第十二話・水面から伸びる美しき花
「ねぇ、ライオット。みんなにも得意な属性があるって言ってたよね」
「そうだに、誰でも必ず得意とする属性を持ってるによ」
温泉から上がり、二階にあるテラスで食後の――元い湯浴み後のデザートを楽しんでいたジュード達だったが、そんな和やかな時間の中でカミラがふとライオットに言葉を向けた。
ライオットは濡れ鼠状態になったちびの毛並みをブラッシングで整えるジュードの手元を羨ましそうに眺めていたが、その言葉に視線は自然と彼女に向く。そしてカミラのその言葉に対し興味を抱いたのは、声を掛けられたライオットはもちろんのこと、ジュードや他の仲間達も同じらしい。馬車の中で確かにそんな話を聞いたが、マナやカミラ以外の仲間が得意とする属性は分からないままだ。
「じゃあ、ウィル達にも何か得意な属性があるってことよね。あんたはそう言うの分かるの?」
「もちろんだに! ライオットはこれでも上級精霊だによ!」
「上級精霊が普通の精霊とどう違うのか俺達にはよく分からないけど、取り敢えず分かるなら教えてくれよ」
「私は未だにこのふざけた顔の生き物が上級精霊って言われてもピンと来ないけどね」
えっへんと、何処か誇らしげに胸を張るライオットに対し賺さずツッコミを入れるのは、常の如くウィルとルルーナだ。彼ら二人から返る言葉にライオットはしゅんと頭を垂れると、不貞腐れたようにジュードの肩に飛び乗った。
彼らのやり取りを聞いていたジュードは、ブラシでちびの毛並みを整えながら苦笑いを滲ませる。このようなやり取りも既に日常茶飯事なのだが、ライオット的にはどうにも納得のいかないことらしい。
しかし、それでも意地悪をして「教えない」と言い出さないのがライオットと言う生き物なのだが。
「マナは火属性が得意だって話はした筈だに」
「うん、それは聞いた。あたしは火属性を持ってて、ジュードが火の精霊と契約すれば、もっと強くなれるのよね」
「そうだに、火は攻撃的な力が特に強い属性だに。共鳴すればマナの魔力は今よりもっと高くなる筈だによ」
「じゃあ、他のみんなは?」
ジュードが精霊と契約し、共鳴の能力で仲間が精霊の加護を受けられるようになれば、魔族との戦いも今より遥かに楽になる筈だ。それを考えると精霊の協力は必要不可欠と言える。
そして、ジュードが精霊と契約すると言うことも。
「うに、ウィルとシルヴァおねーさんは風の属性が強いに」
「風か……確かに、言われてみるとそんな気はするような……」
「シルヴァさんは特にそうよね、烈風の騎士なんて呼ばれてるんだし」
ウィルはライオットの言葉に一度なんとはなしに己の手の平を見つめ、シルヴァはマナの呟きに対していつものように微笑みながら小さく頷いた。マナが言うようにシルヴァは『烈風の騎士』の二つ名を持つ女性だ、風属性を得意としていると聞くと妙に納得がいく。
しかし、マナはそこで人知れず複雑な表情を滲ませた。
「(同じ属性が得意かぁ……それって相性が良いってことよね…………はあぁ、あたしなに考えてんのかしら……)」
彼女の頭からは依然として親しそうに、そして楽しそうに談笑するウィルとシルヴァの姿が離れずにいた。嫉妬している、気になっている。そうは思うのだが、それを前面に出すのは複雑、そんなところだ。
だが、今はとすぐに意識を引き戻す。今は取り敢えず自分のことよりも仲間のことが先決だと。
「ルルーナは地属性が強いにね、地属性は補助魔法とか……サポート系の魔法が多く揃ってるに。ルルーナがそう言った魔法を色々使えるのも、地の加護のお陰だと思うに」
「へえ……そうなの。確かに私、攻撃魔法よりもそう言う魔法の方が得意ね」
「リンファは水属性が特に強いに、興味があれば魔法を覚えてみるのも良いかもしれないによ。水属性には回復魔法が多いんだに」
「水……ですか、あまりそういう気はしませんが……」
ライオットの言葉にルルーナは納得したように頷くが、リンファはそうでもなかったようだ。いつものように無表情のまま、不思議そうに小首を捻っている。
それもその筈だ、リンファはこれまで体術や気功術のみを駆使して戦ってきた。魔法の類は一切扱ったことがない。そんな自分が『水属性を得意としている』などと言われても、そうですかと納得は出来なかった。
だが、ジュードは依然としてちびの毛並みを整えていきながら至極当然のように口を開く。
「そうかな、リンファさんに水ってピッタリだと思うよ」
「え? ……そうでしょうか」
