第二十五話・不安の種
ジュードとウィルは屋敷の前で女性陣と別れ、そのまま隣にあるメンフィスの屋敷へと足を運んでいた。
二人を迎え入れてくれたメンフィスは優しく笑うが、その顔には疲労が色濃く滲んでいる。ジュード達が戦闘後に休んでいる間もメンフィスはあちこちを駆けずり回り、王都の被害状況などを調べていた。更に彼は多くの騎士や兵士の心の支えとなっている為、皆のフォローも忘れずに行わなければならない。疲労が蓄積しているのは当然であった。
「カミラ達はどうした?」
「先に旅支度を済ませておくそうです」
「そうか、ならちょうど良いな」
先導するメンフィスの背中を見つめながら、ジュードとウィルは彼の後に続く。その最中に向けられた問いにはウィルが応えた。
だが、それに対して返る言葉にジュードのみならずウィルも彼と同じように疑問符を滲ませる。ちょうど良いとはどういう意味だろうか、そう言いたげに。
メンフィスはそれには応えず小さく笑う程度に留めると、赤い絨毯が敷かれた階段を緩慢な足取りのまま上っていく。ジュードとウィルは不思議そうに互いに顔を見合わせ、先を行くメンフィスの後を追った。
そして、彼が行き着いた先でジュードは不思議そうに首を捻る。
師として仰ぐメンフィスの屋敷には、これまでにも何度か足を運んだことがある。彼の自室にも立ち寄ったことはあった。
だが、今メンフィスが足を止め入っていった部屋は、彼の部屋ではなかったのだ。
「さあ、入りなさい」
「ここは……?」
不思議そうに首を捻り入室を躊躇する彼らに気付いたメンフィスは、室内の中から二人へ言葉を向ける。
その声に促されジュードもウィルも室内に足を踏み入れるが、そこはやはりメンフィスの私室とは言い難いものであった。
室内は赤で統一されており、絨毯だけでなく窓を飾るカーテンや寝台の布団も、様々な家具や小物に赤が使われている。ジュードの記憶にあるメンフィスの自室は黒や茶が多く取り入れられる落ち着いた空間だった筈だ。
壁には一枚の絵が飾られ、そこには大層美しい女性と人懐こそうな笑みを浮かべる少年、そして一人の男性が描かれていた。
ジュードの視線に気付いたメンフィスは薄く苦笑いを滲ませると、その絵を静かに見遣る。
「ここはな、死んだワシの息子の部屋だ。この国の者特有の……血の気の多い子でな、……しかし、民を守るのだと使命感に燃える子だった」
「……そうだったんですか。じゃあ、その男の人はもしかして……」
「ハッハッハ、若い頃のワシだよ。こっちが妻で、これが息子だ」
メンフィスはそこに映る既に存在しない家族達を見つめて、そっと指先で撫で付ける。その表情は常とは異なり、何処までも優しいものであった。
しかし、それもほとんど一瞬のことで、メンフィスはすぐに意識を切り替えると寝台の近くに設置されたクローゼットへと足を向ける。そしてその扉を開きながら二人を手招いた。
「ほら、こっちへおいで。息子のお古をお前達にと思ってな」
「え?」
「お、俺達に……お古?」
その言葉に、思わずジュードもウィルも双眸を丸くさせた。
だが、呼ばれたからには行かない訳にもいかない。数拍の逡巡の末にそちらに足を向けてクローゼットの中を覗き込むと、そこには色とりどりの様々な衣服が並んでいた。
見るからにジュード達が普段身に着けているような衣服とは異なるもの。生地などシルクが使われているものが多いのか、光沢さえある。
メンフィスはその中から一着ずつ取り出すと、それぞれ二人へと差し出した。
「これなどどうかと思ってな、さっきから色々見繕っていたんだが」
メンフィスがそれぞれに宛がった衣服。
ジュードは青を、ウィルは濃い緑を基調とした騎士服と呼ばれるものだった。普段から胸当て以外の防具を身に付けないジュードには、肩当てが付いたもの。青を基調とし、膝上までのジャケットタイプだ。袖部分は白く、金で縁取られている。これまでとは異なり上着そのものが長袖だ。肩当てには白いマントまで付いていた。下は普段同様に黒のパンツスタイルである。
「オレ、こういう服着たことないんですが……」
「王族に会いに行くのだ、少しはそれらしい格好をせねばなるまい」
「あ、ああ、なるほど。言われてみれば確かに……」
ジュードは差し出された衣服を受け取り、幾分困ったようにその造りを眺める。
手の平に感じるその滑らかな生地を、やはりジュードは知らない。これまで袖を通したこともないような高価な衣服だ。自分がこのようなものを身に着けて良いのだろうかと、ジュードは軽く眉を寄せて悩む。
その傍らで、ウィルもまた受け取ったばかりのその衣服を眺める。
「ウィルならばそういう服も充分に着こなせるだろう?」
「は、はあ……俺も今まであんま着たことありませんが……」
ウィルに渡された衣服も長袖のジャケットタイプではあるのだが、ジュードのものとは随分と雰囲気が異なる。
