第三話・地の国への入国
「それで、ライオット。肝心の契約ってどうすれば出来るんだ?」
ジュード達は、馬車に揺られながら先程の会話を続けていた。
手綱は相変わらずシルヴァが握っている。休憩までは彼女の傍らに座っていたウィルも、今はジュード達と同じく馬車の中だ。
窓からは橙色に染まる空と外の景色が見える。もう夕暮れ時だ、そう時間も置かずに辺りは夜の闇に包まれるだろう。ジュード達はこれまで地の国グランヴェルに足を踏み入れたことはない、それ故にあとどれ程で関所に行き着くのかさえ分からなかった。
だが、先程休憩に入る際に、関所まではもうすぐだと話があったのを誰もが記憶している。ならば、それまで話をしていても問題ないだろうと思ったのだ。
ジュードの問い掛けに、彼の傍らに座り込むちびの頭に乗ったライオットが応えた。ちびの頭の上はすっかりライオットの定位置だ。
「契約は難しいものじゃないに、でも……」
「でも?」
「……どこか落ち着ける場所に着くまで待ちたいに」
「どうしてよ、出来るなら早い方が良いんじゃないの?」
ライオットは光の精霊だ。契約すれば共鳴の能力で、光属性を持つカミラの能力が強化される筈である。力が増すことに困る筈はない、ルルーナはライオットの返答に幾分怪訝そうな表情を滲ませた。
すると、当のライオットは短い両手を腹の前でもじもじと合わせて呟く。
「うに……マスターの体質のことが心配なんだに、もしかしたら精霊を心に受け入れることを身体が拒絶するかもしれないに……」
「……熱を出す可能性があるのか?」
「分からないんだに、だから落ち着ける場所に着くまで待ちたいんだに」
ライオットは以前ジュードの体質、そしてその症状は呪いに酷似していると言っていた。だが、肝心なことはライオットにも分からないのだ。呪いなのか、はたまた先天性の体質なのか。
まずは身を休められるような場所に着いてから試したい。ライオットがそう思うのも当然と言えた。もしも、普段魔法を受けた時のように高熱を出して倒れてしまえば、ジュードは戦えない。そのような状態で、万が一魔族の襲撃でもあればどうしようもないのだ。尚且つ地の国グランヴェルの魔物がどれだけの強さであるかも定かではない以上、無闇に戦力は削れないのである。
それにはルルーナも納得だったか、それ以上は口喧しく言うことはせず何度か小さく頷く。
ちょうどその時、窓の外には武装した数人の兵士が映った。
「ああ、関所に着いたのね。ここから先はもうグランヴェルよ」
ルルーナは背中を預けていた馬車の壁から身を離すと、窓の方へと身を寄せた。そこから見える関所の様子を確認してから、小さく安堵らしき吐息を洩らす。関所には特に襲撃を受けたような痕跡はない、前線基地のように建物そのものがボロボロと言うこともなく、至って平和だ。
尤も、こちら側はあくまでも火の国エンプレス側と言うこともあり、反対側となる地の国側の関所がどうなっているかは分からないが、それもすぐに分かるだろう。関所は広くはなく、徒歩で五分も歩けば反対側出入り口に到着する。道もほぼ真っ直ぐで平らだ。
ルルーナやリンファにとっては生まれ育った故郷となる――それが地の国グランヴェルである。
「こっちから行ったら、まずはどんなところに出るの?」
「さあ、私はこっち側から出たことないもの。知らないわ」
興味津々と言った様子で、マナがルルーナの傍らから窓の外を覗き込むが、当のルルーナ本人は至極当然と言った口調であっけらかんと返答を向ける。マナはそんな彼女の言葉に双眸を半眼に細めると、胡散臭いものでも見るような視線を彼女に投げ掛けた。
「……あんた、グランヴェルの地理に詳しいんじゃないの?」
「詳しいわよ、けどこっち側には来たことないのよねぇ」
「それ、詳しいって言わないわよ」
まったく、とマナは呆れたように溜息を吐きながら力なく頭を左右に揺らす。それ以上は特に何も言わず、続いて彼女の視線はリンファへと向いた。
だが、その視線の意図に気付いたリンファはと言えば、彼女にしては幾分珍しく何処か申し訳なさそうな表情を滲ませて視線を外す。
「……申し訳ありません、マナ様。私もこの辺りは……」
「あ……そ、そうなんだ。ううん、気にしないで。行けば分かるんだから」
考えてみればリンファは長い間、闘技奴隷として地の国で暮らしてきたのだ。グランヴェルの出身であったとしても地の国全体の地理を理解し、把握しているとは言えなかった。無論、ジュード達よりは詳しいであろうが。
ルルーナにもリンファにも分からない以上、取り敢えず近場まで行ってみる他ないだろう。
「近くに街とか村でもあれば良いんだけどな、情報も集められるだろうし……」
「そうだな、地の国の装備の傾向とかも見ておきたいしな」
取り敢えず近場の情報が得られないと言うことにジュードは幾分困ったように眉尻を下げて呟く、そんな彼にウィルが同意を示して頷いた。関所の近くに何があるか分からない以上、マナの言うように行ってみるしかない。
そうこうしている内に、馬車は関所の反対側――つまり、地の国側の出入り口に差し掛かるが、特に止められることもないまま通り過ぎていく。ジュードが受け取った通行許可証はシルヴァが持っている為か、特に水の国のように止められることもなかった。
これまで、どのように足を踏み入れれば良いかさえ分からなかった地の国グランヴェル。驚くほどあっさりと入国出来てしまったことに、カミラは安心したように深く吐息を洩らした。
「なんだか、不思議だね。もっと厳しいチェックとか受けるのかと思ってた」
