第四話・不気味な屋敷
ジュード達が行き着いた屋敷は、夕闇に包まれる時間帯も手伝って非常に不気味な雰囲気を醸し出していた。
屋敷の中は明かり一つ灯ることなく、何処か哀愁さえ漂う。木造の造りは築十数年か、随分と古い。多少でも火が出ればあっという間に全焼してしまいそうだ。幾つもある部屋のカーテンは全てが閉ざされていて、窓から中の様子は全く窺えない。
ジュードが試しに屋敷出入り口と思われる両開きの扉を押してみると、その戸は予想に反してあっさりと開いた。どうやら施錠はされていないようだ。開いた先も案の定明かりはない、何処までも暗闇が続いていた。まるで迷える子羊を歓迎するかのように、ぽっかりと口を開けて。
「ねえ、ジュード。本当にこの屋敷に入るの?」
「だって、この近くに村か街があるか分からないんだろ。なら、ここで休ませてもらった方が良いんじゃないかな。シルヴァさんだって疲れてるだろうし……ほら、なんか旅館っぽい幟もあるしさ」
「見るからに古びてるじゃない、もうやってないんじゃないかしら……」
嫌そうに声を掛けてくるマナを振り返ると、ジュードは出入り口脇に立つ古びた幟を示しながら至極当然のように返答を向ける。しかし、ルルーナが即座に言葉を返した。どうやらマナとルルーナは余程この屋敷に入るのが嫌らしい。
彼女の言うように、そこに鎮座する幟は屋敷の外観と同じく非常に古びている。端など完全に解れており、どれほど年季が入っているかは容易に想像が出来てしまうほどだ。未だ使われているのか否か、そればかりは定かではないが。
「真っ暗だね」
「本当だね、どこかに明かりでもあれば良いんだけど……」
ジュードの後ろから中を覗いたカミラは、先に広がる真っ暗な空間に思ったままの感想を洩らす。ジュードはそんな彼女に小さく頷くと、静かに屋敷の中に足を踏み入れた。片手は壁につきながら、慎重に。明かりが一つもない為に満足に足元が見えないのだ。カミラはジュードの後に続いて屋敷の中へと入っていく。
なんとも警戒心のない様子にマナもルルーナも呆れ顔で深く溜息を吐き、シルヴァは何処か愉快そうに笑いを洩らした。
「ふふ、ジュード君も巫女様も好奇心が旺盛だな。物怖じしないと言うか」
「あの二人はどっかおかしいんです、普通は怖がりますよ」
「まあまあ……ジュードはともかく、カミラは巫女なんだ。オバケとかは怖くないんだろ」
ウィルの言うようにカミラは姫巫女と呼ばれる存在だ。魔族だけでなく物の怪の類は、光属性の魔法を扱う彼女にとって敵ではない。それ故に恐怖する対象ではないのだろうと予想出来た。
「ジュード様には怖いものはないのでしょうか、あの方が怯えている姿はあまり見たことがありませんが……」
「ないって訳じゃ……」
「……ないんだけどな」
愉快そうに笑うシルヴァの隣、相変わらず無表情のまま呟いたリンファに対しマナとウィルが呟く程度に返答を向ける。
ジュードに苦手なものがない訳ではない。ただ、運良くこれまで遭遇してこなかったと言うだけだ。現に、マナは水の国のあの森でジュードが怯える様を目の当たりにしている。襲撃してきたアグレアスやヴィネアの相手をしていて他のメンバーは気付かなかったようだが。
幼い頃から兄妹のように育ってきたウィルやマナにとっては、ジュードの弱点など既に知り得ていることだ。
「とにかく俺達も行こうぜ、早く行かないと置いてかれちまう」
「うう……本当に入るのね……」
今はまず、ジュードとカミラを追うのが先だ。見れば、頭にライオットを乗せたちびも既にジュードを追って中に入ったものと思われる。姿が見えなくなっていた。屋敷は非常に大きい。そんな広い屋敷、更に視界の利かない中で散り散りになるのは得策ではないのだ。
