第二十八話・各国を巡る旅
「それでは、行って参ります」
「うむ、お主が同行するのであれば問題ないとは思うが……充分に気を付けるようにな」
「はい、ジュード君達は大丈夫です。私が必ずお守りします」
シルヴァは見送りにやって来たメンフィスと向かい合い、片手を静かに額の辺りに翳して敬礼しながらしっかりとした口調で返答を向ける。その表情には何処となく嬉々が滲み出ており、嬉しそうだ。真っ直ぐ、濁りのない双眸を以て答えるシルヴァにメンフィスは眦を和らげると何度か小さく頷いてみせた。
そして、次いで彼の視線はシルヴァの後方に見えるジュードやウィルへと向く。メンフィスにとってジュードは可愛い愛弟子だ、その身が心配になるのは当然と言えた。
「ジュード、シルヴァの言うことをよく聞くのだぞ。彼女はこう見えて、怒ると陛下よりも恐ろしくてな……」
「は、はい。分かりました」
「ジュード君、そこで納得するな。メンフィス様もお戯れを……」
文字通りのバカ正直と言った様子で返事を返すジュードを肩越しに振り返りながら、シルヴァは薄く苦笑いを滲ませる。しかし、特に気を悪くしたと言うような様子はなさそうだ。彼女の性格もあるかもしれないが、恐らくメンフィスが戯れを向けるのは日常茶飯事のようなものなのだろう。
そんなシルヴァの返答にジュードは双眸を丸くさせながら小首を捻ってみせるが、その傍らでウィルが小さく溜息を零した。
「そこで肯定したら、シルヴァさんが本当に女王陛下より怖い人って認めたことになるだろ」
「え? あ、そうか」
「はあ……お前、寝惚けてるんじゃないだろうな」
ジュードもウィルも、互いにメンフィスに渡された騎士服に身を包んでいる。普段ラフな装いが多い二人故に、女性陣から見ればなんとも見慣れないものだ。だがジュードは青、ウィルは緑。色合い的には全くと言って良いほどこれまでと変わらない。
出発前から何処か疲れたような様子を見せるウィルに対し、ジュードは改めて首を捻ると数度忙しなく双眸を瞬かせた。そんな彼を見てウィルは口角を緩く引き上げると、何処か愉快そうに双眸を笑みに細める。揶揄が飛んでくる、と反射的にジュードは嫌そうな顔をしたが、特に止めるようなことはなかった。
「まあ、寝惚けてる訳ないか。朝っぱらからあんな騒動だったもんな」
「う、うるさいな……」
あの後、ウィルはシルヴァと共に仲間を起こしに各部屋を回った。
マナやリンファは既に起床し仲間の朝食の支度をしていたが、ルルーナやジュード、カミラは別だ。
ルルーナを起こしたついでに隣の部屋のカミラも起こそうとしたのだが、彼女の姿は部屋になかった。マナ達のように彼女も既に起きているのだろうかと気に掛けつつ、ウィルとシルヴァはジュードを起こしに行ったのだが。
その先、彼の部屋では――ジュードとカミラが寝台で仲良く眠っていたのだから、それはそれは驚いたものだ。
まさか、と一抹の不安と共にほんのり共存する興味のまま慌ててジュードを叩き起こし理由を問うたのだが、その際にカミラも目を覚ましてしまったらしく「ジュードと共に眠っていた」と言う状況を頭が理解した途端、彼女はいつものようにけたたましい悲鳴を上げた。
広い屋敷内に響き渡るそんな声を無視出来るほど、彼ら一行に薄情な仲間はいない。何事かとマナ達も慌てて駆け付け、そしてひと騒動だ。どういうことなのか、昨晩何があったのか、など。憐れなほど真っ赤になって顔を押さえるカミラに追究するのは酷と判断してか、容赦のない質問攻めに遭ったのは九割ジュードの方だった。
「本当に昨日、カミラと何もなかったのか?」
「ないって言ってるだろ、ある訳ないじゃないか……」
「(くく、面白いヤツ)」
ジュードは色々な段階をすっ飛ばして先に進めるような性格はしていない。それが分かっているからこそ、ウィルも「何もなかった」と言う彼の言葉は信用している。マナやルルーナは半信半疑のようだが。
