第二十一話・トモダチ
カミラは、森の中にいた。
――ああ、夢だ。彼女は即座にそう思う。
この森は、彼女にとっては馴染みが深過ぎる。この世に生まれ落ちてから、ずっと肌に感じてきた空気が漂っているからだ。
ヴェリア大陸にある、聖地ヘイムダルへと続く森。それがここである。
カミラは静かに足を進めて里へと向かう。
青々と茂った草木を踏み締め、まるで背比べでもするように両脇に聳える樹の間を潜り、暫く。
程なくして丸みを帯びた家屋が幾つか見えてきた。聖地ヘイムダルでは、この丸い家屋こそが民の住まう家なのである。
ヘイムダルの民は自分達の里の中で家畜を飼育し、野菜を作り生活している。何か特別なことがあった日は鶏や魚などを食すが、それ以外は大体が野菜中心の生活だ。
朝陽と共に起き、まずは牛やヤギの乳搾りから始まる。朝食を食べた後は各々自由に過ごし、夜は午後八時には就寝することがほとんど。
ゆっくりと里の中を歩きながら、カミラは複雑そうに眉を顰める。その当たり前だった筈の生活は彼女には与えられてこなかった。
誕生した時から、里の者達だけではなく実の両親からも忌み嫌われた彼女は、家畜小屋で生活することを強いられたのだ。
この里には、カミラにとって辛く悲しい想い出ばかりが詰まっている。
「……?」
しかし、その矢先。
奥に見える一際大きな家屋から、自分が飛び出してきたのだ。
髪はこれまでのように非常に長い。それだけで、この夢が過去のものだと言うことを報せてくれる。
家屋から飛び出してきた夢の中のカミラは目元を押さえて泣いていた。そんな彼女を追うように、もう一人――今度は金色の長い髪の男性が駆け出してくる。美しい新緑の双眸を持ち、その風貌は非常に整っていた。
ヘルメス・アル・ヴェリアス、聖王都ヴェリアの第一王子だ。ヴェリア王国の血筋が他に残っていないことから、必然的に次期国王となる男である。
『……カミラ、そんなに泣かないでくれ。私だって辛いんだ』
『お辛いのなら、なぜそんなに残酷な言葉を吐けるのですか! あの方はあなた様の弟だったのですよ!?』
『――弟は死んだんだ! 私はあの日にこの眼で見たのだぞ、あいつが魔族に喰われるところを! あれから既に十年、いつまで死んだ男のことを考えているつもりだ!』
夢の中のカミラが声を上げると、ヘルメスは負けじと怒鳴り返す。それを聞いてどちらのカミラも表情を嫌悪に歪ませた。
ヘルメスの言っていることは確かに間違っていない。もう戻らぬ者を想い続けても、その行為は確かに不毛である。
だが、この時。カミラの心の整理は全く出来ていなかった。
『私は、小さい頃からずっと君を想ってきた! 弟が初めて君を王宮に連れてきた時から、ずっとだ! なのに、君は私を受け入れようとしない!』
『……っ』
『私は勇者の子孫で、君は巫女。嘗ての勇者と巫女のように、君は勇者の子孫である私を受け入れねばならない筈だ!』
過去の自分とヘルメスのそのやり取りを聞きながら、カミラは静かに口唇を噛み締める。
嘗てこの世界を救った勇者と姫巫女は、互いに結ばれ――そしてヴェリア王国を築いた。それがあってか、巫女は勇者の血を引く者へ嫁がねばならないとされてきたのである。
だが、姫巫女がこの世界に誕生したのは、勇者が世界を救った数百年後まで。
それ以降は姫巫女はこの世に生まれず、ヴェリア大陸の人々は不安な日々を過ごしていた。
最初こそ巫女がいない現実を不安に思う者は多かったが、また新たに数百年その日々が続いたことで「巫女が誕生しないと言うことは平和が続く」と言う意味に解釈されるようになったのである。
そんな中にカミラは姫巫女として生まれてしまった。その事実はヘイムダルの民を不安の渦へと突き落とし、混乱させたのである。
しかし、幼いカミラは誰にも受け入れられない現実に森で涙していた際、偶然ある少年と出逢った。
その少年こそが、ヘルメスの弟であるヴェリア王国の第二王子だった。
王子は何度もカミラと繰り返し逢い、親しくなった後に彼女を王宮へと誘ったのである。
国王も女王も当初は戸惑いを隠せなかったが、息子の真剣な様子に根負けし、二人の将来の婚礼を全面的に認めることとなった。
つまり、カミラは本来――第一王子ではなく、第二王子と結ばれる筈だったのだ。
だが、結婚を約束した筈の第二王子は魔族の襲撃の際に命を落としてしまった。そうなると勇者の血筋は、第一王子であるヘルメスしか残っていないのである。王と王妃の間にはもう一人、三人目の子供もいるのだが、それは姫君――王女だ。同じ女性であるカミラが嫁げる筈がない。
無事に聖地ヘイムダルへ逃れた大臣達にもヘルメスとの婚礼を急かされていたカミラは、まるで逃げ出すような形で外の世界へと出たのだった。
