第二十九話・幾つもの想い
「はー……なるほどねぇ……」
ジュード達が村を後にしたのは、随分と遅めの昼食を終えてからであった。
王都ガルディオンへ伝書鳩を飛ばし、悪徳商人を引き取りにきた兵士達にリュート達を任せてからだ。
朝から何も食べていなかった為に、比較的質素に分類されるだろう宿の食事でも充分に美味しく感じられ、それなりに身体も休めることが出来た。
しかし、その中でもウィルとマナは互いに無言であり、目を合わせることさえなかったのである。
村を後にして前線基地へと戻る道すがら。
ウィルとマナ、二人の様子が明らかにこれまでと異なっていることに気が付いたクリフは、単刀直入にジュードとウィルへ問い掛けたのだ。
ちなみに、気まずさからか男性女性で歩く距離も多少異なっている。男性が先頭、女性がその後を一定の距離を保ったまま続いているような状態だ。
配慮として幾分潜めた声量で問い掛けたクリフに対し、ジュードも同じように返す。
その中で事の顛末を理解したクリフは、ようやく納得したとでも言わんばかりに小さく頷いた。馬の手綱を片手で引き、下馬をした状態で歩みながら一度空を見上げる。
しかし、程なくして愉快そうに笑い出した。
「はっはっは、いやいや若いな、青春だなぁ」
「せ、青春って……」
「青春だろ? いいじゃないか、若い内は幾らでも悩め悩め」
不意に笑い始めたクリフをウィルは困ったように横目で見遣る。彼の悩みは、今現在も解決されていない。それどころか、このまま行けば基地に帰り着いた際にカミラやメンフィスにも同じことを問われかねない。
だからと言って、ジュードが言ったようにハッキリとマナに告白するなどと言う選択肢を選べる筈もなかった。また一つ、ウィルの口からは溜息が洩れる。
ハッキリと告白は出来ない、かと言って今更なかったことにも出来ない。そして、今のままでいるのも抵抗がある。なぜって、仲間内の雰囲気が良くないからだ。自分が一番空気を悪くしてしまっている、そんな気がした。人一倍責任感の強いウィルがそんな状況を許容出来る筈もない。
「クリフさんにはそういう……恋人とか、いないの?」
「ああ、いないねぇ」
「意外だな、クリフさんってモテそうなのに」
クリフはリュートと同じく『優男』に分類されるような外見をしている。
低い位置で結う銀色の髪は背中の上ほどまであり、緩やかなウェーブが掛かっていて大層柔らかそうだ。国に仕える騎士として外での鍛錬は欠かさないのか、肌は健康的に焼けている。しかし無骨と言うようなことはない、顔立ちは整っているし、充分美形に分類される方だろう。やや幼さの残るジュードやウィルとは異なり、大人の印象が強い。
瞳はウィルよりも幾分か色合いの明るい紫。彼の銀の髪色には非常によく似合う色だ。
ジュードの問いにクリフは考える間もなく、緩やかに双肩を疎ませて軽く頭を左右に揺らす。そんな様子と返答に、それまでやや俯きがちだったウィルも顔を上げて言葉通り意外そうに呟いた。
そんな整った風貌を持ちながら、騎士なのだ。彼を慕う女性は多いだろう。
「なんて言うかね、特定の相手とかは作らないようにしてるんだよ。変に情が移ったら困るし」
「え、どうして?」
「どうしてって……アレだよ、魔物との戦いでいつ死ぬか分からないからさ」
返る言葉に、ジュードもウィルも思わず目を丸くさせた。そして互いに顔を見合わせて、疑問符を滲ませる。
その様子を視界の端に捉えると、クリフは眉尻を下げて笑った。
「この国の魔物は特に危険なんだ、分かるだろ? この前だって、坊主が助けてくれなきゃ俺は死んでた。誰かと愛し合ったって死んじまったら……自分が好きになった女性を泣かせることになるんだぜ」
作れるかよ、と呟いてクリフはまた笑った。
その様子を眺めていたジュードとウィルは、改めて互いに顔を見合わせ――そして視線を下げる。
「クリフさんって、根っからの騎士なんだね……」
「俺達、全く考えなしだったかもな……」
