第二十二話・本当の目的
巫女だってバレたら、嫌われると思ってた。
ガルディオンの王城にある厨房で食事の支度を手伝っていたマナは、カミラの言葉を思い返していた。
彼女の手元には包丁と、タマネギが一つ。真顔でひたすらに刻んでいく。包丁の刃がまな板に当たる小気味好い音を響かせながら。
「…………」
マナがカミラと初めて出逢ったのは、ジュードが火の国から帰って来た時だ。一人で火の国へと旅立った筈のジュードは、二人の客人を連れて帰って来た。メンフィスとカミラを。
これまでジュードを想ってきたマナには、すぐに分かった。ああ、この子もジュードが好きなんだ、と。
当時のルルーナとは異なりマナにとって嫌な存在ではなかったからこそ、その事実はマナを苦しめたものである。単純に嫌な女であれば、嫌いになるのは容易。
しかし、カミラは違った。ジュード相手以外に、ウィルやマナに対しても何処までも好意的だった。
マナも最初は戸惑ったものだが、何気なく洩らした「友達でしょ」の言葉に対し、カミラはそれはそれは嬉しそうに笑ったものだ。
「(……そういうことだったのね、早く言えば良かったのに……)」
初めて聞いた、これまでカミラが置かれていた環境の話。それはマナだけではなく、ジュード達の想像を遥かに越えるものだった。
ヴェリア王国が陥落したとは言えそれなりに良い環境、平和な場所で育ってきたのだろうと思っていたからだ。
だが、それはジュード達の勝手な思い込みでしかなかった。それを考えて、マナは一つ溜息を零す。
なぜ、友達と言った際にあんなに嬉しそうに笑ったのか。
――それまで、友達と呼べる者がいなかったからだ。
なぜ、巫女だとバレたら嫌われると思い込んでいたのか。
――これまで、ずっとそうだったからだ。
「(ヴェリア大陸はどうなってんのよ、カミラが生まれたから魔族が現れた? そんな訳ないじゃない!)」
ひたすら無心に、まるで八つ当たりでもするようにタマネギを刻んでいくマナの背中を眺めて、ウィルは困ったような表情を滲ませた。
普段はマナの手伝いをすることも多いウィルだが、今回は手伝いに来た訳ではない。厨房には多くの料理人がいる、ウィルの手は必要ではなかった。
ならば、何故彼がここにいるのかと言うと――
「……マナ、女王様が呼んでるって」
「え? ああ、ウィル……ごめん、気付かなかった」
「すんごい形相だったけど、アンタってタマネギに恨みでもあるの?」
いつもの如く揶揄するような言葉を投げ掛けてくるのは、当然ルルーナだ。やや離れた壁に寄り掛かり、腕を組みながら薄い笑みを滲ませている。その傍らにはリンファの姿も見えた。
マナは普段と変わらない挑発的なルルーナの様子に、これまたいつもと同じように軽く眉を寄せる。
「別にそんなんじゃないわよ、ちょっと考え事」
「分かってるわよ、そのくらい」
「女王様が、今後のことで色々とお話をしたいのだそうです」
常と変わらぬ軽口のやり取りを聞きながら、リンファは頃合いを見て本来の要件を告げる。
マナはその言葉に小さく頷いて、軽く視線を宙空へと投げ掛けた。まだ彼らの問題は全く片付いていないのだ。
魔族と魔物の襲撃から、三日。
取り敢えず退けることには成功したが王都の街並みは破壊され、住人達は未だ王城に避難したままの生活を続けている。魔族が王都に現れた理由がジュードである以上、今後のことについて話し合いの場が設けられるのは必至。
しかし、他に方法などあるとは思っていない。ウィルでさえ――否、賢いウィルであるからこそ、道は一つだけだと考えている。
王都ガルディオンから出ていくこと、それだけだ。
