第十三話・深まる疑問
高熱を出して倒れたジュードを寝室に運んだウィル達は、彼の額に濡れたタオルを置いたところでようやく一息洩らした。まだ完全に安心出来るような状態ではないが、つい先程の苦しそうな様子は多少なりとも治まったように見える。
依然として高熱は彼の身を支配しているし、呼吸もやや荒いままだが倒れた直後よりは随分と落ち着いたようだ。
カミラは寝台に横になったまま荒い呼吸を繰り返すジュードを、何処か痛むような表情で見つめる。彼はカミラの能力を強化する為に契約に臨んだのだ、当然彼女の胸には罪悪感ばかりが募った。例え精霊との契約が今後必要不可欠であったとしても。
ウィルもカミラのように複雑な表情でジュードを見つめていたが、やがて彼の視線は枕元でしょんぼりと項垂れるライオットに向けられた。
「……それで、ジュードのこの体質が呪いだって?」
「どういうことなの?」
ウィルやマナから向けられる問い掛けに、ライオットは暫しジュードの枕元に座り込んだまま心配そうな視線を彼に向けていたが、程なくして彼らの方へと身体ごと向き直った。いつもながらのふざけた顔ではあるのだが、その様子は気落ちしている。見るからに元気がない。
カミラはそんなライオットを見つめながら、やんわりとその頭を撫で付けた。
「ライオットにも詳しいことは分からないに、でも……呪いにしか思えないに」
「だが、一体何の為に……?」
「契約を封じる為だとしか思えないに」
「でも、誰がそんなことを……契約って、そんなに重要なものなの?」
ライオットの言葉に、ウィル達が抱く疑問は様々だ。
どのような呪いなのか、一体誰が何の為に掛けたのか。そうなのだとしたら、そうまでして封じなければならない能力なのか。
マナが向けた問いにライオットは小さく唸ると、一度だけしっかりと頷いた。
「うに、そうだに……契約すれば、まず精霊の召喚が出来るようになるに」
「そういえば、そんなことも言ってたな」
「あと、交信可能時間が大幅に延びるんだに」
ウィル達はライオットと共にいることで、精霊が関わる能力について色々と知識は増えた。しかし、それでも分からないことはまだ多いのも事実。
復習として改めて情報を頭の中で整理していきながら――しかし続く言葉には疑問符を浮かべる。契約すれば交信時間が延びる、それは聞いた覚えがなかった。
「交信可能時間が延びる?」
「そうだに、契約すると精神への負担が大幅に減るんだに」
「じゃあ、接続は要らないんじゃないのか?」
「ダメだに、接続は精霊と繋がる一番大事なものだによ。精霊は繋がりを持たない者をマスターとして認めることはしないんだに」
ライオットは以前、接続は何よりも大切なものだと言っていたこともある。ウィルは改めて幾つかの情報を頭の中で纏め始めた。
接続は術者と精霊に繋がりを創り出すもの。
交信は接続した精霊に意識を合わせることで、術者と精霊が一体化するもの。
契約は術者が精霊を心に受け容れることで精霊の召喚を可能にし、更には交信時の精神負担を大幅に減らすもの。
そして共鳴は、契約した精霊の加護を術者を通して仲間に与えるもの。
「……なるほどな、術者と精霊の間に繋がりがないと能力は何も活きないのか」
「契約すれば精神への負担が減るから、交信可能時間が延びるのね。確かにジュードのあの状態が今よりも長くなるなら――」
「呪いでもなんでも掛けて、封印したくなるでしょうね……魔族なら」
マナが納得するように頷きながら呟くと、窓辺の椅子に腰掛けたまま話を聞いていたルルーナが彼女の言葉の続きを口にした。
本当に呪いなのだとすれば、恐らくはそれによって得をするような者が齎したものの筈。ジュードのその能力を封じて得をする者――それは、魔族以外に考えられなかった。
魔族はジュードを捕まえようとしている。接続と交信はともかく、契約を封じてしまえばある程度は軽い。ジュードの精神力が尽きるまで待てば、彼は精霊との一体化が出来なくなるのだから。
つまり、なんの力も持たない普通の人間に戻る。そこを狙えば捕まえるのは容易い。
だが、そこでウィルの頭には一つの疑問が浮かんだ。
「……けど、ちょっと待てよ。じゃあ、ジュードはいつ魔族に呪いを掛けられたんだ?」
「……あ、そっか。そう言えば小さい頃からなのよね、この体質。グラムおじさまに拾われた時にはもうこの状態だったらしいけど……」
「そこまでは分からないに、けど……契約も共鳴も、このままの状態じゃ無理だに……」
ジュードはグラム・アルフィアに拾われた数日後には、既に魔法によってこうして高熱を出していた。つまり、本当に呪いだと言うのであれば、拾われて保護された時にはもう呪われていたのだ。だが、一体何処で呪いを受けたと言うのか。気にならない筈がない。
しかし、確かな答えが分からない以上は考えても仕方がないのも事実であった。ルルーナは小さく溜息を吐くと、座していた椅子から立ち上がる。
