール鉱山には狂暴な魔物が出たと聞いている。そんな中、戦力を分けるのはあまりにも危険だ。
しかし、このアレナの街を放っておくことも出来ないのが現実である。怪我人の手当ても必要だろう。
思わず疑問の声を洩らしたマナに、ジュードは視線を向けると小さく頷いてみせた。
「ああ、怪我人も多いだろうし、生存者の捜索もしないと……」
「あ、そっか、そうね……」
「でも、誰がどっち行くんだ?」
ウィルはジュードとマナのやり取りに一度だけ小さく頷いた後に、その視線を仲間達に向ける。確かに戦力を二分するのは不安ばかりが残るが、それでもジュードが言うことも分かる。原因を取り除くことを最優先にして、助けられるかもしれない命を放置するなど彼らに出来る筈もなかったのだ。
問題は、誰がどちらに行くのか。
狂暴な魔物が出たのなら、鉱山の方に戦力を分けるのが基本だ。しかし、救助にも人手は必要だろう。
誰をどのように分けてチームを組むのか――なんとも難しい判断が迫られる、ウィルはそう思った。