第九話・喧嘩
夕食を終えた一行は、屋敷の食堂で頭を悩ませていた。その場には、なんとも言い難い不穏な空気が流れている。
「ねぇ、ジュード。なんとか出来ないかしら?」
「オレも気にはなってるんだけど、クレープ攻撃もダメだったのかなあ……」
困ったような声を洩らすマナの言葉に、ジュードは椅子の背凭れに背中を預けて寄り掛かると、此方もやはり困惑したように視線を宙空へと投げた。
彼らが頭を悩ませているのは、カミラのことである。
近頃、彼女の様子がおかしい。元気がない。それは仲間の誰もが気付いていることだった。
これまで食事の時間となれば普段以上に嬉しそうに表情を破顔させ、デザートなどは本当に至福のひと時とでも言うような様子で堪能していたものだ。
しかし、最近の彼女はと言えば無邪気なその笑顔も殆どなく、いつも気落ちしているように見える。
食事の時も元気はなく、落ち込んでいることが多い。おかわりさえ最近では全くしない。おかしい、と仲間が思うのは当然だ。
ちなみに、今現在カミラは外出中だ。神殿に治療に赴いて以来、今日は昼食を食べにも戻っていない。朝からずっと神殿に篭りきりと思われる。
マナやルルーナ、リンファも心配そうに表情を曇らせて、先程から頻りに食堂の出入り口に視線を投じていた。まだ戻ってこないのだろうか、それを心配しているのだ。
ジュードはウィルと顔を見合わせるが、ウィル自身もお手上げと言わんばかりに軽く肩を疎めてみせるのみ。どうしたら良いのか全く答えが出ない。
どうしたのかと問うてみても、カミラは「なんでもない」の一点張りだ。
「(お土産にクレープ渡した時は一応笑ってくれたけど……やっぱり、最近おかしいもんなあ……)」
王城の帰り道に見つけた屋台で買ったクレープを渡した際、カミラはやはり嬉しそうに笑った。
だが、それは殆ど――否、全くと言って良い程に効果はなかったものと思われる。その後もやはり元気を取り戻すような様子はなく、気落ちしているようにしか見えなかった。
「……カミラさんがおかしくなったのって、いつからかな」
「髪のことはもう気にしてないって言ってたわよ、確かにジュードがカチューシャに細工してから、元気になったもんね」
「そうそう、たまに頭から外して幸せそうな顔して眺めてたりね」
「え……カミラさんそんなことしてたの?」
ルルーナとマナから返る返答に、ジュードは思わず双眸を丸くさせた。それは全くの初耳だ。
確かに、カミラのあのカチューシャに細工をしたのはジュードである。しかし、そんな裏話を聞くと本人としては聊か嬉しさと共に気恥ずかしさがあったらしい。思わず片手の平で口元を覆い、ジュードは視線を下げた。意識せずとも顔面に熱が篭っていくのが分かる。
視線のみを動かして隣を見てみれば、やはりウィルがニヤニヤと薄く笑いながら生暖かい視線を送ってきていた、非常に腹立たしい表情だ。何かしら揶揄が飛んでくる前にと、ジュードは一つ咳払いを洩らすと早々に席を立つ。
「と、とにかく、オレの方からも改めて聞いてみるよ」
「うん……お願いね、ジュード」
「最近、あまりお食事もされていないようですから、……心配です」
「ただでさえ、無理しちゃうタイプの子だからね」
次々に洩れる言葉にジュードは思わず苦笑いを滲ませながら、それでもしっかりと頷いた。結局みんな彼女が心配なのだ。
そして、それは当然ジュード自身も同じである。出逢った時から惹かれている彼だからこそ、カミラの異変に気付かない筈がない。
ウィルは食堂を出て行くジュードの背中を眺めた後、その扉を凝視するローザへと視線を移した。
「(カミラが元気をなくしたのは、多分この巫女さんが来てから……つまりは嫉妬なのかねぇ……)」
もちろん、ウィルとてカミラの様子がおかしいことに気付かない筈がなかった。常に物事を冷静に分析出来る彼のこと。カミラがいつから元気をなくしたのかは当然分かる。恐らくローザが理由だ。
だが、ローザが原因でカミラが元気をなくす。その理由はウィルの中には『嫉妬』くらいしか浮かんでくるものがない。
ジュードをローザに独占されて嫉妬している。その結果、元気をなくしてしまった。単純に考えればこうだ。
