第三十四話・ジュード激昂
「くたばれ、このクソガキがぁッ!」
怒りの感情に任せ振られる剣を、ジュードは鞘に収めたままの剣で受け止めた。ジュードが持っているのは王都ガルディオンの鍛冶屋達が造り出してくれた剣だ、そうそう簡単に折れたりはしない。
元々、ジュードに剣を抜くような気はない。理由はやはり、カミラと同じだ。幼い子供に鮮血など見せたくはない、後々トラウマになってしまう可能性がある。
カミラが傍に行ったことによって少年は多少落ち着いたようだが、危険が完全に去った訳ではないのだ。この火の国エンプレスには狂暴な魔物が数多く生息している。王都ガルディオンに連れ帰るまでは気を抜けない。
既にこの戦闘に勝利しようなどと言う気は、リュートにはない。あるのは、ただ目の前にいるジュードを殺そうと言う怒りだけだ。破れかぶれと言った状態で、がむしゃらに剣を振るってくる。
真横から真一文字に、かと思えば即座に切り返し、すぐにまた真横へ振るい――ジュードが身を退けば剣を振り上げて叩き下ろす。それらを寸前で回避しながら、ジュードは冷静にリュートの動きを観察していた。
山育ち森育ちのジュードは、常人よりも遥かに動体視力に優れている。余程の敵でない限りは、一対一で直撃を喰らうようなことはない。だからと言って油断は出来ないのだが。問答無用に振られる剣を受ければ、場所によっては致命傷になるからだ。
ちびは依然として唸りながらリュートを睨み付けてはいるが、ジュードの気持ちを汲んでのことか、余計な手出しはしない。
ジュードは矢継ぎ早に振られる剣を、やはり刃を鞘に収めたまま次々に弾いていく。相手に休む暇を与えない素早い切り返しによるリュートの攻撃は、槍を扱うウィルには効果的であったが、ジュードにはほとんど――否、全くと言って良い程に効果を持たない。
当然だ、ジュードのスピードはリュートの遥か上を行く。速度に加えて相手の挙動を読む動体視力を持っている以上、明らかにリュートの方が不利である。がむしゃらに剣を振ることで体力さえ次々に消耗していくのだから。
しかし、今のリュートにはそれを気にするだけの余裕さえないように見える。
「死ね、死ね死ね死ねッ! お前みたいなガキっ、目障りなんだよ!」
「なんだってこんなことをしたんだ! どうして奴隷商人なんてやってる!」
「うるせぇんだよ! 世の中、金だろ金ェ! 金と女だ、金がありゃ食いモンだろうが女だろうが、なんだって買える! 金なんだよ、金の為だ!」
「それで売られる人はどうなる! お前の快楽の為の犠牲になるんだぞ!」
ジュードとて、場所が場所ならばどうなっていたかは分からなかった。
偶然、風の国ミストラルの――更に偶然が重なり、グラムと言う人情味溢れる男に拾われたからこそ奴隷にならずに済んだが、もしも捨てられていた場所が地の国であったら。彼も奴隷商人に捕まり、既に死んでいたかもしれない。
それに、つい先程。王都ガルディオンを出てくる際に見た少年の母親の憔悴し切った様子。女性と言う存在を大切に想う彼にとって、決して見過ごせるようなことではない。
マナを誘拐した後に捕まり、リュートが投獄されたことを当然ジュードは知っていた。服役中に改心してくれれば良いとも、思っていた。
だが、その願いは全く叶うことはなかったのである。リュートは牢から脱走し、あろうことか抗う力を持たない子供を人質にして逃げ出したのだ。改心してくれたら、などと甘いことは流石のジュードにも、もう言えない。
「はッ! 綺麗事ばっかりほざきやがって! 力も金もねぇから奴隷になるんだろうが! 奴隷になりたくねぇなら支配する立場に立ってみろってんだよ、そうすりゃ売られる側から売る側になれるだろ!」
次々に振られる剣に視線を合わせ、ジュードは両手で持つ剣を同じように力任せに振るった。今度は攻撃を防ぐなどと言うものではなく、無遠慮に。
すると、リュートが持っていた剣は容易にその手を離れ、地面へと転がった。
予想していなかった反撃にリュートは思わず息を呑み、双眸を見開いてジュードを見据える。剣を無遠慮に弾かれたことで痛む手首を、逆手で押さえながら。
「……命は――命は、金では買えないんだぞ!」
「綺麗事ばっかほざくなっつってんだろうがッ!」
「死んだら、それで終わりだ! 友達にも、家族にも、誰にも逢えない! お前が今まで売ってきた人達の気持ちや、その後を考えたことがあるか!」
「奴隷なんざァ、人間じゃねぇんだよ! 奴隷はモノだ、商品だ、欲を満たすだけの存在だ、人権なんてモンはなくなるんだよ! 文句なら、喜んで奴隷を買う貴族のブタ共に言いな!」
