第八話・不満の日々
「ああ、アッタマきちゃう!」
メンフィスから借りている屋敷の中に、一つ感情に任せた怒声が響く。
時刻は昼下がり。今日も王都ガルディオンは快晴だ。
そんな天気とは裏腹に、この屋敷には清々しい気分など欠片も存在していなかった。
ちなみに、声を上げたのはルルーナだ。昼食を終え、食後の紅茶を味わっていた矢先のことである。食後のデザートを持ってきたマナやルルーナの隣の席に座っていたカミラも、そんな彼女に視線を向けた。
「溜まってるわねぇ、ストレス」
「当たり前でしょ、マナは平気なの?」
「全っ然、あたしだって同じよ」
苦笑い混じりに返答したマナは緩く双肩を疎ませながらテーブルに歩み寄ると、トレイに乗るデザートをそれぞれの前に置いていく。今日のデザートはマナ特製のカスタードプリンだ。カラメルソースの上に乗るホイップクリームと、そこに鎮座する赤いチェリーがその姿を可愛らしく飾る。
ルルーナはスプーンを手に取ると、早速その形を崩し始めた。別に悪意がある訳ではない、食べる為には当然のことだ。
いつもなんだかんだとマナの手料理に文句を付けてばかりいるのがルルーナだが、だからと言って彼女の料理が嫌いな訳ではない。口喧しく言いながらも気に入ってはいるらしく、マナが作るデザートや甘味菓子などを口にすれば機嫌が直ることが多いのだが、今回ばかりはそうもいかないようだ。プリンを口に運んでも、その機嫌が良くなるような兆候は見られない。
ルルーナやマナの機嫌が悪いのはやはりと言うか何と言うか、ローザのことだ。
彼女がこの屋敷に住むようになって、数日が過ぎていた。
今現在、ローザはジュードやウィル、リンファと共に王城へと赴いている筈である。
姫巫女として本物なのか偽者なのかは定かではなくとも、本物であった時の為にある程度の待遇は必要と判断されたらしい。女王の決定で、この屋敷に住むことを許可された。国で保護する、と言う話も出たのだが、ローザが頑として譲らなかったのだ。ジュードのところが良いのだと。
それからと言うものローザは定期的に王城へと出向き、女王と魔族のことについて話し合っている。今の外出もその用事だ。
魔族の特性、弱点、動向などについての話がほとんどだが、女王の方から彼女へ協力の要請もしている。その要請は当然だ、魔族が現れた以上は世界そのものが危機に晒されていると言うことなのだから。
魔族に対抗する力を持つ姫巫女になんとかしてほしいと協力を請うのは、おかしいことではない。ましてや女王は一国を守る使命があるのだから。
だが、それについてのローザの返事は色好いものではなかった。いつも決まって『保留』にして、城を後にするのである。
彼女曰く、巫女と言う存在だからこそ安易に決定は出来ない、とのことだ。巫女だからこそ気軽に戦いに参加は出来ない、と。しかし、この現状の中、そんな返答で納得出来る者はなかなかいない。
特にこの火の国エンプレスは長い間、激戦区に晒されている。その上、今度は魔族が積極的に現れるようになればどうなるか、それを考えられない者の方が珍しいだろう。
それでもローザの対応は変わらない。
そんな彼女に憤りを感じる者、嫌悪する者など、徐々に増え始めている。ジュード達はローザを守る為の――所謂護衛だ。
特にジュードは、そんな彼女に随分と振り回されている。ローザが買い物に行くとなれば彼女直々のご指名だったこともあり、いつも駆り出され――更にこうして王城に行く際にも同行している。
当然ながら、ジュードを振り回すローザにルルーナやマナの不満は募っていくばかりだ。
「大体、なんなのよ! 何もしないクセに!」
「あんたが言えることじゃないと思うけどね……」
「なによ、最近はマナの手伝いだってしてあげてるじゃない!」
「数えるほどでしょうが! ……まあ、何もしてくれなかった時より遥かに助かるけどさ」
ルルーナはジュード達と行動を共にするようになってからも、ほとんど何もしなかった。だが、徐々に親睦を深めていく中で、今となってはマナの食事の手伝いまで自ら進んでするようになったのだ。
当初犬猿の仲でしかなかったことを思うと、素晴らしい進展である。一見すると不仲には見えるのだが、マナもルルーナもこれが既に挨拶のようなものだ。
