第七話・夢がもたらすもの
『だって、アタシは巫女だから』
その言葉は、ジュードにとっては非常に――否。言葉にし難い程の衝撃であった。念の為に確認してはみたが、彼女の言う巫女とジュードが考える巫女。やはり相違はない。彼女は自らのことを『姫巫女』だと言った。
魔族に対抗する破邪の力を持つ存在、それが一般的に姫巫女と呼ばれるものである。ジュードがあの夢の中で言われた、まさにその存在だ。
「(……こんな偶然って、あるものなのか)」
世界が壊れる夢を見た、まさにその直後の出逢いだ。偶然と言うよりは奇跡と呼ぶ方が相応しい。
どうにも現実味が湧かない中で彼女を伴い屋敷に帰り着き、集まってきた仲間達に事情を説明し――食堂に集ったところで、ジュードは意識を引き戻す。
マナやリンファは、食堂のテーブル中央の席に座るローザを見つめる。ルルーナは、そこはやはり彼女らしい。緊張した様子もなく優雅に紅茶を啜っていた。
ウィルは『巫女』と言う存在そのものに強い興味を抱いているのか、普段の彼からはあまり想像出来ない程に落ち着きなくそわそわしている。
そしてカミラは――複雑な表情でローザを見つめていた。
「ねぇ、ジュード。この人達とはどんな関係なの? 随分とお友達がいるみたいだけど」
「あ、ああ……そっちがマナで、隣のがウィル。昔から一緒に育った……兄妹みたいなものだよ」
「ふぅん……」
「あとは……みんな友達で、大事な仲間」
どうにも大雑把な説明ではあるが、カミラやルルーナ、リンファは特に文句は言わなかった。それよりも、彼女達の興味や意識は当然なのだがローザに向いている。
本当に巫女なのか、恐らくはその疑念が一番強いと思われた。
魔族が現れたと言う話は、世界的に広がりを見せている。既に多くの街や村に、その噂は届いていることだろう。
そんな状況にあるこの世界で『魔族に対抗する力を持つ巫女』が現れたとなれば、騒がれることは必至。人々の期待を一身に受け、魔族と戦うことにもなる筈だ。余程の酔狂でなければ、自分が巫女などと嘘を言ったりはしないものと思われる。魔族と言う存在がどれほど危険か、知らない筈はないだろうから。
「友達、ね……」
ローザは椅子の背凭れに身を預け、片手を自らの口元に添える。彼女の視線はマナからウィルへ、そしてリンファ、ルルーナへと向き、最後に複雑な表情で自分を見つめるカミラに向いた。
しかし、カミラのその視線が何やら引っ掛かったらしい。琥珀色の猫目を緩く細めて小首を捻る。
「……なぁに?」
「え? ……いえ」
「なにかしら、何か言いたいことがあるなら言って?」
「…………」
肘置きに片腕を預け、爪で軽くそこを叩きながら先を促すローザに対し、カミラは一度視線を下げる。ぐ、と一度強く口唇を噛み締めて、暫く。
静かに顔を上げると、恐らくこの場にいる誰もが気になっているだろう疑問を、問いとして言葉に乗せた。
「……ローザさんは、本当に巫女さま……なんですか?」
「……なんですって?」
その問いにローザは一度軽く眉を顰め、不快を前面に押し出した。
そんな様子を目の当たりにして、ウィルは一度こそカミラを止めようと口を開きかけはしたのだが、それよりも先にローザが改めて口を開く。ふ、と吐息を洩らして小さく笑いながら。
「まあ、疑われちゃうのも仕方ないわよね。でも、アタシは本物よ。信じてとしか言えないのが歯痒いけれど……それじゃダメかしら……?」
「…………」
ローザは緩く眉尻を下げて両手をテーブルに添えると、薄く自嘲気味に微笑みながら再度と小首を捻る。
カミラは彼女をジッと見つめて頭の中で言葉を選んでいるようではあったが、そこはやはりウィルが制すように言葉を向けた。
「……カミラ」
「うん……」
確かに本物か偽者かと言われれば、誰もが偽者と疑いたくなるだろう。姫巫女など、本当にいるかどうかも分からないような存在としてこの世界に伝わっているのだから。
