第二話・紅き焔
ジュードとカミラは、やはり見覚えのない男を前にどうすれば良いのか考えあぐねていた。
見るからに粗暴そうな印象を与えてくることもあり、出来るだけ穏便に済ませたい。その風貌から年齢は恐らくクリフと大差ないと思われる、二十代前半か半ば辺りだ。クリフは性格が陽気だからこそ手荒な真似はしないが、目の前にいるこの男は別だ。若いと言うことは血の気も多そうである。
腰には鞘に収めた刀らしきものを据えているし、和風の着物を着崩したその格好は荒くれ者の印象を強く与えてくる。言葉よりも先に手が出るタイプの可能性が非常に高い。
「……あの、どこかでお逢いしたことありましたか?」
「いいや、ないな。初めまして、ってヤツだ」
「はあ……それで、何の用でしょうか?」
ご足労の意味は、流石のジュードにも分かる。
しかし、出来るだけ人の目があるところで穏便に済ませたい。それが本音だ。それはカミラも同じ考えであった。彼女は元々喧嘩の類をあまり好まない。一目見て怖そうな印象を覚える男に快い印象を抱いていないのは明白だ。胸の前で両手をしっかりと握り、軽く眉を寄せて男を凝視している。
だが、ジュードのその返答に対し男は浮かべていた笑みを消すと、代わりに不服そうに双眸を細める。片手を腰に添えて上体を前に倒し、ずい、と顔を近付けて間近で睨みを利かせた。
「つべこべ言わずに、俺と一緒に来いって言ってんだろ」
思った通りだ、ジュードはそう思う。
男はもう既に苛立っているらしい、その不服そうな表情が全てを物語っている。
どうしようか、軽く顎を引いてジュードは静かに数歩身を退く。すると、カミラがジュードの服をしっかりと掴んだ。
「だ、だめだよ、ジュード。知らない人についていったらウィルに怒られちゃうよ」
「うるせぇな……おい女、ちょいとコイツを借りるぜ」
男は女性に対しても態度が変わったりはしないらしい。
しっかりとジュードの服を掴むカミラへ一瞥を向けたと思いきや、即座に興味をなくしたように片手を目の前の彼へ伸ばした。
何をするのかと一度こそジュードは身構えるが、男の行動は彼の予想を大きく上回っていた。
「うわっ、わ! な、何するんだよ、降ろせ!」
「うるっせぇな……あまり暴れるとブン殴るぞ」
「ジュ、ジュード! だめです、ジュードを離して!」
男は片腕で、ジュードの身を軽々と担いだのである。それこそ米俵でも持つように、簡単に肩に担ぎ上げた。
ジュードは身軽と言っても、体重が軽いと言う訳ではない。身体だけで六十はある筈だ。更に短剣や剣と言った武器、メンフィスから与えられた胸当てなど、重量は更に追加されている。
幾ら成人男性であっても、そう易々と担ぎ上げられるものではなかった。
思わぬ行動と展開にジュードは四肢を動かして解放を求め、カミラは男の着物を慌てて掴んだ。
「お前っ、魔族か何かなのかよ!」
「ああ? 言うに事欠いて魔族だと? 冗談じゃねぇ、虫唾が走る!」
「……え」
自分を捕まえようとするなど、魔族以外に考えられるものはなかった。それはカミラも同じであったらしい。
思わぬ男の返答と反応に不思議そうに目を丸くさせて、着物から手を離すと緩やかに小首を捻る。魔族ではないなら、なぜジュードを連れて行こうとするのか。
その反応からして男は魔族と言う存在を知っている。一体どういうことなのか。
だが、ジュードとカミラが思考を働かせている隙に男が動いた。男はジュードを肩に担ぎ上げたまま、先程の不服そうな表情も何処へやら、上機嫌そうに笑みを滲ませ――そうして駆け出したのだ。
その速さはリンファの更に上を行く。ジュードと互角、寧ろそれ以上と言っても過言ではない。それほどの速度であった。
「ジュード! 待って待って、ジュードを返して!」
「そう心配しなくても、用が済んだらすぐに返してやるよ!」
突然走り出した男に、カミラは声を上げると慌ててその後を追いかけ始める。男の足は、そのまま王都出入り口へ。
商店街は王都出入り口を入ってすぐの大通りに連なるものだ、ここからであれば出口までそう距離はない。なんだなんだと、住民達の視線が男とジュードに突き刺さる。
ジュードは改めて四肢を動かして暴れるのだが、担ぎ上げるその手でしっかりと腰を押さえられていてはどうにもならない。
だが、背中に掛かるカミラの――今にも泣き出してしまいそうな声に罪悪感でも覚えたのか、男は小さく舌を打つとそちらを振り返ることはしないまま一つ声を上げた。そうして、王都を飛び出していく。