「って言うか、まあ……あれよね。巫女様だって言うなら、早いとこ魔族をなんとかしてほしいと思うんだけど」
「誰だってそう思うわよ、巫女だって偉ぶるならやることやりなさいっての。そうすればジュードだって魔族に狙われたりしないで安心出来ると思うんだけど」
そして、ガルディオンの民が持つような不満は当然マナやルルーナも持っていた。
ローザはと言えばこの屋敷に住むようになってからと言うもの、巫女らしいことは特にしていない。
カミラのように神殿に赴いて怪我人の治療に専念する、と言うようなこともなかった。不満が募るのは必至である。
「ジュードジュードって、そればっかりだし……!」
「ウィルだって嬉しそうに話しちゃってさ。あの言葉はなんだったのよ、って感じだわ」
だが、彼女達の不満の大半はローザの態度と言うよりも――周囲の対応だ。ジュードは普段と変わらず振り回されて四苦八苦しているように見えるのだが、ウィルの方は違う。
ローザは何かと色々な知識を有している。ウィルさえ知らなかった精霊族のことも知っていた上、彼女自身が姫巫女と言う彼の関心を強く惹く存在。ウィルが興味を持たない筈がなかった。マナはそれが気に入らない。
「……カミラちゃん、大丈夫?」
そんな不満を洩らす中、ふとルルーナは隣の席に座るカミラに視線を向けた。
ここ数日、カミラの元気がない。マナもルルーナも、それに気付けないほど薄情ではなかった。
いつも食事の時間となれば、それはそれは嬉しそうに料理を口に運んでいく彼女が最近ではおかわりもせず、黙々と何処か沈んだ様子で食事をするようになっていたのだ。更に今現在も目の前にプリンがあると言うのに、俯いたまま口にする様子がない。普段の彼女からは考えられないような姿だ。
ルルーナがそっと声を掛けると、マナも気遣わしげに彼女を見つめる。
「…………え?」
「……こりゃ、重傷ね……」
「カミラちゃん、最近元気ないけど大丈夫なの? 髪……やっぱり、まだ引き摺ってる?」
暫し無言で彼女の様子を見つめていたマナとルルーナだったが、カミラがやや暫くの後に反応した様子を見て、深い溜息を洩らす。
話を全く聞いていなかったと思われる反応に、不安や心配は募るばかりだ。髪を切られたことをまだ引き摺っているのだろうか――ルルーナはそう思いながら控えめに声を掛けたが、カミラは慌てたように頭を左右に振った。
「え? う、ううん、そんなんじゃないの、だいじょうぶ」
「でも……」
「やっぱりあの巫女様のこと? 最近ジュードも構いっきりだもんね……」
最近はジュード自身、あまりカミラに構っているように見えなかった。と言うよりは構いたくても構えない、そんな状態だ。
ローザは精霊族であるジュードに非常に強い興味を持っており、いつでも彼の隣にいる。それ故にジュードもカミラも二人でのんびり言葉を交わす、と言うような時間を持てずにいた。
マナもルルーナも、それが寂しいのだろうと思っている。だからこんなにも落ち込んでいるのだろう、と。
「ち、ちがうの、そんなんじゃないの」
しかし、カミラは慌てて両手を胸の前辺りで左右に揺らし、頭を横に振ってみせた。だが、マナにもルルーナにもそれが虚勢にしか見えなかったのだ。大丈夫なのだろうか、彼女達の不安は次々に増していくばかり。
するとカミラは座っていた椅子から立ち上がり、幾分早口に言葉を連ねてまるで逃げ出すように食堂を後にした。
「ご、ごめんね、マナ。わたし今日はデザートいい、……ごめんね」
「あ、カミラ! …………本当に大丈夫かしら」
「そうね……あの巫女サマが来てから、なんかメチャクチャだわ」
マナもルルーナもカミラが出ていった扉を暫し見つめた後、小さく溜息を洩らして項垂れた。
* * *
王城からの帰り道、ジュードは近くに出ていた幾つかの屋台の前で足を止める。「あ」と小さく洩れた彼の声に反応したのは、その後ろを歩いていたリンファだ。彼女は、この一行のリーダーはジュードだと認識している。リンファはローザの護衛と言うよりは、魔族に狙われるジュードの護衛として付いているようなものだ。
