第七話・地上げ屋と魔物
「そろそろかしらね、本当に大丈夫かしら……」
「みなさん、危険があったら私達には構わずに逃げてください。私達の問題にみなさんを巻き込んでしまう訳には……」
「この子達はこれでも色々と危険な橋を渡ってきている、心配は無用だよ」
翌日、ジュード達は昨日引き受けたように地上げ屋の説得に臨むべく旅館の出入り口――玄関先で待機していた。メネットやトリスタン、その他の従業員達もそれぞれ不安そうな面持ちで彼らを見守っている。本当に大丈夫なのか、なんとか出来るのか。彼らの表情にはそんな心配が見て取れた。しかし、僅かに期待も滲んでいる。上手くいけばまた営業が出来るのだから当然だろう。それだけでも、彼らがどれだけこの旅館を想っているのかが理解出来た。
旅館の営業再開はもちろんなのだが、メネットが心配なのはジュード達を巻き込むことのようだ。今にも泣き出してしまいそうに表情を歪めていた。シルヴァはそんな彼女を振り返ると、安心させるように優しく微笑む。
旅館は確かに古びてはいるのだが、玄関先のこの空間を見ただけでも掃除が行き届いていると言うのが容易に窺える。食堂と同じく埃の類は一切見受けられず、出入り口脇にある鏡は曇った部分もなく綺麗に整えられている。その縁を飾る金の装飾も錆びた部分など存在しておらず、何処までも美しかった。
トリスタンやメネットの言葉通り、この旅館は彼らにとって何より大切なものなのだ。今は使われていないとのことだが、恐らくは温泉も大層素晴らしいものだろう。
それを思うと、ジュード達は自然と思った。この旅館を絶対に守らなければ、と。
トリスタンはメネットの隣に佇み、ジュードを見遣る。正確にはジュードではなく、常に彼の傍らに在るちびを、だが。
「なあ、本当にその魔物……大丈夫なのか? 確認しとくけど……お前、人間なんだよな?」
「……そうだよ、一応ちゃんと人間みたいだ。ちびは滅多に人を襲ったりしないから、大丈夫」
ジュードは背中に掛かった声に傍らのカミラと共に肩越しに振り返ると、一度だけ小さく頷いて肯定を返す。リュートにも「バケモノ」とは言われたが、やはり人間なのか否かと問われるのは嬉しいことではない。しかし、それも仕方のないこと――人間と魔物は相容れない存在なのだから。人間が魔物と共にいる、その現実は普通の人間には受け入れられないことと言えた。
それが分かっているからこそ、ジュードは特に文句を返すことなく返答を告げるのみに留めた。ライオットは彼の肩に乗ったまま、心配そうにジュードを見つめる。
カミラは一度こそ複雑そうに口唇を噛み締めはしたのだが、やがて特に言葉を連ねることはせずにそっと片手でジュードの衣服の裾を掴んだ。するとジュードはトリスタンから視線を外し、翡翠色の双眸を丸くさせながら彼女を見遣る。だが、すぐにその意図や意味に気付いたか、そっと眦を和らげて笑った。
カミラは彼女なりに、ジュードを元気付けようとしているのだ。周りがどう見ようと、自分達がいるから大丈夫だと。ウィルとマナは、そんな二人の様子を生暖かい視線を以て見守っていた。
リンファは旅館の玄関戸をそっと開けて外を見遣るが、一向に姿を見せない地上げ屋に怪訝そうに表情を顰める。もう約束の時間だ、そろそろやって来ても良い頃である。
「リンファ、何か見える?」
「いいえ、地上げ屋らしい姿は特に――……ッ!?」
マナから掛かる問いにリンファは小さく頭を左右に揺らし、外に出て確かめてみようかと一度扉を閉める。だが、その時だった。
不意に、辺りが揺れたのだ。地震とは異なる人為的なものと思われる揺れ。大地が揺れたと言うよりは、この旅館そのものに衝撃が走ったような、そんな感覚であった。それと同時に何処からか、何かが崩れるような物音も聞こえてくる。
「きゃあぁッ!」
「な、なんだ!? どうしたんだ!?」
メネットはその揺れに思わずよろけ、トリスタンは妹の身を支えながら慌てて周囲を見回す。従業員達も混乱したように各々取り乱しながら辺りに視線を巡らせた。
ちびは四足をしっかりと張り「ガウッ!」と咆哮を一つ。その視線と意識は旅館の外に向いている。ジュードはその様子を確認するや否や小さく舌を打ち、ちび共に外へと飛び出した。
「ジュード!」
「外か、俺達も行くぞ!」
カミラが慌てて彼の背中に一声掛けるが、当然それで止まるジュードではない。そのまま駆け出していく彼に慌てて続き、ウィルやマナ達もジュードやカミラに続いて旅館を出て行く。
先んじて外に飛び出したジュードは、そのまま視線を周囲へと向けた。すると、旅館の側面――そこに見慣れぬ男達の姿を捉える。あろうことか、その中には大型の魔物の姿さえ見受けられた。ジュードは一度こそ怪訝そうな表情を浮かべはしたのだが、旅館の壁に男達が棍棒を叩き付ける様を目撃すると即座に表情を顰めて声を上げる。
