第二十話・安息
魔族の襲撃から一夜が明け、シルヴァはカミラが休む部屋へと足を向けた。
街は壊滅状態とまではいかずとも、かなりの被害を被った。出入り口近い商店街は即座に再開するのは難しく、暫しの時間が必要になると思われる。
店は無残に破壊され、原型を留めていない家屋まである。積んであった荷は食糧がほとんどであった為か大部分が被害を受け、紅狼によって食い潰されていた。これでは商売さえままならない。
街の門もその美しい景観を破壊するかのように砕かれ、門の役割を果たしていない状態。これでは街を封鎖する為に門を閉ざすことさえ困難だ。
命を落とした商人の数も多く、商売さえ再開出来ない店も幾つかあるだろう。状況は深刻である。
しかし、城に避難した住民達のほとんどが自分達の無事を一先ずは喜び、巫女の出現に涙した。
姫巫女は厳密に言うのであれば、魔族に対抗する力を持った存在であり、魔物に対しては特別有効な力を持ち得ている訳ではないのだが、戦う力を持たぬ者にしてみれば救いとなる存在ではあるらしい。
未だ城下の何処かに魔物が潜んでいる可能性も考え、ジュード達も含めた住民達は城で一夜を明かすことになったのである。
シルヴァは行き着いた部屋の前で足を止めると、緩慢な所作で引き上げた拳を数度軽く扉に打ち付ける。すると、中から小さく「わう」と言う声が聞こえてきた。
静かに扉を開いて中を覗き込んでみると、カミラが眠る寝台に突っ伏すジュード達の姿が見える。ジュード、ウィル、マナ。昨夜遅くまで話をしていたようだが、どうやら自分達に割り当てられた部屋に戻ることなく、そのまま眠ってしまったらしい。
ちびはジュードの隣に腹這いになっていたが、シルヴァの姿を認めると身を起こして上機嫌そうに尾を揺らし始めた。これまで火の国で戦い続きの日々を送ってきたシルヴァにとって、なんとも異様な光景だ。魔物が人間に友好的な態度を取ると言うことが不思議でならない。
規則正しい寝息を立てるウィルやマナの身は、これまでと何も変わりはないが、ジュードだけは別だ。戦闘中に打ち付けた身や打撲などが原因で頭や腕には包帯が巻かれている。魔法を受け付けない彼にとって、手当ての手段は限られているのだ。
ジュードの頭に乗って休んでいたライオットはシルヴァに気付くと、その小さな身を起こした。
「うに、おねーさんだに」
「ああ、申し訳ない。起こすつもりはなかったのだが、巫女様の様子はどうかと陛下が心配されていて……」
そう用件を伝えて寝台を見てみると、特に異変はなさそうだった。余程疲れていたのだろう、カミラは仰向けの体勢でぐっすりと眠っている。目を覚ます気配は、今のところ感じられない。
こうして見てみれば、至って普通の少女だ。
「う……、……あれ?」
「うにーっ!」
そんな中、ふと鼓膜に届いた話し声に意識が浮上を始めたか、ジュードが小さく呻き静かに身を起こした。
それと同時に彼の頭の上にいたライオットは真後ろへ転げ落ち、ちびの背中に落下を果たす。
「あ、あれ? ごめん、ライオット」
ジュードは眠そうに片手で目元を擦りながら、転落したライオットに気付くとそちらを見下ろす。
そのなんとも平和的な光景にシルヴァは眦を和らげると、申し訳ないとは思いながらも小さく笑い声を洩らした。
昨日の、あの戦闘や魔族が襲撃してきた際の絶望さえ、既に感じられない。何処までも平和な光景だ。
「ふ……っ、ふふ、ははは。おはようジュード君、身体の調子はどうかな?」
「あ……お、おはようございます。身体は大丈夫です、ただの打撲だけだし……」
人の入室に気付かずに寝ていたことが聊か恥ずかしいのか、ジュードはやや視線を下げると片手で自らの側頭部を掻きながら呟く程度に言葉を洩らす。
カミラのこともそうだが、ジュードもそうだ。シルヴァの目には、何処までも普通の少年に映る。
しかし、昨日の戦闘風景を思えばそうも言っていられないのが現実ではあるのだが。
戦い方には粗ばかりが目立つが、このごく普通の少年が魔族相手に戦っていたのだと言われても、恐らくシルヴァは自分の目で見ない限りは信じられなかった。ジュードが魔族を撃退したと言う噂や話は耳にしたが、実際にシルヴァはこれまで信じていなかったのである。