ウィルがそう声を掛けるとマナはしがみついたままだった彼の腕に一層強く抱き着き、嫌そうに表情を歪ませた。ルルーナは彼女の様子に目敏く気付くと、小さく咳払いをしてから――同じく掴んでいたウィルの片腕を解放する。
「……あら、私はお邪魔みたいね?」
「「ルルーナ!!」」
紅の双眸を何処か上機嫌に細めながら揶揄と思われる言葉を向けてくるルルーナに、ウィルとマナはほぼ同時にその意味を理解して声を上げた。
今は時間が欲しいと言ったマナだが、二人の関係はあれ以来進展していないのだ。取り敢えず今は考える問題があり過ぎる、色恋に余計な時間は割いていられないのが現実なのである。ウィルはそう思っていた。
しかし、マナは少々異なる。先程の休憩前に見た光景――シルヴァと談笑する彼の姿が頭から離れないのだ。思えば、これまで年上の女性と接する機会などほとんどなかった。あったとしても風の王都フェンベルの女将くらいのものだろう。それ故に、もしかして大人の女性の魅力に気付いてしまったのでは、と。そんな心配がマナの中には確かに芽生えていた。
「(嫉妬とか不安って、あたしには必ず付いて回るのね……)」
マナはそう思いながら、人知れず小さく溜息を洩らす。
しかし、そんな時。不意に屋敷の中から物音が聞こえてきたのだ。何かが動いた、などと言う生易しいものではない。まるでハンマーなどの鈍器を思い切り叩き付けたような、そんな重苦しい音だ。
ウィルは咄嗟に表情を顰めると、開かれたままの扉から屋敷の中へと足を踏み入れる。
「ジュード! カミラ!」
「二人とも、大丈夫!?」
そうなると、マナとて怯えているようなことはない。慌てたように駆け出したウィルと共に屋敷に駆け込むと、目の前に広がる暗闇へ声を上げた。近場にいてくれれば良い、そう思いながら。
シルヴァはそんな二人に続く形でリンファやルルーナと共に屋敷に入ると、双眸を細めて気配を窺う。
――神経を集中させているのだ。だが、すぐに意識と思考を引き戻し緩く頭を振った。
「どうやら、もう奥に向かったようだな。急ごう、何かあるとマズい」
「ああもう、だからやめようって言ったのに……」
「禍々しい気配は感じられませんが……気を付けていきましょう」
リンファの言うように、確かに魔物が醸し出すような独特の雰囲気や気配は感じられない。しかし、何があるかは分からないのだ。気を付けるに越したことはなかった。
シルヴァを先頭に、その後ろにはウィルとマナ、更にその後方にルルーナとリンファが続く。殿はリンファが務めていた。彼女なら何らかの気配を察知すれば早々に動ける為である。視界の利かない中で前後からの挟み撃ちなどに遭うのは避けたかった。
「ジュードとカミラ、大丈夫かしら……」
「ちびが付いてるんだ、大丈夫さ。ちびなら暗くても見えるだろ」
「静かに、……なんだ、争っているのか……!?」
不安そうに呟くマナに、視線は進行方向へ向けたまま即座にウィルが返答を向ける。ちびは夜の闇の中でも活発に動くことの出来るウルフである、それ故に暗闇など問題にはならないだろう、ウィルはそう思ったのだ。
しかし、そんな二人の会話を制するように幾分潜めた声量でシルヴァが呟き、そして足を止めた。片手の人差し指を口唇前に添えて耳を澄ますと、確かに争うような物音に続いて声が聴こえてくる。
だが、その声はジュードやカミラのものではない。
「明らかに人の声じゃない! なによ、怖がらせてくれちゃって!」
「本当だわ! 一体どこのどいつよ!」
そうなると、元気になるのは先程まで怯えていたマナとルルーナだ。相手が幽霊という――妙に人の恐怖を刺激するものではないと分かれば、次には腹立たしさが芽生えてきたらしい。尤も、誰も「幽霊が出る」などと言ってはおらず、完全に彼女達の思い込みであったのだが。
マナは杖を、ルルーナは腰から鞭を取り出し、早々に騒ぎの元へと駆け出した。
