第二十四話・葛藤の時
ジュード達は、シルヴァに連れられて王都ガルディオンの地下牢へと足を運んでいた。
石造りの地下は気候が温暖な火の国エンプレスだと言うのに、何処か冷たい空気を孕んでいる。視覚的なものもあるかもしれないが、ヒヤリとした肌寒さにマナは思わず自らの身を抱き締めるように両手を二の腕に添えて、手の平で軽く摩った。
程なくして見えてきた幾つもある牢は頑丈な鉄格子で覆われ、中には数多くの罪人が閉じ込められていた。恐らくこの牢の何処かにはリュートもいるのだろう。そこまで考えて、ジュードは思考を切り替えるように小さく頭を振る。女王やカミラの言葉を考えれば彼にも協力を要請しても良いのだろうが、今はまだジュードの気持ちがそれを善しとはしなかったのである。
罪人達は皆、シルヴァ達の姿を視認すると下卑た笑い声を洩らしながら鉄格子へ歩み寄ってきた。
「おやおや、これはシルヴァ様では御座いませんか。今度はガキ共をお捕まえになられたので? いやいや血も涙もないお方ですなぁ!」
明らかに馬鹿にするような物言いをする罪人の男達に、シルヴァは一瞥のみを向けるが特に相手をすることはなかった。
火の国エンプレスは女が王となり国を治めている地ではあるが、それを快く思わずに馬鹿にする者は少なからず存在する。それ故に、女の身で騎士を務めるシルヴァを小馬鹿にする者もいるのだ。女の癖に男の真似事なんかしやがって、と。
ジュードやマナはそんな男達の様子に不愉快そうに表情を顰めるが、シルヴァは常と変わらず穏やかな声色を以て促しを向けた。
「放っておきなさい、言いたい者には言わせておけばよい」
「典型的な男尊女卑タイプなんだよ、行こうぜ」
何処か複雑な、納得していないと言わんばかりの表情を浮かべるジュードとマナに対し、ウィルは薄く苦笑いを滲ませるとそう一言告げてシルヴァ同様に先へと促す。
リンファは相変わらず無表情で、ルルーナは汚いものでも見るように罪人を一瞥し、先を歩く仲間達の後に続いた。
「さあ、着いたぞ。ここがそうだ」
シルヴァの後について突き当たりを曲がり、奥まった部分に差し掛かった時。そこで彼女が足を止める。
女性と言うことで一応の配慮はされているのだろう、先の男の罪人やその一角とは多少離れた場所にある牢だった。鉄格子の頑丈さこそ変わらないが、先程の一角よりは静かに見える。ここは女性の罪人が投獄されるエリアだと思われた。但し、彼女の牢には幾つもの札が貼られている。牢の中にいる者の魔法を封じる禁術の札だ。
シルヴァは看守に視線を遣り面会の旨を伝えると、脇に除けてカミラに声を向ける。
「……巫女様の安全の為、鍵を開ける事は出来ません。どうかこのままでお許しください」
「は、はい、充分です。ありがとうございます」
カミラは慌ててシルヴァに頭を下げて礼を告げると、そっと鉄格子に歩み寄った。明かりの乏しい地下牢の中は多少なりとも薄暗いが、牢の中には暗闇にも映える赤毛が確かに見える。ローザだ。
彼女は此方に気付くと、これまでとは異なり群れからはぐれた野獣のような鋭い眼差しで睨み付けてきた。
「……あら、巫女サマご一行じゃない。こんなところになんのご用?」
「巫女様がお前と話をしたいと仰られている」
「はっ、コッチには話なんかないんだけどねぇ?」
シルヴァの言葉にローザは憎々しげに吐き捨てると、簡素な寝台を軋ませて静かに立ち上がる。そして緩慢な足取りで鉄格子に歩み寄り、その先に立つカミラを冷ややかな眼差しを以て睨んだ。
「……ローザさん、教えてください。あなたはなぜ自分が巫女だと……そう言ったのですか?」
