第二十三話・女王の頼み
女王から向けられた言葉にジュードは勿論のこと、ウィル達も呆然としていた。
謁見の間の手前で合流を果たしたジュード達は、その傍で彼らを待っていたシルヴァに連れられて謁見の間の中へと足を進めたのだが、その先で女王はジュード達の扱いを簡潔に口に出した。
「ジュード、今後ともそなた達には世話になりたいと思っている」
そう告げたのだ。
国の安全を思えば、魔族に狙われているジュードを追い出すのが一国の王として当然の選択の筈。だが、女王はそれをしなかった。
それどころか、これからも協力をと要請までしてきたのだ。謁見の間に居合わせた兵士達からは当然のようにどよめきが起きる。彼らもまた、ジュード達と同じように追い出すものだとばかり思っていた為だ。
「……女王様。オレ――いや、自分がここにいたら、また魔族が襲撃してくる可能性があります」
「ふふ、分かっておるよ、ジュード。話は最後まで聞きなさい」
何処か居心地悪そうに表情を曇らせながら呟くジュードに対し、女王は玉座に腰掛けたまま優しく笑う。つり目の双眸を笑みに細めて、傍らにいたメンフィスに一瞥を向けた。
するとメンフィスは言葉もなく一礼した後、懐から三枚の書状を取り出す。
「魔族がこの世に現れたと言うことは、世界に危機が迫っていることだと妾は考えておる。ならば、今こそ国々が協力すべき時ではないだろうか?」
「……女王様」
「そこに、書状を用意してある。ジュード、そなた達には各国へ赴き、その書状を王へと届ける役目を頼みたい」
その言葉に思わずジュード達は言葉を失い、改めて呆然とした。つまり使者のようなものだ。
協力を呼び掛ける書状を各国の王へと届ける。普通は女王の信頼を得ている者が行う任務だ。それこそ、メンフィスのような。
呆然とする面々の中、真っ先に我に返ったウィルはジュードの斜め後ろから一歩前へと歩み出ると、片手を自らの胸元に添えて口を開いた。
「陛下、なぜそのような重要な役目を我々に……」
「ガルディオンに留まるのではジュードも居心地の悪い想いをするだろう? それに、情けないことではあるが……我々の中には魔族に対抗出来る者が少ない、そなた達の協力は今後も必要不可欠だ」
はあ、と力の入らない声を洩らすジュードとウィルの後方、ルルーナは傍らに立つマナを横目に見遣ると極力潜めた声量で一つ囁いた。
「……マナ、私達まで魔族と対等に戦えるって思われてるわよ」
「困るわね……実際に魔族に対抗出来るのはジュードとカミラくらいのものなんだけど……」
先日襲撃してきた――単独であれば弱いグレムリンなどはともかく、アグレアスやヴィネアのような力のある魔族が相手の場合は、ジュードやカミラ以外は満足に戦えないのが現状である。
メンフィスの戦闘訓練を受けるウィルやリンファは徐々に魔族と戦えるだけの力を身に付けてきてはいるが、それも完璧ではなく、更にマナやルルーナに至ってはそうではない。マナは元々後方支援型であるし、ルルーナはこれまで積極的に戦闘に参加するようなことをしてこなかった為だ。
「……どうする、ジュード」
「どうするもこうするも、他にないさ。これからも力になりたいけど、でもオレがここにいるとまたガルディオンが危険に晒される可能性が高いだろ、それなら……」
「ガルディオンに留まり続けるよりも、書状を届ける為にあちこち行く方が良い、か」
うん。と、頷くジュードを確認して、ウィルも納得したように何度か小さく首肯を添える。魔族の狙いがジュードであれば、その標的があちらこちらへ動く事で注意を引き付けることは充分に出来る筈である。かなりの危険は伴うが。
共に女王に視線を戻せば、彼らの表情や様子から了承の意を汲み取り、彼女はまた改めて優しく微笑んだ。メンフィスはジュードとウィルの正面に歩み寄ると、手にしていた三枚の手紙を差し出す。
「ここに三枚の書状がある、アクアリー、ミストラル、グランヴェルへ必ず届けてくれ」
「はい、王様に持って行けば良いんですよね」
「うむ、本来はワシも同行したいのだが……念の為にガルディオンの防衛に回らねばならん。その代わり、今回はシルヴァがお前達に同行する」
「シルヴァさんが?」
思わぬ言葉にジュードもウィルも、ほぼ同時に謁見の間出入り口の脇に控えるシルヴァを振り返った。すると、シルヴァは切れ長の双眸を細めて微笑む。
「彼女は烈風の騎士と謳われる腕利きだ、下手をすればワシよりも頼もしいかもしれんぞ! ハッハッハ!」
愉快そうに高笑いを上げるメンフィスを見て、ようやく周囲の兵士達の緊張も幾分か和らいできたか、つられて小さく笑いを洩らす者もちらほらと現れ始めた。
未だジュード達への扱いを認めていない者も多いようには見えるが、それでも女王には撤回する気は毛頭ない。
女王は静かに玉座から立ち上がると、その場に居合わせる面子を見回して再度口を開いた。
「最早、今の現状は我が国だけの問題ではない、世界的な問題だ。このような時だからこそ、国の違いなどに囚われず世界全体で協力していくことが大切である――皆、どうか理解してほしい」
女王のその言葉は、尤もなことであった。
魔族が世界に現れてしまった以上「自国への被害は出ていないから」と他人事を決め込む訳にもいかない。明日は我が身とさえ言える状態なのだから。
その呼び掛けに今度こそ周囲の兵士達も片手を額辺りに翳して敬礼し、異論を唱えることを止めた。