伝説の中だけの架空の存在。そう思われても仕方のないもの、それが姫巫女だ。
だが、本物か偽者か、ここで言い合っていてもどうにもならない。判断するのはジュード達だけでは難し過ぎる。
マナはローザとウィルを何度か交互に眺め、珍しく幾分控え目な声量を以て口を開いた。
「そ、それで……どうするの? 巫女様が現れたんなら女王様に報告した方が良いんじゃないかしら。きっと前線基地の人達にとっても希望になるわ」
「そうですね、私達では巫女様をお守り出来るかどうか……失礼があるといけませんし……」
マナの提案は尤もだ。リンファは静かに頷きながら彼女に賛同を向けた。
ジュード達は今現在、火の国エンプレスの女王の依頼でこの王都ガルディオンにいるのだ。何かあれば女王、もしくは保護者的役割を担うメンフィスに報告することは基本だろう。
今現在、メンフィスは前線基地の様子を見に行っている。つまりは不在なのだ。だからこそ、その報告は必然的に王城――女王の元へと向く。
それに姫巫女と言う、この世を覆いつつある闇を祓える存在の出現を一国の王に報告しないなど許される筈がない。
女王は子供と言うだけで早々に却下せず、ジュード達の努力やその腕を買い、非常に高く評価してくれている人物でもある。ジュードは個人的にそんな女王に対し信頼を持っていた。
「へえぇ、アナタ達って女王様とも親交があるの? すごいのねぇ……」
「え、ええ、まあ。あたし達は女王様からの依頼で、ここで武具を造っていて……」
「でも、護衛とかは考えなくていいわよ。ジュードにお願いするから」
驚いたように目を丸くさせるローザにマナは慌てて彼女に説明を向けはするのだが、それは言葉途中で途切れてしまった。
何故なら、至極当然のように返る返答に対し、空気が凍り付くのが分かったからだ。流石のマナも閉口する以外に道はなかった。
視線のみを動かしてカミラとルルーナの様子を盗み見ると、表情にこそ変化はないが目が笑っていない。彼女達の背後にドス黒いオーラが見えるような気さえした。
当然マナとて喜ばしいことではないのだが、ウィルの想いに気付けたことで以前ほど嫉妬の感情は強くない。
ローザはそんな雰囲気や様子に気付いているのか否か、隣に腰掛けるジュードへ同意を求めるべく視線を向けた。
「いいでしょ、ジュード。アタシとアナタって似た者同士なんだし」
「似た者同士?」
「そ。この世界の崩壊を予知してる者同士」
その言葉に疑問符を滲ませたのは、当然仲間達だ。
一斉にウィル達から向けられる視線にジュードは居心地悪そうに一度目線を下げると、困ったように眉尻を下げる。彼にとって、今朝の夢はやはり『夢』なのだ。あれが今後起きることとしてはどうしても考えられないし、考えたくはない。
しかし、それまで黙ってジュードの肩に乗っていたライオットは、そんな主の様子を窺いながらそっと声を掛けた。
「にー……マスター、何か感じ取ってるに?」
「いや、オレはただ……今朝、ちょっと嫌な夢を見たってだけで……」
「嫌な夢?」
帰宅の道すがら、ローザには今朝のあの夢の内容を話しはしたが、当然ながらウィル達には告げていない。
ジュードの中では『夢』でしかないものだったのだが、ウィルはそれに対し関心を持ったようだ。否、関心と言うよりは純粋にジュードが心配なだけかもしれないが。
「ああ、……この世界が魔族に支配されて、真っ黒い闇に喰われるような……そんな夢。地面が崩れて、変な色の海水が押し寄せてきて、……それで言われたんだ、姫巫女を守れ、って。誰の声かは分からなかったけど」
「……!」
ポツリポツリと呟かれるジュードの言葉に、カミラは一度双眸を見開くと彼を凝視する。だが、それはほんの一瞬のことで、ジュードや他の仲間が彼女のその様子と視線に気付くことはなかった。
姫巫女を守れ、と言われる夢を見て実際に巫女と出逢う。とんでもない偶然、と誰もが思った時、ライオットがそっと改めて口を開いた。