そこまで考えてウィルは小さく溜息を吐くと、先に歩き出したルルーナやリンファの後にマナと共に続く。
厨房を後にし、広い廊下を歩きながら視線と意識は周囲へ。避難民が多いことから、人がいないと言う場所が今の王城にはほとんど存在しない。
仕方ないかとウィルは力なく頭を左右に揺らし、また一つ吐息を零してから幾分潜めた声量で口を開いた。
「……なあ。歩きながらで良いから、みんな少し聞いてくれ」
「どうしたの?」
「少し、引っ掛かってることがあるんだ」
普段よりも小さな声に先を歩いていたルルーナやリンファも、彼を肩越しに振り返る。傍らを歩いていたマナも、何処か真剣なウィルの様子に言葉もなく頷いた。
ウィルがこのような表情をする時は、大抵が真面目な話をしようとしている時だ。尤も、ジュードを揶揄する時以外に軽口を叩く方が珍しい方なのだが。
「魔族のこと、何かおかしいと思わないか?」
「例えば……どんなところ?」
「あいつら、何のためにジュードを連れて行こうとしてるんだよ」
「人間を滅ぼすため……じゃないの?」
魔族がジュードを捕まえようとしている理由。
それは以前、ライオットに聞いた。サタンがジュードを喰らう為だと。喰らった者の能力を全て吸収し我が物と出来るサタンがジュードを喰らえば、精霊を使役する能力を得るのである。
魔族の王であるサタンがそのような能力を手に入れてしまえば、それこそ人間達など簡単に葬られてしまう。
だが、ウィルは確かな疑問と違和感を抱いていた。
疑問符を滲ませながら頻りに首を捻るマナとルルーナを後目に、リンファが怪訝そうに眉を顰める。
「……ウィル様」
「リンファ、気付いたか?」
「なに、どういうこと?」
複雑な表情を滲ませてウィルを凝視するリンファを見て、ルルーナは軽く表情を顰めた。一体どういうことなのか、その説明を求めて。
それはマナも同じだったか暫しそんな彼らを眺めた末に、傍らにいるウィルへ視線を向けた。
「あいつらが人間を滅ぼすのに、ジュードの力が……精霊の力が必要だと思うか?」
「魔族は個々が恐ろしい程の強さを持っています。わざわざジュード様を捕らえてサタンにその力を捧げるよりも……魔族だけで、人間など簡単に殲滅出来るのではないでしょうか」
「じゃあ……」
その返答に、マナとルルーナは互いに顔を見合わせた。
嘗て遭遇した魔族――アグレアスやヴィネア、そしてイヴリースもそうだ。彼らは単独で幾らでも人間を殺すことが出来る、それだけの力を持っているのである。
先日王都に攻めてきた、あの悪魔のような風貌をした魔族も同じと言えた。更にその直後のグレムリンの大群。グレムリンは一匹一匹の強さはそうでもないが、一般人や並の旅人では敵わないだろう。あれだけの大群を前にすれば、それだけでも恐怖を与えることは簡単に出来る。
つまりは、リンファの説明通りだ。魔族はそれだけの恐ろしい力を持っている。わざわざジュードを捕まえて、それから人間を殲滅するなどと言う手間が掛かる方法を選ぶのは聊か疑問が残った。
そのようなことをしなくとも、魔族には充分な力も戦力もあるのだから。
「……魔族がジュードを求める理由は、まだ別にあるんじゃないか?」
それは、決して憶測の域を出るものではない。
それでも、彼の抱いた疑問は尤もなものであった。
* * *
「カミラさん、本当にもう大丈夫?」
「うん、ちょっと疲れただけだから、もう大丈夫」
ジュードとカミラは、謁見の間へと通じる廊下を歩いていた。彼らもまた、女王に呼ばれてのことだ。
その道すがら、ジュードは何度もカミラの体調を窺った。ちなみに、この会話で三度目である。ライオットは後ろを歩くちびの頭の上に乗り、そんなジュードとカミラを見守っていた。