外の世界の者達がヴェリアの民をどう思っているのか、それを知る為に。
「(わたしは、ヘルメス様を愛さなければならない……でも、わたしはあの方のお考えに賛同出来ない……)」
カミラは、幼い頃からヘルメスとは面識があった。
しかし、どうしても彼の考えには賛同が出来ないのである。
ヘルメスや大臣達は、ヴェリア大陸より外に住まう所謂「外の世界」の人間達をとても憎んでいる。ヴェリアの民を魔族への贄のように考え、自分達だけ安全圏でのうのうと生活している。そう思い込んでいるのだ。
だからこそ、ヘルメスは聖剣を携えて外の世界の人間達を従えようとしている。刃向かう者は容赦なく斬り捨てる、そのつもりで。
大臣達やヘルメスの側近は早々に結婚し、一日も早く子を宿すことを望んでいる。だが、カミラはそれを受け入れられないでいた。
* * *
カミラが目を覚まして、まず視界に映り込んだのはジュードであった。
焦点の定まらない眼を数度瞬かせてみると、彼はなんとも心配そうな表情でカミラの顔を覗き込んでいる。
「…………ジュード……?」
「カミラさん! ……大丈夫? 少し魘されてるように見えたけど……」
寝起き故に多少なりとも掠れた声でその名を呼べば、ジュードは安心したように表情を破顔させて、文字通り片手で自らの胸を撫で下ろした。余程心配だったのだろう、その顔には隠し切れない安堵が滲んでいる。
そのジュードと向かい合う位置には、ウィルとマナの姿が見えた。カミラが目を覚ましたことに彼らもまた表情に安堵を浮かべている。ちびはジュードの傍らで座り込み、ゆったりと尾を揺らしていた。
カミラは身を起こそうとはしたのだが、それは慌てたジュードの手によって制された。
「まだ横になってた方がいいよ」
「う、うん……わたし、どれくらい眠ってたの?」
「大体一日半ってとこだな、具合は大丈夫か?」
「お腹減ってない? 何かご飯――あ、でも寝起きは軽いものの方がいいかな」
何処までも常と変わらない仲間の様子に、カミラは双眸を丸くさせると瞬きも忘れたように無言のまま固まり、彼らの様子を凝視する。カミラがずっと懸念していたような反応さえ微塵もない。余所余所しさも、軽蔑するような様子もなかった。
カミラは暫し呆然としていたが、程なくして視界がぼやけるのを感じる。それと同時にジュードが表情を引き攣らせ、再度と慌てて口を開いた。
「カ、カミラさん、どうしたの!? どっか痛かったり、苦しかった、り……?」
ぽろり、と大粒の涙が溢れ始めた頃にカミラは腕を動かし片手で目元を擦る。だが、拭っても拭ってもその涙は止まることを知らなかった。
しかし、それは悲しみから来るものではない。慌てるジュードの声にカミラは静かに頭を左右に揺らすと、ゆっくりと上体を起こした。
「ちがう、ちがうの。だってみんな、いつもと全然変わらないから……」
その言葉に、ジュート達は不思議そうに双眸を丸くさせながらそれぞれ顔を見合わせる。彼らはカミラの事情をほとんど何も知らないのだ、無理もない。
ライオットはベッドヘッドから飛び降りてカミラの頭の傍らに立つと、短い片手を挙手して何処か誇らしげに声を上げた。
「うに! ライオットの言う通りだったに、みんなカミラのこと嫌いになんてなってないによ!」
「うん……そうだね」
ジュードだけは多少なりとも彼女の事情をライオットから聞きはしたが、ウィルやマナに至っては全くだ。不思議そうに互いに顔を見合わせ、頻りに小首を捻っていた。
そこへ、ちょうどカミラの様子見とジュードの手当てにルルーナとリンファも顔を出す。どちらもカミラが起きていることに表情を和らげ、寝台の傍らへと寄った。
「――カミラちゃん! よかった……目が覚めたのね」
「お具合は……どうでしょうか、水など必要であればお持ち致します」
寝台に歩み寄るなり矢継ぎ早に問いを向けてくる彼女達にも、カミラは涙腺が弛んでいくのを止められなかった。
ジュード達は、これまでと全く変わった部分がない。それは彼女にとって何より衝撃であった。
また改めて涙が滲んでくるのを感じながら、カミラは必死にそれを拭う。そして途切れ途切れになってでも、言葉を連ねた。
「わたし、巫女だってバレたら……みんなに、嫌われると思ってたの。わたしが生まれたから、きっと良くないことが起きる、災厄が降りかかるってずっと言われてきて、嫌われてきて――」
「……カミラさん」
「お前が生まれたから魔族が現れたんだ、お前の所為でヴェリア王家が滅んだんだ、って。だから知られたら、みんなにもそう言われて嫌われちゃうんじゃないかと……思って……」
