第十三話・王都での戦闘
屋敷を後にしたウィルとリンファは、逃げ惑う人々へと視線を向けた。彼らがどちらからやって来ているのか、それを探る為だ。だが、それは直ぐに知れる。
住民達は、皆一様に王都の南側出入り口から王城へと向かって駆けて来ていた。南側出入り口――それは商店街の通りがある方向だ。ウィル達も王都に出入りする際にいつも使う道である。
「ウィル様!」
「ああ、見に行こう!」
商店街ともあれば、何かと荒くれ者も多い。だが、この騒ぎは普通ではない。
逃げ惑う人々はいずれも蒼褪めており、覚束ない足取りで転倒する者も多かった。何かから必死に逃げて来ていると言うのが一目で分かる。
やはり、リンファの言う通りただ事ではない。ウィルは彼女の声に反応し、視線は街中に向けたまましっかりと頷いて駆け出す。目的とするのは南側に位置する商店街だ。リンファも辺りの住民達に視線を向けながらその後に続く。
時折、逃げてくる住民と正面衝突しそうになりつつも駆けていく中、程なくして騒ぎの理由が分かった。
商店街には、獣の咆哮がこれでもかと言う程に響き渡っていたのだ。
王都ガルディオンの美しい街並みは破壊され、出入り口を飾る白塗りの門は見るも無残に砕かれており、完全に崩れていた。その近くの壁も同様で、叩き壊された痕跡が残る。
商店街に積んであった樽や木箱も同じく破壊され、中に入っていた果物や野菜、アルコールが辺りに散乱していた。
普段は人の往来が激しく賑わうガルディオンの商店街。今は人の姿ではなく、深紅の毛を持つ狼型の魔物で溢れ返っている。
――つまり、魔物が王都を襲撃してきたのである。住民達はこの魔物の群れから逃げていたのだ。
更に最悪なことに、運悪く逃げ遅れた住民や商人達は紅狼の餌食となっている。
前脚で人間の腰を押さえ付けてうつ伏せで固定し、逃れようとする無抵抗なその身を頭から喰らう。その周辺には、首を掻っ切られた鶏の如く血飛沫が勢い良く飛び散った。ピクピク、と小さく身を震わせ、程なくして絶命し人形のように冷たい地面に倒れる。頭のない、人間の遺体が。
辺りでは同じような惨劇が繰り広げられていた、至る所に断末魔の叫びが木霊する。
ウィルとリンファは暫しその凄惨な光景に言葉を失い立ち尽くしていたが、ややあってから我に返るとそれぞれ愛用の武器を構える。
両者とも、魔物に最愛の家族を奪われた身。魔物に対する容赦の気持ちなど、持ち合わせていない。
どちらともなく魔物の群れに向かって駆け出すと、込み上げる憤りのままに武器を振るった。
「やめろおおおぉッ!」
ウィルは両手で愛用の槍を持ち、噛み付いた人の身に牙を立てる紅狼へと襲い掛かる。
殴り飛ばすように思い切り真横に槍を振るい、その身を吹き飛ばした。槍は本来は突くものだが、今現在ウィルが愛用している槍はパルチザン型だ。突く以外に斬撃にも充分活用が出来る。
紅狼の横っ腹を直撃したその攻撃は、その腹部を大きく切り裂いた。ガウウッ! と低い呻きを洩らす声を聞きながら、ウィルは倒れ込む住民の元へと慌てて駆け寄る。
「おい、大丈夫か! ここは任せて早く避難を――!」
魔物の数は非常に多い、こんな場所に非戦闘員を置いていては気が散って戦えない。そう判断してのことだ。
しかし、直ぐにウィルは息を呑んで魔物の群れへと向き直る。
――商人は、既に事切れていた。
牙を立てられていた背中部分は大きく抉られた痕があり、右足には既に喰い千切られた痕跡。これでもかと言うほどに地面には鮮血が広がっていた。
一瞬、ほんの一瞬だ。つい先程までは、ここで楽しく商売していた筈なのである。それが僅かな時間で命を刈り取られてしまった。命が消えるのは本当に一瞬のこと。
食事の邪魔をされた。
そう言わんばかりに、ウィルが吹き飛ばした紅狼は静かに起き上がると周囲にいた同型の魔物と共にじわじわとにじり寄って来る。