「ふんっ、アンタみたいなのには分かりっこないでしょうね」
カミラの問い掛けにローザは猫眼を不愉快そうに細めると、鋭い視線はそのままに胸の前で腕を組んでみせた。
視線は一度彼女から外し、その場に居合わせる面々を見遣った末に改めてカミラへと戻す。
「アタシの方が巫女に相応しいからよ」
「どういうこと?」
「巫女サマなんかより、アタシの方が才能があるってこと。アタシは色々な魔法を覚えたわ、小さい頃からたっくさん勉強して。才能だって魔力だってアンタなんかよりずーっと高いの!」
なんとも勝手な物言いに嫌悪を表すのは、当然ながらジュードとマナだ。尤もウィルやリンファ、ルルーナも表情に出さないだけで内心の憤りは同じなのだが。
「アタシは小さい頃から学校でトップの成績だった。勉強も出来て魔法も出来て、才能もある。みんながアタシを褒め称えたわよ」
「……」
「でもね、凄いだの、ローザには敵わないだの、そう言った後にみんな当たり前のように付け足すのよ。……でも巫女じゃないのよね、って嘲りを含めて」
ローザはそのまま身を反転させて背中を向けると、鉄格子へ寄り掛かる。僅かながら勢いの落ちたその語調に、カミラは緩く口唇を噛み締めて痛ましそうに表情を顰めた。
「アタシの住んでいた街は特に勇者の伝説が強く残る場所だった。だから周りの連中だけじゃない、パパもママもみんな、褒めた後には巫女じゃないのよね、って落胆するのよ! お前が巫女ならもっと良い暮らしが出来るのに、お前が巫女なら、巫女なら……って!」
「…………」
「だからアタシは決めたのよ、本当に巫女になってパパもママも、アタシを侮辱した連中も見返してやるんだって!」
彼女の言葉や事情は、やはり何処までも身勝手なものであった。
だが、カミラは鉄格子を両手で掴むと静かに俯いて顔を伏せる。親に認めてもらえない、その痛みは彼女がよく知っていた。
「なのに、なんでアンタみたいな奴が巫女なの!? アタシはね、アンタみたいな見るからにイイコちゃんですって女が死ぬほど嫌いなのよ! アンタなんかよりアタシの方が色々な魔法を扱える、色々なことが出来るわ!」
「ローザさん……」
「アタシにはジュードが必要なの! 精霊族がいれば、アタシはもっともっと強くなれるのよ! 巫女に――いいえ、巫女なんかよりもずっと強くなれるわ! アタシの方が遥かに才能があるんだからさ!」
その物言いにマナとウィルは露骨に表情を歪める。幼い頃から共に育ってきたジュードを物のように扱われることは、彼らにとって何より嫌悪すべきことだ。
だが、ジュード本人は特別気にはしていないらしい。軽く眉を寄せて複雑な表情を滲ませながら静かに口を開いた。
「……君は巫女にはなれないよ」
「なによジュード、人の傷口を抉ろうっての!?」
「そうじゃない、父さんが言ってた。人は自分以外の誰かになることは出来ない、今の自分として生まれてきたのは、必ず何か意味があることなんだ、って」
「なら、その意味ってのをアタシに教えてよ」
間髪入れず、まるで突っ掛かるかのような言葉を返してくるローザに、珍しくジュードは無表情のままに頭を横に振った。
それを見て、ローザは不服そうに眉を寄せて表情を顰める。
「そんなの知らないよ、オレだって自分が生まれてきたことの意味なんか分からない。けど、それを探すのも自分自身だ、誰かが教えてくれる訳じゃない」
「……」
「でも……今みたいに、巫女になるんだ、って違う自分になろうとするよりは……気持ち的にずっと楽なんじゃないかな」