「(この少年が、あれほどの力をな……)」
現実に己の目で見ても、信じ難いことであるのは事実なのだが。
シルヴァは暫し無言のままジュードを真っ直ぐに見つめていたが、程なくして表情に笑みを滲ませると、緩く小首を傾げてみせる。
「ジュード君、少し良いだろうか? 陛下が君に色々聞きたいと……」
「は、はい。大丈夫です」
当のジュードはと言えば、こちらを見つめてくるシルヴァの様子に困惑気味であった。
女性と接するのは比較的慣れてはいるが、シルヴァはこれまでと異なり一言で言うのであれば「大人の女性」だ。カミラと接する時とは異なる奇妙な胸の高鳴りが彼を支配していた。
穏やかに微笑みながら誘いを向けてくる様子に慌てたように頷くと、寝台傍らの簡素な椅子から立ち上がる。ライオットはそれに気付くなり、ちびの上から跳びジュードの背中に貼り付いた。
「……あ、でもオレ、着替え……」
そこでジュードは、今現在の自分の装いに気付いた。
眠る前に手当てをしたこともあってか、今の彼は黒のタンクトップに下はズボンと非常にラフな装いだ。女王の前に出るには失礼としか言えない格好である。
だが、シルヴァは片手を口元に添えると愉快そうに小さく、改めて笑い声を洩らした。そんな仕種や「ふふ」と洩れる微かな笑みも年上の女性を印象付ける。
「君達はこの王都を守ってくれた英雄のようなものなんだ、陛下はそんなこと気にしないよ」
「え、いや……」
真っ直ぐに向けられる言葉に、ジュードは困ったように眉尻を下げると薄く苦笑いを滲ませる。
彼は、至って普通の鍛冶屋なのだ。勇者に対する憧れはあれど、英雄などと言われて持て囃されたい訳ではない。
身の置き場に困ったような、反応の仕方が分からないような――片手で首裏を掻きながら視線を下げて返答に詰まるジュードを見つめて、シルヴァは微笑みを絶やさぬまま小さく頭を左右に振った。
「ああ、申し訳ない。とにかく、気にしなくても良いと言うことだよ」
「……は、はい。分かりました。ちび、ちょっと行って来るからみんなのこと頼むな」
そう言われてしまっては、ジュードには従う以外に道はなかった。
さあ、と促すシルヴァに対し一度小さく頷くと、傍らで再び腹這いになるちびの頭をひと撫でしてから彼女の元へと足を進める。
わう、と返事でもするようにちびが洩らす見送りの声を背中に受けながら、ジュードはシルヴァと共に部屋を後にした。
* * *
謁見の間に足を踏み入れたジュードは、思わず言葉を失った。
初めてこの場を訪れた時と言えば、その元々の性格から緊張感こそあまり強くはなかったものの、確かに荘厳な印象を受けたものである。
細工物を好むジュードが密かに気に入っていた柱の美しい彫刻は見るも無残に破壊されていた。中ほどから完全に砕け、女神が彫られた部分が原型も分からぬほどに。
大理石の床などあらゆる箇所が剥がれて瓦礫と化し、巨大な窓は魔族の侵入後、修復出来る時間もなく吹き曝し状態だ。
床に敷かれた美しい赤の絨毯も切り裂かれた痕跡が残り、この場で行われた戦闘がどれほど激しいものだったかが容易に分かる。壁には所々、血痕さえ散りばめられていた。
女王はシルヴァに連れられてやって来たジュードに気付くと、玉座から立ち上がりヒールの音を響かせながらそちらに歩み寄る。
「目が覚めたか、ジュード。よく休めたか?」
「は、はい。それは……大丈夫です」
ジュードは、女王が何故自分を呼び付けたのかは大体理解している。
グレムリンの大群を前にしての会話が全てを物語っていると言っても良い。魔族はジュードを狙って、この王都ガルディオンまで攻め入ってきたのだ。
「ジュード、改めて聞かせてほしい。魔族がそなたを狙っていると言うのは本当か?」
「はい」
「そなたが特殊な血を持っているから、と言うことであったが……その血とは?」
「オレにも……まだよく分かっていませんが、精霊族の血で、その血があれば精霊を使役出来るとかなんとか……なあ、ライオット?」