そして大きく開いた口からしとどに涎を垂らし、一斉に大地を蹴り飛び掛かってきた。
ウィルの脳裏には、過去の忌々しい記憶が甦る。惨殺された家族の、あの光景。
大切な家族、何より愛しかった妹。それを同じように一瞬で奪った魔物達。
「だから……だから……っ! 魔物なんて好きになれないんだよッ!」
誰に言うでもなくウィルはそう叫ぶと、手にした槍を振るった。真っ先に飛び掛かって来た一匹を殴り落とし、素早く切り返す。体勢を低くして駆けて来た後続を同様に真横に叩き払えば、刃部分が紅狼の両目を見事に潰した。苦しげな雄叫びが上がり、その場でのた打ち回る。
だが、槍はリーチが長い分、懐に入られると弱いと言う欠点がある。両脇から勢い良く飛び掛かって来た二匹に表情を顰めると、ウィルは瞬時に状況を把握し最善の道を探る。
一歩片足を後退させ、利き腕を庇った。右側の紅狼に向き、一匹へ背中を向ける状態だ。後方から飛び掛かった魔物の前脚はウィルの左肩部分を掠め、そこに確かな裂傷を刻む。鮮やかな鮮血が、宙を舞った。
しかし、攻撃の勢いで背中から前側へとウィルの身を飛び越したのを確認すると、ウィルは軽く口角を上げて双眸を細めた。続いて真正面から襲い掛かってきたもう一匹と共に、勢い良く槍を突き出して二匹同時に串刺しにしたのである。
手の平には肉を貫通する嫌な感触が伝わるが、今はそんなことは気にしていられない。魔物はまだ数多く残っているのだから。
リンファは、動かなくなった幼い少女を泣きそうな顔で見下ろす。年齢はまだ十にも満たないほどだ、あどけなさの残る風貌が印象的である。
その顔は青白く、徐々に身体は熱を失い冷たくなっていく。その近くには親と思われる男女の遺体が転がっていた。腹部から大量の血を流し、体内の臓器が周囲に散らばっている。ビチャ、と耳を塞ぎたくなるような音を立てて魔物達は奪い合うようにしてそれらの臓器を貪っていた。
腸を、肝臓を、次々に。多少離れた場所では頭部を破壊し、脳を喰らっている魔物さえいる。
少女の身を静かに地面に下ろすと、リンファは短刀を構え直す。彼女の脳裏にもまた、嘗て闘技奴隷だった際に見た――最愛の兄が魔物に喰らわれていく光景が浮かんでいた。余程腹を空かしていたのか、彼女の兄は余すところなく喰われたと言っても良い程だった。ほぼ骨しか残されなかったのである。
肉も、臓器も、目玉や脳に至るまで。その全てをリンファの目の前で喰われたのだ。
「……そうやってお前達はいつもいつも、大切な者を奪っていく……!」
リンファが静かに魔物達へ歩み寄ると、彼女に気付いたのか、その場で食事をしていた紅狼達は一斉にリンファに向き直った。魔物達の空腹は、依然として満たされていないらしい。次はこの人間、とでも言わんばかりに低く唸り、大口を開けて駆け出した。
それに対してリンファが怯えるようなことはない。彼女は地の国グランヴェルのコロッセオで長年に渡り闘技奴隷として戦い、生き抜いてきた身だ。その最中に感情表現などの、戦いに不要なものを斬り捨ててしまったのだが。
真っ先に咬み付こうと飛び掛かってきた一匹を、リンファは表情一つ変えずに蹴り落とす。更に次々に襲い来る魔物達を、持ち前の身のこなしを以て応戦していく。彼女はジュードのようなスピード重視の戦法を特に得意としている、素早さだけで言うのならジュードよりも上と言って良いほど。その身を捉えることは困難を極めた。
次から次に飛び掛かってくる魔物達へ向けて、リンファは片足を軸に回し蹴りを見舞う。腕力では男性陣に劣る彼女だが、勢いを付けての蹴りはやはり強烈だ。
更に頭上から飛び掛かってくる魔物には容赦なく、その手に持つ短刀を振るい、勢いを失って地面に落ちたところへ続いて刃を突き立てる。躊躇なく、頭部へと。
