第十六話・結束の力
前後からの挟み撃ち。
目の前からはジュード、後方からはカミラが駆けて来る様に魔族は忌々しそうに唸り声を洩らす。片腕は消滅したまま、切断されたそこからは依然として血が溢れ出している。
だが、諦める気は毛頭なかった。与えられた任務を完璧に遂行する為に。
「ガキ共があぁッ! 光を纏えば勝てると思ったら大間違いだ!」
『マスター、気を付けるに!』
雄叫びを上げて威嚇に出る魔族に対し、ジュードもカミラも表情を顰める。腹の底から出すようなその声は、まるで衝撃のように彼らの身へと襲い掛かった。
吹き飛ばされると言う程ではないが、気を抜けば竦んでしまいそうな迫力がある。しかし、ジュードもカミラもそう簡単に恐怖するような可愛い性格はしていない。
カミラは剣の刃に光の属性を付与させ、ジュードはライオットによる光の加護を受けた双剣をしっかりと握り締める。ジュードは間近まで近付くと此方を見下ろす魔族を睨み上げ、そして利き手に持つ剣を真横に薙ぐように振るった。
光り輝くその刃は、受け止めようとした魔族の手の平に確かに食い込む。だが、カミラが先程放った魔法のように、浄化の如く溶かすまでには至らなかった。
そしてそれは、背後から背中に剣を突き立てたカミラの攻撃も同じことであった。鎧で守られていない箇所へ刃を突き刺しはしたが、それは浅い箇所までにしか刺さらなかったのである。どちらも全くの無傷とはいかなくとも、決定的なダメージは与えられていない。まるで岩でも殴っているような、そんな印象をジュードは受けた。
「……ッ、固い……!」
『マスター、あれを見るに! あの黒いオーラみたいなのが魔族の身を守ってるんだに!』
頭の中に響くライオットの言葉に、ジュードは目を細めて魔族の身を包むそれを見遣る。目を凝らさないと視認出来ないが、闇の領域と呼ばれる黒のオーラは、確かにその巨体を包み込んでいた。
それも、攻撃が叩き込まれる場所に特に色濃く集束している。此方の光を消そうとするかのように刃を包み込んでいた。光は確かに闇に有効ではある。だが光の輝きを消せるのもまた、闇なのだ。
魔族は鋭い牙を剥き出しに笑みを刻むと、その黒いオーラを今度は爆発させるように周囲に拡散させた。それは間近にいたジュードやカミラをいとも容易く吹き飛ばしてしまう。
「ジュード、カミラ!」
「あたし達じゃ何も出来ないっての……!?」
塵か何かのように簡単に吹き飛ばされる二人を見て、ウィルは思わず声を上げる。彼らの元に駆け寄りたくともあの黒いオーラに触れれば、また身動き一つままならなくなってしまう。それが分かっているからこそ、悔しそうに表情を歪ませるしかなかった。
それはマナも同じのようで、杖を固く握り締めながら奥歯を噛み締める。マナならば魔法による援護は出来るが、カミラのように強力なダメージを与えることは難しい。それに、ジュードとカミラが傍にいては二人を巻き込んでしまう可能性の方が高かった。
ルルーナは固く拳を握り締めると、ウィルやメンフィスに視線を投じる。
「ウィル、メンフィスさん。あの黒いのが魔法の可能性はないの?」
「魔法ならばジュードの奴がああまで動けるとは思えんが……」
「そうか、そうね……」
ウィルは今にも飛び出していきそうなちびを何とか制しながら、ルルーナとメンフィスの会話を聞いて黙り込む。
どうすれば良いのか、何か手はないのか。思考をフル回転させるものの、どうにも打つ手が見つからない。
だが、ウィルはその会話にふと微かな引っ掛かりを感じていた、違和感のようなものを。何か大切なことを忘れているような、そんな気がしたのだ。
「(待てよ、そういえば……)」
そこで、ウィルはある光景を思い出した。それと同時に弾かれたようにルルーナとメンフィスを見遣る。
「いや、魔法の可能性はある! ルルーナ、何とか出来るのか?」
「どういうこと?」
「吸血鬼との戦いだよ、街で戦った時は確かに負けたけど……あの時、ジュードは闇の魔法を受けてもなんともなかった」
「そう言えばそうみたいね、熱も出なかったし……」
水の国の街クリークで吸血鬼と遭遇した時、つまりカミラとルルーナが連れて行かれた時のことだ。ジュードとウィルは確かに吸血鬼に敗れた。ジュードはその際、トドメに闇の魔法を思い切り喰らった筈なのである。