「(けど、初めてウチに来た時はルルーナと睨み合ってたくらいなんだよなあ。水の国でも静かに怒ってたし)」
初めてカミラが風の国ミストラルの自宅に来た時、水の国でジュードがオリヴィアの猛アタックに遭っていた時。あの時から彼女は嫉妬はしていた。
だが、いずれも激しく気落ちするようなことはなかったのである。
ウィルが思い出すようにルルーナに対しては睨み返していたし、オリヴィアの時は軽くジュードを叩いてもいたほどだ。不貞腐れて機嫌が悪くなったりしていたのもウィルは記憶している。
それが、今回はどうだ。
食事もあまり喉を通らないのか、彼女らしい食べっぷりが全くない。元気そのものがなく、いつだって落ち込んでいるようにしか見えないのだ。
「(ちゃんと元気になってくれると良いんだけど……)」
言葉にこそ出さないが、ウィルはそっと小さく息を洩らして目を伏せた。
* * *
ジュードは屋敷を後にすると外へと足を踏み出す。もちろん、未だ帰らないカミラを探しに行く為だ。
そこへ、庭で遊んでいたと思われるちびが駆け寄ってきた。そのふわふわの頭には、いつものようにライオットが乗っている。
「にー! マスター、どこか行くにー?」
「ああ、カミラさんがまだ帰ってこないからさ、探しにいこうかと思って」
「ライオットも行くに!」
「分かった分かった、じゃあ……留守番頼むな、ちび」
既に時間帯は夜と言うこともあり、恐らくはライオットの天敵である子供達も出歩いていない。
となると、ライオットは嬉々として同行を申し出てきた。短い手を必死に挙げて訴えてくる様は、見ていてなんとなく微笑ましい。ジュードは笑いながら何度か小さく頷いた。
本当ならばちびも連れて行きたいのだが、ライオットと違い魔物だ。流石に連れ歩くのは気が引ける。
それを理解しているからこそ、多少なりとも寂しそうにはしてもちびは吠え立てるようなことはしない。なんとも賢い相棒だ。
肩に飛び乗るライオットを確認すると、ジュードはちびに見送られながら屋敷の敷地内を後にした。
「まだ神殿にいるのかな、カミラさん……」
「今日はずっと戻ってきてないように見えるに」
「ああ、朝出たっきり戻ってないんだよ。みんな心配してる」
やはり、彼女が戻っていないことは皆に知れている。ジュードは溜息を洩らしそうになって、なんとか押し留めた。
カミラは大丈夫だろうか。一体なにが原因で、あんなにも元気がないのだろうか。自分には話せないようなことなのだろうか。
ジュードの頭には、幾つもの疑問が頻りに去来する。原因が分からない以上、どうすれば良いのかも全く分からない。
何か話してくれれば――そう思いながら、足先は神殿の方へと向けていく。
だが、神殿に足を向ける道すがら。その姿は見えてきた。神殿ではなく、その途中にある噴水広場に。
円型の噴水の縁に腰掛けて、カミラはやはり俯いていた。
周囲には時間帯もあってか、何組ものカップルらしき姿が見える。各々自分達の時間を過ごしているようだ。
幸いにもカミラに声を掛けている男の姿は見えないが、時間も時間だ。特にこれからの時刻は酒も入り、善からぬ誘いを向ける輩も多い。そんな場所に彼女を一人にしてはおけない。
「カミラさん」
「……!」
そちらまで歩み寄りそっと声を掛けると、カミラは大きく身を跳ねさせて弾かれたように顔を上げた。
瑠璃色の双眸は見開かれていて、確認せずとも『ビックリしました』と言うのが分かる。
「ジュ……ジュード……」
「……泣いてたの?」
「ちっ、違う、違うよ!」
顔を上げたカミラは、夜の薄暗い闇の中でも分かる程に目元が赤く染まっていた。鼻頭にも同じく朱が募る。泣いていたと言うのは一目瞭然だ。
ジュードは軽く眉尻を下げて、そんな彼女に静かに片手を差し伸べた。カミラはと言えば何度か目を瞬かせて暫しジュードを見つめていたが、程なくしてその手を取って立ち上がる。
「帰ろう」
「……うん」
ジュードがそう声を掛けると、カミラは小さく返事をして頷いた。やはり、どう見てもおかしい。元気と言うものが欠片もない。泣いていたと言うのも非常に気になった。
帰り道を歩きながら、ジュードは頭の中で言葉を考える。肩に乗るライオットも、不安そうに二人を見守っていた。