「そうだね、オレもそう思ってたよ。水の国が大変だったからなぁ……」
「ジュードがいなかったら、入れなかっただろうな」
カミラの言うことは尤もであった。水の国に入国する際は、火の国からやって来たと言うだけで非常に強い反発を受けたのだから。
その結果、メンフィスは水の国への入国を許可されず、ジュード達だけで鉱石を採りに行くことになったのだ。あの時、メンフィスがいてくれたらどれだけ心強かったことか。だが、過ぎたことを考えていても仕方ない。結果的に無事に済んだのだから。
何気ない言葉を交わす仲間の声を聞いて、ルルーナは窓の外を見つめたまま緩く双眸を細める。マナやリンファの意識はジュード達の方へと向いていて、彼女のその様子に気付く者はいなかった。
「(確かに、入国が簡単過ぎるわ……一体どういうこと……?)」
これまで地の国グランヴェルで生活してきたルルーナから見ても、拍子抜けするほどの入国。行商人さえ出入国が制限されていると言うのに、馬車の扉を開けてのチェックさえなかったのだ。
火の国の女王からの許可証と言えど、疑り深い地の国の人間達が実際に視認しないで入国を許可すると言うことに、ルルーナは確かな違和感を覚えていた。
馬車の扉を開けて厳重なチェックが入ったとしても、自分が一声掛ければすぐに疑いも晴れるだろう。そう思っていたのだ。
だが、実際にはチェックも何もなかった。地の国が完全鎖国を解除したなどと言う情報は当然ながら入ってきていない。もしも解除されたのだとすれば、隣国である火の国にはすぐに話が伝わって来る筈である。
一体どういうことなのか、何故こうも簡単に入国出来たのか。ルルーナは怪訝そうに眉を顰めた。
* * *
地の国グランヴェルの王都グルゼフは、広大な大地のちょうど真ん中に位置している。この地の国は他国と比べて非常に広い。真ん中、と一言で言ってもその距離は半端なものではなかった。
ジュード達は地の国の南側にある関所から入国を果たしたが、王都までの道のりは遠い。馬車を使っての移動ではあるものの、到着まで一週間ほどは掛かる。途中に村や街は当然ながら存在するが、王都までの道のりは険しい。
南側の関所から真っ直ぐ北上していくのだが、その道中には森と砂丘、そして渓谷に山がある。なんとも気が抜けない遠い道だ。
「ジュード! 見て見て!」
「なんだろう、あれ。屋敷?」
しかし、そんな彼らの視界に飛び込んできたのは、関所を出て少し進んだ先にある林だった。厳密に言うのであれば、林の中にポツンと寂しげに建つ屋敷と言うべきか。
その外観は古くはあるが、屋敷自体の大きさはかなりのものだ。築年数は定かではない、五十年、六十年は優に越えているだろう。それだけ古風な屋敷だ。青い瓦屋根が印象的で、造りが和風のものだと教えてくれる。
しかし、林の中に寂しげに建つその屋敷は夕暮れ時を過ぎて夜の闇に包まれつつある今、非常に不気味なものだ。
カミラはやや興奮気味にその屋敷を馬車の中から指し、ジュードは片手を額の辺りに添えて彼女の示す先を視線で追った。ジュードもカミラも全く気にしていないが、その屋敷が醸し出す不気味さにマナとルルーナは嫌そうに表情を顰め、どちらもウィルを間に挟んでそれぞれ彼の片腕を掴む。
「……どうしたんだよ」
「だ、だって、あの屋敷……」
「ものすご~く不気味じゃない、なんであの二人は平気なのよ……」
マナもルルーナも、馬車の窓に張り付いて屋敷を眺めるジュードとカミラの背中を「信じられない」とばかりの表情で見つめる。リンファはそんな彼女達の様子を、やはり余計な口を挟むことなく見守っていた。
どうか、シルヴァがこのまま屋敷を無視して先に向かってくれますように。マナもルルーナも内心でそう願うのだが、無情にも馬車はその屋敷の前で停まってしまった。それに気付いたウィルは困ったように苦笑いを滲ませる。
そして、程なくして馬車の扉が開かれた。
「シ、シルヴァさあぁん! もしかして、今日この屋敷に泊まるの!?」
そこから顔を覗かせたシルヴァを確認して、真っ先に泣き出しそうな声を上げたのは当然マナだ。嫌々と頭を左右に揺らす彼女の双眸は何処か涙目である、余程嫌なのだろう。ルルーナも嫌そうに表情を顰めている。
そんな二人の間に挟まれて困ったような表情を浮かべるウィルを見遣りながら、シルヴァは幾分申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。
「あ、ああ、そのつもりだよ」
「絶対にやめておいた方がいいわ、だって見るからに不気味じゃない!」
「そうは言っても、身体を休める場所がないと困るだろう。野宿では充分な休息にはならない。王都までの道のりは長いのだから、我慢してくれ」
「そうですね、私達は女王陛下から重要な任務を任された身です。途中で倒れることがあってはいけません」
そうなのだ。今のジュード達は、火の国の女王から各国の王へ書状を届けるという重要な任務を与えられている。リンファの言うように、途中で倒れる訳にはいかない。
「で、でも、屋敷の中で何があるかも分からないでしょ!?」
「そうよ、こんな不気味な……」
シルヴァの言葉に対し冷静に同意を示したリンファに、マナもルルーナも必死に言葉を連ねる。何があるか分からない――確かにそれはそうなのだが、このまま無理に進んで疲労から負傷、などと言う事態に陥っては先が思いやられる。
どうしたものか、どう説得すべきか。シルヴァは困ったように小さく溜息を洩らした。