第一話・来訪者
「あっれ~……買い置きって、もうなかったかしら……」
王都ガルディオンにある屋敷の厨房に、マナの困ったような声が一つ。
昼食の支度をする彼女を手伝っていたウィルが鍋を掻き回す手を止め、そんな彼女に視線を向けた。戸棚を漁り片手で側頭部を掻く様子は、彼女の心情とは不釣合いながら、なんとなく可愛いとさえ思える。
しかし、そんな彼女をいつまでも観察している訳にもいかず、ウィルはその背中へ一つ声を掛けた。
「どうしたんだ?」
「小麦粉って、切らしてたかしら。今日は久し振りにおやつにケーキでも作ろうかと思ってたんだけど」
「この間、これで終わりだってマナが言ってたような……」
そうだっけ? とマナは苦笑い混じりに自らの頬を片手の人差し指で掻いてみせる。
仲間の食事全般を担当する彼女に掛かる負担はかなりのものだ。食材の残りなどを把握しておくのも結構な労力だろう。ウィルやリンファが時たま手伝うと言っても、大体が彼女の仕事なのだから。
そこへ、休憩に入ったと思われるジュードが顔を出した。
「何かあったのか?」
「ああ、ジュード。ごめん、まだお昼ご飯が出来てないのよ」
「うん、それは別に構わないけど」
ジュードは小さく頷いてから、軽く厨房の中を見回す。昼食自体はもうすぐ完成しそうだ。空腹を刺激する香ばしい香りが辺りに漂っていた。
では、一体どうしたのかとジュードは改めてマナやウィルへと視線を向ける。すると、彼の不思議そうな様子に応えたのはウィルであった。
「ちょっと、小麦粉が切れちまったみたいでさ。昼飯には使わないんだけど……」
「なら、オレが買ってくるよ。ちょうど工具が壊れちまったから、今買いに行こうかと思ってたんだ」
「いいの? じゃあ、お願いしようかしら」
元々ジュードがこの厨房に顔を出したのは、出掛ける旨を伝える為だった。マナの返答に改めて一つ頷くと、じゃあ、と一声掛けてから早々に踵を返す。
本来の自分の用事と、新たに追加された買い物の用。何度か頭の中で反芻してからジュードは外へと足を踏み出した。
すると、庭にはリンファの姿が見える。近くのベンチにはルルーナが腰掛け、優雅に紅茶を飲みながら本を読んでいた。なんとも平和な光景である。
リンファは片手に短刀を持ち、精神を集中させながら何度もその手を振るう。なんてことはない、普通の鍛錬風景だ。メンフィスやクリフの教えを基本に、彼女は自らの腕を磨いている。
既に闘技奴隷として生きる必要がなくなったとは言え、染み付いた習慣ばかりは簡単に変えることが出来ないらしい。
ルルーナは屋敷から出てきたジュードに気付くと、一旦本を閉じてそちらに視線を投じた。
「あら、ジュード。どこか行くの?」
次いで掛かった問い掛けに、ジュードは一度足を止めると彼女達の方へと向き直る。ルルーナの声にリンファも気付いたのか、武器を下ろしてジュードに目を向けた。
「ああ、ちょっと買い出しに。マナにもお使い頼まれちゃってさ」
「同行しましょうか?」
「いや、大丈夫だよ。簡単な買い出しだから」
リンファからの何処か心配そうな問い掛けに、ジュードは緩やかに頭を左右に揺らす。彼女はいつでも仲間のことを想い、不器用ながら気遣ってくれる。
魔族に身柄を狙われるジュードだけでなく、彼女の気遣いは仲間全体へと向けられていた。
「なら、ついでにカミラちゃんのお迎えも行ってきてよ。あの子、治療に専念してるとお昼ご飯も気にしないで頑張っちゃうから」
「分かった。けど、最近は運ばれてくる怪我人も減ったって、この前カミラさんが嬉しそうに話してたよ」
「そう。このまま何事もなく大人しくなってくれると良いんだけどね、魔物も」
王都ガルディオンに運ばれてくる怪我人が減ったと言うことは、前線基地で負傷する者が減ったと言うことだ。
現在基地の内部がどのような状況になっているかは分からないが、毎日神殿に通い治療に当たっているカミラにとっては嬉しいことだったのだろう。彼女の嬉しそうな笑顔を思い出して、自然とジュードの表情も緩む。だが、そんな彼を見て、ルルーナは双眸を半眼に細めてみせた。