「あーあー、別にいいんじゃないの? お前らは騎士じゃねーんだし」
どんよりと見るからに暗くなってしまった二人を見遣り、クリフは苦笑いを滲ませながら小さく頭を左右に揺らした。
別に、女王が騎士の恋愛を禁じている訳ではない。
彼女は国を治められる程の力強さを持ち合わせているが、個人個人の問題に口を挟むことはしない主義だ。その為、火の国エンプレスはそう言った部分では比較的自由な国と言える。
ただ、クリフが自分で決めているだけだ。恋はしない、恋人などの決まった相手は作らない、と。それは彼なりの優しさでもあり、臆病さでもある。
大切な人を作れば、死ぬことが怖くなるから。
国を、民を守る騎士として、それはあってはならないことだから。
――しかし。
「クリフさんだったら、どんな人が似合うかな」
「やっぱりスラっとした美人だろ、それなら並んだ時に絵になる」
「お前ら、人の話聞いてたか?」
ジュードとウィルは歩く足は止めぬまま、当人もそっちのけで好きに想像を始めている。
どうしてそんなことになるのか。頭の出来が残念なジュードだけならばまだしも、なぜ賢い筈のウィルまで一緒になって考えているのだろう。想像するだけならば自由だが、一体なぜ。
クリフは肩を落として、再度と苦笑いを滲ませた。若い子の考えは分からない、そう言いたげに。だが、それでもすぐにそんな二人に双眸を細めると、一言揶揄を投げ掛けた。
「まあ、そんな訳だから。マナちゃんのことはしっかりしろよ、ウィル」
「え、あ……そうだ、そうだった」
その言葉に、ウィルはようやく思い出した。人様の恋愛をとやかく言っている場合ではないのだと言うことを。
とにかく、今はうっかり出てしまい――そしてマナ本人に聞かれてしまった告白らしき言葉をなんとかしなければならない。
ジュードは告白してみたらどうかと言うが、そんな簡単に出来ることではない。マナはウィルではなく、ジュードが好きなのだから。
また出口の見えない思考回路の迷宮に落ちそうになったところへ、クリフが改めて口を開く。揶揄の矛先はウィルだけではなく、ジュードにも向いたのだ。
「お前もだぜ、坊主。お嬢ちゃんとのことも、ちゃんとしろよ」
「え……」
クリフは、ジュードが女王に呼ばれて火の国に向かった際に知り合った男だ。その時からジュードとカミラのことは知っている。しかし、こうして共に行動するようになっても未だに清い仲だと言うことがどうにも理解出来ないらしい。
傍から見れば完全に両想いにしか見えないのだから、当然だ。
クリフの唐突な揶揄に、ジュードは瞬時に顔に朱を上らせた。それはもう一瞬で、可哀想になるほど真っ赤に。
「そうだぜ、ジュード。告白しろって俺に言うなら、お前もしろよ」
「やだよ、なんだよその連れションみたいな誘い」
「女子か、お前ら」
淡々と、そんな軽口を交わしながらジュードは見えてきた前線基地の建物に視線を向けた。空はすっかり、橙色を通り越して闇に染まりつつある。
基地では、カミラやメンフィスが自分達を心配していることだろう。そう思うと胸中には自然と暖かいものが芽生える。
しかし、忘れてはいけない。今は周囲に揶揄好きの仲間が二人もいるのだと言うことを。
「坊主」
「告白しろって」
「だから、嫌だって……」
両脇からジュードの脇腹を肘で突いてくる二人を、一度忌々しそうに眺めてから小さく溜息を洩らす。いつの間にか揶揄の対象が自分になっていることにジュードは頭を垂れた。
カミラのことは好きだ、ジュードにとって初恋と言っても過言ではない。
笑っていてほしいし、泣き顔など見たくはない。淑やかに見えて実は結構な行動派である彼女を、守ってあげたいとも思う。
だが、彼女には他に好きな人がいるのだと思うと、どうにもならない。
「……カミラさん、好きな人いるし」
そして、小さく呟かれた言葉にウィルもクリフも唖然とした。両者とも「お前だろ」と、言葉には出さないがそう思ったのだ。
しかし、ジュードはそんな様子には気付かずに呟く程度の声量のまま言葉を続けた。