濃い緑のジャケットに幾つもの黒いベルトが飾りとして付いており、あまり騎士服には見えない造りであった。肩部分は大きく露出する形であり、丈は膝ほどまで。袖はやや外に広がる形で、その部分にも三連になって黒いベルトが取り付けられていた。
ジュードのものとは異なり、正統派な騎士タイプの衣服とは言い難い。しかし、ジュードはその衣服を見て何処か眼を輝かせていた。
「……なんだよ、ジュード」
「それ、ウィルによく似合いそうだな」
「褒められてんのか貶されてんのか……」
十中八九、ジュードは褒めているつもりなのだろう。
しかし、このなんとも微妙な造りの服が似合うと言われても、ウィルは純粋に喜べなかった。
だが、ジュードはもちろんのこと、ウィルとて正装など持ち合わせていない。取り敢えず従うしかないかと、文句を連ねることはせずに意識と思考を切り替えた。
「まあ、俺達こういう服って持ってないしな。確かに王族の前に出るのにいつもの服じゃ失礼か。……オマケにジュードなんかタンクトップだし」
「こ、これは包帯を替え易いように、って……流石にこのまま旅なんてしない!」
「わーってるよ」
そんな二人のやり取りを見て、メンフィスは表情を和らげたまま懐から先程の書状と通行許可証を取り出す。この世界の国々が一丸となる為の大切な書状だ。
それらをジュードに差し出し、しっかりと想いを言葉として連ねた。
「では、これを。お前達に危険な真似はさせたくないのだが……頼んだぞ、この書状が先の未来を左右すると言っても過言ではないからな」
「はい、必ず各国の王様に届けます」
「うむ、ただ……地の国の王族は貴族同様に良い噂を聞かん、充分に気を付けてな」
渡された書状と通行証を見下ろして、ジュードは複雑そうに表情を顰める。ウィル自身も彼の手に渡ったそれらを見つめて思わず眉を寄せた。
それぞれの胸に去来するのは別々の心境ではあるが、いずれも葛藤と呼ぶに相応しいもの。
ジュードもウィルも、思うのはリンファのことだ。地の国はルルーナとリンファの故郷ではあるが、リンファにとって彼の国には悲しい思い出ばかりが詰まっているものと思われた。
ウィルは彼女のある程度詳しい事情を知ってはいるが、逆に言えば彼以外は誰もリンファの悲しい過去の仔細を知らない。
「(リンファ、大丈夫かな……)」
リンファは嘗て、地の国グランヴェルの王都グルゼフで闘技奴隷をしていた少女である。そして、その奴隷の日々の中で最愛の兄を殺された。
そのような悲しくも忌まわしい記憶が残る国に彼女を連れて行っても良いものなのか、ウィルは悩んだ。
* * *
「なあ、ウィル。リンファさん、大丈夫かな」
メンフィスの屋敷を後にして、ジュードが真っ先に口を開いたのはそれであった。ちょうどリンファのことを心配していたウィルは、思わず足を止めて彼を凝視する。
ジュードは数拍遅れてそんなウィルに気付くと、同じように立ち止まって彼を振り返った。
「……ウィル?」
「え、あ、ああ。えっと、お前……リンファの事情、知ってたっけ……?」
「……? 何言ってるんだ、リンファさんは昔グランヴェルで闘技奴隷をしてたって聞いただろ。ちゃんと覚えてるよ」
「あ、そ……そっか、そうだな」
至極当然のように返った返答に、ウィルは思わず安堵らしき吐息を洩らす。ジュードはリンファが闘技奴隷だった過去を心配しているが、ウィルの心配はその先だ。闘技奴隷であった為に味わった深い悲しみ、そこに至るまでの過酷な運命が彼女に刻んだであろうトラウマを心配している。
「(ジュードが知らないってことは、リンファはやっぱ俺にしか話してない……つまり、そんだけの深い傷ってことだよなあ……)」
そこまで考えて、ウィルは思考を切り替えるように小さく頭を左右に振った。止めていた歩みを再開させると、ジュードもそれに倣い再び歩き始める。
だが、その様子は何処か心配そうだ。物言いたげに視線のみをウィルに投げ掛ける。
「……あとで、リンファに聞いてみようぜ。地の国に行くけど、大丈夫かって」
「……うん」
「バーカ、お前がそんな顔してどうするんだよ」
視線を下げて表情を曇らせるジュードの隣に並びながら横目に彼を見遣り、ウィルは常の揶揄の如く幾分軽い口調でそう告げた。普段ならばその後に更に揶揄が続くことも多いのだが、今回ばかりはそれは憚られた。
地の国に行く――それはつまり、ヴェリア大陸に渡る許可証が全て揃うと言うこと。それは、カミラがヴェリア大陸に帰ってしまうことを意味していた。ジュードがそれを気にしていない筈がない。
そこまで考えが行き着くとウィルは言葉で揶揄する代わりに、隣を歩くジュードの頭を軽く掻き乱すようにやや乱雑に撫でた。その心にある影を少しでも祓ってやれたら、と願いを込めて。