「一人でニヤけてないで早く行ってきなさい、お昼食べる時間なくなっちゃうわよ」
「ニ、ニヤけてなんて……あ、ああ、行ってくるよ」
「はい、お気を付けて」
ルルーナの言葉に、ジュードは思わず片手で己の口元を覆う。一度こそ反論しようとはしたが、敢えて考えずとも思い当たる節があったらしくすぐに小さく頷いた。
気遣うようなリンファの声を背に受けながらジュードは軽く片手を挙げて返事とし、門の方へと足を向ける。
すると、今度は中庭へと繋がる道から駆けてくる影が一つ。
「にー! マスターどこ行くにー?」
ちびと、その頭に乗ったモチ男ことライオットだ。初見の時こそちびがヤキモチを妬いたりと色々あったが、今ではすっかり仲良くなったらしい。
開いた口から舌を出して嬉しそうに駆けてきたちびの体当たりを受け止め、その頬を両手で掻き乱すように撫で付けた。図体こそ大きくなったが、ちびはいつだって甘えん坊だ。
そんなちびの頭に乗るライオットは、振り落とされないようにと必死にその毛にしがみ付いている。
「ちょっと買い出しだよ、買うものがあってさ」
「に、に! ライオットも一緒に行くに!」
「また子供達にいじめられるぞ、ちびと遊んでろって」
相変わらず瞳孔が開いたようなふざけた顔をしながら、ライオットは短い片手を挙げて必死にその存在を主張する。
しかし、ジュードは緩く眉尻を下げると、ちびを撫でる手はそのままに薄く苦笑いを滲ませた。彼の頭には、その白い身が小さな子供達に囲まれて、頻りに引っ張り回される光景が浮かんでいる。
ライオットはジュードの元にいるようになってから、買い出しに出る時なども彼に同行していた。
だが、小さな子供と言うのは時に残酷なのである。
人語を喋る真っ白な生き物は子供にとって珍しい存在であったらしく、もっちりとしたその身を四方八方から引っ張られ、散々な目に遭ったことがあるのだ。無論その程度でライオットのもっちりとしたモチ感覚の身がダメージを受けたりはしないのだが。
「に……子供は怖いに……ライオットを引っ張りながら目を輝かせてたに……」
「だろ? すぐ戻るからさ、帰ったら昼飯な」
「わうっ!」
人の往来の激しい場所でなければちびが同行しても良いのだが、どれだけ人に慣れていようとちびは魔物だ。風の国ミストラル地方に生息するウルフなのである。
魔物の狂暴化が特に進んでいる火の国エンプレス内では、表立って歩かせることに抵抗があった。ただでさえ国内の住民達は魔物と言う存在に敏感になっているのだから。
ジュードはちびやライオットに見送られながら、屋敷を後にする。そのまま足先は商店街へ向けた。
火の国の女王に、この王都ガルディオンで武具製作を依頼された時はどうなることかと思ったが、何処も住めば都。今となってはすっかり、この王都の雰囲気に慣れていた。
元々田舎の山育ち森育ちであったジュードにとって、王都の喧騒は時たま煩わしく感じることもあるのだが、賑やかな雰囲気は決して嫌いではない。武具製作の過程で王都の鍛冶屋達とはすっかり親しくなり、商店街の商人達とも頻繁に言葉を交わすようになっていた。
火の国の住民達は風の国に似て陽気な者達が多い。風の国で育ったジュードやウィル、マナにとっては特に親しみ易く、共感が出来た。
徐々に辺りが騒がしくなり始めて、ジュードは自然と表情を和らげる。ガルディオンの商店街は時間帯問わず、いつでも賑わっている。夜遅くまで営業している店も多い為か、眠ることを知らない街のような印象があった。
無論、未成年揃いのジュード達が夜遅くにこの辺りへ足を運ぶことはないのだが。
「……あれ?」
食料品店に先に寄ろうと思ったジュードは、商店街の一角に見えた姿に足を止める。
ある店先の簡素なカウンターに見える藍色。髪こそすっかり短くなってしまったが、見間違える筈もない。カミラだ。
店主と何を話しているのかは分からないが、随分と話が弾んでいるらしい。満面の笑みを浮かべる店主と、その店主の話を熱心に聞いているらしいカミラが何度も頷く。邪魔をして良いものかどうかジュードは暫し悩んだが、程なくしてそちらに歩みを向けた。