正直、自分の存在がどういうものなのか、精霊族とはなんなのか――それはジュード本人も全くと言って良いほど理解出来ていない。
自分の背中に貼り付いたままのライオットを振り返り、ジュードは困ったように一声掛けた。すると、ライオットはジュードの衣服を伝いなんとか肩まで上がり、短い両手を自らの身の前でもじもじとすり合わせる。
「……うに、そうだに。マスターは精霊と……人ならぬ者と心を通わせる力を持つ一族だに、マスターの力は特に強いものだから魔物の言葉も分かって……」
「それで、あのウルフはジュードに懐いていると言うのだな?」
「そうだに!」
意気揚々と短い手を挙手してみせるライオットに、ジュードは慌てたようにそのもっちりとした身を鷲掴みにすると早口に捲し立てた。
「お前、なんて口の利き方を……! 女王様に対して失礼だろ……!」
「ご、ごごごめんなさいにいいいぃ!」
何処か切羽詰ったような表情を滲ませながら、幾分潜めた声量で咎めるジュードに対しライオットは涙目になり短い手足を忙しなくバタバタと動かす。
そんな様子を見て、女王は一度吊り目の双眸を丸くさせた後に愉快そうに声を立てて笑った。
「はははっ、構わんよジュード。その白い者も精霊なのだろう? ならば敬意を表さねばな」
「す、すみません……」
「とにかく、この王都を守ってくれたことに感謝する。ジュード達が……それに、巫女様がいらっしゃらねばどうなっていたか」
「いえ、そもそも魔族が攻めてきたのはオレがここにいた所為で……」
文字通り感謝の言葉を連ねる女王に、ジュードは掴んでいたままのライオットを自分の頭の上に放すと慌ててその頭を左右に揺らした。魔族が王都ガルディオンまでやって来たのは、確実に彼を捕らえる為なのだから。
――自分がいなければ、ガルディオンはこんなことにならなかった。
そう考え、ジュードは脇に下ろした拳を固く握り締めた。込み上げてくるやるせなさ、自己嫌悪をやり過ごす術を他に思い付けない為だ。ライオットはジュードの頭の上に腹這いになって乗ったまま、そんな彼を心配そうに見下ろす。
だが、女王は緩く目を細めると小さく頭を横に揺らしてみせた。
「メンフィスから聞いているだろう、魔物の群れは以前にも何度かこの王都を襲撃してきたことがあった。その際にあの男も家族を亡くしてな」
「……はい」
「ジュード、事実は確かにそうかもしれぬが……そなたの言っていることは結果論に過ぎん。遅かれ早かれこうなっていたと、妾は思う」
「……それに、今のままではいずれ魔族は世界中に出没し、辺りを支配し始めるだろう。陛下の仰る通り、いつか今回のようなことは起きていたさ」
真っ直ぐに向けられる女王とシルヴァの言葉に、ジュードは緩く口唇を噛み締める。
確かに最初の邂逅は水の国であった。それが今では、その魔族が色々な場所に出没している。このままいけば水の国、火の国だけでなくジュードの故郷である風の国に現れる可能性もあった。
だが、それでも楽観視出来るほど、ジュードはそう言う面で単純ではない。自分がここにいなければ避けられただろう惨状だ、当然である。
女王はそんな彼を見つめ、目を細めたまま笑うと再度口を開いた。
「ともかく、今は巫女様が目を覚ますまで待とうではないか。詳しいことは、それから改めて話そう」
その言葉に暫しの間を置いてから顔を上げると、ジュードは静かに頷いた。取り敢えずカミラが目覚めてからだ。
全ての話は、それからである。
「しかし、感慨深いものだな」
「……え?」
「ふふ、そなたが初めてこの場に来た時に話したであろう? この王都は嘗てメンフィスとグラム殿に守られたことがあった。……今度はそのグラム殿の息子であるそなたが王都を守ってくれたのだと思うと、な」
女王の言葉にジュードは軽く眉尻を下げる。
グラム・アルフィアは、この王都ガルディオンでメンフィスと並ぶほどの英雄だ。しかし、自分は父のような功績を挙げた訳ではない、過剰な称賛だと思ったのである。
だが、それでも。自分の力がほんの僅かにでも役に立てたのなら良かった、と――言葉には出さなくともジュードはそう思った。