殺されたと、その場に居合わせた誰もが思った。しかし、当のジュードの身には魔法による傷は一つも付いていなかったのだ。吹き飛ばされた際に樹に叩きつけられ、意識を飛ばしただけ。怪我らしい怪我は一つもなかった。
更には魔法を受けた際のお決まりの症状と言える高熱さえ出なかったのである。尤もそのお陰で目覚めた後、直ぐにカミラとルルーナの救出に向かえたのだが。それが何故なのか、今でも謎は解けていない。
しかし、もしジュードが闇の魔法を受け付けないのであれば闇の領域が魔法でないとは言い切れない。
マナも同意するように頷き、その視線をルルーナやメンフィスへ向けた。
「……分かった、あれが魔法だって言うならなんとか出来るかもしれないわ」
「本当?」
「ええ、見たところ攻撃には使えるみたいだけど……攻撃魔法とは呼べないし、補助魔法の可能性の方が高いと思うわ。それなら私がなんとか出来るから……」
「なら、ワシらは直ぐに攻撃に移れるよう待機だな」
本当にあの黒いオーラが魔法なのかどうかは定かではない。だが、何もせずにこのまま見ているなど、当然出来る筈もないのだ。
メンフィスの言葉にウィル達はしっかりと頷き、各々武器を構えてそちらに駆け出していく。視線の先ではジュードとカミラが二人で魔族と応戦していた。
黒いオーラに包まれた魔族が腕を振るい、二人を殴り飛ばそうとしている。特別闇の攻撃と言う訳でもないその一撃は、光の加護では防げない。ただの物理的な打撃なのだから。喰らえば、ジュードもカミラも一撃でダウンしてしまう可能性が高かった。
ルルーナは静かに目を伏せると、魔法の詠唱に入る。マナはそんな彼女を魔族の目から庇うように、数歩前に立った。
「なんて力だよ、ったく……! 何回も攻撃するしかないのか……!」
『うに、うにー! 光を通さないなんて恐ろしい力だに……!』
カミラは後方へ飛び退いて魔族との距離を取ると、上がった呼吸を整えながら口唇を噛み締める。ジュード一人に魔族の相手を任せるのは心配だが、腕力で男性に劣るカミラでは直接的な攻撃よりは魔法による応戦の方が遥かに向いている。
実際に、魔法でならあの黒いオーラを突き抜けることは可能だったのだから。
だが、ふと彼女の背中に声が掛かった。
「カミラ! 後は任せて魔法で戦え!」
「ウィル、みんな……でも!」
「どうなるかは分からんが、ルルーナが奴のあの領域をなんとかしてくれるそうだ、後はワシらに任せなさい」
その言葉に、カミラは半ば反射的に後方へ視線を向ける。そこで魔法の詠唱をするルルーナの姿を確認すると、数拍の沈黙の後に小さく頷いた。
メンフィスはシルヴァに視線を遣り、その視線を受けたシルヴァはしっかりと頷く。騎士である二人は攻撃の要だ、ウィルはちびやリンファと共にいつでもジュードの援護に入れるように身構えた。
頭上から勢い良く振り下ろされる拳にジュードは表情を顰めて舌を打つと、素早く後方へ跳ぶ。間一髪で回避は出来たものの、拳が叩き付けられた地面は大きく窪み、大小様々な亀裂が走った。破壊力がとんでもない、一撃でも喰らえばただでは済まない。
「何処まで逃げ回れるかな、贄。あまり痛め付けるなとアルシエル様には言われているが――多少ならば問題あるまい」
「アル、シエル……?」
『アルシエルはサタンの片腕と言えるくらいの魔族だに! ヴェリア王家を滅ぼした一人だによ!』
つまり、この目の前の魔族よりも遥かに強い存在と言うことだ。ジュードはそう思うと、奥歯を噛み締めてしっかりと武器を握り直す。
「(こんな奴に苦戦してたら、そんな奴となんて戦えない!)」
もしも魔族が今後もジュードに関わってくるのであれば、いずれアルシエルとも戦うことになる可能性は非常に高い。少しでも強くならないと、腕を上げないと。ジュードはそう思った。
互いに睨み合い、息を呑む。先に動いたのは魔族の方であった。
手を開き、ジュードの身を捕まえるべく勢い良くその手を突き出してきたのだ。ジュードは素早く身を翻すことで回避すると、大地を蹴って跳び上がる。