「カミラさん、買い物?」
「あ、ジュード! 聞いて聞いて!」
「ん?」
ジュードが声を掛けると、カミラは瑠璃色の双眸をいつものように輝かせながら勢い良く振り返った。これは、好奇心が働いている目だ。
なんだろう、と微笑ましささえ感じながら小首を捻ったジュードだったが、次いだ言葉に思わず凍り付いた。
「これっ、これ! 身に付けてるだけで幸せになれるペンダントなんだって!」
「え……」
カミラは店主が持つペンダントを嬉しそうに指し示すが、ジュードの笑顔は固まった。
興奮気味に笑うカミラの後ろには、簡素なカウンター越しの店主が見える。見たところガルディオンでいつも店を開いている者ではない、恐らく外部から商売にやってきた商人だろう。
これは、もしかして。もしかしなくても。
「(え……変な商売に引っ掛かってる……?)」
「本当なら五千ゴールドはするけど、今回は半額にしてくれるって!」
「(完全に悪徳商法の手口じゃないか!)」
五千も出して怪しいペンダントなど、無論ジュードは買う気がない。半額だって冗談ではなかった。五千ほどの金があれば、色々なものが買える。
今現在もジュード達が造っている剣を二本は買えるだろう。半額だって高い。
溜息を吐き出したいのを堪えつつ、ジュードはカミラの手を取ると問答無用に引っ張っていく。とにかく、彼女をこの怪しい店と店主から離さなければ。そう思ったからだ。
「あ、あれ? ジュード、どうしたの?」
「カミラさん、ああいうのには引っ掛かっちゃダメだよ。詐欺……みたいなものだから」
取り敢えずと、本来の目的地であった食料品店の方へと足を向けながらジュードは言葉を連ねるが、カミラはよく分かっていないらしい。不思議そうに首を捻るばかりだ。
恐らく彼女の故郷であるヴェリア大陸には、あのような商売は存在していなかったのだろう。ジュードは思わず頭を抱えたくなった。
「(とにかく、出来るだけ買い物には同行すれば良いか……)」
こうした神殿の帰り道こそ難しいが、日頃の買い物には付き合うようにすれば被害は避けられる筈である。
カミラは基本的に金銭の類を持ち歩かない。お使いに出ることはあるが、彼女自身に物欲があまりないらしく、一緒に行動するようになってからもカミラに金を使ったことはほとんどない。
食料品店の前に到着して、ジュードはようやくカミラの手を離す。振り返ってみれば、やはり彼女は不思議そうに頻りに首を捻っていた。小首を傾ける度に髪がふわりと動く様が可愛い、などとジュードは思う。
――どう言って聞かせれば良いか。そんなことを思いながら改めて口を開こうとした時、ふとカミラが目を丸くさせた。数度瞬いてジュードを――否、彼の後方を見つめる。
そして次いだ瞬間、ふと肩に何かが触れる感覚を覚えてジュードは自らの背後を振り返った。
すると、そこには長身の男が一人立っていた。
逆立つような茶の髪を赤のバンダナで押さえる――なんとも粗暴そうな印象を与えてくる男だった。
服装は白地に赤で模様を入れた、和の着物を着崩した格好。胸元は大きく開き、衣服としての役割を果たしていないようにさえ見えた。下は濃茶の袴姿で、全体的に和装と言える。
当然、ジュードには見覚えがない。不思議そうにしている様子からカミラの知り合いと言う訳でもなさそうだ。
「お前が、ジュード・アルフィアだな?」
「は、はあ……あの、なにか……?」
一体何処の誰だろう、何処かで逢ったことがあっただろうか。
何度も思い返してはみるが、やはりジュードには男に関する記憶はなかった。第一、面識があるのだとしたら名前を確認してくることはないだろう。
疑問符を滲ませるジュードやカミラを前に、男は薄らと口元に笑みを浮かべる。そうして静かに口を開いた。
「ちっとばかり、ご足労を願いたい」
粗暴そうな外見やいい加減とも思える口調とは裏腹に、わざとらしい敬語を交えて紡がれる言葉にジュードもカミラも不思議そうな表情を滲ませる。
そんな二人の様子を見て、やはり男は笑みを浮かばせていた。