「ジュードが精霊を受け容れられない以上、確かに契約は無理でしょうね。契約しないと効果が出ない共鳴もダメ、……まあ、これまでと変わらないってことでしょ」
「……そうですね。王都グルゼフには色々な書物がありますから、図書館などで調べてみると言うのも手だとは思いますが……」
「ああ、なら時間があればそうしてみようか。……まずは陛下からの書状を届けなくてはな」
そうなのだ。今の彼らの目的は、あくまでも火の国の女王から託された書状を各国に届けること。呑気に本を読み漁っている訳にもいかないのである。
取り敢えずと、ジュードの様子もある程度安定したのを確認した面々は、就寝すべく割り当てられた部屋へと散っていく。ルルーナやリンファ、シルヴァの姿を見送ってから、ウィルは改めて寝台で眠るジュードに視線を向けた。
「……なあマナ、そう言えばさ……ジュードってグラムさんに拾われる前のこと、何も覚えてないんだよな」
そして、ふと彼が洩らした呟きに反応したのは呼び掛けられたマナではなく、カミラの方だった。瑠璃色の双眸を見開き、瞬きさえ忘れたようにウィルとマナを交互に見つめる。
「覚えて……ない……?」
「――え? ああ、カミラは知らなかったっけ。そうなのよ、ジュードはそれまでのことを何も覚えてないの。お父さんやお母さんのことも覚えてないし、故郷に繋がる記憶もないのよ。自分の名前さえ分からなかったらしいし……」
「余程、何かデカいショックとかあったのかもな。もしかしたらジュードが忘れちまった記憶の中に、呪いに関するモンもあるのかね」
「本人が全く覚えてないことには、どうしようもないもんね」
彼らの話す声を聞きながら、カミラは身動き一つ取れなかった。
だが、やがて恐る恐ると言った様子でジュードを見遣ると、そこにはやはり重なる姿がある。
――それはカミラが幼い頃に愛した王子の姿だ。彼女にあらゆるものを教えて、色々なところへ連れて行ってくれた大切な存在。
似ていると、カミラはジュードに初めて逢った時に感じていた。だが、もしも彼があの愛しい王子であるのなら、自分を覚えていないのは何故なのか。そんなにどうでも良い存在だったのだろうか。
考えると悲しみばかりが募るからこそ、カミラはこれまで極力考えないようにしてきた。他人の空似、ただ似ているだけだと。
しかし、もしも彼があの王子本人で、当時の記憶を全て失っているのだとしたら――――?
「(私のことを覚えていなくても、おかしく……ない……)」
考えてみれば気になることはある。
それは、ジュードが腕に付けているあの大層美しい金の腕輪だ。あの腕輪に使われている蒼い宝珠は、カミラの首元を飾る神の石ラズライト。神の石はヴェリア大陸の神の山でしか採れない非常に貴重なものなのだ。それを、何故ヴェリア大陸に渡ったことのないジュードが持っていると言うのか。
そして、カミラがリュートの一件で後ろ髪を失った際。彼が口にした言葉は、嘗ての王子とほぼ同じものであった。
――カミラは神に愛されている、だから神は自分の好きな藍色をカミラの髪色として与えたのだと。
そこまで考えた時、彼女の視界には目も覚めるような太陽色が飛び込んできた。
「――カミラ、カミラってば! ねぇ、大丈夫?」
「えっ、あ……ご、ごめんマナ……聞いてなかった……」
マナだ。ジュードを見つめたまま動かなくなったカミラを心配して、彼女の肩に手を置いて軽くその身を揺さぶったのである。その表情には何処までも心配そうな色が滲んでいた。
カミラはそこで意識を引き戻すと、慌てたように表情に笑みを浮かばせて頭を左右に振ってみせる。
「ご、ごめんね、ちょっとボーっとしちゃった。わたしも疲れてるのかも……」
「きっとそうよ、あたし達も部屋に戻って休みましょ」
「ああ、ジュードは俺とモチ男でちゃんと看ておくから、心配するなって」
「ライオットだに! 久々の呼び方だからって許さないに!」
そんなウィルとライオットのやり取りを聞きながら、マナは愉快そうに声を立てて笑う。そして次に、寝台に寄り添ったままのちびの頭をひと撫ですると穏やかな口調で言葉を向けた。
「ちびも、ジュードをお願いね」
「わうっ」
ちびの尾は垂れていて、なんとも元気がない。
当然だ、相棒のジュードが倒れてしまったのだから。彼が倒れるとちびはいつもこのように尾を垂らして、目を覚ますまで決してその傍らを離れようとはしない。それは幼い頃からずっと変わらない光景だった。
マナが声を掛けると、眠るジュードを起こさない為の配慮なのか、常よりも遥かに小さく――だが、しっかりと吠えて返事を寄越す。
そんな様子を確認して、カミラは一度目を伏せた。余計な考えを頭から追い払うように。ジュードが何処の誰であろうと、別に構わない。今はとにかく無事に目を覚ましてくれることを願うだけだ。
まるで祈るように目を伏せるカミラを、ライオットは寝台の上から複雑そうに見つめていた。