互いに怒声を張り上げながら、しかし両者一歩も退こうとはしない。
リュートは片手に風の魔力を集め魔法を完成させていき、ジュードは怯むこともなく剣を握り締めたまま彼を睨み据える。
――その勝負は一瞬のことだった。
リュートは前触れなく片手を突き出して集めた風の魔力を放出し、いつかのようにレーザー砲の如くジュード目掛けて凝縮した風の塊を放つ。
だが、ジュードは寸前のところで身を翻して魔法を回避してしまうと、依然として鞘に収めたままの剣で思い切りリュートの背中を殴り付けた。自らを軸とし、回転の勢いを加えての強打だ。
しかし、ジュードの攻撃はそれだけでは終わらない。
背中を強打されてよろめいた彼に対し、ジュードは素早く剣を引くと更に追撃を加える。リュートがこちらを振り返るよりも先に、腕、肩、腰など鞘に入ったままの剣で何度も殴り付けた。多少の力加減こそしてはいるが、いつものジュードからは考えられない容赦のない攻撃である。
体力を消耗し過ぎたところに休みなく強打されては、流石のリュートも耐えられる筈がない。程なくして、その身は力なく地面へと倒れ込んだ。
カミラは自分にしがみつく少年をしっかりと抱き寄せながら、そんな光景を見守っていた。
「ジュード……あんな怖い顔、初めて見た……」
ジュードはと言えば、いつも彼女や仲間達の前では笑顔でいるか――ウィルに揶揄されて拗ねるように怒っているか、もしくは照れているか。そう言った表情が多い。
こうまで激昂する姿は見たことがない。魔族と対峙した時でさえ、これほどではなかった。
「――ああ、いたいた! カミラ、大丈夫か!?」
「もう、ジュードったら早すぎ! ちびの足になんて追い付けやしないわよ!」
そこへ、聞き慣れた声が届く。
ウィル達がガルディオンの兵士達と共に駆け付けたのだ。文句を垂れるマナの言葉から察するに、ちびに乗って真っ先に突撃してきたジュードの後を追い掛けて来たものだと思われる。
リュートの姿を視界に捉えて各々複雑な表情を滲ませはしたが、とにかく今はカミラや少年の安否確認が先だったらしい。慌てたように駆けて来る彼らの姿を確認して、カミラは安堵を滲ませて表情を綻ばせた。
そしてジュードも、リュートが動かなくなったのを確認してちびと共にカミラの傍らへと駆け寄った。
「ああ良かったぁ……カミラもその子も、大きな怪我はなさそうね」
「うん、怖い想いはしちゃったと思うけど……怪我は大丈夫だと思う、擦り傷くらい」
「カミラさんは後でちゃんと冷やさなきゃダメだよ、リュートに殴られたんだから」
「やだ、女の子に手を上げるなんてサイテーね」
ご協力に感謝します、と同行していた兵士達は額辺りに片手を翳して敬礼とすると、倒れたままのリュートの元へと駆けていく。なんとも迷惑な騒動だ。
少年はカミラの腕の中から抜け出すと、ようやく安心したように笑って「兄ちゃんたち、ありがと」と口を開いた。先程まで確かに怯えていたと言うのに、既にそんな様子は微塵も感じられない。見たところ年齢は十になるかならないか程度だ、複雑な年頃である。女の子であるカミラに抱き着いているのが多少恥ずかしかったのだろう。頬がほんのりと赤い。
へへ、と照れたように笑って、人差し指で鼻の下を掻いている。泣き腫らした目元は真っ赤なままだが、取り敢えず少年が笑顔を浮かべてくれたことに誰もが安堵した。
ウィルとマナはそんな少年を微笑ましそうに眺め、ルルーナとリンファはカミラの安否を確認する。殴られた、と言うのが気になるらしい。ジュードはカミラを見遣りながら、心配そうにこちらを見上げてくるちびの頭を撫で付けた。「バケモノ」と言われたのを気にしているのではないか、ちびはそう心配しているのだ。そしてその心配はライオットも同じで、肩から気遣わしげな視線を投げ掛けていた。
しかし、そんな和やかな雰囲気は即座に吹き飛ぶことになる。
「――お、おい! お前ッ!」
不意に、兵士達が声を上げたのだ。その声には動揺の色が濃く滲み出ている。
何事かとジュード達は反射的にそちらを見遣るが、そこには意識を飛ばしたと思われたリュートがいた。地面に這い蹲ったまま、片手をこちらへ向けていたのだ。その表情には狂気染みた笑みが貼り付けられている。
「く、くくく……ッ! どいつでも良い、死んじまえ!!」
「……!? 魔法だ、散れ!」
そう洩らして、リュートは先程とは異なる風魔法を放った。
ウィルが咄嗟に声を上げたことで仲間達の大半は魔法の中心部から離れることには成功した。それは風属性の中級攻撃魔法、広範囲を巻き込む『ストームエッジ』だ。幾つもの鋭利な風の刃が範囲内の対象を問答無用に切り裂く魔法である。