女王は続いてカミラに視線を向けると、様子を窺うように幾分控え目に言葉を向ける。
「……巫女様にも、ご協力を願えるだろうか?」
「はっ、はい! もちろんです! なんなりとお申し付けください!」
突然自分に向けられた言葉に、カミラは緊張からか思わず背筋をピンと伸ばし、やや赤面しながら何度も頷いて返答を向ける。
それを聞いて、女王もようやく安堵したように表情を――笑みとは別に和らげながらしっかりと頷いた。
だが、カミラはすぐに両手を胸の前で合わせ、指先同士を遊ぶように絡ませながら視線をそこに落として改めて口を開く。
「あ、あの、女王様……」
「うん? なんでしょうか」
「ローザさんは……どうなったのでしょうか……」
もじもじと、言い難そうに向けたカミラの問いに兵士達は再び嫌悪を露に口を開いた。無論その嫌悪はカミラに対するものではない、女王や国民を謀ったローザへ向けてのものだ。
「あの女なら、地下牢に閉じ込めてあります。ニセモノだって言うのに巫女を語り、陛下や民を騙したんですから」
「今後しっかりと身元を調べ、厳罰に処する予定です」
憎々しげに吐き捨てる兵士達に、カミラは悲しそうに表情を曇らせると視線を足元の真っ赤な絨毯へ下ろす。しゅん、と頭を垂れて俯いてしまった彼女を振り返り、ジュードは眉尻を下げて苦笑いを滲ませた。そして、すぐにその視線を女王へと向ける。
「……女王様、カミラさんに……ローザさんと話す時間を戴けないでしょうか?」
「なに?」
ジュードの申し出に女王は怪訝そうな表情を浮かべ、ウィルとメンフィスは彼と同じように苦笑いを滲ませる。そしてカミラは、パッと慌てて顔を上げた。
「カミラさんは、このままローザさんと別れるのは嫌なんだよね?」
「う、うん。女王様が仰られた通りです、今の状況は世界的な問題であって……協力しなければならない時に諍いを起こしている場合ではありません。彼女の事情を理解し、可能であれば改めて協力をお願いすることが必要なのではないかと……思います」
だが、当然ながらカミラのその言葉に兵士達は難色を示す。ローザは、自分が巫女なのだと女王だけでなく多くの者を騙していた存在だ。その反応は自然なものである。
しかし、相手が巫女であることから声を上げるには至らず複雑な――それでも反対を色濃く滲ませながら兵士達はカミラを見守った。
「きっと、ローザさんにも何か事情があるんです。巫女を語らなければならなかった事情が。……お願いします」
カミラは改めて、自分の胸の前でしっかりと両手を合わせると深々と女王へ頭を下げた。
それには流石に兵士達も何も言えず、女王は小さく唸った後に根負けしたとばかりに深く吐息を洩らす。
「……分かりました。ではシルヴァ、後で面会を。巫女様、念の為に地下牢でお話しくださいませ、見張りもお付け致します。それで宜しいでしょうか?」
女王の言葉を聞くとカミラは勢い良く頭を上げて、それはそれは嬉しそうに表情を笑みに破顔させる。そして「ありがとうございます!」と再度深く頭を下げた。
そんな彼女の様子を見守り、ウィルはジュードに一瞥を向ける。その視線に気付いた彼は小さく頷いて女王やメンフィスに向き直り本題へと戻った。
「それでは、オレ達はこれで。明日の朝、すぐにでも発ちます」
「うむ、分かった。後でワシの屋敷に来なさい、この書状とグランヴェルへの通行許可証もその時に渡そう」
「はい、分かりました」
状況は決して楽観視出来ないものとは言え、皮肉にもこれで地の国グランヴェルへ足を踏み入れる事が出来る。ジュードは胸に走る鈍痛に僅かばかり表情を顰めるが、すぐに意識を引き戻して思考を切り替えた。
カミラとの別れの時は、刻一刻と近付いてきている。離れたくないと駄々を言う訳にもいかない、彼女には彼女の使命があるのだから。
ジュード達は女王へ一礼すると、早々に謁見の間を後にする。先んじて出て行く仲間達の姿を見送ってから、ジュードは出入り口で一度足を止め玉座を振り返った。
「……女王様」
「うん?」
「ありがとうございます」
不意に向けられた礼に、女王は一度つり目の双眸を丸くさせるが、すぐに表情に笑みを滲ませる。その礼が何に対するものなのか、聡明な彼女だからこそ即座に理解に至った。
この国を追放されるだろうと予想していたことは、誰にでも分かるものではあるのだが。
「礼を言うのはこちらの方だよ、ジュード。……書状を宜しく頼む」
改めて向けられたその言葉にもう一度頭を下げて、今度こそジュードは謁見の間を後にした。
両開きの扉が静かに閉ざされる様子を見つめて、女王は一つそっと吐息を洩らす。魔物と魔族の襲撃で受けた被害は半端なものではない、その身に蓄積した疲労は当然ながら今もまだ癒えてはいなかった。疲れたような女王の様子にメンフィスは心配そうな視線を投げ掛けるが、彼が言葉を掛けるよりも先に彼女の方が先に口を開く。
「……ジュード、か」
「陛下?」
「いや、確かヴェリアの王子もジュードと言う名だったな」
「は、ワシも先日そう思っておりました」
改めて玉座に腰を下ろし肘掛に頬杖をつきながら、ぼんやりと扉を見つめて女王は薄く口元に笑みを滲ませた。
「あの子がそうであれば伝説の通りなのだがな、勇者と巫女が揃えば人々の希望にもなるだろうに」
「ヘルメス王子がいらっしゃるではありませんか。勇者の血筋はまだ絶えてはおりませぬ、希望を捨ててはなりませんぞ、陛下」
女王はメンフィスをチラリと視線のみで見遣り、そして苦笑いを浮かべて頷いた。