第十一話・露天風呂
「うわあぁ……!」
カミラは、目の前に広がる光景に思わず表情を綻ばせて感嘆を洩らした。彼女の後方には同じく嬉しそうな笑みを滲ませるマナの姿もある。
あの後、全員で旅館の中を隅々まで清掃してから夕食を摂った。それらが全て終わる頃にはすっかり太陽も空から姿を隠し、そして今現在――完全に夜を迎えている。時刻は夜の九時前後だ。
彼女達は今、満天の星空の下にいた。一糸纏わぬ姿になったところへ、一枚だけバスタオルを巻き付けて。
――そう、温泉だ。この旅館一番の名物と言える露天風呂を前にしているのだった。何十人も入れそうな広い露天風呂、星空を見上げながら入れると言うことに彼女達のテンションも自然と上昇していく。
ルルーナは純粋な感嘆と嬉々を洩らすカミラやマナを後ろから眺めると、その傍らへ足を進めながら言葉を向ける。
「地の国には温泉が多いのよ、地の四神柱の加護を受けてるからなんでしょうね」
「そうですね、私が小さい頃に住んでいた村にも露天風呂がありました。これだけの立派なものは初めて見ましたが……」
「なんとも羨ましい限りだな、我が国にも欲しいものだ。このような露天風呂があれば陛下のご心労も随分癒えるだろうに……」
ルルーナやリンファの言葉に、何処か羨むような言葉を洩らしたのはシルヴァだ。火の国は特に温暖な国ではあるのだが、行き過ぎると快適ではなくなる。
火の国エンプレスの南側では温暖どころか砂漠化した場所さえあり、快適に暮らせる環境ではない。
寒い地方の水の国と、異常に暑い火の国の間に挟まれる地の国や風の国は人間にとって特に住み易い国と言えるのだ。
シルヴァの言葉に同意するように何度もマナは頷いていたが、程なくして彼女の視線はその場に居合わせる面々に向けられた。
「…………」
「マナ、どうしたの?」
やがて彼女の双眸が細められ、その表情が引き攣り始めると傍らにいたカミラは不思議そうに小首を捻りながら言葉を向けた。大丈夫だろうか、何処か具合でも悪いのだろうか。そんな様子で。
しかし、マナの言いたいこと、気にしていることはすぐに理解出来たらしく、ルルーナは口角を引き上げて何処か愉快そうに笑った。
「ふふ……カミラちゃん、マナは私の素晴らしいプロポーションに嫉妬してるのよ」
カミラはその言葉に瑠璃色の双眸を丸くさせ、当のマナ本人は不愉快そうに眉根を寄せる。どうやら強ち間違いという訳でもないようだ。
だが、そこはやはり負けん気の強いマナのこと。ルルーナに比べれば随分と平らな胸の前で腕を組んでみせると、態とらしく顔を明後日の方へと向ける。
そんなんじゃない、別に気にしていない――そう言いたげなのだが、その姿は誰の目にも強がりにしか見えないのも事実であった。それが分かっているからこそルルーナも揶揄するのだが。
更に、そこでシルヴァは片手で胸元のバスタオルを押さえながら、何度か納得するように頷いて感嘆を洩らす。
「うむ、本当にルルーナ嬢のプロポーションは素晴らしいものがあるな。同じ女として羨ましいものだ」
「あら、シルヴァさんだって人のこと言えないじゃありませんか」
背中に届いたシルヴァの声に、ルルーナは鼻歌でも交えそうなほどの上機嫌で身体ごと彼女へと向き直った。確かにその言葉通り、シルヴァのプロポーションもルルーナに負けず劣らず――出るところは出ているし、引っ込むところは引っ込み、しっかりと引き締まっている。女性にしては大層逞しい身体つきだ。肌も健康的に焼けており、至って健康そのもの。マナの目から見れば、大きめのメロンが並んでいるようなものである。
次にシルヴァは呪いでも掛けてきそうな面持ちでこちらを見つめるマナに視線を向けると、常と変わらない穏やかな笑みを以て言葉を続けた。
「だが、マナちゃんも素晴らしいものを持っているだろう?」
「……え?」
「君はとても美しい足をしていると思うよ。女の強みは胸だけではない、そう気にするな」
「シ、シルヴァさん……」
その言葉は、マナの琴線に触れるものだったらしい。何やら感動したように胸の前で両手を合わせ、何処か潤んだ双眸でシルヴァを見つめている。ご丁寧に、じーん、と効果音が付いてしまいそうなほど。
これまでルルーナに散々胸のことで比較されて来たからこそ、彼女の言葉が純粋に嬉しかったのだと思われる。ルルーナはそんな彼女を呆れたように横目で見遣りつつも、それ以上とやかく言うことはしなかった。