しかし、完全な回避には至らなかった。そこには幼い少年がいたからだ。
「――だめ!」
カミラは咄嗟に少年の身を抱き込むと、しっかりと自分の腕の中に閉じ込めて倒れ込む。身を小さく縮め、倒れることで直撃をある程度抑えようとしたのだ。
だが、風の刃は無情である。次いだ瞬間、カミラは背中に激痛を感じた。それと共に表情が歪み、彼女の口からは小さな苦悶が洩れる。「おねえちゃん!」と今にも泣き出しそうな声で少年が叫んだ。
「カミラさん!!」
「カミラ、大丈夫!?」
ジュードとマナは魔法の効果が止まると、真っ先に彼女の元へと駆け出した。だが、すぐにジュードは双眸を見開いて息を呑み、マナは同じように朱色の目を丸くさせ、そして絶句する。
「どうしたのよ、何か――」
「……!」
そんな二人の様子に怪訝そうな声を向けたのはルルーナだ。同じくリンファも疑問符を滲ませるが、すぐに彼女の双眸は異常を捉え、理解してしまった。
ジュードは頭の中で、何かが切れるような錯覚を覚える。堪忍袋の尾が切れる――そう表現するのが一番適切であるかもしれない。そして即座にリュートに向き直ると、込み上げる怒りのままに再びそちらへ駆け出した。
「お前えええぇッ!!」
兵士達が取り押さえる様子にも構うことなく、倒れ込むリュートの身を乱雑に起こし胸倉を毟り取るように鷲掴みにした。力の加減など全く出来ていない、首が絞まるような圧迫感にリュートは苦悶を洩らしつつも、挑発するかの如く表情を笑みに歪める。
「く――はははッ! 俺は満足だぜェ、お前のそういう悔しそうなツラを拝めてなァ!」
「ふざけるな!」
腹の底から吐き出すような、聞き慣れないジュードの怒声にカミラは慌てて意識をそちらに向ける。確かに背中に痛みはあるが、そこまで激昂するようなことではない。なんともない旨を伝えようとしてカミラは起き上がろうとしたが、それは傍らに駆け寄ってきたウィルによって制された。
「――っ……カミラ、ダメだ動くな……ジッと、してろ……」
「ウィル……? ちょっと痛いけど大丈夫だよ、わたし、なんとも……」
心なしか、ウィルの顔色は蒼い。何処となく声も微かに震えているような気がする。冷静な彼にしては珍しく、動揺が見え隠れしていた。どうしたら良いのか、なんと声を掛ければ良いのか戸惑うような。
何をそんなに驚いているのだろう。それだけ背中の傷が酷いのだろうか、出血がかなりのものなのだろうか。一抹の不安を覚える。
とにかく、今のままでは抱き込んだ少年が潰れてしまいかねない。そう思ったカミラは静かに身を起こした。
――そこで、ようやく理解する。
何処かおかしい仲間達の様子の理由を、ジュードがそこまで激昂する原因を。
「――え……?」
ふわり。
起き上がった拍子に、何かが落ちた。
それと同時に背中に柔らかな風が当たる。負った傷が自然風によって冷やされていくような心地好さがあった。
しかし、普段は背中に風など感じない。カミラの後ろ髪は彼女の背中を覆い隠すほどに長いのだから。
「……!」
カミラは、異変に気付いて双眸を見開いた。
自分の髪が、後ろ髪が――
後ろ髪が肩の位置ほどでざっくりと切れていたのだ。ふわりと落ちたのは、切れた彼女の長い髪だった。
リュートが放った風魔法が背中を抉った際に切れてしまったのだろう。カミラは静かに自分の後ろを振り返り、草の上に落ちた――つい今し方までは自分のものだった瑠璃色の髪を見つめた。
「あっははは! 髪は女の命ってかァ? 確かに、金で命は買えねぇなァ!」
「っ……!」
「なんとか言ってみろよ、このバケモノよォ! 悔しくて声も出ないか? 怒って怒って怒り過ぎて興奮しちゃった? ぎゃはははッ! たかが髪一つで、女ってのは本当に面倒な――」
それ以上、リュートの言葉は続かなかった。
怒りに震えるジュードの拳が、その腹部に思い切り叩き付けられたからだ。遠慮も何もない、怒りに満ち溢れた一撃。肋骨と思われる、骨の折れる音と感触がジュードを襲う。折れた骨が内臓を突き刺したのか、程なくしてリュートは盛大に吐血した。激しく、そして苦しげに何度も咳き込み、嘔吐く。兵士達は両脇からそんな彼の肩を押さえつけ、両手を後ろ手に拘束した。
リュートは自分には見向きもせずに立ち上がるジュードに気付くと、忌々しそうに表情を歪めながら血走った眼で彼を見上げるが、ジュードは何処までも冷ややかな目でリュートを見下ろした。
「……命があるだけ、良かったと思えよ」
抑揚のない静かなジュードの声に、リュートは奥歯を噛み締めて睨み返した。