高く跳躍して魔族の背後を取ると、着地するよりも先に両手に持つ刃を真後ろから魔族の耳の下――つまり、首の付け根に突き刺した。やはり思ったよりも深くは刺さらないが、ジュードは怯むことも抜き去ることもしない。
突き刺さった刃を通して、光の力を魔族の身体の中へ叩き込もうと言うのだ。外は闇のオーラで守られていようと、内側までは守りきれないものと思われる。
ジュードは前線基地でイヴリースに決定打を与えた時と同じように、両手に力を込めた。すると、それに呼応するように剣と短剣が強く光り輝き、目も眩むような真っ白な閃光が爆ぜる。
それは爆弾か何かが破裂するような衝撃となり、ジュードと魔族の身を思い切り吹き飛ばした。
「うわっ、わわわっ!」
魔族の体内で爆ぜた衝撃に飛ばされたジュードは地面を転がり、軽く目を回す。ウィルはその傍らに慌てたように駆け寄った。
「ジュード! ……大丈夫か?」
「だ、大丈夫……ちょっと目が回るけど……」
「……やったのでしょうか」
ウィルはジュードの傍らに屈むと、言葉通り目を回しているのか片手で額の辺りを押さえる彼の身を抱き起こす。リンファはその前に立つと、大地に倒れ込んだ魔族を見据えた。
ちびはジュードに寄り添うように座り込むが、程なくして耳をピンと立てて魔族へと向き直る。喉を鳴らし、低く唸りながら。
「おい、ちび……」
「嘘だろ……直接身体に叩き込んでも、ダメなのかよ……もう戦う力なんてほとんど残ってないぞ……」
ちびはジュード達のような人間よりも遥かに直感が働く生き物である。そのちびが低く唸りながら魔族を睨み付けている。それは、まだ終わっていない、と言うことを示していた。
ジュードは改めて武器を握り直すと、剣を地面に突き立てて身を支えながらゆっくりと立ち上がる。先程の一撃で精神力の大半を使ってしまった身体は既にヘトヘトだ。
そして程なくして、低く笑い声を洩らしながら魔族も静かにその身を起こす。剣や短剣が突き刺さっただろう首の付け根を押さえつつ、緩慢な動作で立ち上がると薄ら笑いを滲ませて振り向いた。
「くっくっく……なかなか面白いことをしてくれたなァ、今のは流石に効いたぞ……」
笑い声こそ洩れてはいるが、その蟀谷には血管が浮き上がっている。余程怒りを感じているのだろう。
ずしり、と岩が転がるような音を立てながら静かに歩み寄ってくる様に、ウィルもリンファも固く武器を握り締める。それを見て魔族は更に笑みを深めた。
しかし、その笑みも次の瞬間、消えることとなる。
「これでも喰らいなさい! 丸裸にしてあげるわ――アンチマジック!」
ジュードが離れる隙を狙っていたルルーナの魔法が発動したのだ。
橙色の魔方陣が魔族の足元と頭上に広がり、円柱型の光がその巨体を包み込んでいく。次いだ瞬間、不意に硝子か何かが割れるような音を立ててその円柱が砕け散った。
失敗したのか、とウィルは思ったが、そうではない。そういう魔法なのだ。その証拠にこれまで魔族の身から放たれていた黒いオーラは完全に消滅していたのである。
「なっ、なんだと!?」
「黒いオーラが消えました、……ウィル様!」
「ああ、行くぞ!」
遠目にも黒いオーラが消えたのを確認したマナは、表情を明るくさせると自分の後ろにいるルルーナを弾かれたように振り返った。
「消えた! 消えたわよ!」
「当ったり前じゃない、この私が協力してあげたんだから」
「あんたねえぇ……!」
「いいから、さっさと応戦!」
何処までも嬉しそうなマナに対し、ルルーナは得意げに紅の双眸を細めて自信満々に微笑む。己と異なり冷めた――至極当然とばかりの反応にマナはやはり面白くなさそうに眉を寄せるが、そんな彼女に即座にルルーナが指示を飛ばした。
アンチマジックは、地属性の魔法の一つである。地属性には仲間の能力を上げるサポート魔法、所謂『補助魔法』が豊富に揃っているのだが、ルルーナが扱ったのは敵の能力の抑制や補助効果消去などの効果を持つ『障害魔法』である。
アンチマジックの効果としては、対象に掛かっている補助魔法の効果を打ち消すもの。高度な魔法の一つだ。
「ガキ共が! 闇の領域を解除したくらいで図に乗るなァ!」
それでも魔族は退こうとはしなかった。駆けて来るウィルとリンファを見遣り、殴り払おうと腕を振るう。