「ジュードの方こそ……怪我は大丈夫なの?」
「うん、リンファさんが毎日手当てしてくれるし……ただの打撲だから問題ないよ」
「……うん」
今現在も尚、ジュードの身には至るところに包帯が巻かれている。両腕はもちろん、頭にもだ。カミラが心配になるのは当然である。
だが、取り敢えず返事はしても表情の晴れない彼女を見て、ジュードは緩く眉尻を下げる。心配を掛けているとは、考えなくとも理解出来た。
「オレ、小さい頃から結構ヤンチャでさ。いつも遊び回っては樹から落ちたり、生傷だらけだったんだよ。だから、このくらいなんともないって。なあ、ちび?」
「わうっ!」
その呼び掛けに、ちびは尾を揺らして歩きながら嬉しそうに返事を返す。そんな様子を肩越しに振り返り、ジュードは苦笑いを滲ませた。
幼い頃のジュードは、その言葉通り本当にヤンチャな子供であった。神護の森に行くことが多かった為か、木々で引っ掛けての擦り傷など日常茶飯事であったし、転んで擦り剥くことも多かった。他、樹に登って落ちたりなど様々だ。
その度にグラムは蒼くなって傷の手当てをしていたし、樹から落ちた際には涙目になりながら思い切りジュードを抱き締めて心配したものである。
そこまで思い出して、ジュードは思わず片手で額の辺りを押さえた。
「(ヤバい、恥ずかしいことまで思い出した。父さん、元気にしてるかな……)」
グラムはと言えば当時の子供嫌いは何処へやら、とにかくジュードには甘かった。仕事が忙しい中でも極力遊ぶ時間を作ろうとしたし、寝る時はいつも一緒など――小さい頃は非常に猫可愛がりしていたものである。
ジュードがそんな父を恋しく思うのは、別段おかしいことではない。
「グラムさんって、本当にジュードのこと大切に育ててくれたんだね」
「う、うん」
「わたしにもね、おばあさまがいるの。名前も、そのおばあさまがくれたんだ」
何処か嬉しそうに語るカミラを横目に見遣り、ジュードは言葉もなく小さく頷く。故郷のことをこのような様子で語る彼女は幾分新鮮なものだったからだ。
カミラにとって、故郷がただ辛いだけのものではない――そう思うと僅かばかり安堵が滲む。
「わたしの名前は、カミラ・イリス・ヘイムダルって言うの。カミラ――は、神を見る者っていう意味があるんだって。どうして神があなたをこの世に遣わしたのか、自分の眼で、心で、神の真意をしっかりと見つめなさい。だからその名を与えたのですよ……って」
「……素敵なおばあさんなんだね」
ジュードがそう相槌を打つと、カミラは嬉しそうに表情を綻ばせたまま「うん」と返事を返した。文字通り、本当に嬉しそうである。
巫女であることを明かしたカミラは、何処までも自然だ。肩の荷が降りた、胸の痞えが取れた――そう表現するに相応しいほど。
ジュードは足を止めて、彼女の背中をしっかりと見つめる。
「(あの時の夢……あれも一応は予知夢だったんだ)」
カミラと出逢った直後の夢。
初めて、姫巫女に関する夢を見た時だ。当然ながら彼女が姫巫女であるなどとは思わなかったが、あれも予知夢の一つと解釈してもおかしくはない。
「(……巫女、なんだよな)」
今度こそ、間違いなく。
本物の巫女なのだと認識すると、ジュードは不意に顔面に熱が集まるのを感じた。常日頃から想いを寄せる少女が、自分が守るべき対象だったのだ。
それは、ジュードにとって重圧ではあるが、純粋に嬉しいことでもあった。
「ジュード、どうしたの?」
そこで、カミラは隣を歩いていたジュードがいなくなっているのに気付いた。後方を振り返り、自分をジッと見つめる彼を視界に捉えて不思議そうに小首を捻る。