「うん。だってリンファって、蓮の花って言う意味じゃなかったっけ? なあ、ウィル」
リンファに水がピッタリとはどういうことか。当のリンファ本人だけでなく仲間も首を捻っていたのだが、ふと投げ掛けられた言葉に一度ウィルは双眸を丸くさせると、ああ、と納得したように頷いた。
『リンファ』とはジュードの言うように『蓮の花』を意味する言葉だ。水面からスラリと茎が伸び、美しい花を咲かせる蓮。
「確か、昔グラムさんがそんなことを言ってたと思う。……しっかし、お前よく覚えてたな、大事なことだって三歩も歩けば忘れるような頭してんのに」
「オレはニワトリじゃない!」
顎の辺りに片手を添え、思案げに視線を中空に投げ掛けながらウィルが呟くと、即座に反論するのは当然ジュード本人だ。確かに彼の頭は随分と残念な出来ではあるのだが、流石に何歩か歩いた程度で忘れるような頭はしていない。無論ウィルとて単純にジュードを揶揄するつもりで言っただけなのだが。
しかし、そんなやり取りは仲間の笑いを誘うには充分だったらしい。リンファを除く面々は各々愉快そうに声を立てて笑った。
リンファはジュードの言葉を一度呟く程度に復唱すると、そっと片手を己の胸元に添える。
「蓮の花……」
「うん、蓮の花ってさ、綺麗な水だけじゃダメなんだって父さんが言ってたよ」
恐らくリンファは初めて聞く話だったのだろう、何処となく感慨深そうにジュードが語る言葉に聞き入っている。カミラやルルーナにとっても、それは覚えのない話らしく興味津々と言った様子だ。
「綺麗なお水だけじゃダメなの?」
「うん、蓮は泥水の中にある方が大きくて一際綺麗な花を咲かせるんだって。逆に綺麗な水だけじゃ、花は小さいものになるみたいだよ。……リンファさんは今まで苦しい想いをいっぱいしてきたから、だからそんなにしっかりしてて、可愛いんだろうなって」
「――ぶッ!」
それまではウィルも彼が語る言葉に納得を示して頷いていたのだが、最後に付け足された言葉には噴き出さずにはいられなかった。先のルルーナの童貞発言と言い、今日はこんなことばっかりだと頭の片隅で思いながらウィルは思わず咳き込む。
ジュードが言いたいこと、それはつまり。リンファが経験してきた辛く苦しい闘技奴隷としての過去を、泥水に例えているのだ。そんな苦しみの中にあったからこそ、泥水を吸い上げて美しく咲く蓮の花のように、彼女は苦痛をバネにこうまでしっかりとした少女に育ったのだろうと。更に言うなら、確かにリンファは美少女の部類だ。
しかし、それを臆面もなくハッキリと口にするのはどうなのだ。そう思いながらジュードを見てみれば、彼はやはり不思議そうに目を丸くさせて首を捻っていた。だが、視界の片隅に映るカミラやマナ、そしてルルーナはいずれもそんなジュードを不貞腐れたように睨んでいる。
「(これで気付かないお前はもうただの問題児だよ……)」
そして、そんなタラシ発言を向けられたリンファ本人はと言うと――普段よりも遥かに表情を和らげて口を開いた。
「……ありがとうございます、ジュード様。私の経験は無駄ではないのですね……」
胸の前でそっと両手を合わせて純粋な感謝を感じているらしい。可愛いと面と向かって言われた普通の女の子の反応とは随分と異なるが、それでも嫌な気分にはなっていないようだ。
可愛いの部分には反応しないのかと誰もが思ったが、こうして表情を和らげるだけでも大きな進歩と言える。リンファが年頃の少女として恋愛を経験するのは、まだ先でも遅くはない。尤も、こんなタラシ発言をこれからも受けて彼女の気持ちがジュードに向いたら困ると、ウィルは思うのだが。
何故って、初恋相手がジュードではあまりにも酷だ。彼は非常に鈍感で、尚且つその心はカミラに向いているのだから。実る可能性はとても低い。出来ることなら、リンファには幸せな恋をしてもらいたいとウィルは考えていた。
「うに、それじゃあマスター! 取り敢えず、契約を試してみるに!」
「ああ、みんなの得意な属性も分かったし、オレがそれを活かせるようにしないとな」
「そうだに、まずはライオットと契約すれば光属性が得意なカミラの能力強化が出来るに!」
カミラは、魔族に対抗出来る力を持った『姫巫女』だ。彼女が得意としているのは当然、光属性である。そして、ライオットは光の精霊。ジュードがライオットと契約すれば、共鳴の能力でカミラの力が強化されるのだ。
彼女の力が強くなれば、今よりも遥かに魔族に強力な打撃を与えることが出来るようになるだろう。魔族は光に弱いのだから。