魔族とは異なり、魔法と思わしき力で一瞬の内に転移しないことにジュードは小さく安堵を覚えつつ、片手を男の背に添えて器用に身を起こす。
男の言うように魔族ではないにしても、正体も分からない上に突然の拉致。穏やかではいられない。
背中でも後頭部でも殴って止めるべきだろうと、ジュードは拳を振り上げる。しかし、それが男の身を打ち付けることはなかった。
「……あれ?」
なぜなら、それよりも先に男の足が止まったからだ。
男は王都を出て少し進んだ先の林近くで静かに立ち止まる。それだけでなく、肩に担いだままのジュードの身をそこでようやく降ろしたのだ。
「ふう、この辺りで良いか。ここなら余計なヤツはいないだろ」
突然降ろされて、ジュードは軽くよろける。一体何処に連れて行かれるのかと思ったが、行き先は王都の外だった。
男は軽く辺りを見回して、うんうんと一人納得するように何度も頷いている。その表情には薄い笑みが滲んでいて、随分と機嫌が良さそうだ。
正直、ジュードは困った。どのような反応をすれば良いのかがまるで分からない。敵なのか、味方なのか。そもそも、ここまで連れて来た目的はなんなのか。
ただでさえおバカと言われることが多いジュードの頭では、全てを処理しきるのは難しい。
それでも、男はすぐに周囲に向けていた視線をジュードへと戻した。辺りに人の姿も魔物の姿も確認出来なかったのだろう。
「ほら、武器を抜けよ」
「は?」
「だーかーらっ! 俺と戦えって言ってるんだ!」
「な、なんで……」
なんで、どうして、どういうこと。
ジュードの抱く疑問は、更に深まった。当然である。唐突に拉致されたかと思えば、その先で戦えなどと迫られているのだから。
剣を向ける理由がない、なんの為にそんなことを要求してくるのかさえ分からない。
「(って言うか、この人は誰なんだよ)」
魔族ではないことに安堵はしたが、だからと言って敵でないとは言えない。
だが、率直な疑問を洩らすジュードに対して、男はまたしても不服そうに眉を寄せると表情を顰めた。
「抜けって言ってるだろ、来ないなら俺様の方から行くぞ!」
「え……ちょっ、なんだよ!」
男は武器を抜こうとしないジュードを見据え、片手を腰元の刀に添えると流れるような動作で刃を引き抜く。
そして言葉通り――問答無用とでも言うかの如く、その刃をジュード目掛けて振るってきたのだ。陽光を受けて刃が光り輝く、如何にも切れ味の良さそうな鋭利な輝きであった。
当然、そんな一撃を受ける訳にはいかない。
持ち前の動体視力で刃の流れを読むと、後方へ跳び退る。男が上から下へと振り下ろした剣撃は大地へ直撃し、爆発でもするかのように地面を深く抉る。水の国の森で、アグレアスが見せた攻撃に近い。
威力が半端なものではないと、その光景だけで理解出来てしまった。しかも、男は口元に笑みを刻むと休む間もなく追撃に移る。突然の展開に、ジュードは頭が付いていかない状態であった。
「ちょ、ちょっと……っ! なんなんだよ、いきなり!」
「ほらほら、さっさと武器を抜けよ! 怪我ァしたくねーだろ!」
「待てって、なんだってこんな――ああもう!」
王都ガルディオンの鍛冶屋達が造り出した水の剣アクアブランドも斬撃による威力は非常に高い剣だが、男が振るう刀もそれに負けず劣らず威力が高そうだ。更にその腕力もあり、攻撃力はジュードより上だと思われる。
素早い切り返しと、流れるような動作で刃を振るってくる男の攻撃を全て回避するのは、流石のジュードでも至難の業だ。頭上を狙って真横に振られた刃を軽く身を屈ませて避け、そこから叩き下ろされた攻撃を、改めて後方に跳ぶことで回避する。
だが、着地の隙を狙って男は一気に間合いを詰めると、下から上へと刃を振り上げた。そればかりは流石に回避出来そうにない。ジュードは咄嗟に短剣を引き抜くと、男の刃を受け止めた。
周囲に刃物と刃物が衝突する金属音が轟く。それと同時に骨に響くような鈍痛を感じて、ジュードは思わず表情を歪ませた。
こうして刃を受けて改めて思う、男の攻撃力は並大抵のものではないと。この鍔迫り合いに勝てる気がしない。
ジュードは歯を食いしばって必死に受け止めていると言うのに、男は非常に楽しそうだ。太陽色をした双眸は輝いており、表情には何処までも楽しそうな笑みが浮かんでいる。
そして程なくして、その鍔迫り合いには決着がついた。
男が力任せに振り上げた刀はジュードの短剣を弾き、振り上げられたのだ。