ジュードは小さく頭を振り意識を引き戻すと、慌てたようにその隣へと並び直した。そして、頭を過ぎるあの日の出来事。それを思い返して謝罪を口にする。
「……カミラさん、ごめん」
「え?」
「オレ、カミラさんの事情を知らないって言っても……酷いこと言った」
それは、ジュード達がカミラの元気がないと心配していた時のことだ。なかなか帰ってこない彼女を迎えに行った際、ジュードは自分を頼りにしてくれないカミラに酷い言葉を投げ掛けたのである。
『それなら――もう、好きにしたらいいよ』
彼女の力になりたいのに、肝心のカミラが自分を頼ってくれない。それはジュードの中に確かな焦りと憤りを生んだ。
まるで自分とカミラとの間に見えない壁のようなものが立ち、隔てているような。そんな錯覚を覚えたのである。
その憤りの結果、八つ当たりのように彼女本人に酷い言葉を――突き放すような言葉をぶつけてしまった。ジュードはそれを謝罪したのだ。
「そ、そんな、ジュードが悪い訳じゃない。わたしがジュードのことも、みんなのことも信じてなかったから……」
「……でも」
「わたし、みんなのこと信じてなかったから言えなかったの。……でも、ちゃんと言えた、みんな……それでも受け入れてくれた。それがとても嬉しいの、それだけで充分過ぎるの」
もっと、他に言いようが――やり方があった筈だ。そう思うからこそ、ジュードは複雑そうな表情を滲ませた。
それでも、カミラは慌てて頭を左右に振って笑いかける。彼女にとっては、ジュードやマナ達が自分の正体を知っても変わらず受け入れてくれた。言葉通りそれだけで充分なのである。
だが、そこまで考えた時。不意にカミラが黙り込んだ。軽く眉を寄せて複雑そうに。
「……」
「……カミラさん?」
「(……そういえば、ジュードはあの日の夜にローザさんと……)」
そして、今度はカミラの頭にある光景が浮かぶ。
それは、ジュードと仲直りしたくて夜に彼の部屋を訪れた際の出来事。魔族の襲撃前夜のことだ。
ジュードの部屋に足を運んだカミラは、その先で口付けを交わすジュードとローザの姿を目撃してしまった。寝台の上に転がったジュードにローザが跨るような体勢だったことから、彼女の頭は嫌でも卑猥な方向へと想像を巡らせてしまう。それでなくとも、彼女の頭は色々な妄想を巡らせ易いのだから。
不意に黙り込んでしまったカミラを見て、ジュードは疑問符を滲ませながら首を捻る。だがカミラはと言うと、ぷくぷくとまるで風船のように頬を膨らませたかと思いきや――早々に再び歩き出した。
「なんでもないもん!」
「……ライオット、オレ……何か怒らせるようなこと言っちゃったかな……」
「うに~……?」
さっさと先に歩き出してしまったカミラを見つめて、ライオットも不思議そうに首を――否、身を傾かせた。
だが、放っておけば置いていかれてしまう。ジュードは慌ててカミラの後を追いかけた。
「カ、カミラさん、待ってよ!」
「ジュードのバカ! フケツ!」
「え、えー……」
頬を膨らませながら歩く彼女の隣に並び、ジュードは困ったように眉尻を下げる。一体なんの発言がカミラをこうまで怒らせて、更には不潔呼ばわりに繋がったのか。ジュードは先の自分の言動を思い返すが、思い当たる節は全くなかった。
当然だ。カミラは今日ではなく、過去のことを思い返して言っているのだから。
「(……あ、今日もタンクトップだから……とか? いや、違うかな……昨日からこのカッコだしな……)」
故に、そんな見当外れなことを考える。どれだけ考えても答えなど出る筈もないのに。
ジュードは困ったようにカミラの様子を窺いながら、謁見の間への道を進んでいった。