第四話・呪い
「なんだってこんなことになったのよ!」
王都ガルディオンにある屋敷の中に、一つ怒号が響き渡る。
それは顔を真っ赤にして怒るマナのものだ。その傍らではウィルとリンファが彼女の怒りを鎮めようとしていた。
ルルーナは触らぬ神になんとやら状態で、そんな様子を遠巻きに眺めている。
「ご、ごめんなさい……」
「……あ。ご、ごめん、カミラに怒ってる訳じゃないのよ」
マナの目の前には、しょんぼりと頭を垂れるカミラがいた。両手の指先を胸の前辺りで絡ませて、随分と気落ちしているように見える。
マナが激怒している理由は当然、ジュードのことだ。
あの後、カミラは意識を飛ばしたと思われるサラマンダーを放置して、ジュードを連れて王都へと帰り着いた。
ジュードはと言えばあの状態になった後のお決まりの如く、カミラが駆け寄るのと同時に意識を飛ばしてしまった。取り敢えず命に別状はなさそうだったが、傷の方は結構重い。
ようやく肩の傷も治ったと言うのに、また新たな怪我を負ったことにカミラは胸が痛むのを感じていた。なんとか彼の身を支えて王都に帰り着いたが、簡単な買い物に出た筈のジュードがボロボロの姿で戻ってきたことを喜ぶ者などいる訳がない。マナの怒りは尤もだ。
今現在ジュードは自室の寝台で眠っているが、傷が痛むのだろう。時折苦しげに眉を寄せて唸ることがある。
そんなジュードの様子を見遣り、ライオットはしょんぼりと耳と思わしき部位を垂らした。寝台に寄り添うちびも心配そうである。
「一体どこのどいつなの? ぶん殴ってやらないと気が済まないわ!」
「ま、まあまあ、落ち着けよマナ。取り敢えずジュードもカミラも無事だったんだし……」
「あれのどこが無事だっての!? ただでさえジュードは魔法がダメなのよ! あたし達と違って治癒魔法ではい元気、って訳にはいかないんだからね!」
「は、はい……」
今にも噛み付いてきそうなマナの剣幕に、ウィルは思わず視線を下げて機械人形の如く幾分ぎこちなく頷いた。
彼らであれば、カミラの治癒魔法一つで傷など簡単に治療は出来る。しかし、魔法を受け付けない体質を持つジュードはそれが出来ない。
魔法とは異なる気功術を扱うリンファがいるとは言え、治癒魔法とは異なり即座に傷が治るものではないのだ。
だが、ジュードの枕元でしょんぼりとしていたライオットは徐に顔を上げると、至極当然のことのように口を開いた。
「魔法で治してあげた方がいいに、マスターが苦しそうだに」
「は? いや、だから。ジュードは魔法がダメなんだって。マスターだから魔法には弱いんだろ?」
ふと洩れた呟きに、仲間の視線は一斉にライオットへと集まる。
ジュードが精霊族だと言ったのも、その中でも特に強い力を持つマスターだからこそ魔法に耐性がない、と言ったのもライオットだ。
しかし、ライオットは不思議そうに首を――否、身体を傾けた。
「……に? 確かにマスターは魔法に対する耐性はないに、けど」
「けど?」
「治癒魔法は害にならない筈だに!」
先を促すウィルの声に、ライオットは短い手を高々と挙げてハッキリと断言してみせる。
だが、仲間の間には暫し沈黙が落ちた。
数拍の空白の末にルルーナは小さく溜息を吐くと、壁に預けていた背中を離して、そこでようやく口を開く。
「……それ、間違ってるわよ」
「に?」
「私、初めてジュードに逢った時に治癒魔法をかけたけど、高熱を出して倒れたわ」
「俺も、ガキの頃に擦り剥いてんの治してやろうとしたら、やっぱ熱出して倒れた」
そうなのである。
ルルーナは初めて風の国ミストラルでジュードと出逢った際、彼の擦り傷へ治癒魔法を施していた。ウィルに至ってもそうだ、幼い頃に傷を治してやろうとしたことがある。
その結果はどちらも同じだ。結局、ジュードはいつもの発作の如く高熱を出して倒れた。
ライオットは返る返答に暫しそのままの状態で固まり、そして怪訝そうな表情を滲ませる。と言っても、相変わらずのふざけた顔の為に変化は分からないのだが。
「……に? そ、そんな筈ないに!」
「だって」
「倒れたんだから仕方ないだろ」
「しかも高熱付きで」
必死になって訴えかけるライオットに対し、ルルーナ、ウィル、マナは何処までも冷静に切り返す。
ルルーナはともかく、幼い頃から共に育ってきたウィルやマナにとっては、ジュードが魔法を受け付けないことなど既に当たり前なのである。
それでも、ライオットはめげない。そんな筈はないのだと、枕元に鎮座したまま視線をジュードに向けた。
「そ、そんな筈がないに! 確かにマスターは魔法はダメだけど、でも治癒魔法まで害になる筈がないによ!」
「お、おい! 何を――」
ライオットは枕元から彼の胸の上に乗り上げると、小さな両手をジュードへ向けて翳す。
ウィルは何をするのかと慌ててそちらに駆け寄るが、遅かった。ライオットの短い手からは淡い白の光が溢れ出し、その輝きは瞬く間にジュードの身を包み込んでいく。本当に大丈夫なのか、ウィル達が固唾を呑んで見守る中――不意に、ジュードは双眸を見開いた。