そしてそれは、自分の無力さを嘆くカミラの希望にも繋がってくれる筈である。
ジュードはブラシを傍らに置いてちびの頭を撫で付けると、座していた簡素な椅子から立ち上がった。ちびの身を包む毛は未だ湿っているが、ブラッシングは既に充分行われている。あとは時間の経過と共に乾けば、いつものようにふわふわの毛並みになるだろう。
「ジュード……無理はしないでね」
「契約だなんてちょっとワクワクするけど、確かに心配よね……」
確かに能力は強化しなければならない、強くなれるなら嬉しい。カミラはそう思いはするのだが、ジュードに無理をさせるとなれば話は別だとも感じていた。彼はローザが言っていたような道具ではない、共に戦う仲間なのだ。その彼に無理を強いることは誰もしたくないのである。
ライオットはいつものようにジュードの頭の上に飛び乗ると、意気揚々と短い手を上げた。
「じゃあ、ライオットの後に続いて言うに!」
「分かった」
一体どんなことが起きるのか、ジュードの身が心配ではあるのだがマナの言うように興味が湧くのもまた事実であった。架空の存在だと思っていた精霊が実在していて、更にジュードがその精霊を使役出来るのだと言う。
特に未知のものに多大な興味を寄せるウィルは、人一倍好奇心を擽られた。
「我、精霊と共に在る存在である」
「……我、精霊と共に在る存在である」
ジュードは静かに双眸を伏せると緩く握り締めた利き手の拳を己の胸元に添えて、頭上から降る言葉に続いて口を開いた。普段彼が使うような言葉とは異なる為か、完全に棒読みなのはいっそ無視した方が良い。
ライオットはそんなジュードに合わせるように、殊更ゆっくりとした口調で言葉を続けた。
「我は汝を友として受け容れ、汝と共存する事を望む――」
まるで、何らかの儀式のようだ。
否、これはこれである一種の儀式なのだろう。マスターたる者が精霊を自らに受け容れる為の。
ジュードがライオットの後に言葉を連ねていくと、彼を包むように緩やかな風が吹き始めた。最初は緩やかに、だが次第に力強く。そして彼の足元には白く光り輝く魔法円が浮かび上がった。おお、とウィルやマナは軽く身を乗り出して眺め、カミラは祈るように胸の前で両手を合わせて見つめる。リンファやシルヴァ、ルルーナは余計な口を挟むことなく、その光景を見守っていた。
そしてジュード本人は、己の胸の真ん中辺りに何かが滲んでいくような――言葉にし難い心地好さを感じていた。これが精霊を受け容れる、と言うことなのだろう。精霊が心に住むのだ。
しかし、そんな時だった。
「……ッ!?」
不意にジュードは、自らの心臓が跳ねるような錯覚を覚えた。それと同時に全身に感じる堪え切れないほどの倦怠感。まるで上から強い力に押されているかのような身の重さも共に襲ってくる他、常の如く胸が締め付けられるような錯覚も感じたのだ。
そして、次の瞬間襲ってくるのは立っているのも困難なほどの強烈な眩暈と、異常な速度で上がっていく体温。呼吸が満足に出来ず、ジュードは一度大きく息を吐くと倒れるようにその場に両膝をついた。
「ジュード!!」
フラリと前に倒れかけた彼の身を、ウィルは咄嗟に片手を伸ばして抱き留める。なんとか顔面を床に強打することは避けられたが、触れた箇所からは常よりも遥かに高い――異常な体温を感じた。
カミラやマナはほぼ同時に声を上げ、そんな彼の傍らに駆け寄る。ジュードが体勢を崩した拍子に彼の頭から落ちたライオットは、床に転げ落ちたままもっちりとしたその身を小刻みに震わせて、悲しそうに彼を見つめた。
「や、やっぱりダメだったに、マスターのこれはやっぱり呪いだに……」
「呪い? ジュード君には呪いが掛けられていると言うのか?」
「そうだに、誰かがマスターの力を封印する為に掛けた呪いだと思うに……」
「それより、今はジュードを! 早く部屋に運ぶぞ、なんかいつもより熱が高い!」
ぷるぷると、まるで揺れる杏仁豆腐ように小刻みに身を震わせるライオットだったが、焦りを前面に押し出したウィルの言葉に意識を引き戻すと慌てて立ち上がった。
確かに彼の言葉通り、今のジュードはいつもよりも遥かに苦しそうだ。これまで魔法を受けて発熱した時より呼吸は荒く、顔も不自然なほどに赤い。頬を脂汗が伝い、その苦痛の度合いを表すように眉根が寄っている。胸は苦しげに上下していた。見ている方が心配になるほど。
ウィルとシルヴァは苦しそうに荒い呼吸を繰り返すジュードの身を支えると、彼を休ませるべく仲間達と共にテラスを後にした。