「……」
「カミラ様、いかがされましたか?」
「う、ううん……」
そんな彼女達の様子を見守っていたカミラは、そっと自らの身体を見下ろす。バスタオルに包まれている身は一見ごく普通の体型だ。
しかし、ルルーナやシルヴァのように見事な作りの身体とは言えず、更にはマナやリンファのような、スラリと伸びた足の美しさも彼女にはない。
そして――――
「(最近、お腹が出てきた気がする……)」
カミラは、これまで自給自足の生活を送るヴェリア大陸で暮らしてきた。その過酷な環境から贅沢な生活とは無縁で、食生活に於いてもほとんどが野菜中心。肉や魚など滅多に口にすることはなかった。
そんな彼女が、外の世界で様々な食事と出逢ったのである。見るもの全てが珍しく、食べれば食べるだけ多くの感動を覚えた。それ故に彼女は食べることが大好きなのだ。
だが、その結果がこの腹部。食べることは大好きだが、流石にカミラは小さく唸った。
「(ダイエットしなきゃダメかな……)」
そんな風にカミラがふっくらとし始めてきた己の身に項垂れていた頃、ルルーナの視線は彼女の胸元に向いていた。暫し真剣な視線を向けてはいたのだが、程なくしてマナを奥へ連れて行きながら静かに口を開く。
「……ねぇ、マナ。気付いた?」
「何に?」
「カミラちゃん、かなりデカいわよ」
まるで内緒話でもするかのように、普段よりも幾分か小さく呟かれるルルーナの言葉にマナは一度双眸を瞬かせるが、程なくして何を言っているのかを理解して彼女の視線もそっと――盗み見るようにカミラに向けられる。
バスタオルに隠れていてしっかりとは見えないのだが、確かに横から見ればその胸元はかなりふっくらとしている。ルルーナやシルヴァほどではなくとも、充分に大きい部類だろう。それを確認するや否や、マナはがっくりと肩を落として頭を垂れた。
「カミラはこっち側だと思ってたのに……本当に結構あるわね……」
「マナにとっては思わぬ伏兵ってとこかしら? リンファもまだ年齢的な問題で控え目だけど、マナよりは大きくなるでしょうねぇ」
「うるさいわね!」
シルヴァは気にすることはないと言ってくれたが、やはりマナにとって「胸が小さい」と言うことはどうにも払拭し難いコンプレックスらしい。それともルルーナが揶揄してくるから躍起になるのか。
どちらかは分からないが、マナはいつものように声を張り上げた。
* * *
「おいジュード、聞いたか? カミラって結構デカいみたいだぞ、良かったなあ」
一方、マナとルルーナが話す岩壁の向こう。
その先は、男湯であった。高く積み上げられた大小様々な岩で壁を作っているだけの簡素な仕切り。それ故、男湯と女湯の距離は非常に近い。地震でも起きてこの岩壁が崩れてしまえば、隔たりはなくなってしまう。
そんな距離感だ、彼女達の会話はバッチリと男湯にも届いてしまっていた。
ウィルは岩壁の向こうから聞こえてきた会話に思わず苦笑いを滲ませるものの、すぐに隣で湯に沈んでいるジュードの脇腹を片肘で小突く。
だが、当のジュードはと言えば眉根を寄せて目を伏せ、しかめっ面だ。彼は慎ましやかな女性が好きなのである。誰が聞いているかも分からない場所で、女性の身体のことを妄りに話す行為を好まない。普段は単純だと言うのに、こういう面では非常に面倒な性格をしていると言える。
更に言うのなら、彼は昼間の騒動を今もまだ引き摺っているのだ。大嫌いな蛇の群れに囲まれた恐怖が依然として抜けておらず、本調子とは言い難い。
それでも、ウィルは見逃さない。彼の頬に、逆上せとは異なる赤みが差しているのを。幾らしかめっ面をしていようと、そこはやはりお年頃。好きな女の子の身体と言うのは興味の対象なのだろう。
「…………べつに……」
「……お前って、本当に嘘吐けない奴だよな」
たっぷりと空白を要してから、やがて返った何処までも抑揚のない返事にウィルは溜息混じりに呟く。寧ろこれでは「大いに興味があります」と言っているようにしか聞こえない。否、実際にそうなのだろう。
ちびはやや離れたところで犬かきをして湯を楽しみ、ライオットはもっちりとしたその身故に、湯に沈むことなく浮き輪の如く浮いていた。しかし、温泉の心地好さは伝わっているのだろう、まるで背泳ぎの如く仰向けになりながらジュードの目の前まで漂ってくる。その表情は満足そうだ。目は細められて糸状になっており、頬と思われる箇所には人間のようにほんのり赤みが差している。