リンファは彼の視線を辿り一つの屋台に視線を向けると、常の無表情のままに口を開いた。
「ジュード様、購入して参りましょうか?」
「え、あ……はは、自分で買えるから大丈夫だよ。リンファさんも食べる?」
それは彼女なりの気遣いだったのだろうが、ジュードはリンファに視線を向けると苦笑い混じりに返答を向けた。
彼女には染み付いた行為かもしれないが、ジュードはオリヴィアのような王族ではない。欲しいものがあれば、当然ながら自分で買えるのだ。
ジュードはリンファと共に屋台の方に足を向けると、そこから漂う香りに双眸を細める。手際良く作られていくそれを見つめて、リンファは小さく呟いた。
「……クレープ、ですか」
「うん、どう?」
ジュードからの問いに一度こそリンファは断ろうとしたのだが、そこで彼女の頭にはルルーナの言葉が過ぎる。
『少しは女の子らしいことしなさいよ』
どう言った行為が女の子らしいことなのか、未だにリンファは分かっていない。だが、一度何事か考え込むように黙ると程なくしてリンファは小さく頷いた。その後に、幾分控えめに言葉を紡ぐ。
「……お、お願いしても……宜しいでしょうか」
「うん、分かった。おばちゃん、クレープ二つ――」
リンファから返った言葉にジュードは嬉しそうに笑みを滲ませると、そのまま屋台の女性へ声を掛けた。彼としても、やはりリンファのちょっとした変化が嬉しいのだろう。
しかし、その直後。左腕を思い切り下に引っ張られるような感覚を覚えてくぐもった声を洩らす。なんだと思って見てみれば、そこには先程までウィルと雑談に勤しんでいたローザがいた。ジュードの片腕に飛び付き、そのまま自分の方に引っ張り込んだものと思われる。
「ぅぐッ!」
「三つよ、三つ! アタシの分を忘れないでよねジュード! それとも、二つの内の一つって、元々アタシの分?」
「ち……違う、おばちゃん……やっぱ三つ……か、肩が外れるかと思った……」
自分の片腕にぶら下がるように体重を掛けるローザを横目に見遣りつつ、ジュードは逆手で自分のその肩を撫でる。そんな彼の頭に乗っていたライオットは、大丈夫かとやや慌てながら様子を窺っていた。
「……巫女様、ジュード様は鍛冶屋なのですから、あまり腕や肩を痛めそうなことは……ただでさえ、まだ傷が完治した訳ではないので――」
「別にいいでしょ、このくらい」
「しかし……!」
リンファは毎日のように、ジュードの傷の治療を続けている。だからこそ、彼の傷を考えれば珍しく口喧しくもなるのだ。
だが、ローザにそれを気にするような様子は見受けられない。それには流石のリンファとて、軽く眉を顰めた。
「ね、ジュード。そのクレープの一つって、誰の分?」
しかし、ローザ本人はやはりリンファのそんな様子も気にせず、すぐにその興味はジュードへ向く。
当のジュードはと言えば直球な問い掛けに困ったように視線を他所に逃がす。そんな様子を見て、ウィルは苦笑い混じりに言葉を向けた。
「お土産だよな、カミラに」
「あ、ああ、うん。……カミラさん、なんか元気ないように見えるから、ちょっとでも笑ってくれたら良いな、とか……うん」
「はあぁ、お前は本当になんて言うか……」
どんな状況であれ、カミラのことを語るジュードは幸せそうだ。へへ、と眉尻を下げて照れたように笑いながら後頭部を掻くジュードは、聊か幼く見える。
ウィルには大変微笑ましく感じることではあったが、ローザは猫目を半眼に細めると改めて口を開いた。
「……ふぅん。ね、あのカミラって子、ジュードのなんなの? 彼女?」
「な――……ッ! 別にそういう訳じゃ……!」
「(……けど、好きな訳ね……なるほど)」
ジュードの反応は、誰が見ても分かり易い。そしてそれは、ローザとて例外ではなかった。
あまりにも直球過ぎる問い掛けにジュードはこれでもかと言うほど、耳までを朱に染めて慌てて頭を左右に揺らす。これでは、そうです、と言っているようなものだ。
ローザは暫しそんなジュードを見上げていたが、程なくして出来上がったクレープを率先して受け取ると、早速一口齧る。
「まあ、いいわ。じゃあ、もう帰りましょ」
くるり、と片足を軸にローザはジュード達を振り返ると、にっこりと笑ってそう言った。