次いだ瞬間、その身が大きく跳ね、口からは声にならない苦しげな呻き声が洩れる。喉奥から絞り出すような酷く苦しそうな声だった。
「ジュード!」
ウィルとカミラは慌ててジュードの傍らへ駆け寄り、その身を抱き起こす。ウィルはその背を手の平で擦りながら、やや早口に言葉を掛けた。
「ジュード、大丈夫だ。ゆっくり、ゆっくり呼吸しろ、大丈夫だから」
まるで溺れているような――そんな状態だった。呼吸が詰まり、苦しげに固く目を伏せて助けでも求めるように片手を彷徨わせる。カミラはそんなジュードの手を両手でしっかりと握り、口唇を噛み締めた。
ライオットは不意に起き上がったジュードの胸の辺りから転げ落ち、布団の上で呆然とジュードを見つめる。
「あんた、何すんのよ! ジュードを殺す気!?」
「ご、誤解だに! でも、でも」
「リンファ、気功術でなんとかならない?」
「やってみます」
マナはそんなライオットに大股で歩み寄ると、もっちりとしたその身を両手で掴み上げる。鬼の形相且つ握り潰す程の勢いだ、ライオットは慌てて小さな両手を振り解放を求めた。
ルルーナがリンファに一声掛けると、彼女は小さく頷いて寝台の方へと足を向ける。とにかく、少しでもジュードの苦痛を取り除いてやりたい、そう思ってのことだ。恐らく仲間の誰もが同じことを思っている。
ルルーナは今にもマナに握り潰されてしまいそうなライオットに目を向けると、眼光鋭く――目で殺す勢いで睨み付けた。
「それで? なんの確証があってジュードに魔法をかけたの?」
「うにー……おかしいに、こんなの絶対に変だに……」
そう呟きながらライオットは先程のようにしょんぼりと項垂れると、静かにジュードに目を向ける。
取り敢えず酸素は確保出来るようになったらしい、依然として苦しそうではあるが、何度も頻りに荒い呼吸を繰り返している。眠っていたところに突然魔法を受けて拒絶反応を起こした為、身体が咄嗟に反応出来なかったのだろう。
しかし、今度は発熱が始まったようだ。すぐに意識を飛ばして、力なくうつ伏せに倒れ込む。ウィルは改めてその身を抱き起こし、先程までと同じように寝台に仰向けで寝かせた。カミラはジュードの片手をしっかりと握ったまま、苦しそうに荒い呼吸を繰り返す彼の顔を痛ましそうな表情で覗き込む。
ジュードの顔には赤みが差し、熱が上がり始めていることが容易に分かった。リンファはそんな彼に片手を翳し、少しでも楽になるようにと願いを込めて気を巡らせていく。
「幾らマスターって言っても治癒魔法にまで……そもそも、この反応自体がおかしいによ!」
「……どういうこと?」
「魔法や属性に耐性がないって言っても、普通の人より魔法に弱い程度だに! こんなに苦しんで、ましてや熱を出したりする筈がないんだに!」
瞳孔が開ききっているように見える目から、ボロボロと大粒の涙を溢れさせてライオットはマナを見上げる。そんな様子をマナは怪訝そうに見下ろして、判断と要約を求めてウィルに視線を投げ掛けた。
そこはやはりウィルである、僅かな沈黙の後に静かに口を開く。
「……つまり、ジュードのこの反応は想定外、ってことか」
「そうだに! ……マスターはずっとこんな状態だったに?」
「そうよ、小さい頃から。魔法を受けると高熱を出すの。一日経てば元気にはなるけど……」
「やっぱり変だに……まるで呪いでも掛かってるみたいだに……」
取り敢えず、悪意があった訳ではないらしいライオットを解放すると、マナは穏やかではない単語に嫌そうに表情を顰めた。
「……呪い?」
「うに、ちょっと症状が似てる気がするに」
「呪い、か……そんな呪いは聞いたことないが……」
ウィルは魔術や呪術、古代文字などに関することの知識は豊富だ。
その彼の頭に思い当たることがないのであれば、可能性はあまり高くない。しかし、ウィルはすぐに小さく頭を左右に揺らした。
「まあ、でも俺だって全部の呪いとか把握してる訳じゃないしな……」
「そっか……そりゃそうよね」
「地の国には、呪術などに関する本も多く出回っていたと思いますが……調べるのは難しそうですね」
どれだけ好んでいても、その全てを理解している筈もないのだ。
リンファが視線のみをウィルに向けて呟くと、ウィルとマナは静かに頷いた。地の国グランヴェルは未だ完全な鎖国状態だ。呪いに関することを調べたいから入れてください、などと言っても取り合ってももらえないだろう。
それに、ウィル達にはこの王都ガルディオンでの仕事が残っている。私情で動き回る訳にはいかないのだ。
ルルーナはそんな彼らの様子を見つめながら、改めて壁に背中を預けて黙り込む。彼女であれば、関所を通ることは可能だ。地の国グランヴェルの最高貴族なのだから。
しかし、すぐに思考を止めて小さく溜息を洩らすと、寝台で眠るジュードとそんな彼に寄り添うカミラに視線を向けた。