だが、その話を出す度に何処か不貞腐れたようにそっぽを向くジュードの反応が愉快で、ウィルは今日だけで既に三回ほど同じ話題で彼を揶揄している。普段振り回されっぱなしと言うこともあり、ウィルなりの些細な反逆だ。
ジュードはそんな彼を悔しそうに見遣りながら、そっと視線は馬車の傍らで談笑する女性陣――カミラに向ける。すると、彼女もちょうどこちらを見つめていたらしく、不意に両者の視線がかち合った。
そして、どちらも瞬時に顔に朱を募らせると弾かれたように顔ごと視線を背ける。そんな様を、ジュードの頭の上に乗って見守っていたライオットは小さく唸り声を洩らした。初々しい雰囲気にあてられたような、そんな様子。
「では、気を付けてな。お前さん達が戻ってくるまで、この国はワシが必ず守る。余計なことは気にせず、自分の役目を果たすことだけを考えなさい」
「はっ、メンフィス様もどうかお気を付けて」
彼らが各国を回っている間、また魔族がジュードを狙って襲ってくるかもしれない。そう思うとメンフィスの胸中には言葉で表現するのは聊か困難な不安が生まれる。しかし、だからと言って自国の防衛を放棄して彼らに同行する訳にもいかない。
先の魔物と魔族の襲撃で、王都ガルディオンの守りはボロボロだ。商店街をメインに王都の街並みは大部分が壊滅し、住宅街はともかく多くの店が機能していない状態なのだ。兵士や騎士の中には負傷者も多く、気弱になってしまっている者も少なくはない。そんな状況だからこそ、女王や民、そして部下からの信頼厚いメンフィスがこの場に残る必要があった。
幸いなことに、東の前線基地が陥落したと言うような報せは入ってきていない。と言うことは、今現在も前線基地は『雷光の騎士』の二つ名を持つクリフを中心に、多くの者が奮闘しているのだろう。それを思えばここで駄々など捏ねられる筈もなかった。
「気を付けてな、ジュード」
「はい、必ず書状を届けて戻ってきます」
「ついでに神殿にも寄らないとな、各国が纏まったところにヴェリアの民の力も加われば……大丈夫さ、きっと」
今現在の状況は、決して楽観視出来るようなものではない。だが、ウィルの言うように各国が纏まったところへヴェリア大陸の者達も戦線に加わってくれれば、魔族との戦いに於いて全く勝機がないと言うこともないのだ。
ヴェリアの民の中には、勇者の子孫が二人ほどいるのだから。更に彼らのようなヴェリアの民は光の魔法を得意とする。光は魔族に対して特に有効な力だ、光魔法の使い手が多ければ多いほど有利に戦えるだろう。
それが分かっているからこそ、ウィルの言葉にジュードもメンフィスもしっかりと頷いた。それはカミラとの別れも意味しているが、今はそのように駄々を捏ねていられる状況ではない。ジュードとて当然理解していた。
* * *
メンフィスに見送られ、ジュード達は彼の用意してくれた馬車で北東へと向かっていた。地の国グランヴェルは、この世界の東方に位置している。南側にある火の国から向かうには、王都ガルディオンの北東にある関所を通って向かうのが一番の近道なのだ。
手綱はシルヴァが握り、その傍らにはウィルが座していた。ジュードとメンフィスのように師弟関係になったと言う訳ではないが、何かと馬が合うのか、ウィルは彼女に居心地の良さを確かに感じていた。隣にいると安心するような、そんな感覚だ。
一方で、馬車の中は地の国についての話題で持ちきりであった。女王から大切な任務を与えられた上で向かうのであって、決して遊びに行く訳ではない。
しかし、そこはやはり好奇心旺盛な年頃が多い為か、馬車の中は何処か和気藹々としている。更に言うのであれば、地の国が故郷であるルルーナやリンファ以外のメンバーは、初めて足を踏み入れる国と言っても過言ではないのだから、尚更だ。
地の国にはどんなものが売っているのか、どんな料理があるのかなど。と言っても、ジュードは鍛冶屋であり、彼自身が細工を好む傾向にある。どのような鉱石が売っているのか興味があるのだろう。地の国では他の国と異なり、種類豊富な鉱石が数多く採掘されると言うのは比較的有名な話だ。