必死に、自分の思っていることを伝えようとするカミラの肩にジュードはそっと片手を添える。まるで宥めるように。
その言葉に真っ先に声を上げたのは、やはりと言うかなんと言うかマナであった。何処か憤慨したように表情を顰めながら思うままを言葉として連ねる。
「なによそれ、魔族が現れたのはカミラの所為じゃないでしょ!」
「でも、巫女はもうずっと長い間生まれなかったの。それで……ヘイムダルの人達はみんな、わたしが生まれたから良くないことが起きたんだ、って……」
目元を擦っていた手を下ろし、カミラは静かに視線を下げると先程よりも幾分落ち着いた様子で応える。これまでの自分のこと、その事情を。
「……わたしは、両親から名前も与えてもらえなかった。生まれた時からみんなに嫌われて、でも巫女だから万が一に備えて殺すことも出来なくて。……里のみんなからは常に腫れ物扱いで、友達なんていなかった」
「…………」
「だから外の世界に出てきて、みんなと出逢えて……本当に嬉しかったの。わたし、自分のこと何も話さなかったのに……普通に接してくれて、仲良くしてくれて」
語られていく言葉の数々にジュードはもちろんのこと、マナやルルーナ、リンファまでも痛ましそうに表情を歪ませていた。
だが、やはり彼女が生まれたから魔族が現れた、と言うことは信じ難い。ジュードは小さく頭を左右に揺らして改めて口を開いた。
「カミラさん、やっぱり魔族が現れたのは巫女が生まれた所為じゃないよ。きっと魔族が現れるのを神様が察知して、それで巫女をこの世に遣わしたんじゃないかな」
「そうよ、カミラが生まれた所為で魔族が現れた! なんて、ただの押し付けだわ!」
「……カミラ様がいてくださらなければ、私達ではあの状況を打破出来なかったと思います」
「そうね、ガルディオンも守れずに私達もお陀仏。ジュードは連れて行かれて、最悪のシナリオが出来上がってたかもしれないわね」
次々に向けられる仲間からの言葉に、カミラは瑠璃色の双眸を丸くさせると再び涙ぐみながら、それでも心底嬉しそうに表情を笑みに破顔させた。
そんな様子を見て、リンファは薄く口元に笑みを滲ませた後、ジュードの傍らへと足を向ける。
「……それはそうと、ジュード様。そろそろ治療のお時間です」
「え、あ。もうそんな時間……」
ふとカミラがジュードに視線を向けてみれば、彼の身には至るところに包帯が巻かれていた。それでも立って元気に歩いている様子から、大きな怪我はなかったと見える。それを確認してカミラの口からは安心したような吐息が一つ零れた。
リンファはジュードの片腕にそっと手を添えると、気功術を以てその身に走る鈍痛を治療し始めた。
完全ではなくとも徐々に消えていく鈍痛に、ジュードはそっと安堵を洩らしながら視線をカミラへ向けた。苦しい胸の内を吐き出したお陰か、それとも仲間の反応によるものか、安心したように――だが何処までも嬉しそうに表情を綻ばせている。周囲に花でも撒き散らしそうなほど。
だが、そんな中で一つ引っ掛かりを覚えた。普段はこう言う話になるとマナと並んで煩いウィルが、先程から一言も発していない。
ジュードは彼に視線を向けると、当のウィルは目を伏せて黙り込んでいた。まさか、彼はカミラを受け入れられないのだろうか。そんな不安がジュードの中に浮かぶ。
「ウィル……?」
彼は、カミラが生まれた所為で魔族が現れたと思う側なのだろうか。
そして、その不安はカミラ本人も同じであったらしい。ジュードの声でウィルの様子に気付き、不安そうに見つめている。
だが、当の本人はと言うと――――
「やっぱり……やっぱり、聖地ヘイムダルは実在したんだ……!」
「……」
程なくして伏せていた双眸を開いたウィルは拳を握り締め、何処か興奮したような様子で呟いた。頬などほんのりと赤らんでいる。
その言葉を聞いてマナは片手で目元を押さえて深い溜息を吐き、ジュードは軽く肩を落として力なく頭を左右に振った。
「そう言えばウィルって……」
「魔術とか神話とか伝説とか……そういう話、好きだったな……」
そうなのである。
ウィルは昔から、そう言った類の話を好む傾向にあった。他にも古代の遺跡や秘境など所謂「未知なるもの」に対して多大な興味を持っているのだ。尤も、彼の持つ古代文字の知識がジュード達の仕事に大きな影響を与えていることもあり、誰も文句は言えないのだが。
普段は冷静沈着で、仲間の纏め役であることの多いウィルだが、こうなると人の話もあまり聞かない。ただの優等生とも言えないのだ。
「……ウィルも、結構クセ強いのね」
呆れたように呟いたルルーナの声に、ジュードもマナも苦笑い混じりに頷くしか出来なかった。