身体に幾つもの傷が刻まれようと、感情を捨て去った彼女の顔には苦痛が滲み出ることはない。腕や肩、足など大小様々に爪による傷が刻まれていくが、そんなことは問題にはならなかった。
ただ目の前の魔物を殲滅する――今のリンファにあるのは、それだけだ。
一方で城へ避難するように言われたジュード達は、その言葉通りに城へ向かっていたのだが――その最中。
逃げ惑う住民達が、ジュード達を見て悲鳴を上げたのだ。否、正確にはジュードの傍らにいるちびを見て。
「お、おい! ここにも魔物がいるぞ!」
「きゃああぁッ! あなた、そのウルフはなんなのよ!」
「え……」
蒼褪めながらちびを見つめ、そして憤慨する住民達。避難するのも忘れ、彼らは怒りを露にジュードへ詰め寄るとその胸倉を掴み上げた。辺りからは依然として、人々が上げる悲鳴とけたたましい足音が響く。
マナは慌ててジュードの元に駆け寄ると、胸倉を掴むその手を離させようとした。
「ちょ、ちょっと、今はそんなことしてる場合じゃないでしょ!?」
「そんなことだと!? お前ら、魔物を庇うつもりか!」
「そうよそうよ! あんたが魔物を手引きしたんじゃないでしょうね!」
「ジュ、ジュードはそんなことしません!」
次々に浴びせられる言葉の数々に、ジュードは思わず翡翠色の双眸を丸くさせて絶句していた。彼らの表情はいずれも怒りと憎悪に満ちており、明らかな敵意が滲み出ている。突然の魔物の襲撃に住民達も皆その感情を何処にぶつければ良いか分からないのだ。
突然の襲撃、瞬く間に破壊された日常、当然のように奪われた仲間達の命。混乱するのは当たり前である。
更に、そんな状態にあると言うのに街の中に魔物を連れた人間がいたのだから怒るなと言う方が無理だ。
カミラは向けられる敵意から少しでもちびを庇う為にその大きな身の前に立つが、やはり彼らの怒りは収まらない。寧ろ火に油を注ぐだけだ。
だが、そこへ一つ――よく通る凛とした声が響いた。
「何をしている、住民達は速やかに城へと避難しなさい!」
何事かと見てみれば、色素の薄い――一見銀色にも見える金の艶やかな髪を持つ人間がこちらに歩いて来ていた。長い髪を邪魔にならぬよう、すっきりと編み込んだ形で纏めている。
肩当てや胸当て、手甲にグリーブなどを装着している所を見ると兵士ではなく騎士だ。だが、ざっくりと開いた胸部から覗くふっくらとした胸元は、その性別が女性であることを物語っている。女騎士だ、年頃は二十代後半から三十頃だと思われる。
シルヴァ様、と口々に声を上げる住民達に倣い、ジュード達も彼女に視線を合わせた。人々の訴え掛けに耳を傾けながらも、女騎士――シルヴァと呼ばれた彼女は無表情のまま改めて口を開く。
「詳しい事情は後でゆっくりと聞く、とにかく今は避難を優先してくれ」
「あの、魔物が攻めてきたんですか?」
「そうだよ。南門から入ってきて、今はあらゆる場所に展開している。君達も早く城へ――」
マナの問い掛けに、シルヴァは下手に誤魔化すようなこともなく淡々とした口調で返答を連ねる。
だが、城への避難を促そうとする彼女の言葉を遮り、ジュードは慌てて頭を左右に振った。
「いえ、オレ達も行きます。……仲間が、街の様子を見に行ったんです。きっと二人とも戦ってる」
「そうね、ウィルもリンファも見過ごせる性格してないもんね。お願いします、足手纏いにはならないようにしますから!」
ジュードとマナの声にシルヴァは一度こそ困ったように眉を顰めるが、彼らの後方に見えるカミラやルルーナの真剣な表情に、程なくして小さく溜息を洩らした。
何を言っても聞きそうにない。そう判断してのことだ。
「……危険があればすぐに避難させるよ、それでも良ければ共に来なさい」
どうせ言っても聞かずに、自分達の判断で勝手に動き回る。それならば目の届く場所にいてもらった方が良い。
シルヴァはそう考え、承諾の返事を向けた。