「うにー、マスター」
「……ん?」
「お風呂上がったら、契約を試してみるにー」
「……あ、そうか。すっかり忘れてた」
ライオットのその言葉に、ジュードはゆっくりと意識と思考を引き戻して小さく頷く。契約は、精霊を心に住まわせることだとライオットは言っていた。契約すれば次の能力――共鳴も仲間の為に活きてくるのだろう。
共鳴は共に戦う仲間を強化するものであってジュード本人に恩恵はないようだが、それでも仲間を大切に思うジュードが、その力を有り難く思わない筈がない。
「契約に共鳴だったな、上手く出来るといいんだけど……」
「まあまあ、あんま力むなよ。変に力が入ったら上手くいくものも失敗しちまうぞ」
「うに、ウィルの言う通りだに。マスターは変に緊張するような繊細さは持ち合わせてなさそうだに、そのままが一番だによ」
「お前、自分のマスターをバカにしてるのかよ」
恐らくライオットには悪気はないのだ。しかし、下手をすればバカにしているとも思える言葉にウィルは眉尻を下げて苦笑いを浮かべた。当のジュードには全く気にしたような様子はないが。
気にしていないのか、それとも契約や共鳴のことで頭がいっぱいなのか。はたまた未だにカミラの身体のことでも考えているのか。
しかし、そんな時。不意に女湯の方から聞き捨てならぬ会話が聞こえてきたのである。
「ねぇ、マナって小さい頃からジュードやウィルと一緒だったんでしょ? あの二人、彼女がいたことってないの?」
女性陣も湯に浸かっているのだろう。この心地好い時間を堪能しているような音が聞こえてくるが、湯を掛ける小気味好い音と共にそんな言葉が聞こえてきた。この声はルルーナだ。
「(なんでいきなりそんな話になってるんだ)」
「(女の子って本当に恋愛の話とか好きだよな)」
当然その声や会話が男湯――つまり、ジュードやウィルの耳に届かない筈がない。彼女達にとっては聞かれて困るものでもないのか、声量が落ちるような様子もなかった。
「彼女おぉ? あの二人に? ある訳ないじゃない、どっちも仕事バカなんだから」
「(ひどい、マナひどい)」
「(マナだって結構な仕事バカなのに)」
それでも、マナが考えるまでもなく否定するのに対し「そんなことはない」と言えないのも事実。これまでジュードもウィルも、仕事のことが第一で恋愛に時間を割くことなど全くなかったのだから。ウィルはマナのことを想っていた為、と言うのもあるのだが。
ジュードもウィルも互いに言葉にこそ出さないが、思うことはどちらも大体同じだ。湯に浸かりながら岩壁に背中を預け、目を閉じて溜息を一つ。
「じゃあ、あの二人ってどっちも童貞なのね」
そのルルーナの言葉に、ウィルは思わず噴き出した。
一体何を言い出すのか、と言うか何を話しているのか。何故唐突にそのような話になっているのだと、ウィルは頭を抱えたい心境に陥る。更に、その言葉の意味が理解出来なかったと見えるジュードが「どういう意味なんだ」と問うてくるものだから、余計に。
「童貞……まあ、そうでしょうね」
「どう……てい?」
「生まれてから一度も性経験のない男性のことを指します、カミラ様」
「ふふ、あまり女を知らない男の方が良いのだぞ。遊んでいない男と言うのは基本的に真面目なのが多いからな」
岩壁の向こうから次々に聞こえてくる女性陣の言葉に、ウィルは片手で額の辺りを押さえて項垂れる。リンファの説明のお陰でようやくジュードも意味を理解したようだが、何故それでウィルが噴き出すのかまでは分かっていないようだ。頻りに疑問符を浮かべながら首を捻っていた。
無理もない。ジュードにとって性行為と言うのは妄りにするものではない、と言う固過ぎる認識があるのだから。
童貞だろうと、別に悪いことではない。しかし、ウィルにも男としてのプライドがある。なんだかバカにされているようで――否、単純にバカにされているのだろう。なんとも複雑な心境であった。
「(こんな会話聞いて、どんな顔すりゃいいんだよ……ああ胃が痛い)」
重苦しい溜息を吐くウィルを眺めてジュードはライオットと顔を見合わせると、また不思議そうに首を捻った。