「ふふ、彼女達の元気も有り余っているようだな」
「マナ達が勝手に怖がってただけなんだけどなぁ……まあ、早いとこ追い掛けましょう」
ウィルの言葉にシルヴァはしっかり頷くと、先んじて駆け出していくマナとルルーナの背を追う。取り敢えず争いの場は近い、音は随分と近くから聞こえてくる。恐らくは突き当たりの通路を曲がった先の部屋だ。
マナとルルーナは我先にと目的の場所へ駆けては行くのだが、やがて見えてきた部屋の出入り口――不意にそこから飛び出してきた何かに思わず悲鳴を上げた。
「きゃあああッ!?」
「な、なによ、これ!?」
「なにって……人だろ」
普段の言い合いも何処へやら、こんな時ばっかりは意気投合しているらしくマナとルルーナは互いに抱き合いながら飛び出てきた物体を見下ろす。そんな様子を見て追い付いてきたウィルは苦笑い混じりに、そして冷静にツッコミを入れた。
部屋の中から仄かに溢れ出す光が、その物体が人であることを教えてくれる。見たところ随分と大柄な男だが、打ち所が悪かったのか完全に目を回していた。部屋の中に目を向けてみると、中にはやはりジュードとカミラがいる。室内は依然として暗いが、光属性を付与させる『ディバイン・エッジ』の輝きがカミラの剣に宿り、確かな灯りとなっていた。部屋から洩れる仄かな光は、その効果だ。
恐らく男はジュードに殴り飛ばされたか、蹴飛ばされたのだろう。戦闘になると手癖も足癖も悪いのがジュードだ。室内には他にも数名、既に倒されたと思われる人影が見える。
「ジュード、カミラ! 大丈夫か!」
「……え、あ。ウィル、みんな。なんかよく分からないけど、この人達――」
一体何故このような戦闘になっているのか。それは分からないが、既に勝敗は決している。
ハッキリとした様子は確認出来ないものの、ジュードもカミラも、ちびもまだまだ余力は充分と言った様子だが、正体不明の何者か達は既にボロボロだ。何名もの人間が床に倒れ臥しているし、今現在対峙している男数人も息は切れ、立っているのもやっとと言える状態であった。余程のことがない限り、この戦況をひっくり返されたりはしないだろう。相手が人間である以上、無意味な争いはすべきではない。シルヴァもウィルも、そう思い武器から手を離した。
――だが、その刹那。不意にカミラが声を上げる。
「ジュード! あぶない、後ろ!」
「え……――――ッ!?」
次いだ瞬間、不意にジュードは目の前に星が散るような錯覚を覚えた。ちびが離れた場所で他の者と交戦しているのを良いことに、ジュードの背後から何者かが近寄り思い切り彼の後頭部を鈍器か何かで殴り付けたのだ。辺りにはゴイイィン、と言う打撃音が木霊した。それと同時にジュードは両手で後頭部を押さえてその場に蹲り、ちびはそんな彼を慌てたように振り返る。
「に、にー!? マスター、大丈夫かに!? すんごい音がしたにー!」
「ジュード! ……許さないんだから!」
ちびの頭上からはライオットが声を掛けるが、同時にカミラがそちらに駆け出す。ウィルやマナも武器を構えようとはしたのだが、そんな意思はすぐに崩れ去った。
何故って、カミラが剣を振るおうとした対象からは「きゃあっ!」と言う可愛らしい声が聞こえてきたからだ。その予想外の声を聞くや否や、カミラも双眸を丸くさせて慌てて立ち止まった。
「きゃ? ……お、女の子……?」
それは、予想に違わず少女であった。
やや明るめの柔らかそうな栗色の髪と、白いブラウスに緑色のスカート。武装したような様子は全く見受けられない、一般人と思われる少女だ。カミラの気迫に押されたのか、その場に尻餅をつき、床にはフライパンが転がっていた。恐らく、これでジュードの頭を強打したものと思われる。
少女は双眸を丸くさせ、何処か怯えたようにカミラを見上げていた。