今後の戦いに有効な効果を発揮する鉱石も中にはあるかもしれない、そう思ってのことと思われる。――尤も、食に関することは純粋な興味だろうが。
「そうねぇ、私は鉱石の類には詳しくないからなんとも言えないかしら」
「トパーズやシトリンは数多く売られていると聞いたことはありますが、そのくらいなら火の国でも入手出来ますからね」
「やっぱり直接行って確認するのが一番ね、ジュードやウィルなら見れば分かるでしょ?」
火の国ではルビーやガーネットなど、主に火の魔力を強く秘める鉱石がほとんどである。だが、時折その中に紛れてシトリンやトパーズが採掘されることもあった。それ故に、あまり目新しいものではない。
地の国と言うだけあって地の魔力を秘める鉱石が多いのだろうが、グランヴェルには鉱山が数多く存在しており、そのいずれからも他の国では手に入らない鉱石が採掘されていると言う話を、ルルーナは確かに耳にしたことがあった。だが、彼女は取り立てて鉱石に詳しい訳ではない。どれがジュード達のような鍛冶屋の好奇心を擽るのか、何も分からないのだ。
「そうか、そうだな……他の国よりは色々とあるだろうし、用途を考えておかないとな」
「うん、そうだね。売ってる鉱石に合わせて色々造れるかもしれないもんね」
魔族には光の属性が特に有効なものではあるが、これまで対峙したアグレアスやヴィネアなどは、それぞれ個々の属性を持ち合わせていた。その名の通り、アグレアスは地、ヴィネアは風を。
ただ光属性を扱えれば有利に戦えると言う訳ではないのだ。それ故に様々な可能性を考えておいた方が良いとは、誰もが分かることである。
何度か小さく頷きながら呟くジュードに対し、ようやくある程度は落ち着いたか、同意するようにカミラが言葉を向けた。
だが、その矢先。彼女の視線は先程から一言も発さないマナへと向く。落ち込んでいる、暗い。そう言う訳ではないのだが、こちらの話は全く耳に入っていないように見える。
なぜなら、彼女の視線はずっと馬車の外に向けられているからだ。
「マナ、どうしたの?」
「……えっ!? あ、ああ、なに?」
「どうしたんだ、マナ。馬車に酔ったのか?」
延々外を向いていることから、ジュードは彼女が馬車の揺れに酔ったのではないかと思ったらしい。大丈夫かと心配そうな様子が表情に滲んでいた。その傍らに座るちびも、何処か気遣わしげな視線を投げ掛けて来る。と言ってもちびは魔物だ、勘違いかもしれないが。
それを見てマナは慌てて笑みを表情に貼り付けると、両手を胸の前辺りに上げて忙しなく左右に振ってみせた。
「な、なんでもないのよ! 大丈夫だって!」
だがルルーナは無言のまま、つい今し方までマナが視線を向けていた方を見遣り、そして不敵に微笑む。
マナは馬車に取り付けられていた窓から外を見ていた。窓越しの外界に映ったのは、馬の後方に座す部分。要するに手綱を握るシルヴァとウィルがいる場所――御者台だ。
「……ふぅん、なるほどねぇ……」
「……なによ」
「別に。まあ、逃げられないようにちゃんと捕まえとくのね」
シルヴァという落ち着いた大人の女性に興味を示すウィルのことを、気にしていたのだろう。ルルーナはそう解釈した。
あのウィルからの意図しない突然の告白以降、マナの興味は徐々に――だが確実にジュードからウィルへ移りつつある。そんな矢先にシルヴァのような落ち着いた大人の女性が参入し、更に彼の興味が向いているとなれば気になるのは当然であった。
ジュードとカミラは揃って不思議そうに首を傾かせ、リンファは余計な言葉を挟むことなくマナを見守り、ルルーナはそれ以上何も言わずに窓から視線を外す。
理解していないと思われるジュードやカミラはともかく、ルルーナやリンファ相手に何かしら弁解をしようと一度こそマナは口を開きかけたのだが、ルルーナの憶測は誤解ではなく図星だ。何も言えなかった。徐々に勢いを失い、萎んだ風船のように頭を垂れる。
ルルーナはそんなマナの様子を見て、何処か愉快そうに笑った。これまでと異なり嫌味そうな様など欠片もなく。