「うにー……もしかしたら、精霊の誰かがマスターに何かを伝えようとしているのかもしれないに」
「え?」
「精霊達は、近くにいなくてもマスターの存在を感知してるに。精霊がマスターに何かを知らせようとして夢を見せたのかもしれないによ。予知夢みたいなものだに」
その言葉に一度こそジュードは考え込むような表情を滲ませはするが、程なくして息を呑む。
それは、ジュード達が王都ガルディオンに住むようになってすぐのこと。真っ暗な森の中で、サタンと呼ばれる不気味な生き物に喰われそうになった悪夢を思い出したのだ。
あの夢は、後に水の国で現実となった。つまりは、予知夢と考えて良いものである。
「(じゃあ、あの悪夢は精霊からの警告だった……?)」
サタンが狙っているから気を付けろ。
この世界にいる精霊の誰かが、ジュードに夢を通して教えてくれていた。そう考えられる。
しかし、やはり半信半疑なままだ。これまでジュードは幾つか夢を見てはきたが、現実になったのはその夢だけである。
最初に巫女を守れと言われた時は今回のように映像は出てこなかったし、巫女とは当時出逢わず、こうして今になって漸く邂逅を果たしたのだから。
「(そう言えば、最初に見たのはカミラさんと出逢った時だったっけ)」
その時から現在に至るまで、ずっと彼女に惹かれている。それを改めて考え、ジュードは胸の辺りに暖かい感情が湧くのを感じた。
あの悪夢を見た後もそうだった。どのような状況に陥っても、カミラのことを思えば不思議なほどに心が落ち着いていくのだ。
「精霊にマスターって……ジュード、アナタ……もしかして精霊族?」
「――は、え?」
そんなことを考えていたからか、不意にローザから掛かった言葉にジュードは間の抜けた声を洩らした。その発言はジュードだけでなく、ウィル達にとっても驚きであったらしく、今度は彼女へと一斉に視線が集まる。
様々な知識を有するウィルさえ、精霊族のことは知らなかったのだ。しかし、ローザは知っているらしい。
「うに? お姉さん、精霊族のこと知ってるに?」
「しかも、コレって精霊!? うっわあぁ、ジュードって凄いのね! アタシ、精霊族って初めて見たわ!」
ローザが『コレ』と示すのは、当然ながらライオットだ。やや興奮気味に片手でそのもっちりとした身を鷲掴みにし、強引にジュードの肩から掻っ攫うと柔らかなその感触を楽しみ始める。
ライオット自身からは悲痛な声が洩れ、短い両手を必死に動かしてジュードに助けを求めた。
「に、にー! マスター、助けてにー!」
「巫女って精霊族のことも知ってるし、色々詳しいんだ……」
そこで反応するのは、やはりウィルである。彼は書物から色々な知識を得ることが好きだが、人様から聞くのも当然好きだ。更に言うのであれば、ジュード達の中には彼の興味がある分野について語れる者がいない。
だからこそ、ウィルの興味はこれでもかと言うほどにローザに向いたのである。
ジュードは苦笑い混じりにライオットに手を伸ばしたが、その手がもっちりとした身に触れるよりも先にローザがしっかりと掴んだ。
「ジュードにはこの世界の崩壊が見えたんでしょ? アタシも世界の危機を感じてる。ほら、アタシ達って似た者同士じゃない。しかも精霊族だなんて最高!」
「い、いや、似た者同士って喜べるようなことじゃ……」
「ね、だからさ。アタシのこと守ってよ、ジュード」
ローザがジュードの手をしっかりと握り、そう告げた時。リンファは確かに感じた。
室内の空気が、先程よりも更に凍り付いたのを。
カミラやルルーナ、そしてやはりマナまでもが眉を寄せて彼女を凝視したのだ。
ちなみに、普段このような雰囲気で胃を痛めているウィルはと言えば、今回ばかりは好奇心が勝ったらしく、特に何も感じてはいないらしい。何処か眼を輝かせてローザを見つめている。
リンファはそっと双眸を伏せて、小さく溜息を吐き出した。