その返答に、ローザは表情を変えることなく視線を下げる。ジュードの言葉が彼女の心に届いたかどうかは定かではないが、それ以上突っ掛かるような物言いが出て来ることはなかった。
実際にジュード達はローザが魔法を扱うところを見た覚えはない。それだけの多彩な魔法を扱うのであれば、やはり協力を要請はしたい。
しかし、今の彼女にそれを強いるのは聊か酷なように感じられたのも事実。それはカミラにも充分伝わってはいるらしく、暫し心配そうにローザを見つめていたが、余計な言葉を掛けることはしなかった。
だが、最後にただ一言だけ付け加える。
「……ローザさん、また来るね。あと……話してくれて、ありがとう」
「うるさい、さっさと消えて……」
ローザが最後に洩らしたその言葉には、先程までの力強さも勢いも全くなかった。
マナは不愉快そうに早々に踵を返し、ウィルとリンファはその後に続く。行こう、とカミラの肩を軽く叩くジュードは小さく頷いた彼女と共に彼らの後を追った。シルヴァも立ち去ろうとしたのだが、壁に凭れてローザを見据えるルルーナに気付くと、怪訝そうに首を捻る。
「……アンタ、寂しいんでしょ」
ポツリ、と。呟く程度に向けられた言葉に、ローザは弾かれたように顔を上げた。まだいたのか、そう言いたげな表情を滲ませて。
そんな彼女の様子を無表情のままに眺めながら、ルルーナは双眸を細める。
「けど、被害者ぶってれば周りが都合良く動いてくれる、なんて思わないことね」
「うるさいわね! さっさと消えなさいよ!」
「うるさいのはどっちよ、金切り声出さないでちょうだい」
感情的になるローザとは対照的に、ルルーナは何処までも冷静だ。冷静に彼女に対して軽蔑するような眼差しを向けている。
だが、元々長居する気もなかったのか早々に踵を返すと、振り返ることはせずに片手を肩くらいの高さで揺らしてみせた。
「まあ、ここでゆっくり頭を冷やすのね」
そう告げて去るルルーナを確認し、シルヴァは看守に一瞥を向けると彼女のその後に続く。
辺りにヒールの音を響かせながら歩くルルーナは、表情に確かな嫌悪を滲ませていた。
「(頭にくる、ああいう女が一番。まるで、少し前の私を見てるみたいで)」
ルルーナの中にあるローザへの嫌悪の半分は、自分に対しての分も含まれている。彼女もまた、嘗てカミラに似たような憤りをぶつけたからだ。
あの頃のルルーナは、本当に自分以外はどうでも良かった。母の為に、ただジュード達と一緒にいるだけ。母の為にジュードを国に連れて帰る、それだけしかなかった。
だが、彼らと共にいる間にルルーナには確かに心境の変化が訪れていた。
地の国グランヴェルの最高貴族として生まれた彼女には、気を許せる友人と言うものが存在せず、貴族と顔を合わせても腹の探り合いばかり。本音で話し合える者など、誰一人としていなかった。
しかし、ジュード達は別だ。自分が貴族であろうと全く無関係に遠慮のない物言いばかりをしてくる。ジュードに対して強引に求愛し続けた自分を無理に追い出すこともせず、気が付けば当たり前のように仲間扱い。甘いとは思ったが、居心地の良さを感じてしまったのも事実なのである。
最初こそ初めて得た「仲間」に戸惑いはしたが、彼女自身も今はそれなりに良い距離感を保てていると、そう思っているのだ。
「(こんな形でジュードをグランヴェルに連れて帰ることになるなんて思わなかったけど……これでやっとお母様の真意が分かる……)」
母の言葉の意味もこれでようやく解けるのだと思えば嬉しい――筈なのだが、彼女の胸には形容し難い複雑な感情が渦を巻いていた。否、それは感情と呼ぶよりは予感と言った方が良いかもしれない。
胸騒ぎのような、複雑な感覚であった。