この旅館はメネット達によって大切にされているが、造り自体は年季が入っているのだ。一言で言うのなら随分と古いもの。強い打撃を何度も加えられれば破損してしまうし、更に繰り返されては支えを失い倒壊する可能性さえあった。
「おい、あんた達なにやってるんだ!」
「ああ? なんだ、このガキは」
ジュードの声に反応して振り返った男達は、いずれも厳つい。剃っているのか禿げ上がっているのかは定かではないが、頭部にはほとんど髪がなく、眉さえも存在しない。頬や目元、頭には大小様々な傷痕が残り、粗暴そうな印象を与えてくる。第一印象は最悪だ、悪漢にしか見えない。これで「実はとても良い人なんです」などと言われても、流石のジュードでも疑ってしまうだろう。カミラとて危うい。
男達はジュードを振り返ると、彼と同じように表情を顰めた。旅館の壁を叩いた棍棒を一度緩慢な所作で引き上げ、一定のリズムを保ちながら己の肩をトントンと軽く叩く。口元には下卑た笑いを滲ませて。
「ジュード! ……この人達は?」
「分からない、でも旅館をあの棒で叩いてて……」
「魔物までいるじゃないか、さっさと旅館を破壊して追い出そうってのか……?」
そこへ、カミラ達が追い付いてきた。ウィルは見るからにガラの悪い男達と、彼らの後方に見える大型の魔物を確認すると嫌悪を前面に押し出して眉を寄せる。
マナは彼の言葉に口唇を噛み締め、込み上げる憤りのままに口を開いた。
「あんた達、地上げ屋でしょ! 話もしないでいきなり旅館を壊そうとするなんて、どういうこと!?」
「ああ? なんだ、あのガキ共……用心棒でも雇ったのかァ?」
「にしてはコッチもガキ共ばっかりじゃねーか! こりゃ笑えるなぁ! ギャハハハ!」
「話なら何度もしたぜぇ? それこそ根気強く根気強~くなぁ? それでも断ってきやがるから、俺達も胸が痛むのを我慢してこうしてるんじゃねーかぁ!」
すると、男達は特に否定をするでもなく肯定し、あまつさえ揶揄と共に大声を張り上げて笑った。否定しないと言うことは、恐らくこの男達がメネットやトリスタン達を苦しめている地上げ屋なのだろう。次々に上がる言葉には確かな嘲りが滲んでいた。
シルヴァはそっと小さく吐息を洩らすと、幾分困ったように眉尻を下げる。
「やれやれ……穏やかに話し合い、と言うのは無理そうだな」
「そうですね、このままでは旅館が破壊されてしまいます」
シルヴァが呟くと、その言葉には彼女の傍らに立つリンファが同意を示して頷く。とてもではないが、穏やかに話し合いなど出来る雰囲気ではない。地上げ屋の男達は既に武器を携え、力業でメネット達を追い出そうとしているのだから。
地上げ屋の男達にも退く気は全くなさそうだ、何処までも人を小馬鹿にするような笑みを浮かべてゆっくりと歩み寄ってくる。
「正義感に駆られたガキ共が、イイ気になりやがって! 構わねぇ、邪魔するってんならやっちまえ!」
「シ、シルヴァさん、どうするの!?」
先頭に立つ特に粗暴そうな男が声を張り上げると、残りの男達はいきり立つように吠え立て、勢い勇んで突撃してきた。
マナは慌てて数歩後退すると、傍らのシルヴァの腕を掴んで指示を求める。するとシルヴァはジュードやウィル、リンファと共に前列へと並び腰元の剣に片手を添えた。
「やむを得ん、取り敢えず大人しくさせる。マナちゃんは下がっていなさい」
「は、はい……」
マナはシルヴァに言われるまま、何処かぎこちなく頷く。説得や話し合いだと思っていた為に、突然の出来事に上手く頭が反応出来ていないのだ。
マナは攻撃魔法をメインに扱う後方支援型、更に言うのであれば今回の相手は人間だ。下手をすれば命を奪ってしまう可能性があった。
言われたようにマナは頷き、後方へと退く。ジュードは鞘ごと剣を引き抜くと、ウィルと共に身構えた。リンファは特に武器などなくとも、体術で充分に応戦出来る。カミラを庇うように彼女の前へと立つ。
――ちなみに、ルルーナはこの場にはいない。彼女には昨夜マナやカミラが事の顛末を話しはしたのだが、結局ルルーナは反応らしい反応を返しては来なかったのである。やりたいなら好きにすれば良い、そんな様子で。
男達は手に持つ棍棒や両刃の剣、短剣や槍など各々愛用の得物を手に持ち、勢い良く駆けて来る。手加減しようなどと言う気は微塵も感じられなかった。邪魔者は全て排除する、文字通りそのつもりなのだろう。
これでは話をしようにも、出来る筈がない。取り敢えずシルヴァの言うように今は男達を黙らせるのが先決である。
しかし、気になるのは男達と共にいる大型の魔物だ、なぜ人間と魔物が共にいると言うのか。見たところトカゲのような姿形をしている、人間の三倍近い大きさがあると思われた。
後方に控えて小さく唸る魔物へ意識を向けつつ、ジュードは襲い掛かってくる男達を見据えて奥歯を噛み締めた。