「ヴェリアの王子様が好きなんだよ、カミラさんは。昔から大好きな人なんだって。その人の話をする時、本当に嬉しそうな顔するんだ」
「……」
その言葉は、ウィルだけではなくクリフにとっても意外であった。カミラはジュードのことが好きなのだと、そう思っていたからだ。
ウィル達は知らない。彼女の想い人の話を。だからこそ、どう声を掛けて良いかが分からなかった。無責任に「そんなことない」と言うことも「そうだな」と肯定するのも、違う気がしたのだ。
* * *
「マナ、大丈夫かなぁ……」
「カミラ、また入り口を見ておるのか?」
「あ、はい。まだかなぁ、と思って……」
「それは良いが、鍋が焦げておるぞ」
「キャ――――――ッ!」
カミラは空が橙色に染まり始めた頃から、そわそわと落ち着きなく前線基地の出入り口を何度も何度も繰り返し見つめていた。そろそろ帰ってくるかも、そんな期待を込めて。
厨房で夕飯の支度をしながら、だ。その隣にはメンフィスが並ぶ。彼の身には淡いピンク色の可愛らしいエプロンが付けられていた。それも、ふんわりとしたフリル付きである。兵士達はそんな彼の姿を目の当たりにする度、無言で敬礼をして早足に去っていく。恐らく、笑いを堪えるのが大変なのだろう。
改めてカミラは前線基地の出入り口に視線を向けてはいたのだが、彼女の傍にある鍋から黒煙が上がり始めるのを見て、メンフィスは冷静に指摘を向けた。するとカミラはいつものように甲高い悲鳴を上げ、慌てて中身を混ぜ始める。そんな様子をメンフィスは愉快そうに――そして微笑ましそうに見つめた。
「なぁに、心配は要らん。もうすぐ戻ってくるだろう」
「は、はい……」
「しかし、心配なのはマナではなく、ジュードなのではないか?」
当然、カミラがマナを友人として大切に想っていることをメンフィスは知っている。だが、どうにも揶揄せずにはいられない性格らしい。
緩やかに目を細めながら、幾分潜めた声量で一つ問いを投げ掛けた。
すると、彼の予想を裏切らずにカミラの白い頬は即座に真っ赤に染まった。そしてお玉から手を離し、両手で自らの顔面を覆う。
「ち、違います……マナはお友達だもの、心配するのは当然です……!」
「だが、ジュードも心配なのだろう?」
「じゅ、じゅーどはつよいからだいじょうぶですっ」
再度向けた揶揄に対しなんとも辿々しく言葉が返ると、そこでメンフィスは声を立てて笑った。
若い者達が恋をする様子を、彼は微笑ましく感じている。カミラだけではない、ジュードやウィル、マナとてそうだ。なんとも微笑ましい。メンフィスが感じることは、それである。
だが、ややあってからカミラは顔面を覆っていた手を下ろすと、伏せ目がちに視線を落とした。
「……ジュードのことは好きだけど」
「ん?」
「…………わたしじゃ、ダメだから」
その言葉は、あまりにも小さかった。不思議そうに首を捻る彼に対し、カミラはすぐに笑うと慌てたように「なんでもありません」と告げて小さく頭を左右に揺らす。
そして、次いだ瞬間に基地の入り口から騒がしい声が聞こえてきた。聞き慣れた幾つもの声。ジュード達だ、無事に帰ってきたのである。
カミラはすぐに表情を笑みに破顔させると、火を止めてエプロンで両手を拭く。
「わたし、出迎えに行ってきますね!」
「ああ、……行っておいで」
厨房を出て行くカミラの背を、メンフィスは多少なりとも複雑な表情で見送る。何処か無理をしているように見えたのだが、彼女はそれを必死に隠しているように感じた。
自分では駄目。それがどう言うことなのか、どのような意味なのかメンフィスには当然理解出来ない。
「ふう……若者は難しく考える性質があるからのう……」
彼にとっては、ジュードもカミラも可愛い若者なのである。
互いに好き合っているのなら、障害があったとしてもぶつかり合ってみれば良いものを。
そんなことを思いながら、まな板の上の野菜を包丁で切り始めた。
――可愛い愛弟子が師匠のエプロン姿を目撃して吹き出すまで、あと三分。