その刃は彼の頬を掠める。一瞬だけ走る焼き付くような鋭い痛みにジュードは表情を顰め、咄嗟に逆手を伸ばして男の手首を掴んだ。男が刀を持つ手だ、とにかく事情を聞かないと――そう思っての行動である。
逆手の甲で己の頬を拭いながら、ジュードは口を開いた。
「っ……! あんた、一体なんなんだよ!」
「煮え切らねー野郎だなァ……フラムベルクはこんなヤツを守れって言うのかよ」
「……フラムベル、ク……?」
不愉快そうに表情を歪めながら男が吐き捨てる言葉に、ジュードは疑問符を滲ませる。聞き覚えのない名前だ。
だが、怪訝そうな表情を滲ませるジュードの手の力が弛んだのを、男は見逃さない。素早く手を引くと双眸を細め、そして再び口元に笑みを滲ませた。
「ふん、テメェがマスターだってんなら、その資質を見せてみろってんだ!」
男は刀を下ろすとその代わりとでも言うかの如く、自らの片足を軸に大きく身体を一回転。長い足を振り上げ、思い切りジュードの鳩尾へ回し蹴りとして叩き込んだ。
完全に油断していたジュードの身は、見事に決まった回し蹴りに満足に受身も取れずに吹き飛ばされた。
木に背中を強打し、思わず空咳と共に呻きが洩れる。背中の痛みと腹部の痛みに、目の前が点滅するかのように明暗を繰り返す。浅い呼吸を繰り返す度に腹部には鈍痛が走り、こめかみ部分から頬へ脂汗が伝った。
腹部から伝わる痛みに、身体が痙攣するかの如く小刻みに震える。苦しげに空咳を洩らすジュードを見据え、男は面白くなさそうに目を細めてそちらに足を向けた。痛みに支配される思考の中、ジュードは少ない情報から一つのことを理解する。
男は確かに呼んだ。
ジュードのことを、ライオットが呼ぶように。
「あんたは……もしかして……」
「そう、俺は精霊だよ。四神柱の一人、フラムベルクの命令でここに来た。マスターを守るように、って言われてな」
木の根元に座り込んで己を見上げてくるジュードを見下ろしながら男は淡々と、抑揚のない声で返答を紡いでいく。
先程までの楽しそうな様子は、既に微塵も感じられない。何処までも感情の篭もらない瞳で、ただただジュードを眺め下ろす。
そして片膝を地面についてジュードの正面に屈むと、自由な片手で彼の胸倉を無遠慮に掴み上げた。
「けどなァ、俺は人間って奴らが大ッ嫌いなんだよ。前のマスターは精霊を見捨て、自分の役目さえも放棄した。その結果が今の、この世界だ。テメェだってそうだ、いつ精霊を見捨てるか分かりゃしねえ」
「っ……」
「テメェが本当に仕えるに相応しい存在かどうか、それをテストさせてもらう。この俺様を捻じ伏せてみろよ」
男はそう告げると、掴み上げていたジュードの胸倉を解放する。そして静かに立ち上がり、数歩後退したところで再び無感情の瞳で彼を睨み下ろした。まだ戦う意志があるか――それを問うように。
ジュードは未だ痛みの残る腹部を摩りながら、そんな男を静かに見上げる。
彼の意思に反して、状況は静かに――だが、確実に動いている。自分が稀有な存在である精霊族などと、未だに信じることが出来ていないと言うのに。
それでも、彼の周りにはシヴァ、イスキア、ライオット――そしてこの男。様々な精霊が集いつつある。
「(……なんで、こんなことになったんだろう)」
自分はこれまで平和に、鍛冶屋として生きてきただけだ。精霊なんてものは知らないし、何を求められているかも分からないと言うのに。
ジュードは頭の片隅でそんなことを考えながら、しかし、静かに男を見据える。すると男はそんな彼を見下ろして、再び口元に笑みを滲ませた。
「……いいだろう、立て」
だが、それでも。
自分は精霊とは関係ない、などとジュードに言える筈もない。一度関わってしまった以上、無関係である筈がないのだから。
言われるままジュードは静かに立ち上がると、腹部を摩っていた手を剣の柄に添え、引き抜いた。鞘から抜かれた瞬間に刃からは淡い水色の光が溢れ、軌跡となって空気に溶けて消えていく。
腹部や背中の痛みは当然残っているが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「我が名は火の精霊サラマンダー! ジュード・アルフィア、マスターとして相応しいかどうか、見極めさせてもらう!」
サラマンダーと名乗った男は刀身や自らの腕、肩に紅蓮の炎を纏うと、両手で刀を握り締めて再びジュードへとその刃を振るった。