緩慢な足取りで屋敷までの帰り道を辿りながら、ジュードは隣を歩くカミラを横目に見遣る。心なしか顔色もあまり良くないように見える他、目の下には多少なりとも隈があった。満足に睡眠さえ取れていないのか、そんな不安ばかりが募っていく。
「……カミラさん、何かあったの? 最近元気ないけど……」
「え……ううん、何もないよ」
「でも、最近ご飯もあまり食べてないみたいだし……」
「だ、大丈夫、ちゃんと食べてるよ」
カミラの視線は始終やや下を向いていて、隣を歩くジュードに向くことはない。そんな様子さえ、彼の心を焦燥させる。
見るからに気落ちしているのに、どうして何も話してくれないのか。自分はそんなに頼りにならないのだろうか。様々な葛藤がジュードの中に次々に芽生えていく。
力になりたいのに、彼女が何を悩んでいるのかさえ分からないのだ。互いの間に見えない壁のようなものがある、そんな錯覚を覚えてジュードは口唇を噛み締めた。頭には仲間の心配そうな顔が浮かんでは消えていく、訳も分からずに自然と苛々が募り始めた。
「……オレ、そんなに頼りにならないかな」
「え……」
ふと隣から聞こえてきた言葉に、カミラは思わず足を止めてジュードを見つめた。そこで漸く瑠璃色の双眸がジュードを捉える。だが、今度は彼自身が彼女を見ることなく、ただ真っ直ぐに夜の闇へと視線を投じていた。
カミラは慌てて頭を左右に振り、思いのままに口を開く。
「そ……そんな、そんなことないよ」
「じゃあ、どうして何も言ってくれないんだ」
カミラから返る言葉に、ジュードはそこで彼女に向き直るとハッキリとそう返答を向けた。
カミラは、その彼の顔に思わず言葉を失う。何故なら、自分の方を向いたジュードの表情にはこれまでと異なり明らかに怒りが滲んでいたからだ。
「みんな、カミラさんのこと凄く心配してるんだ。元気がない、何かあったんじゃないか、って。今だって、マナもルルーナもリンファさんも、カミラさんがいつ帰ってくるかって心配してて、ウィルやオレだって――」
「…………」
「――大丈夫そうに見えないから言ってるんじゃないか!」
その言葉に、カミラは絶句していた。
いつもは優しく見つめてくれる穏やかな双眸が、今は確かに怒りを宿して自分を射抜いている。そう思うだけで、まるで身体が石化したように動かなくなっていた。
――ジュードが怒っている。他でもない、自分に対して。
何か言わなければならないのに、上手く言葉が出てきてくれない。
「……っ、……ごめん、なさい……でも、……本当に、なんでもないから……」
「――っ!」
結局、カミラの口から出てきたのはこれまでと変わらない類の言葉だった。
その返答に、ジュードは頭の天辺に一気に熱が上がるのを感じる。繋いでいた手を離して顔を下向かせると、やり切れなさと共に込み上げる感情のまま改めて口を開いた。
「……分かった。それならもう、好きにしたらいいよ……」
「ジュ――――」
俯いた状態のまま静かに紡がれた言葉にカミラは慌てて声を掛けようとはしたのだが、それよりも先にジュードは踵を返し早々に屋敷の方へと歩いて行ってしまった。その刹那、不意に彼の肩から白い何かが地面へと落ちる。
「うに、うにー」
「……ライオット……」
ライオットが肩から飛び降りたことに、ジュードは気付いていないらしい。足を止めることなく夜の闇の中へと消えていった。
ライオットはカミラの腰辺りに跳び付くと、心配そうによじよじと身体を伝って上り始める。
「カミラ~……マスターにちゃんと本当のこと話した方が良いにー……」
「え……!?」
「に、ライオットはこれでも立派な精霊だによ! カミラがなんで落ち込んでるか、ちゃ~んと分かってるに!」
カミラの身にしがみつきながら、ライオットは短い手を伸ばして何処か誇らしげに声を上げた。
すると途端にカミラの双眸からは涙が溢れ出し、その場に崩れ落ちるように蹲る。抑えていたものが全て溢れ出したように次々に涙が流れ、そして大地へと落ちていく。
泣かないで、と言うかの如く、ライオットはカミラの肩まで上ると彼女のその頭を小さな手でいつまでも撫で付けていた。