だが、それは彼らに届く前に封じられた。
「――では、ガキでなければ良いのだな」
メンフィスだ。闇の領域が解除されるや否や、シルヴァと共に背後から駆け付けていたのである。
振るわれ掛けた腕を剣で受け止め、射抜くように魔族を睨み上げる。メンフィスは両手でしっかりと剣を握り、渾身の力を込めて逆に魔族の腕を振り払うべく薙ぎ払った。その力はアグレアスにさえ匹敵する程だ。
圧倒する筈が、逆に力で押し切られた魔族は眼を見開いてよろけた体勢を何とか保つ。しかし、メンフィスの背後から即座にシルヴァが飛び出した。
「我が剣の軌跡、見切れるものならば見切ってみよ!」
そう声を張り上げたシルヴァは、片手に携える剣を流れるような動作で振るっていく。素早く、言葉通り目にも留まらぬ速さで。真横に、垂直に、魔族の身を何度も深く剣で抉った。
「ガアアアアァッ!!」
「まだ倒れぬか!」
地鳴りのような悲鳴を上げはするが、魔族はそれでも倒れない。頭や首、顔や腕、足、そして胴体。至る所に深い裂傷を受けながら、それでも意地でその場に立ち続けた。それにはシルヴァだけでなく、メンフィスさえも小さく舌を打つ。
普通の人間や魔物であれば、これだけの傷を負わされれば確実に命を落としている。切断された片腕からは血が溢れ、あらゆる箇所に刻まれた傷からも絶えず多量に出血しているのだから。
魔族は眼を輝かせてジュードを見据えると、持てる限りの力を振り絞り彼の元へと駆け出した。
「――贄えぇッ! 貴様だけはああぁっ!」
「ジュード!!」
自分達の真横を駆けていく魔族に、メンフィスは思わず声を上げる。後を追うべく彼もまた走り出しはしたが、それは必要ではなかった。
後方から複数の火炎弾が飛翔し、魔族の顔面や身体へと叩き付けられていく。それはマナが放った火魔法だ。闇の領域が外れたことで威力の半減もなくなったらしく、その魔法はダイレクトに魔族にダメージを負わせた。
それにより勢いを失ったのを見計らい、ウィルとリンファが追い討ちをかける。
「ジュード様の元へは――!」
「行かせるかよ!」
リンファはシルヴァが与えた傷へ的確に攻撃を叩き込んだ。片手に持つ短刀を、傷を抉るように突き立てていく。新たに傷を刻むよりは、そこへ上塗りするかのように攻撃を加える方が効果が望めるからだ。
これならば、シルヴァほどの腕力を持たぬリンファでも充分なダメージを与えられる。
最後に顔面に思い切り蹴りを叩き込んだリンファが着地するよりも先に、ウィルは勢いを付け槍を突き出した。風の力を纏う突き出しの攻撃は幾ら巨体とは言え、その身をリンファから引き離す。魔族が身に纏う鎧は凝縮された風の力により打ち砕かれ、腹部を深く抉った。そして、ウィルは休みなく声を上げる。
「カミラ、今だ!」
「ガアアアァッ! 人間……風情があああぁっ!」
ウィルの声にカミラは片手を魔族へ向ける。
それと同時に魔族の足元には白い魔方陣が出現し、四方から光り輝く鋭い槍が飛び出す。それは四方向から魔族の身を思い切り貫いた。
それがトドメになったらしく、流石にそれ以上魔族は動けなかった。数歩後退し、片腕で腹部を押さえ――盛大に吐血してから、低く笑う。
「ク、ククッ……所詮貴様らのような、ゴミ共……束にならねば、っ……俺一人倒せんのだ……」
その言葉は、事実であった。
確かに、協力しなければジュード達はこの魔族一人倒すことが出来なかったのである。交信状態にあるジュードとて、光の精霊であるライオットの力を得ても単独撃破には至らなかった。
だが、それでもジュードは魔族を見据えながら口を開く。
「……けど、それが強さだ。お前達はそれを弱者と言うかもしれないけど……一人で生きていける奴なんて、何処にもいないんだぞ……」
「ククッ……反吐が出そうな綺麗事をほざきおるわッ……! 覚えておけ、贄よ……アルシエル様は、決して貴様を逃がさんとな……っ!」
それだけを告げると、魔族の身はまるで浄化されるかのように消失した。文字通り、影も形も残らずに。
ジュードはそれを見つめると、傍らから心配そうに見上げてくるちびの頭をそっと撫で付けた。何処か痛ましそうな表情で。